第365話 ずっと一緒です

 あの日、息を引き取った彼女の前で、全ての運命は定められていた。

 これまでに感じたことのない、生死勝敗を超越した感情。

 誰一人、諦めて逃げるとは言わなかった。


 人間のことはよく知っている。

 卑怯で、臆病で、残虐で、狡猾で、退けても退けてもしつこく、際限なく襲撃してくる。とうとう地の果てまでやってきた人間たちの戦士は群れを二つに分けて何やら嗅ぎ回っていた。


 もし彼らが来るより前に彼女が亡くなっていれば、島の小賢しい人間など簡単に始末できただろう。南西にいる奇妙な人間どもは難しかったかもしれないが、奴らは彼女を襲った種族とは少し違うようで、何もしてこなかった。


 後悔などない。

 善悪の彼岸はどこにもない。

 ただ、我々トーテムはそうあれと定めた運命に邁進した。

 しかし、薄々感じてはいたが、世界とは残酷なものであるらしい。


「ブォアアアアアアッ!!」

「シィッ!!」


 若い人間の男の剣と、アース・トーテムの刃が交錯する。

 嘗てギルデプティスが海岸に流れ着いていたのを偶然拾ったものを使ったアースの得物は、鋭い鉄の刃をも容易に弾く。巨体に成長したアースの筋力も人間を圧倒している。そして人間との戦いを想定して必死に手に馴染ませたこのドラゴンボーンは、もはや並の人間なら生身で受ければ一撃で殺傷できる威力と速度を持っている。


 にも拘わらず、人間――ヴァルナを倒せない。


 直感的にこの人間が群れで最も強いとアースは気付いていた。それが、何の因果かミノアの地にやってきた時、アースはこの男は自分が倒すしかないと判断した。他の全てのトーテムたちを上回る強者の気配は、ドラゴンボーンを持つ自分にしか倒せない。

 しかし、それは自分ならば勝てるという意味を持たない。


「ふッ、ぜぁッ、はぁぁぁッ!!」

「……ァアッ!!」


 一瞬の隙を的確に突いた連撃を全力でいなす。

 だが、一撃一撃があまりにも鋭く、いなしきれない斬撃が体に小さな裂傷を与えてゆく。 


 ドラゴンボーンの先端から放たれる真空の刃さえ見切った人間は、凄まじい体捌きで攻撃をいなしながら間断なく刃を煌めかせる。こちらも全力で攻めているのに、それを受けきった上で反撃をしてくるのだ。

 武器が棍棒なら、この男はとっくにアースを殺していただろう。


 ドラゴンボーンは彼女が矢を受ける前から所持していたものだ。手には完全に馴染んでいるし、振り回すうちにドラゴンボーンと自分が心を通わせたかのように一体感を覚えていったほど、使いこなしている自負がある。


 そこまで自らを高めておいても、一方的に手傷を負っている現状。

 普通なら逃げるか絶望するところだろう。

 しかし、アースはそのどちらも選ばない。


 彼女が愛したこの大地を、大地が育む生物たちの為に、全てを戦いに捧げるのだ。そこに躊躇や疑問が介在する余地はない。

 全ては些細な問題なのだ。

 極めて個人的で、些細な――。


「グゥゥオオオオオオオオオッ!!」

「はぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!」


 また、刃が交錯する。

 何度でも何度でも、体が動く限り永遠に。

 永遠など、この世界にありはしないのに。




 ◆ ◇




 アルキオニデス島西部の原生林にて戦う巨腕のオーク、アマラ・トーテムと隻眼のオーク、コヨテ・トーテムは、自分たちの頂点であるアースが何者かと戦っていることに気付いていた。そして、彼の戦況が芳しくないことも。


 しかし、彼らには最早そんなことは関係ない。

 アースが戦うと決めたのなら、その戦いはアースのものだ。

 アマラとコヨテは二人でここで戦うと決めたから、ここで戦う。


 アマラとコヨテは親友同士で、彼女に出会う前から共に行動していた。

 コヨテが偵察で相手の様子を探り、アマラが投石で攻撃する。

 はぐれオークになって弱ったときも、この連携が活きた。


 本来、コヨテの隻眼は野生の世界を生き延びるには不利だが、それは腕が大きすぎて体のバランスが悪いアマラにも言える。そして互いに互いを補い合ううちに、アマラとコヨテは他のオークには持ち得ない個性を手に入れた。


 他のトーテムたちが単独で戦いに挑むなか、アマラとコヨテだけは、死ぬときは同じ場所だと決めていた。そしてもしここで人間を殺し切れたら、町に向かったシワンナを手伝うついでにあの巨大な船たちを破壊して回ろうなどと考えながら。


 コヨテは槍を持った男に目をつけられているが、それを利用して気を引いている。

 だからアマラはそれを援護しつつ、斧を持った女とその仲間らしき人間たちに攻撃を仕掛け続けた。だが、人間たちが木に隠れて何かしていることに気付く。


 ――移動して射角を変えるか。


 アマラは周囲の地形を気にしながらじりじりと移動し、攻撃場所を変える。

 常識を超えた豪腕を手に入れたアマラは、もはや石がなくとのその辺の土を握力で固めて投擲すれば十分に殺人的な攻撃力を持つに至った。土さえあれば彼の弾は尽きることがない。


 地面を指でざり、と土を抉り取り、握りしめる。


 土はとても便利だ。どこにでもあるし、湿り気を適度に帯びている土が特に握りやすい。石と違って探し回る手間もあまりなく、全力で投げつければ人間の骨をもへし折る威力に化ける。しかも握り方を変えれば投げた後に散らばって散弾にすることも出来る。

 だが、念には念を入れて、握りやすい石はいくつか用意して腰に隠してある。これが当たれば人間はあらゆる骨と内臓がひしゃげ、一撃で絶命するだろう。逆に相手の攻撃は草の鎧が防いでくれる。


 そして何よりも、自分にはコヨテがいる。


 ――共に、一匹でも多く害獣を始末しようじゃないか。


 そろそろ人間が隠れた木の裏に土が届く射角になる。

 あの斧を持った女は特に厄介そうだったので、いつでも石を投げられるようセットする。人間もこちらの様子に気付いていたのか、陰から様子をうかがっていた。


「来た来たぁ! オラお前ら一人でも怪我するんじゃねえぞ!!」

「アキナ班長が人の心配を!? これは天変地異の前触れ、明日オークの棍棒の雨が降るのでは!?」

「馬鹿野郎ォお前らが負傷したら上司のオレの始末書が増えるだろうがヴォケェッ!!」

「えちょなんで拳振りかぶってヅばゲぇッ!? 今負傷しましたがッ!?」

「騎士団では部下に立場分からせパンチは合法だ馬鹿野郎マークトゥゥゥーーーーッ!!」

「ボギャブバぁッ!?」

「馬鹿お前何遊んでるんだマジで危ないからとっとと逃げるぞ!!」

「遊んでねぇし俺は悪くねぇんだが!?」

「アキナ班長に常識が通じる訳ねぇだろバカッ!」

「納得いかねぇ、すげぇ納得いかねぇぇぇぇーーーーーーッ!!」


 ぎゃあぎゃあと喧しい声が響いたと思ったら、人の身の丈ほどあるがらくたの塊を抱えた女が物陰から飛び出てきた。反射的に土弾を放つが、がらくたの塊にバシィィィィンッ!! と破裂したような音を立てて防がれる。


「即席シールドだオラァァァッ!!」


 女は、その体躯に似合わぬ怪力でがらくたを抱えてこちらに直進してくる。

 よく見ればガラクタは草の編み物や布、木材、竹などを荒縄で無理矢理丸めた、盾と呼ぶのもおこがましい円柱形の物体だった。


 人間も考えたな、と思う。あれだけ大きな盾なら土弾も確かに防げるだろう。

 しかし、あんなものを抱えて移動すれば動きは鈍く、視界も悪くなる。何よりあの女は本気の石の投擲をまだ見ていない。


 判断は一瞬。

 アマラは巨大な手のひらで、直径十五センチはあろうかという石を掴み取る。人間からすれば砲丸と呼んで差し支えない重量とサイズも、アマラからすれば手頃なサイズだ。これが直撃すればあのガラクタごと女を破壊出来る。


 誰に教えられた訳でもなく、しかし肉体が覚えた投擲フォーム。片足を振り上げ、反対の腕を振りかぶって上半身を回転させることで更に加速を乗せる。ボウッ、と大気を貫いて、下手な木をもへし折る剛速球が放たれた。

 威力はもはや大砲だ。

 アキナはそれに対し、ガラクタを地面に突き立てて斜めに傾ける。


 バギャアアアアアッ!! と、無残な破砕音が森に響き渡った。


「……バァァァカ! そんなもんでこの盾が破れるかよッ!!」


 ――何だとッ!?


 アマラは想像していなかった結果に驚愕した。

 確かに盾は完全にひしゃげ無残な形状に変わっていたが、盾の中腹あたりで投石は停止していた。あれほど全力で放ったのに、何故――!!

 勝ち誇ったようにガラクタの隙間からアキナが顔を見せる。


「お前の投擲は衝撃こそ大きいが、貫通力がねぇんだよッ!! てめぇの膂力と投擲物から威力をざっくり計算しちまえば廃材の盾でも防御力は十分だ――ドラァァァッ!!」


 投擲後の隙を見計らい、アキナはスクラップになった盾をアマラに向けて投げ飛ばした。アマラに比べれば大した威力にもならない投擲だが、生物は自分の顔面に接近してくる物体に対しては顔を守ろうと反射的に過敏になってしまう。ましてガラクタはサイズが大きく、視界が損なわれる。


 だが、アマラは焦ることなく拳を構えて女が来るであろう空間を見据えた。

 何故なら、アマラには――コヨテがいるから。




 ◇ ◆




 コヨテが異変に気付いたのは少し前。

 アマラが移動を開始した頃だった。


 人間が他の人間を集めて道具を募り、何かを作っているのを確認出来たのだ。コヨテは直感的に、それが人間特有のオークには予想できない作戦であると感じた。意味は分からないが危険な気がする――それは、人との戦いを生き延びるのに必要不可欠な直感だ。


 コヨテは即座に妨害のために動くが、そのコヨテに合わせて槍を持った男が追跡してくる。


「コヨテの注意は俺が引く!! 皆は引き続き作業を進めろ!」

「了解!!」

「任せっぞ、ガーモン!!」


 ガーモンと呼ばれたその男は、この戦いの中で次第に動きが洗練されている。アマラの攻撃に気を配りつつ、見え辛い筈のコヨテの気配を捉えて放さない。


 コヨテは奇襲を得意とする。 

 しかしそれは、片目を失っているというハンデに由来するものだ。

 正面からの戦いでは死角を取られやすく、距離感を図るのにも他のオークに比べて劣っている。だから、それを補う為に敵を奇襲する戦法を肉体に染みこませた。


 だが、片目だからといって攻撃力に劣ると思ったら大間違いだ、とコヨテは内心でつぶやく。木々を飛び移る跳躍力やバランス感覚、そして蹴りの威力に関して言えばコヨテはトーテムの中では最強の自負がある。


 そして、コヨテは奇襲をするが故に、相手の裏を掻く術を知っている。

 コヨテは作業している人間たちを射程圏内に捉えたところで、木のより上部に移動して足を止める。


「……!!」


 ガーモンも足を止めた。


 今、コヨテはガーモンだけでなく道具を作っている人間たちも射程に収めている。が、地上を降りて疾走すれば更に奥で待機している人間たちを襲撃することも出来る位置取りをした。


 ガーモンはさぞ迷うことだろう。

 道具作りはアマラを倒す為の作戦であろうから絶対に守れるよう位置は取っているが、かといってそちらに気を取られすぎれば自分や後方が危険に晒される。人間はどうにも仲間意識が必要以上に強いらしく、こうして弱点を突くことも可能なのだ。


 トーテムの狙いは人を一人でも多く排除すること。

 強者と戦い屠ることに重点を置く必要はない。


 暫く間を置いて、道具が完成したらしい。

 時を同じくして、アマラが移動して彼らを射程に捉えた。


「来た来たぁ! オラお前ら一人でも怪我するんじゃねえぞ!!」

「アキナ班長が人の心配を!? これは天変地異の前触れ、明日オークの棍棒の雨が降るのでは!?」


 ぎゃあぎゃあと喧しい人間たちがもたついている間は、ガーモンにとってはさぞ肝を冷やす瞬間だっただろう。やがてアキナと呼ばれた女が道具を抱えてアマラの方へ向かい、部下たちがアマラの攻撃範囲を避けて撤退を開始する。

 その瞬間を、コヨテは待っていた。


「来るかッ!!」


 ガーモンが槍を構えて眉間に険しい皺を寄せる。

 今、この瞬間、ガーモンが最も守りづらい相手にコヨテは狙いを定めた。

 それは背を向けて撤退する人間どもではなく、後方に待機している人間どもでも、ましてガーモン本人でもない。


 最も隙だらけなのは、大荷物を抱えてアマラに立ち向かうアキナだ。


 フェイクに棍棒を投げ飛ばしてガーモンの気を引いたコヨテは、重力に従って体を傾け、最も理想的な角度に達した瞬間にコヨテはあらん限りの力で木を蹴り飛ばして加速した。放たれたコヨテは視界の中で加速する原生林を置き去りに地面に着地し、その反動さえ利用して大地を疾走する。


 既にアキナは、アマラの投擲した石を防いで勝ち誇った声を上げているところだった。その背中は誰よりも無防備だ。背中への全力の蹴り一発。それで彼女は背骨をへし折られ、内蔵を潰され、血反吐をぶちまけて絶命するだろう。


 奇襲する側とは、相手の心理を読むものだ。

 まさか、もしかすればという選択肢を与えないことが神髄と言える。

 故にこそ、コヨテはこの状況で最も隙が出来る存在がもう一人いることをよく理解していた。


「させるかぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!」


 ――そう、お前だよ……ガーモンと呼ばれた男。


 嘗て人間が弱ったオークを囮に他のオークを呼び寄せたことがあった。

 今度はオークがそれをやる番だ。


 コヨテは片足を大地に突き立てて、人間や他の動物には決して真似できないであろう急ブレーキをかけて体の動きを反転させる。全身の筋肉をひねってもう片足に全ての力を込めたコヨテは、例えガーモンに体を貫かれようが確実に死に追い込まんとするギロチンのごとき殺人脚を放った。


 タイミングは完璧。

 これで厄介物が消え、もう一人の厄介者もアマラが倒してくれる。

 この戦いは、お前たちの負けだ。


 負ける、筈だった。


「任せたアキナ!!」

「もっとへりくだってお願いしやがれッ!!」


 ――!!?


 ガーモンは、コヨテの蹴りを躱すどころか、コヨテの脇を通り抜けてアキナとすれ違う。

 それは、完璧なカウンターを決めた筈のコヨテに致命的な隙が生まれることを意味した。


 ――まさか貴様、アキナという女にこちらを任せて自分はアマラを殺そうというのかッ!?


 完全に想定外な展開に、コヨテは動揺した。

 じゃき、と、斧が構えられる音が背後から響く。

 ギロチンの刃が、自分から相手へと渡る。


「んじゃ、覚悟はいいな」


 ――~~~~ッ!!


 それでも、尚。

 嘗て友と一緒に生存することに執着したコヨテは、体勢が崩れたまま全力で足に鞭打ち、地面を蹴り飛ばして跳躍する。


 コヨテは、一度アキナと武器を交えた。

 だから彼女の斧はそれほどリーチがないことを知っている。

 まだ、まだ逃げられる。逃げられれば今度こそ無防備な後方の人間たちを襲撃出来る。アマラなら簡単にやられはしないし、まだ我々は戦えると叫ぶ。


「ウ゛オオオオォォォォォーーーーーッ!!!」


 アキナが斧を垂直に振りかぶると同時に、コヨテの足が体を押し出す。


 ――今度こそ、今度こそ、人間の裏をッ!!


王国式おうこくしき斧伐法ふばっぽう、一の型――割破かっぱッ!!」


 アキナは斧を振り抜くと同時に、その柄にあった小さなレバーを引いた。

 斧はコヨテの体を空振り、しかし、伸ばしきった片足を両断した。

 コヨテの目に映ったもの。

 それは、振り抜く途中で突如リーチが伸びた斧だった。


「悪ぃなぁ、これ仕込み斧なんだよ!」

「グッッ……ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 地面に叩付けられると同時に、足を両断された衝撃が遅れて痛みになって襲い来る。絶叫しながら夥しく出血する足を押さえるコヨテを待っていたのは、確実に首を狩る為に再度斧を構えるアキナの姿だった。


「あーあ、血の回収めんどくせっ……これだからオレあんまり戦闘に呼ばれねぇんだよなぁ」


 ドッ、と、何の容赦も呵責もない一撃が喉の下を貫通する。


 最後に薄れゆく意識の中でコヨテが意識したのは、彼女と、仲間たちと、共にあてのない旅路を続けたアマラのことだった。




 ◆ ◇




 ガーモンは思う。


 アマラ・トーテムとコヨテ・トーテムの連携は見事なものだった。

 メスオークを中心とした逆ハレムを形成するオークにあって、同一性であるオス同士に連帯感が生まれることはあっても、人間で言う友情のような感覚が芽生えるケースは聞いたことがない。


 しかし、あの二匹のオークには、目に見えない結びつきがある気がした。

 ガーモンには、コヨテが最後までアマラを意識して戦う気がしていた。


 別にそのことに基づいてアキナと連携した訳ではない。

 なんとなくそんな気がしていたから、コヨテの行動を見て納得しただけだ。少なくとも外対騎士団にとってこれくらいの急場連携は珍しいものではない。こと戦い慣れた連中は、アイコンタクトである程度は伝わる。


「グオオオオオオオオオッ!!」

「君の相手は俺だよ」


 アマラ・トーテムは確かに巨大で厄介なオークだ。

 肥大化した両腕を振り回すだけでも通常のオークとは比べものにならないリーチを誇り、威力も言わずもがなだ。


 しかし、両腕の肥大化は全てが利点になる訳ではない。

 体の重心は高くなり、小回りは利かなくなる。


「ヅアアアアアアアアアッ!!」


 アマラは地面を強引に抉るような殴り上げで土砂を放つが、重心を低くしてステップで躱す。更にアマラが虫でも叩き潰すかのように腕を振り下ろす。躱してもなお風圧衝撃が体を襲う。もしかしたら、純粋な威力は嘗て山村イスバーグを襲撃した『白毛皮のグンタ』に匹敵するのかも知れない。


 だが、グンタは肉体が肥大化してもフォルムは従来オークとそう大差はなかった。対してアマラの腕のアンバランスさは、振り回せば振り回すほどにその反動を打ち消すのに余計な力が必要になる。

 それでも腕を上手く使いこなして猛攻を繰り広げたアマラだったが、その時は唐突にやってきた。ガーモンがずっと待っていた、一瞬の隙が。


「そこだぁぁぁぁぁッッ!!!」


 振り上げた腕を戻すための力が慣性のせいで大きくなり、一瞬だけ彼の胸元に無防備な瞬間が生まれていた。このときのために普段と違い短い槍を用意していたガーモンは、片手で槍を大地に対して水平に構え、もう片方の手を弓を引き絞るかのように構えた。


 要領はシャルメシア湿地で怪魚ヤヤテツェプに銛を叩き込んだ時と同じ――地面を抉るほどに踏みしめたガーモンは、槍の石突を氣を纏った拳によって全力で殴り抜いた。

 通常の槍の投擲では考えられない速度で森林を駆け抜けた矢は、見事アマラの胸部中央付近に突き刺さる。しかし、すんでのところで身をよじられたことと、槍の刃渡りに対してアマラの胸筋が分厚かったのが影響してか、致命的なダメージには至っていない。


 しかし、どんな生物だろうが胸を強打すれば動きが一瞬止まる。

 生命活動に重要な呼吸や血液の送り出しを行っている場所への衝撃なので、当然のことだ。ましてガーモンの腕力は騎士団内でも上位に位置する。無事で済む筈がない。そしてガーモンもまたその一瞬を見逃すほど甘くはない。


「裏伝八の型、踊鳳ッ!! からの――ッ!」


 地を這うほど深く、そして速く、ガーモンはアマラとの距離を一瞬で詰める。一年前のガーモンなら出来なかった技だ。しかし、部下や弟の成長を間近に見てきて闘争心に火がついたガーモンの鍛錬が、今、これを可能としていた。


 低く疾走しながら再度振りかぶる拳に氣が集中する。


 ヒントは怪魚ヤヤテツェプにヴァルナがトドメを刺した時に見せたもの。


 一撃で届かないなら、もう一撃叩き込めばいい。


「二撃決殺ッ!! 紅散華べにさんげッッ!!!」


 アマラがそれさえも防ごうと振り回した腕は、あまりにも低い姿勢で移動していたガーモンには届かず、彼の拳は正鵠を射貫くように槍の石突を殴り抜いた。既に突き刺さっていた槍はガーモンの鉄拳の威力を直接受け取り、骨や肺ごとアマラの胸部を打ち貫く。その威力に心臓さえも潰れ、槍を追うように噴出した鮮血はまるで彼岸花のようだった。


「ガハッ、アァ……ッ!!」


 アマラは自らがどんな状況に陥っているか、理解していないようだった。そのまま二度、三度と力の籠もらない腕を振り回すのをガーモンが冷静に回避すると、そこでやっと自分が死の淵にいることを悟ったらしい。

 それでも、アマラは体を動かしてゆっくりと歩く。


「馬鹿な、まだ……!?」


 武器のないガーモンは動ける筈のないアマラの存在に気圧され、コヨテにトドメを刺したアキナも事態に気付いて一旦下がった。アマラは心臓が破損したまま数歩歩き、膝から崩れ落ちて倒れ伏す。それでも残る生命力だけで意識を繋ぎ止めるアマラは、アキナが落として転がったコヨテの首の頬に巨大な手を伸ばして優しく触れ――それ以上、生者として二度と動くことはなかった。


「……んだよ、こいつら」


 後味悪そうなアキナの呟きが、その場の全員の耳にやけにこびり付いた。


 トーテムセブン、コヨテ・トーテム及びアマラ・トーテム――ガーモン、アキナ両名により討伐完了。

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