第362話 仮にそうだとしてもです

 数は力だ。

 世界には一人の英雄によって倒された魔物が数多くいるが、同じくらいに集団が一致団結することで撃破に成功した魔物もいる。必要なのは作戦を立案する知恵と、それを実行する勇気である。


 作戦の肝はタイミングだった。

 どの動作がズレても誰かが危機に陥るため、ミスは許されない。

 だが、騎士団員たちは思わず笑ってしまった。


「ミスが許されないのも一発勝負なのもタイミングが大事なのも、よく考えたらいつものことじゃん」

「確かに」

「その調子でへたれ脱却を目指せ、騎士団よ!」


 ドヤ顔のくるるんの一言に場が和む。

 作戦が決まってしまえば話は早い。

 作戦の為にバウの下へ向かう人間には、ある奥義を習得しているためケベスが選ばれた。念のために井戸で汲んだ水を頭から被る。と、彼の隣にいたネージュも水を被った。


「私も行くわよ。その奥義は元々私がケベスに教えたようなものだし、大体ヴァルナからあんたを介抱するよう命令受けてるのに、一人で送り出せないでしょ」

「ツンデレあざーっす!」

「殴るわよ。痣が出来ない部分を。股間なんてどう?」


 ネージュの真実味が籠った冷たい視線にケベスは思わず震えて股をきゅっと縮める。だが、すぐに二人は自然体に戻った。なんだかんだで付き合いの長い二人だ。遊撃班ほど上手く立ち回れずとも、コンビの相性で差を埋めることは出来る。


 互いに抜剣して炎に包まれつつあるイーシュジニとバウの決闘場へ駆け込む。


「バウさん、お待たせしました! 奴を倒す作戦を考えてきたんで聞いてください!」

「む……」


 バウの目からすれば足手纏いが二人やってきたように見えただろうが、彼は驚くほど冷静に敵を捌きながら二人の話に耳を傾けた。要点を抑えて手早く事情を伝えると、バウは即座に頷く。


「委細承知した」

「すみません、力量的には足手纏いでしょうが、我々も民間人に頼り切ることは立場上出来ませんので」

「構わないとも。誇りを抱くことに是も非もない」

「かっけぇ……ってやってる場合じゃなかった!!」

「ブオォォォォォォォッ!!」


 数が増えたことで僅かに警戒心を持ったイーシュジニが、先に痺れを切らして殴りこんでくる。ケベス、ネージュ両名はそれにまともに当たることなく、それぞれ立ち位置をずらして包囲するようなフォーメーションを取る。


「ほれ、こっちこっち!」

「よそ見してる余裕があるかしら!」

(流石は経験豊富だと噂の騎士団……巧いな)


 バウは口には出さず感心する。

 多対一の利点は、敵の集中力を分散させるところにある。

 イーシュジニにとってはバウこそ最大限に警戒すべき存在だが、その左右に武装した人間がいれば警戒しないわけにもいかない。更に、三人という人数は互いに味方の動きを阻害しない絶妙な人数だ。この絶妙な位置、数、戦力バランスであればイーシュジニの動きを鈍らせることが出来る。


 これが作戦の第一段階。

 事情を知らないバウに情報を伝達しつつ、イーシュジニの動きをけん制する。


 そして作戦は第二段階へと移行する。

 ケベスとネージュが同時にイーシュジニに斬りかかる。

 しかし、二人とも特段に強い訳ではないためイーシュジニは即座に両手の棍棒を振り回して剣を弾きつつバウを警戒した。イーシュジニの勘はある意味正解で、バウは二人とは時間差で一気にイーシュジニへの距離を詰めていた。


 二人を弾きつつバウを迎撃出来るよう計算されたイーシュジニの動き。

 しかし、次の瞬間イーシュジニの目の前からバウが消えた。


「ブガッ!?」

「武術を見るのは初めてか?」


 瞠目するイーシュジニは、頭上からの声に反射的に上を見上げる。

 その位置、身の丈およそ3メートルのイーシュジニさえ見上げるほどの高さ。

 彼は一瞬でオールを利用して空中に跳躍し、持ち手側の先端で狙いをつけていた。


 武術の神髄――それは、動きを理解される前に相手を仕留めることにある。

 動物は左右に視界を確保する関係上、横に比べて縦軸の物体移動への対応が鈍る傾向にある。たとえ傍から見れば何が起きたか丸見えでも、真正面で相対している相手が瞬時にそれを見切れなければ、その技は必殺となる。


「奥義、ナルカミッ!!」


 瞬間、稲妻のような神速の刺突が隙を晒したイーシュジニの額に直撃する。

 ゴリィ、と骨が抉られるような音と衝撃がイーシュジニを突き抜けた。


「――ッッ!!!」


 が、イーシュジニは一瞬ふらつきながらも頑強な首周りの筋肉と分厚い頭蓋で衝撃を耐えきった。恐らく本来は鋭い刃で頭蓋を貫通させる威力だったのだろうが、オールの先端のブレードでは力不足だったが故に打撃攻撃に切り替えた結果がこれだった。


 だが、バウは焦ることなく刺突の反動で後方に着地する。

 なぜなら、彼は騎士団から頼まれた条件を満たしたからだ。

 一瞬でいいからオークに隙を作って欲しい。

 それを彼は忠実に果たしてくれた。


 頭部への強い衝撃と、それを為した空中のバウの姿を必死に目で捉えるイーシュジニの全く意識していない場所。燃え盛る草原の中から突如として蛇が現れ一直線にイーシュジニに迫った。

 否、それは蛇のような形をした土だ。

 蛇と違う最大の部分は、その先端に頭部ではなく赤熱した刃があること。

 刃は一瞬でイーシュジニの腰にある瓢箪に飛来し、まるで果物を切るように容易に瓢箪を切り裂いた。その高熱によって瓢箪の中にある油を一瞬で発火させながら。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 燃え盛る油が腰からぶちまけられ、イーシュジニの肉体が灼ける。

 棍棒を燃やす為の装備品を、最悪の形で利用されたのだ。


「おーし、命中した! 流石はナーガ、やるぅ!!」

「この程度、はぁはぁ……簡単、ふぅふぅ……くるっ!」

(すごい消耗してる……)

(触れないであげよう)


 瓢箪を切り裂いたのは、くるるんの魔法で放たれた刃だ。

 土を操りナイフを先端に埋め込み、火の中を突っ切って敵に不意打ち――ナーガのような高度な知能と魔力がなければ絶対に出来ない。しかも丈夫な瓢箪を切り裂くために炎で熱したナイフの熱も、手で触れないためにデメリットにならない。子供であるくるるんには負担の多い魔法行使だったようだが、効果は絶大だ。


 これまでイーシュジニは当人の汗によって多少の炎は防げていたが、油と火がぶちまけられれば防ぎようなどない。その恐ろしさがあるからこその火なのだ。生きながら焼け爛れていく苦痛に、イーシュジニは絶叫する。


「アアアアアアッ!! オアァァァァァッ、グ……ゴォォォォォォオオオオッ!!!」


 しかし、絶叫を上げる彼の選んだ手段は――戦いだった。

 燃え盛る棍棒を握る手に更なる力を籠め、自らも燃えながら、彼は前へ進んだ。


 遠くない未来、自分が死ぬことは理解しているだろう。

 それでも、イーシュジニは炎の化身の如く進む。

 その執念、一体何処から湧き出るものぞ。


 されど、騎士団はよくよく知っていた。

 オークは人の理屈に合わせて動いてくれないことを。

 オークの生命力には目を見張るものがあることを。

 そして、追い詰められたオークほど警戒すべき存在はいないことを。


 バウが一撃を決めた時点で、包囲していたケベスとネージュは阿吽の呼吸で退路に移動し、既に迎撃の準備を整えていた。


 ――リーチが長く燃え盛る炎を纏った棍棒を相手に騎士の標準的な剣では不利だ。しかし、王国攻性抜剣術は剣一本で全てを打倒する剣術。故に、剣では不利な相手と戦うことも視野に入れた奥義が用意されている。


「合わせるわよ! いち……」

「にの……」

「「さん!!」」


 嘗てケベスがふざけて行い、その罰として教官に練習させられ、放っておけなかったネージュがそれに付き合ったことで偶然にも二人とも習得していたその奥義は、通常の剣術の常識を二つの意味で覆す。

 ケベスは右手に、ネージュは左手に構えた剣を、同時に解き放った。


「「十の型、鷲爪ェッ!!」」


 煌めいた二つの刃が、猛禽が獲物を仕留めるが如く空を切り裂く。

 この剣術は、厳密には剣術というよりは投法だ。本来剣を投げて攻撃に転用するのは実用的ではないが、この特殊な投法を使うことによって独特の回転を加えられた刃は直接斬撃するのに等しい切れ味と威力を得て飛来する。


 もちろん、剣を手放せば剣士は丸腰になる危険な奥義なのは間違いない。

 しかし、それが必要な瞬間がもしも来た時のために、これはある。


 全く同時に飛来した二つの刃が、棍棒を潜り抜けてイーシュジニの両肩部に深々と突き刺さり、その衝撃でイーシュジニが踏鞴を踏んだ。


「今だ、こっちへ!!」

「撤退だー!!」

「承知」


 暴走する巨大なオークに生まれた、たった一瞬の隙。

 その隙は、炎の戦場から三人が抜け出すには十分すぎるものだった。

 残るは作戦の最終段階、火の回らない安全な場所で包囲して始末するのみだ。




 ◆ ◇




 草原が燃える。

 己が燃える。

 両腕が上がらない。

 人間の背中が遠ざかってゆく。


 ――逃がすものか。


 ――諦めるものか。


 ――この命果てるまで、決して足は止めない。


「ゴガァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 全身を蝕む苦痛を無視して邁進する炎の化身の咆哮が、偉大なる大地に響く。

 

 確かにこの島での生活は快適ではなかったかもしれない。

 それでも、幸せが存在する、自然な生活だった。


 きっかけはどこだったのか、今となっては判然としない。

 我々は失うべきでないものを失い、そして失うものを失った。

 事実という揺るがない状況を前に、我々は決めた。

 この島の為に、人を滅ぼす、と。


 それは、我々にとって己の命よりも重要なことだった。

 不運であったのは、それを決断したのが遅すぎたことかもしれない。

 だがそれは、仕方のないことだ。

 我々はそうなる運命であったのだ。

 相対する考えを持つ二つの種族は、衝突するしかないのだから。


 しかし、散っていった同胞の為に、今も戦う同志の為に、諦めて死すことだけは出来ない。一人でも多く、一つでも多く、この燃え盛る炎で敵を荼毘に付さなければならない。たとえそれを望まない者がいたとしても、すると決心したことは全うする。


「――やれぇぇぇぇッ!!」


 人間の喧しい声、そして腹部を貫く複数の衝撃。

 血反吐がこみ上げ、口から漏れ出る。

 そこに至って、やっと自分の視界が随分と朧になっていることに気付く。

 辛うじて見えたのは、逃げていく人間と腹部に生えた複数の棒。

 人間が使う槍という武器だ。

 フウピリクがアースの為に、似たようなものを拵えていた。


 それでも、足がまだ動く。


「放てッ!!」


 身体のあちこちに衝撃が奔る。

 人間の位置が遠いことから、きっと弓矢だろう。

 笑いがこみ上げる。今更その程度の痛みで止まれるか。


 足が上がらなくなってきたが、精神力のみを頼りに進む。

 棍棒などとっくに握れず取り落としたが、使い物にならない腕でも無理やり振り回せば人間くらいは殺せる筈だ。


「……槍を貸してくれ、拙者が介錯いたす」

「――いや、民間人にそこまでさせては騎士の名折れだ」

「サマルネスさん、遅いですよ……」

「すまん。今度奢るから勘弁してくれ」


 聞き慣れない声がうすぼんやりしたシルエットで迫る。

 きっとこれが、己の相対する最後の敵だ。

 全身の力を振り絞り、腰を回転させた遠心力で腕を振るう。


「……ヴァルナじゃねえが、一撃で逝きな――飛燕、舞扇薙」


 紅の燐光が視界を煌めき、首への衝撃。

 そして、全身の感覚が急速に抜け落ちていく。


 嗚呼、炎が消えていく。

 己の戦いが消えていく。


 ――これが、終わるということか。


 イーシュジニの意志の炎はそこで消え、二度と灯りなおすことはなかった。




 ◇ ◆




 サマルネスは、首を両断されてなおこちらを睨むような形相をするオークから視線を外し、納剣する。自分が辿り着いた時には既にほとんど事態は決着していた。討伐数は自分にカウントされるが、もしこれでボーナスが出たら待機組にいいものを食べさせてやろう、と思う。


「サマルネスさん、なんですかさっきの? 剣が燃えてたように見えたんですけど」

「ああ、ヴァルナの言う氣の応用ってやつだ。炎の化身を仕留めるには相応しい奥義だったろ?」

「氣ってそんなサラっと……」


 「別に驚くほどでもないだろう」とサマルネスはおどける。

 そもそも彼はヴァルナとロザリンドが入団しなければ剣術では外対騎士団最強だった程度には才能を持っている。他人の剣術を盗むくらいのことは彼にとっては珍しくなかった。


「さて、そんなことよりこの後片付けをしないとな……」


 サマルネスはすぐに事後処理の為の確認と指示を飛ばしていく。

 だが、頭の片隅では、普通のオークなら泣き叫んでもがき苦しんでる状況にあって尚も前に進んでいたあのオークのことが頭から離れない。あれほどの執念をオークから感じた事は、サマルネスにはない。

 だからこそ、今、己に使える最大の奥義で葬るべきだと感じた。


 以前、ヴァルナが言っていた言葉を思い出す。

 仮にオークが悪ではなかったとしても、自分たちが王国騎士である以上は国民の生活を脅かすオークは討伐しなければならないし、それを他人任せには出来ない、と。珍しく酒が入って酔いが回った時だったが、この後輩は細かいことを気にするものだとその時は思った。

 今は、少し違う印象を抱いている。


(オークに敬意とは我ながら馬鹿げてるな……でも、この島ではオークは……)


 これまでの人生で最も後味の悪い討伐にサマルネスが抱いた思いを代弁するかのように、火事で舞い上がる煙と灰が美しい青空を覆っていく。


 トーテムセブンの一角、イーシュジニ・トーテム――騎士団の奮戦により、討伐完了。

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