第364話 それは愛です
虎穴に入らずんば虎児を得ず、という言葉がある。
危険を冒してでも挑戦しなければ手に入らない物もある――そんな意味の言葉だ。
実際のところ、これは物の例えであって実際に虎の子供を捕まえようとした人物がいるかどうかは定かではない。
しかし、王国人は国内では見たことのない雄々しくもしなやかで美しい毛並みの獣に目をつけた。特にコリントスという男は、虎の毛皮が高級品となるのをよく知っていた。
コリントスは最初、王国から来た親切な男のように振る舞って少しずつ、少しずつ地元に馴染んでいった。最初は訝かしがる人間も少なくはなかったが、アルキオニデス島は良くも悪くも閉鎖的で、それ故に王国のちょっとした物や文化が島民たちの目を強く引いた。
少しずつ地元の戦士をハンターとして導いて狩りの効率を上げ、少しずつ原生林のことを知り、ほかの商人たちと結託して密猟を繰り返しながら将来の『商品』を吟味した。フロンの住民は思いのほかあっさりと懐柔できた。南に住むキジーム族との交渉はあらゆる面からして上手くいかなかったが、島内での彼らの影響力は大したことがなかったので不干渉で乗り切った。東は交通の便が悪く、大したものもない土地だったので早々に見切りをつけた。
一人息子のコリンは地元に友達を作っていた。
母を早く亡くして寂しい思いをさせたこともあったが、アルキオニデス島を流れる時間は大陸や王国と比べて緩やかだ。その日の楽しかった出来事を喜々として語る息子に優しく相づちを打つ時間が、当たり前のように取れた。ちょっとした狩りの手解きをする時間が愛おしかった。
すべては順調だった。
あの日までは――コリンが物言わぬ死体となって連れ戻されたあの日までは、順調だったのに。
コリントスはオークなど滅べばいいと思う。
息子の護衛を買って出ながらみすみす死なせた地元の戦士もそうだ。
金に踊らされる島民たちの未来などくそくらえだ。
わざわざ本土から呼び寄せたのにいつまでも仕事をしなかった豚狩り騎士団は、もはやかける言葉も信用もない。
コリントスはもう、この島に住まう虎という害獣を全て殺し尽くせれば何でもいい。息子も妻もいなくなった今、今更他に何を求めることができよう。
ライフルの調達はそれほど難しくはなかった。
若かりし頃に交換留学生として帝国に渡った彼はそこで多くのパイプを作ったし、帝国兵士の訓練を体験したこともある。その後も数年おきに定期的に帝国に渡っては交友を深め、そのうち王国でライフル射撃が競技にでもなればいいのにと談笑した。
だから、伝手と商人としての知識を利用すれば、聖艇騎士団のチェックをかいくぐって分解された銃と弾丸をそれと気づかれずに輸入することは、決して困難ではなかった。王国人は銃のことを詳しく知らないのだから、余計に簡単だ。
最後に射撃訓練に付き合ってくれたカイリーという軍人の青年は元気だろうか、と、コリントスは思う。彼の別れ際の言葉が不思議と思い出された。
『銃は簡単に他人を害するが故に、撃つには大義が必要でアリマス。大義が恣意的であったり根拠薄弱であればあるほど、その銃口は理不尽な方向へ向かうでアリマス。コリントス氏は、何を撃つでアリマスか?』
そのときは、射撃訓練以外で銃は触らないと思っていたので的を撃つだけだと答えたが、今はどうだろう。ただ、心を焦がす復讐の炎が盛れば、彼の警句じみた言葉は聞こえなくなった。今ならばこの道こそが正しいのだと堂々と叫んで引き金を引けるだろう。
「どれぐらいでかい虎がいるかなぁ、楽しみだよなぁ」
「子供の虎の毛皮が欲しいって客もいるから、そろそろ子供いきたいなぁ」
金に目がくらんで皮算用をする愚かなハンターたちの会話に一切興味を示さず、コリントスは進む。虎をも一撃で屠るライフルを手に構えて。
(あの小僧が東に逃げなければもっと早く聞き出すことができたものを……だが、それも過ぎたこと。ミノアの地への道は既に調査済みだ。虎が滅んだ様をみて無力で愚鈍な己を呪うがいい……! コリンよ、父の雄姿を天から見ておれッ!!)
彼は亡き息子の足跡を追うように――虎の最後の隠れ場所へと近づいていく。
◇ ◆
ハルピーのカァは、この島で繰り広げられる戦いの核心へ迫っていく。
「ある時から、この島で身寄りのない子虎がよく見かけられるようになった……らしいわ。オークたちが慕っていた『彼女』は、子を産めないけどお乳は出たらしくて、そんな子虎たちを我が子のように育て始めた。外敵のいない安全なこの地でね。元々はオークと不干渉だった虎たちも、それをきっかけにオークと共存するようになったみたい」
「魔物と通常生物の共存……っすか。まぁファミリヤもその一つのあり方だしな……ねぇ、師匠?」
「生存戦略として優れていれば、当然それは起きうる」
リンダはファミリヤの首筋を爪でかりかりと優しく掻く。
ただ、その表情はどこか興味深げだった。
一部の魔物が別の魔物を従えたり共存するケースは確かになくはないが、オークがそれをするというのはキャリバンの知る限り初めての事例かもしれない。これまでは、オークは手懐けが可能な獣とそうでない獣の区別がつかないので全て狩猟対象と見なすものと考えられていた筈だ。
ハルピーから見ても珍しいらしく、カァは苦笑する。
「そうね。ちょっと珍しいけど、理屈では決しておかしな話ではない。わたしたちも虎のことはよく知らなかったから、原因が人間の虎狩りとは思わなかった……いくら身振り手振りのやりとりったって限度があるもんね」
「あるんだ……いやまぁ当たり前っすけど」
「そんな折、一人の人間が里にふらりとやってきた」
「誰っすか?」
「名前は忘れたけど、あなたたちと一緒に来た男の子よ。槍を持ってた」
「……えっ、と。先輩と俺は自然に除外で、ムームーくんもここに来るの初めてっぽい反応だったから残るは……はぁぁッ!? トゥルカぁ!? あいつここの存在知ってたんかよ!!」
村を出てから延々と騎士団に難癖をつけたり邪魔してきたトゥルカが、まさか精霊の住まうとされるミノアの地に来てハルピーと出会っていたなど、誰が予想できるだろう。
しかし、考えてみればトゥルカはハルピーの出現にやけに反応が薄かったし、ぴろろは彼がミノアの地に行くのを無条件で受け入れていた。二人には最初から面識があったと思えば納得もできる。
「あんにゃろう、いくらここが聖地だからってそんな大事なことをぉぉ……!!」
「言えなかったのよ、多分。だからそんなに怒らないであげなさい」
「……じゃあ一旦そのことは脇に置きます。トゥルカはなぜミノアの地に来たんですか?」
「彼は少し前にミノアの地に友達と一緒に偶然たどり着いたんですって。再度来た理由は精霊――つまりハルピーを探してのこと。そのときは自然破壊の話はしてなくて、前に来たとき友達とオークが揉めて死んだとか、それは王国人が悪いとか、虎を守ってくれとか余所者を追い出してくれとか……とにかく当時の彼は感情的で、話も支離滅裂な部分があったわね」
「確かにそれは、支離滅裂だし自然破壊の話も出てませんね……」
キャリバンは相づちを打ちながら、ちらりと隣を見る。
リンダの態度は少しずつ険しいものになりつつあった。
彼女の中で何かが確信に変わろうとしているようだ。
先の話を聞くのが怖いが、確かめない訳にもいかない。
「それで、どうなったんです?」
「私たちはオークと不干渉の約束をした以上、人とオークの争いに介入することはできない。虎を守るにしても約束には釣り合った物が必要でしょ? だからそのときは断った。多分、森林伐採や狩りの激化が起きる前だったから説得材料がなかったんでしょうね。ただ、ぴろろは虎をなるべく守ると個人的にお願いを受諾したから、トゥルカはそれに渋々納得して帰ったわ。実際にはハルピーは当てにならないと感じたのでしょうけれど」
結局、トゥルカは何だったのだろうか。
なぜこのことを黙っていて、今になってミノアの地に来たのか。
情報が断片的で、キャリバンの頭の中で上手く繋がらない。
すると、リンダがキャリバンの耳元で囁いた。
「虎が全てを繋げている」
「虎が……?」
師のヒントを元に考え直す。
オークは人と関わることはなかったが、虎と共存するようになった。
それはメスオークが孤児となった虎を育てたのがきっかけだ。
では虎の孤児はなぜ発生したのか。
これは人が虎の狩猟を始めたからと見ていい。
そこに二人の若者がやってきて、一人が死んだ。
キャリバンの記憶にあるこの島での目立つ死者の記録と言えば、港町フロンの実質的代表であるコリントス氏の子供、コリンだ。そして死に偶然立ち会ったのがトゥルカだったのであろう。
トゥルカはその後ミノアの地にもう一度踏み込み、友とオークが揉めたと発言した。ここが分からなかったが、もし二者の間に虎がいたとすればどうだろう。商人の息子であるコリンは当然虎の毛皮の価値を知っているだろうから、もしかしたら狩ろうとするかもしれない。そうなれば虎を守るオークとは必然的に揉める。
普通なら、人とオークが争って人が死んだら他人はオークが悪いと安直に思うだろう。しかしカシニ列島では虎は神聖な生き物で、殺すことなど以ての外だ。そんな虎を殺そうとしてオークの妨害で死んだら、トゥルカは友人の方が悪いと考える可能性はある。
すなわち、トゥルカは親友に裏切られ、王国人を恨んだということだろうか。
「いや、それだけじゃない……もしも死んだ友達っていうのがコリンなら、その後コリントス氏が急速に原生林の生物を用いたビジネスに傾倒していったことにも説明がつく! そしてオークも虎も恨むようになったとしたら……!」
繰り返すが、虎はこの地では神聖な生き物だ。どんなに息子の死が悲劇的であれ、それが虎に手を出した結果だと知れば当時の地元住民は悲しみこそすれ「自業自得でもある」と評するだろう。それによって行き場を失った怒りが――キャリバンには勝手な想像しかできないが――虎へ向いたのではないだろうか。
後の構図は簡単だ。
虎を滅ぼすために復讐に燃えるコリントス氏がハンタービジネスを推進したことで人は動物を狩りまくり森をも破壊し、生態系を狂わせながらミノアの地に近づいてきた。故に人と関わり合いになりたくなかったオークたちも戦わざるを得なくなり、遂にここで激突した。
しかし、キャリバンの推測に、カァは悲しそうに首を横に振った。
「オークたちが戦った理由はちょっと違うと思うわ。戦う理由はね……人間から虎をかばってメスオークが傷つき、その傷が原因で死んだからだと思う。ほんの最近ね……弱り果てて、息を引き取ったの。彼らはそれに対して人間が悪いとか人間が憎いという思いに駆り立てられている訳じゃない。ただ――生きる理由を失って、死に場所を求めたのよ。せめて、彼女が愛したこの大地に不要な人間を死出の旅路の道連れに、ね」
愛。
それを魔物という存在には似つかわしくない感情だと思うのは、自らが人間だからだろうか――と、キャリバンは自問した。
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