第361話 へたれの目です

 トーテムセブンの一角が落ちたその頃――ミノアの地でヴァルナとは別に一人単独行動する男の姿があった。トゥルカだ。

 リンダとキャリバンがハルピーたちから事情を聴き出してすぐ、トゥルカは「用を足してくる」と槍片手に席を外した。


 そして、彼の態度にムームーは疑問を持つ。


 目の前に精霊がいるのに、どうしてあんなに平然としているのか。

 そもそもトゥルカは誰の案内も受けていないのにトイレの場所が分かるのか。

 彼の様子は、なにかが変だった。

 

 ムームーは少し遅れてトゥルカを追いかけることにした。ヴァルナにも彼の様子が変だったら伝えてほしいとは言われていた。ムームーを一人で行かせるのが不安なシャーナも同行し、二人はトゥルカ動向を物陰から探っていた。


 トゥルカは何の迷いもなくハルピーの別荘の合間を行き、ちょうど別荘地の裏手に当たるなだらかな傾斜を歩いている。明らかにどこか目的地がある様子だった。シャーナも流石に彼の行動に不信感を覚える。


「精霊様の住まう地を堂々と……一体どこを目指しているんだ、あいつは」

「ハルピーのトイレって別荘から離れてるのかなぁ。それってヘンだ」

「トイレじゃない場所に向かっているなら変じゃないぞ」

「トイレに行くって言ったのに行かないのがヘンだよ」


 小声でひそひそと会話しながら、慎重に後をつける二人。

 と、トゥルカが島の西側の空を見た。

 つられて二人も見ると、二つの色が着いた狼煙のようなもの――二人は信号弾を見た事がないのでそう判断した――が見えた。トゥルカはそれにすっと目を細め、また元の方向に向かい出す。


 この島で大きな何かが起きている、と二人は感じた。


 やがて隠れる場所が段々となくなってきた頃になって、トゥルカの足がぴたりと止まる。


「来ているのだろう。こそこそ隠れず堂々とついてこい。別に咎めはしない」

「ちゃんと隠れてたのに見つかったー! ヘンだぁ!!」

「トゥルカ、貴様何が目的でどこに向かっているのだ? 貴様はいつも以上に様子が変だぞ」

「ついて来れば分かる。お前たちもこの島の民だ。見る権利はあるだろう……」

「見る権利は……だと? お前、それはまるで――」

「トゥルカ、おまえここに来たことあるのか!?」

「……」


 トゥルカは二人を一瞥するだけで返事はせず、そのまま歩みを進めていく。

 二人は様々な疑問を抱きながらも、トゥルカを追跡した。


 三人はちょっとした窪地に辿り着く。すぐ近くには洞窟があり、ちょっとした小川もあり、草木も生え、王国人が見れば「まるで箱庭のようだ」と口にするような空間だ。ただし一つ気になるのは、その空間に似つかわしくない野生動物の骨が端に転がっていることだろう。


 ――洞窟の中に、何かいるのか。


 警戒心から槍を持つ手に力が籠るムームーとシャーナを尻目に、トゥルカは槍をその辺りに立てかけ、丸腰で洞窟に近づいていく。そしてあと一歩で洞窟の前に出るところでぴたりと足を止め、警戒しながら近づく二人を振り返る。


「お前たちがこの場所を見て何を考え、何を思おうが勝手だ。質問があるなら答えてやる。その代わり、俺の邪魔をするな」


 そう言い放つトゥルカの目は、これまで見たどの彼の顔よりも冷たかった。




 ◆ ◇




 ナルビ村を襲う炎の化身、イーシュジニ・トーテム。

 それに相対するは、船頭のバウ。


 二者の苛烈な戦いは激しさを増していく。


「ゴォォォォォォッ!!」

「キエェェェェイッ!!」


 松明のように燃える棍棒を振り回して連撃を見舞うイーシュジニの動きを的確に見切って紙一重で躱したバウが、気迫の籠った雄叫びと共にオールを振り上げる。本来武器として扱うには大きくて長すぎる筈のオールはしかし、鋭い一撃となってイーシュジニの棍棒を弾き飛ばす。


 バウの猛攻はそれだけでは終わらない。豪快な一撃の勢いそのままに体を回転させてオールを構え直したバウは、地面が罅割れる程の踏み込みと共に刺突を放つ。バウのオールはどうやら標準的なものと違い先端がややブレード型になっているらしく、本物の槍のような一撃がイーシュジニを襲う。


「グゥオオオオオオッ!!」


 心臓に迫る一撃をイーシュジニは辛うじて防ぐが、次の瞬間オールの先端が軌道を変えて刃が切り上げられる。予想外の方向から衝撃が奔ったことでイーシュジニの体勢が崩れ、その隙に今度は切り上げの動きを利用して反転させたオールの持ち手側の先端が強かにイーシュジニに叩き込まれた。


「……ッ!!」

「堪えるか。その意気は買う」


 イーシュジニは歯を食いしばって全身に力を籠めることでこれに耐え、お返しだとばかりにバウを果敢に攻め立てる。しかしバウは不規則で見切り辛いイーシュジニの攻撃を最低限の動きで躱し続けていた。


 仮にも騎士団が徒党を組んで手も足も出なかった相手なのに、バウはたった一人で優位に戦闘を進めて見せる。あれほどの回避を見せるのは騎士団内でもヴァルナやンジャのような相当の技巧派だけだ。


 二者の光景を見たケベスとネージュは唖然とする。


「バウさんクソ強ぇ……これ、このまま勝っちまうんじゃねえの?」

「私もそう思いたいけど……でも多分、このままだとまずいかも」


 ネージュは一度冷静になって状況を俯瞰し、悔しそうに呻く。


「バウさんのオール、段々亀裂が入ってる。元はあくまで船を漕ぐための道具だもの。無理して使ってるんだわ」

「マジか。じゃあ騎士団の槍を貸してやらないと!!」

「それも駄目だと思う。バウさんの武術、得物が相当重いことを前提としてる感じがするし、あのオール自体が騎士団の安物槍より頑丈そうだもの」

「これが貧乏ゆえの悲しみか……とか言ってる場合じゃねー!! 火も段々広がってるし!!」


 イーシュジニが延焼させた草木の火が段々と広がっていく様にケベスは頭を掻きむしる。イーシュジニが風下から接近してきたために村の方向にはそれほど火が向かっていないが、バウとイーシュジニの戦いの場は少しずつ、少しずつ火で狭まっている。


 他の騎士たちもこのままでは不味いと装備片手にケベスとネージュの近くに集まってくる。消火活動は行われていない。根本的に人数が足りないのもあるが、ナルビ村の人々がそれをやらない。


 それは怠慢でもなんでもなく、水に乏しく人に管理しきれない草原が広がるアルキオニデス島東部では、一度広がった火は消しきれない。消せないならせめて難を逃れつつ燃え尽きるのを待つしかないのだ。


 このままではバウのオールは破壊され、バウ自身も逃げ道を失う。

 それだけは避けなければならない。

 居ても立っても居られないケベスが立ち上がる。


「そうだ! イーシュジニの野郎に油ぶっかけてやりゃあいいんだよ!! 自分が火を持ってるんだからよく燃える筈だろ!!」

「ばっ、駄目よケベス!! 万一バウさんに火が及んだらどうするの!! いつも以上に失敗が許されないのよ!?」

「でもよぉ!! このままだと見殺しだぜ!!」


 炎の決闘場で激しくぶつかり合うイーシュジニとバウだが、バウのオールは次第に亀裂が広がりつつある。これほどの状況であるにも拘わらず、バウには一切の焦りが見えなかった。


 何か秘策があるのか――それとも、騎士団が秘策を用意するまで時間稼ぎをしてくれているのか。様々な策が浮かんでは沈み、やがて、バウを助けることに専念してオーク討伐は諦めるべきではないかと騎士団は思い始める。


 死者、怪我人を可能な限り減らして戦うのが外対騎士団の原則だ。

 始末書を覚悟で町の被害も許容し、人の損害がこれ以上でないのが騎士団として出来る今の最良の選択ではなかろうか。


 自分たちは凡人だ。

 ヴァルナやガーモンのような強者にはなれない。

 凡人には凡人なりの選択をすべきではないか。


 そんな考えが頭を過ぎった刹那――ネージュの足がぺしん! と叩かれた。


「ひゃんっ! な、なに? 誰? ……あ、くるるんちゃん」

「みんな今、へたれの目をしてた」


 不服そうに腕を組んでずばりと本音を指摘された騎士たちを見回し、くるるんは鼻を鳴らす。


「人間の強さ、集団の強さだってヴァルナよく言ってた。一人じゃ絶対出来ないことや間に合わないことも、集団で同じ意識を持てば届くようになるって言ってた。みんな助けるのは難しいけど、難しいことを達成したとき、それが自信になるって言ってた!! だからへたれるな!!」


 それは、余り社交的とは言い難いくるるんの精一杯の発破だったのだろう。

 彼女は基本的に実力ある人間にしか靡かない。

 だからこそ、彼女の言葉はヴァルナの信用を裏切るなという意味でもある。


 全員が一瞬沈黙し、やがてケベスがふと顔を上げる。


「あれ、くるるんの魔法使えば何とかなるんじゃね?」

「「「あっ」」」

「ふんすっ!」


 やっと気付いたかとばかりに鼻を鳴らすくるるんに、騎士たちは自分たちの視野の狭さを反省した。普段ヴァルナのことを非常識だ、どういう発想だと馬鹿にしていたが、それ故に常識に縛られ過ぎていたようだ。

 ……それはそれとしてヴァルナは学があるのに非常識だと思うが。


 作戦はものの一分と経たず決まった。

 一発勝負の危険な賭けだが、やる価値は十分にある。

 この方法ならサマルネスの到着までイーシュジニを野放しにすることなく仕留められる。イーシュジニは炎を使いこなしているのかもしれないが、炎との付き合いの長さは人類の方が上だ。今、ボスオーク討伐の経験がない騎士団たちが一丸となって戦いの決着へと向かい始めた。

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