第366話 敵前逃亡は重罪です

 カチーナは今、震えていた。


 騎士団が突然戦いの準備を始め、その相手がトーテムセブンだと知ったときは複雑な気分だった。自然への畏敬を忘れたフロンのような町はトーテムセブンに滅ぼされてしまえばいいと心のどこかで思いつつも、その戦いに、よりにもよってコーニアと父エトトが赴いていることが心配でならなかった。


 コーニアは、町までトーテムセブンは来ないだろうから念のための警備に過ぎないと説明したが、カチーナはそれを素直に信用できなかった。何故なら、そのときのコーニアは戦士が狩りに赴くときのような静かな闘志を燃やしていたからだ。

 ずっとカチーナを見限らずに優しくしてくれたコーニアに怪我をして欲しくはなかった。


 エトトもまた、騎士団にクロスボウの扱いが出来る人に協力を要請した際に、嘘はつけないと行ってしまった。騎士団からは、トーテムセブンが来なければ戦闘はないと聞かされたが、カチーナは最後まで「約束破りだ」と反対した。

 だが、エトトは頑なだった。


『安全な場所にいさせてもらえることになってるし、来なかったらクロスボウは握らないで済むさ。それに、万一お前に怪我をさせてしまったら母さんたちを悲しませてしまう。大丈夫さ、きっと……』


 大丈夫――その言葉に反し、住民たちは避難先として押し込まれた王立魔法研究院の支部の部屋に詰め込まれる。最上階に入れられたカチーナが窓から見下ろす先には、次々にバリケードなど戦う為の道具が並べられ、騎士たちが剣を装備して周囲を警戒している。


(早く終われ……こんな時間、早く過ぎろ……)


 きっとトーテムセブンは来ないし、二人とは後でまた会える。

 そう思えば思うほどに、不安が胸中を渦巻いていく。

 同じ部屋に入れられた住民や護衛だという騎士に幾度なだめられても、貧乏揺すりは止まることがない。魔法の力で火を起こす装置で研究者が暖かい飲み物を用意してくれても、不安は消えなかった。


 やがて、不安は現実となる。


「三時の方向からシワンナ・トーテム接近!!」

「深追いするな!! とにかく出血させろ!!」

「ブオオオォォォォーーーーーッッ!!!」


 けたたましい音、喧噪、地を揺るがすような咆哮。

 トーテムセブンは、騎士団の願いも虚しく町に姿を現した。

 窓からその巨大で醜悪な姿を見たカチーナは、自分の思い描く精霊の遣いたるトーテムセブンが空虚な妄想に過ぎなかったことを思い知らされる。


「あれが、あんなものがトーテムセブン……!?」


 サイに匹敵する屈強なる巨躯。

 全身の肌に垣間見える醜い疣。

 そして、凶悪さを体現したかの如き敵意に満ちた表情。


 その巨体が、騎士団の弓矢を物ともせず、バリケードを薙ぎ倒して邁進する様に、カチーナは腰を抜かした。それは今まで一度も見たことがない、圧倒的な暴力だった。


「あんなののどこが自然の代弁者なのよ……!? あんなの、唯のバケモノじゃないッ!!」


 あれは、自然を大切にしない人に罰を与えるだなんて、そんな高尚な存在ではない。明確な敵意を持って人を害しようとする獣に過ぎない。カチーナはこの日、人生で初めて自分の命の危機というものを己の隣に感じた。




 ◇ ◆




 シワンナ・トーテムが防衛網を貫くのはあっという間だった。

 先輩騎士たちから緊張に満ちた報告が入る。


「第一バリケードを投げ飛ばして第二バリケードに穴を空けやがった!! しかもバリケードの置いてある場所へ器用に跳躍してるから罠が作動しやがらん!! もう第三バリケードに差し掛かるぞ!!」


 剣をいつでも抜けるように柄に手をかけたコーニアは、緊張で爆発的に高まる心臓の鼓動を深呼吸でなんとか鎮めようと試みる。騎士団に入ってこの方、少ないながら何体か生きたオークはお目にかかったが、それらは騎士団の罠に嵌まって焦るオークばかりだ。今回のように明確な意思を持って襲いかかってくる、しかもボス級オークの相手は初めてだった。


(落ち着け俺、このビビり心臓め! 後ろには避難してきた民間人たちがいるんだぞ!?)


 不安そうに建物の中に入っていったカチーナを思い出し、自分に喝を入れる。元々こういう仕事だと分かっていて騎士を目指した分際で、今更怖じ気づくことなどあってはならない。

 ローニー副団長は険しい顔で周囲に確認を取る。


「クロスボウ部隊の移動は!?」

「このままならギリギリ間に合います!! 既に弓矢でスナイプしてますが、濡れた草鎧が邪魔で殆ど効果ありません!!」

「そうですか……クロスボウと弓を持つ者は絶対に接敵を避け、一撃離脱戦法を徹底させなさい。駄目ならここで白兵戦を仕掛けます!!」


 啖呵を切ったローニー副団長に呼応するように、トロイヤとオスマンが心持ち眉毛のきりっとした顔で槍を掲げて呼応する。


「出番だー!」

「やるぞー!」

「てかデスクワーク派の副団長が一番心配な気がしてきたんだけど、どうなのよコーニアねぇねぇ?」


 こんな時にもいまいち緊張感に欠けるアマルに話しかけられる。この期に及んでまだ失恋ショックが残っており少し気まずいが、そうも言っていられない、とコーニアは気持ちを切り替える。


「あの人は元々聖靴の人なんだから、奥義の五、六個は最低でも習得してる筈だろ! そんなに心配なら俺らで仕留めきればいい!!」

「え? 何で聖靴出身だと奥義修得してるの?」

「お前なぁ……! ああもう、あいつを仕留めた後で説明してやらぁ!!」


 聖靴騎士団は実力主義で、格式だけでなく剣の実力も重視されている。元聖靴騎士のローニーも入団を許された以上は士官学校時代に相応の奥義を修得している筈だ。そんなことも理解出来ていない女に何故自分は片思いしていたのか、色々と遣る瀬なくなった。


 そうこうしているうちに、シワンナが最後のバリケードに差し掛かる。

 この時の為に、村に残ったハンターや弓の腕に覚えがある騎士は建物の付近ギリギリで一斉射撃の準備を整えていた。彼らは時間が足りなかった為にバリケードと塹壕を折衷させたような空間に身を隠し、ずっと機を伺っていた。


 バリケードが突破される以前から時折シワンナの投擲物が彼らの潜む塹壕の近くに叩き込まれ続けていたが、民間人もいるにも拘わらず、彼らは最後まで我慢して隠れ抜いた。


「爆竹投擲ッ!」

「了解、投擲ぃッ!!」


 シワンナが姿を現したその瞬間、騎士団得意の爆竹が投擲される。

 破裂音と閃光を合図に、クロスボウ部隊が一斉に構えた。

 ローニーが剣を振り上げて叫ぶ。


「放てぇぇぇーーーーッ!!」


 バヒュヒュヒュヒュヒュッ、と、無数の矢がシワンナに殺到する。

 騎士団の使用する弓矢及びクロスボウは対オークを想定してかなり貫通力の高いものを使用している。更に今回は、癪ではあるがコリントスが仕入れた最新式のクロスボウをハンターたちが所持していた。

 これほどの性能によって放たれる矢の一斉射撃は、たとえシワンナが草の鎧を纏っていても唯では済まない。


 だが、矢の発射号令が下った瞬間にシワンナは予想だにしない動きを見せた。彼は先端に石の錘を結びつけた荒縄ロープを取り出し、それを投擲して住民の避難所となる研究所支部のベランダにある手すりに引っかけたのだ。


「なんだとぉッ!?」

「ブオォウッ!!」


 シワンナがその腕力と跳躍力で宙を舞ったのと、矢がシワンナに到達するのはほぼ同時。一瞬だけ到達が遅れたことでシワンナに突き刺さった矢はわずか数本で、どれも致命傷に至るものではない。渾身の不意打ちが失敗した瞬間であった。


 そして、騎士団は同時に気付く。

 シワンナはロープとベランダを利用して宙を舞ったが、飛んだらあとは重力に従って落ちるのみ。そしてシワンナがロープをかけたベランダは、射撃部隊のほぼ真上に位置する。

 奇しくもその緊急事態に誰よりも素早く対応したのは、この場で誰よりも直感力のあるアマルだった。


「これマズいやつだっ!!」


 一瞬で氣を発動させて電光石火の速度で駆けたアマルは、加速を利用して建物の壁を数度蹴って駆け上がり、クロスボウ部隊を真上から襲おうとするシワンナに必殺の刺突を解き放つ。


「六の型、紅雀ぁぁぁくッ!!」

「グゴッ!!」


 寸でのところで彼女の接近に気付いたシワンナは建物の側面を蹴り飛ばすことで攻撃を回避する。だが、その一瞬が射撃部隊の貴重な撤退時間を稼ぐ。更に、ベランダからシワンナの様子を見ていた騎士の一人が、シワンナの引っかけた縄を剣で切り落とす。


「上ってくるんじゃないっての!!」


 流石は経験豊富な騎士というべきか、判断が早い。

 更にローニーが追撃の号令を放つ。


「今です! トロイヤくん、オスマンくんッ!!」


 瞬間、ゆるそうな見た目からは想像も出来ない速度でトロイヤとオスマンが駆け出す。あの三頭身の短い足のどこからそれほどの走力を発揮してるのかまるで分からない二人は、ゆるい顔のまま凄まじい手捌きで槍を構えた。


「いっけー漁師直伝奥義ー!!」

貫撃チチヌチュンー!!」


 流石は三つ子と言うべきか、二人の攻撃のタイミングはコンビネーションも含めて完璧だった。結果的に一番やる気があったのに一番出遅れたことを悔いるコーニアも、これは決まったと思った。


 確かに、並のオークなら確実に串刺しにする程には強烈な刺突。

 だが、シワンナはロープを切られて落下する途中、更にもう一つのロープを取り出して空中で回転させる。オークの怪力故か、一瞬で凄まじい速度に加速したロープが今まさにタイミングを合わせたトロイヤとオスマンを同時に襲う。


「んぎゃっ!!」

「むぎゅっ!?」


 咄嗟に槍でロープを迎撃しようとした二人だが、抵抗虚しく防ぎきれずに吹き飛ばされる。唯でさえ頑丈そうなロープは、シワンナが川を泳いできたことでたっぷりと水分を吸って重量が増しているようだ。


 元々樽みたいな体型故か二人は地面に叩き付けられた後、派手にごろごろと地面を転がる。普通の人間なら今の一撃で骨の数本はやられていた筈だが、彼らは常人より骨の頑丈なキジーム族であることが幸いしてか、二人ともすぐ立ち上がる。


「あのロープ、下手すると死ぬよー!!」

「間違っても巻き付かれちゃ駄目ー!!」


 そう叫んで警告する二人は、地面で体中を擦ったせいか顔のあちこちに痛々しい擦り傷を作り、血を滲ませている。確かにあれほどの威力を発揮する縄で万一腕や足を捕まれようものなら、手足の一本でも捥がれかねない。頭に直撃すれば言わずもがなだ。


 なんてやつだ、と騎士全員が内心で唸った。

 縄はどうせ島民が捨てたものの再利用だろうが、それを使いこなして武器にする技量のあるオークがいて、それがボスクラスの体格であるというのは、本島であれば前代未聞の組み合わせだ。


 何よりも、シワンナの判断力の早さが恐ろしい。

 罠の可能性がある場所には足をつけず、弓矢の来るタイミングを見切り、更には空中で支えがないまま接近する相手をロープで弾くという判断を瞬時に下して実行する行動力。どれをとっても、まるで訓練された人間を相手にしているかのようだ。

 或いは、シワンナの不退転を決意した目がそうさせるのか。

 

 不意に、ローニーが剣を構えて無言で前に出る。

 コーニアはその行動にぎょっとした。

 

「副団長!? 正面からは無謀じゃ――!!」

「私がしくじったら君の番です。最大限の警戒と攻撃の準備を」


 淡々と言い放つローニーに不安を覚えるが、コーニアは冷静になって現場を見て、はっと気付く。ローニーからシワンナを挟んで反対サイドに、先ほどの吶喊の後に体勢を立て直したアマルが慎重に近づいているのだ。


 これはローニーを囮にした作戦、或いは二面からの挟み撃ちだ。

 アマルの突進力と刺突の威力は騎士団内でも上位だ。直撃すればシワンナをも屠れるかもしれない。それを見越しているとはいえ、あの威力のロープを目にして尚も前に出るとは、ローニーも大概の胆力と判断力だ。


 アマルは自分の剣の間合いまで距離を詰めるために、じりじりとシワンナに近づく。それと動きを合わせるようにローニーもゆっくりと動いてシワンナの視線を引く。思わず生唾を飲み込むほどの緊張感――と、シワンナの手が、ロープをひゅんひゅんと回転させ始める。


 コーニアは後方からその動きを穴が空くほど注意深く観察した。


(何する気だ……副団長をロープで捕まえる気か、アマルに仕掛けるのか、或いは広範囲にぶん回して二人とも攻撃する気か? くそっ、俺の頭脳じゃ読めねぇ……!)


 額から垂れた汗が顎を伝い、手に落ちる。

 外対騎士団に入団してから真っ先に教えられた言葉をコーニアは思い出した。


 オークは野生の生物だから、どんなに計画を練っても予想外の事態は起きる。そして、そこいらの野生生物よりも高い身体能力と知能は、時として人間の想像を上回る行動を起こす。


 コーニアがこれまで戦ったオークは、作戦に嵌まったオークばかりだ。バノプス砂漠に登場したロックガイのような変異種との戦いにはそもそも参加させてもらえていない。コーニアは未だオークの真に恐ろしいと思える部分に遭遇できていない。


 しかし、未経験への恐怖を抱いていたが故なのだろう。

 次の瞬間にシワンナの取った行動の意味にいち早く気付いたのはコーニアだった。


「……グオッ!!」


 シワンナは一度、二度と派手にロープを振り回した。もし先端だけでも命中すれば人間を吹き飛ばすロープにはローニーもアマルも警戒してつい守りの姿勢を見せる。シワンナが欲したのは、きっとその一瞬の隙なのだ。


 次の瞬間、シワンナは研究所支部の頂点に存在する避雷針にロープを投げて括り付け、一気に建物へと跳躍した。


「んなぁッ!? テキゼントーボー!?」

「違う、あいつ……!!」


 コーニアだけが、無意識に気にしていたから即座に気付けた。

 あの瞬間、シワンナの見上げた方向にあったのは避難所として使っている最上階の部屋で、その部屋から外の様子を怯えた表情で見ていた少女がいた。何の因果かこの島に来てから最も付き合いの長い地元民となり、何度も振り回された少女――カチーナの存在を確認し、シワンナは恐らくこう考えたのだ。


「避難してる弱い人間から襲う気だッ!!」


 全身から血の気が引き、気付けば体はそこへ向けて駆け出す。


(間に合え、間に合え、間に合え、間に合えッ!!)


 心の中で何度も叫びながら、コーニアは研究支部の入り口を死に物狂いで目指した。

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