第363話 果たして獣はどっちですか

 ハルピーの別荘地にて窓から風を浴びるハルピーのカァは、ぼそりと呟く。


「はじまってるね、かれらの最期の戦いが。はじまりのおわり、おわりのはじまり。きっとどちらも同じことよ」

「はぁ……えっ、戦い?」


 キャリバンは思わずオウム返しする。

 カァは表情のない顔で振り向いた。


「人とオークと、生存競争。どちらかが勝てばどちらかは死ぬ。自然の理よ」


 オークと騎士団が交戦を開始した、ということだろうとキャリバンは察する。騎士としての緊張感が背筋を駆け巡るが、それはある瞬間にふと途切れた。


 ヴァルナは、キャリバンにここを任せたと言った。 

 オークとハルピーは不可侵の関係らしいし、この別荘地に害が及ぶことはない。それに、自分がいまから戦いの場に赴いても大した戦力にはならないだろう。ならば任せられた役割を全うすべきだ。


「あの、聞いていいっすか。この島のオークのこと。カァさんたちハルピーはいつオークと出会ったんすか?」

「あら、息子になりたいの? 私の事『母さん』って呼ぶなんて。やだわぁうふふ、甘えん坊さんなのかしら。そうねぇ、まずは羽を生やすところから……」

「違うわッ!! ああもう、師匠が紛らわしい名前つけるから!」

「……、………………」

「だぁぁぁーーーごめんなさい言い過ぎました師匠のネーミングセンスは可愛らしくてシンプルでいいと思うっすぅ!!」

「……ほんとに?」

「もちろん! さっきの言葉は撤回します。俺の言葉選びの拙さの方が大問題だったっす!」


 凄まじい勢いで落ち込んでいく師匠の背中を撫でてあやして慰めるキャリバン。するとリンダ教授は表情は変わらないものの段々と雰囲気が平常に戻っていく。沈みやすく浮きやすい――それがリンダの情緒である。

 そんな二人を面白そうに見つめながらポップコーンの如く木の実を食べるカァ。どうやら大量に摂取すればしばらく実を食べずとも普通に喋れるらしい。


「えーっと、オークとの出会いね。まず私たちは群れの本隊からそろそろ引っ越しで別荘行きたいから掃除しに先に出発したんだけど……」

「だけど?」

「出発するの早すぎて二年早く到達……」

「人間の尺度では考えられないうっかりッ!!」

「群れも群れで去年着く筈が来ないところを見ると忘れて遅刻したんでしょうねぇ」

「ダブルうっかーーーーりッ!!」

「まぁ私たちも掃除するの忘れて最近までだらだらしてたけど」

「果てしなきうっかりの連鎖ぁぁぁーーーッ!!」


 なんなのだろう、このうっかり天然一族は。

 頭を抑えて悶々としていると、リンダが首を横に振る。


「気にする必要がないからこその、うっかり」

「え……あっ」


 キャリバンは師の言わんとすることに気付いてはっとする。


 天敵のいない野生生物は、警戒心を失う。

 このうっかりの強さが逆にハルピーの生態系における強さを表しているのかもしれない。群れから離れようが年単位で約束を違えようが別に生存戦略に影響を及ぼさないほどに、彼らは強いのだ。

 落ち着きを取り戻したところでカァの話は続いた。


「オークと出会ったのは、まぁまぁ早かったわね。別荘地の裏の遊び場みたいな空間を貸してほしいことと、互いに不干渉でいようってことを約束したわ。彼ら結構律儀なのよ。裏を借りたお礼としてちょこちょこ食べ物もくれたし」

「異種族で意思疎通できるんですか?」

「なんとなーくよ。身振り手振りと雰囲気で」


 その辺は人間と余り違いはないらしい。

 内心、魔法的な力で意思疎通できる展開を期待していたのは秘密だ。

 だが、今の会話にもっと重要な情報があることにキャリバンは気付く。


「ちょっと待って! じゃあ裏庭がオークの巣……!?」

「いいえ、別の生き物の巣よ。彼らには子供がいないし出来ないから、巣なんて出来ない。せいぜいが休息場所よ」


 さらりと告げられた衝撃的な事実に、再びキャリバンは動揺した。


「子供が出来ない……?」


 オークコロニーは多数のオスと一頭のメスによって構成され、多産のメスを中心に全ての関係が成り立っている。子供がいないし出来ないというのは、メスオークが生物のメスとしての機能を損なっているか、いないということになる。

 キャリバンの疑問はすぐにカァの説明で解かれた。


「メスのオークはいたけど、長く辛い旅路の中で子を為す力は失われていたみたい。でもオークとは思えないとても気性の穏やかな方だったわね。オスのオーク達も新しいメスを探すことなく、彼女に添い遂げる道を選んだみたい。どこまでもオークらしからぬオーク達……」

「だからオーク達は、普通のオークがしないような行動を見せているのか……?」


 人間を追い払い、自然を守る。

 食欲を優先させ、環境破壊など考えない筈のオークにしては不自然極まりない。しかし、この場所のオーク達は本来のオークの行動パターンを完全に逸している。それが狂った理由は、子孫を繁栄させる能力の欠如から来るものだったのだろうか。


 或いは――。


「オークはこの島の森を守るような行動をしている。その理由についてはご存じっすか?」

「さぁ、詳しくは知らないわ。ただ、彼らは攻撃的ではなかった。子供がいない分、自分たちの生きる最低限の生物だけを狩って生きていた。森が破壊されてるなら、当然面白くはないでしょうね。ただ……」

「ただ?」

「彼女は……オーク達の誰もが慕っていた彼女は、もう人と関わりたいと思っていなかった。きっと人と事を構えれば、結果的にもっと多くの人を呼び寄せることを知っていたのでしょう」

「……俺たちがそうだったように、っすね」


 人は邪魔な存在がいると知れば寄ってたかって排除しようとする。

 たとえ実際にはそれが敵と呼べるほどの理由を持たなくとも、不安という名の暗鬼が人の弱い心に『排除せよ』と命じるのだ。


 三人から少し離れたところで、ハルピーのグワとホケキョがじゃれ合ってばたばたと床を転がっている。ぴろろは出掛けたのか、いつの間にかいなかった。

 彼らの自由で細かいことを気にしない心の強さが、少し羨ましい。

 カァは少しだけ悲しそうな瞳で首を横に振る。


「でも結局、終わりの切っ掛けは呆気なく人間が齎した。その日に、今日の戦いは宿命づけられた。彼らはもう憎しみを超越した理由で戦っている」


 真実とは、いつだって誰もが受け入れられることではない。

 キャリバンは彼女の口から語られる真実を、自分には理解できない何かの激情を必死に堪えるリンダの手をそっと握りながら待った。

 リンダはその手に驚いて目を見開くが、キャリバンは静かに諭した。


「師匠の気持ちは俺には分かんないっすけど、溜め込んでることくらい分かるっす。多分ここから先には師匠の気分がすこぶる悪くなるような話が待ってるんだろうなって、俺も感じてるっす」

「キャリバン……」

「俺もいるっすから。ね?」


 リンダは何も言わず、しかし柔らかい手でそっとキャリバンの手を握り返す。


 前々から、薄々勘付いていたことがある。


 リンダ・コルテーゼという人は、人間が嫌いだ。




 ◇ ◆




 森の化身――ギルデプティス・トーテムは、トーテムセブンの中でも凡庸なオークだった。フウピリクに次いで小さく、技術も頭脳も他のトーテムたちと比べると見劣りする。群れの中で最も若いくらいしか取り柄はなかった。


 しかし、凡庸なりに彼はこの戦いに貢献することを決意していた。

 彼は考えた――ハンターたちを仕留める術を。


 憎きハンターたち。

 自分たちの大切なものを奪ったハンターたち。

 人の中でも特に、ハンターの事は許せない。


 ギルデプティスは他のトーテムたちの力を借りて、猪突部隊を作った。

 コヨテの手懐けたイノシシたちにも簡易草鎧を着せ、自らは、他のどのトーテムより頑丈な鎧を作った。人間の捨てた鉄屑まで利用した特別製だ。


 人間襲撃決行の日、ギルデプティスは騎士団ではなくハンターたちを狙った。

 シワンナと共に町に攻め込んで各個撃破が理想だったが、その日のハンターたちは予想に反して自ら攻め込んできた。しかも、いつもは数名ずつの集団を沢山作ってばらばらに行動する彼らが、今日に限って一塊になっている。移動する道もイノシシによる不意打ちがしづらいルートを取っていた。


 本能的に感じる。

 今回の彼らは、戦いに来ていると。


 ギルデプティスは、ひたすらに待ち伏せした。

 途中で獣や鳥の悲鳴が上がろうが、内心で沸き上がる彼らを助けたい思いを押し殺した。今、逸って突っ込んでも無駄な犠牲を出すだけで、確実に倒せないからだ。


 ハンターが多少もたつきながら傾斜を降りてくる――まだだ。

 ハンターが、何が楽しいのか談笑して気を抜いている――まだだ。

 ハンターが地理上回避できないぬかるんだ地面を通りかかった――今だ。


「グルァァアアアウッ!!」


 猪たちが、号令一下で土を蹴飛ばして地を駆ける。


「なんだ、イノシシの群れ!?」

「妙な被り物してこっちに突っ込んでくるぞ!!」

「畜生、なんでよりにもよってこんなぬかるみの中で……!!」

「馬鹿者、背中を見せるな! 何のための作戦と装備だと思っている!」


 集中力が乱れた瞬間に、一人の中年の男が一喝にて収める。

 他の人間よりも重装備で妙な筒を持った男だが、その目からは強い殺意を感じられる。ギルデプティスはその男が司令官だと瞬時に理解した。


「幾ら数が多かろうが獣は獣だ!! 突進するしか能がない!!」

「り、了解ですコリントスさん!!」

「へへ、こっちにゃ最新モデルのクロスボウがあるんだ!! イノシシの頭蓋程度粉砕してやらぁッ!!」


 最初こそ統率の乱れたハンターたちだったが、即座に持ち直す。

 ギルデプティスは奇襲の効果が大幅に薄れたことを感じた。彼らは足場が悪いにも拘らず、予め定めていたかのように陣形を組んでクロスボウを構えていく。対して猪突部隊は突進力はあるが森の木々を掻き分けて攻撃を躱せるほど器用ではない。

 それでも、一矢報いねばならない。


「オアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ブギュウウウウウッ!!」

「第一射、放てぇッ!!」


 勇ましく雄叫びを上げる勇猛な猪たちに、ハンターの放った風を裂く矢が迫る。

 一斉に矢を放ったが、距離があるのと猪に装備させた草の鎧がそれを弾く。猪に犠牲は出ていない。ハンターたちが露骨に狼狽えたのを見て、これを好機とギルデプティスも木の上を伝って迫る。


 しかし、コリントスと呼ばれた男は間髪入れず次の指示を飛ばす。


「第二射、放てぇッ!!」

「ブギャッ!!」

「ギィッ!?」


 ――なんだと!?


 ギルデプティスは瞠目する。

 最初のへなちょこな矢が嘘だったように、突撃する猪の三分の一が矢に射貫かれて足を止め、或いは絶命していく。先ほどの一撃より遥かに正確で威力が高い。矢は確かに距離が近い程に正確性も威力も上がるものだが、それ以上に驚いたのが、予定ではもっと距離を詰められる筈だったのに第二射が早すぎることだ。


 ギルデプティスはないなりの頭脳を振り絞り、気付く。

 第一射はぬかるみに足を踏み込んだ最前列の人間が中心になって放っていた。つまり、それより後方の人間はクロスボウの矢を発射せず狙いをじっくり定めていたのだ。しかも第一射の矢の飛び方をみて狙いをより正確に調整して。


 ギルデプティスはそして、その後方に第三射が控えていることと、第一射を放ったハンターたちが既に矢の再装填を始めていることに気付き、歯噛みする。作戦は明らかに失敗だが、もう退いても死しかない。動揺が見て取れる猪突部隊を鼓舞するためにギルデプティスは叫ぶ。

 顔の似た同類たちを死地に追いやることに対する罪悪感を、今だけは封じ込めて。


「グルァァアアアウッ!!」

「あっ……トーテム……トーテムセブンが来てるぞ!!」

「構うことはねぇ!! いっそ今日こそぶっ殺すいい機会だ!!」

「俺たちの邪魔ばかりしやがって、邪魔なんだよ害獣共がッ!!」


 醜く凶暴性を剥き出しにする人間たちに呼応するように、第三射の指示が飛ぶ。


 原生林を凶悪な威力と速度の矢が一斉に乱れ飛び、鮮血と悲鳴で猪突部隊の九割が死に絶える。それでも、矢の刺さりが甘かった猪や奇跡的に難を逃れた猪が人間に肉薄した。


「ブギャアアアアアアッ!!」

「うわぁぁぁぁッ!! くそっ、来るなっ、くそぉッ!!」

「今助けるから暴れるな!! 間違えてお前を殴っちまったらどうする!!」


 猪の牙は人間の肉をいともたやすく引き裂く力がある。

 だが、突撃した猪たちの歯が人間たちに上手く噛みつけない。

 ギルデプティスは、ハンターたちが普段は身に着けていない、見たこともない鎧のようなものを纏っていることに気付く。全員ではないが、先頭の人間たちは一様に装備しており、猪たちも当然最初に目に付く先頭集団を襲ったために、誰も殺せないまま得物を鈍器に替えたハンターたちに取り囲まれている。


 戦う為にない知恵を絞り、仲間に用意して貰った猪たちが何たる様か。

 人間たちはいつもしつこく、そして狡猾だ。


 ――だがッ、それでもッ!!


 仮にもここまで群れの一員として生き残り、『彼女』の最期を見届けた者として、ギルデプティスは決して引けない。仲間には逃げても笑わないと言われたが、逃げられようはずもない。何故なら彼の胸には、他の皆が宿した決意と同じものが宿っているのだから。


 ――死ぬまで暴れて、戦い抜いてやるッ!!


 その為にも最も厄介で危険な司令塔、コリントスには是が非でも死んでもらう。

 木々の合間を跳躍したギルデプティスは、自分用に軽量化した棍棒を空中で振り被った。


「ああそうかい。じゃあ死にな」


 ぱぁん、と乾いた破裂音。

 頭蓋を揺らし、貫く衝撃。

 ギルデプティスが感じたのはそれだけで――そして、他の何も感じることができなくなった。




 ◇ ◆




 目の前に倒れ伏して動かなくなった巨体を、コリントスは一瞥する。


 体中に草の鎧を巻き、額には兜の真似か金属片まで編み込んでいたが、コリントスの武器はその金属片をいともたやすく貫き、絶命せしめた。


「す、すげぇなその武器!! コリントスさん、そんなもん持ってたのかよ!!」

「当然だ。虎を皆殺しにするためにはこれくらいなければな」


 コリントスが持つそれは、ライフル銃と呼ばれるものだ。

 ハンターたちは知らないことだが、ライフル銃は帝国を含むごく一部の国でしか製造、使用されておらず、王国法では騎士団以外が銃を輸入することは禁じられている。コリントスが銃を持っているというそれだけで、既に罪に問われる。


 だがコリントスの目にはそんな先の未来など映っていない。


「さぁ、今度こそこのジャングルから人に仇名す害獣を全て殺すんだ。先に進むぞ」

「え……ちょっと待ってくださいよ! アンタに貰ったプロテクターとかいう鎧のおかげで確かに死人は出なかったけど、骨の折れちまったハンターも何人かいますぜ!? 連れて帰らねぇと不味いでしょ!!」

「捨てていけ、そんな役立たず。のろのろしてる間に他の害獣が人を殺したらどうする?」


 それはコリントスがハンターを急かす常套文句だ。

 今、アルキオニデス島は人間の島になろうとしている。だから人間を襲い殺すかもしれない獣は死んでいなくなって当然だ、と彼は言う。ハンターたちも一歩間違えば自分を殺しに来るような獣はいない方がいいと思う。だから虎殺しにもそれほど抵抗は覚えなかった。


 しかし、既に四十代中頃に差し掛かっているであろうコリントスの獣殺しに対する執念は異常だ。特に今回は、大儲けのチャンスだと出発前は言っていたのに、既にハンターたちを置いて原生林の奥にどんどん進んでいく。


 ハンターの一人がコリントスの目を思い出し、震える。

 彼には殺すべき獣以外、何も映っていなかった。

 もう呼び止めるハンターの声さえ聞こえていない。


 結局、もっと儲けたいと思った数名の強欲なハンターを除く残りのハンターたちは、コリントスに追従せず帰る道を選んだ。


 コリントスに呆気なく殺されたオークの死体から大地に血が広がっている。


 確かに獣は害悪かもしれないが、その害悪をこうも容易く屠るコリントスが、残されたハンターたちにはもっと恐ろしい存在に思えた。

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