第360話 ただの目印です
意表を突かれたフウピリクに対し、カルメはクロスボウによる容赦ない連撃で畳みかける。連射性能で言えば弓より遥かにクロスボウが有利だし、最初の一発を確実に命中させるには弓では上手く射角がとれなかったからだ。あの草の鎧の合間を穿つにはクロスボウしかなかった。
(――獲物を仕留めた瞬間に無防備を晒す狩人は二流だけど、相手より優位に立ったと思い込む狩人は三流だ。お前が僕より未熟で助かったよ、フウピリク)
カルメはフウピリクを欺くために三つの策を練った。
一つ、接近するイノシシの鼻を欺くために、敢えて匂いの残った手袋を置いたこと。今のカルメ以上の強い匂いがこびりついた手袋だ。一度は必ず引っ掛かると踏んだ。
二つ、ファミリヤにサインを送ってカルメとフウピリクの位置関係を無視する形で飛んでもらった。一度も使った事のないようなハンドサインを記憶を頼りに連発したので若干誤解が生じてサークルが縮まったりもしたが、なんとかこれも成功した。
イノシシが嗅覚を頼りに向かっていて、ファミリヤとの位置関係でもそこにいると踏める場所がある以上、フウピリクの視線はそこに釘付けになる。その間にカルメは物音を立てないように必死にイノシシとは反対周りの方向からフウピリクの死角へと回り込んだのだろう。
フウピリクは、カルメの予想通りバオーブの木の上に隠れていた。
上空にいるファミリヤからは視認できない茂った葉の間は本来地上からは丸見えだが、イノシシの接近をフウピリクの接近と誤認してしまえば暫くそこに敵がいるという思考は頭から抜け落ちる。
それに、仮に気付いたとしてもフウピリクを倒そうとすればイノシシに接近され、イノシシに気を取られれば優位な射角にいるフウピリクの猛攻を躱しきれない。矢の一、二発受けてでもここで確実にカルメを倒す策だったのだ。
だからカルメは、三つ目の策を用意した。
カルメの猛攻をブーメランを振って器用に弾くフウピリクだが、木の上という環境に対して巨体が邪魔をして数発矢が命中する。バオーブの独特な形状は木登りが得意なオークであってもてこずったようだ。
木の上では不利だと判断したフウピリクは木を降りて着地し――そして、異変にその身を震わせる。その表情は露骨に歪み、食いしばる牙の隙間から涎が垂れる。
「ウ……ウゴォォォォォォォ!? アガァァァァッ!?」
「君に撃ち込んだ最初の矢にはアシハミソウを塗り込んだ。皮膚の内側から広がるかぶれに耐えられるかな!」
アシハミソウは人間が踏んだだけで気が狂う程のかぶれを齎す強烈な成分を持つ毒草だ。幾ら抵抗力が人より強いオークとは言え、皮膚を突き破って肉にまで成分が侵入してしまえば筆舌に尽くしがたい痒みとなって肉体を蝕む。
生物は、痛みより痒みの方が我慢が難しい。
だから、カルメはどうしても一撃皮膚に矢を叩き込みたかった。
予想通り想像を絶する痒みが血管を通して肉体に広がっていくフウピリクは今にも地面に転がって悶え苦しまんとする苦悶の表情だ。とにかく痒みの原因が矢だということには辛うじて気付けたフウピリクはそれを素手で取り除き――。
「触らない方がいいよ。矢羽以外の全体に塗り込んでるから」
「オ、オオ……ガァァァアアアアアアッ!?」
――矢を引き抜いた掌にアシハミソウの毒が付着し、見る見るうちにかぶれ、またしても絶叫した。
「ブーメランは投擲武器。指の感触が大事だ。果たして今の君に、これまでと同じ投擲が出来るかっ!?」
「ガァァッ!!」
フウピリクが苦し紛れに腰のあたりに差していたブーメランを投擲するが、カルメは即座に空中でブーメランを矢で落とす。フウピリクはブーメランを次々に投擲するも、痒みによって精細さを欠いたブーメランの軌道はカルメにあっさり見切られ、迎撃どころか弧を描いてもカルメに届かず地面に転がってしまう。
カルメはその隙を縫って、更にフウピリクに矢を叩き込む。
矢はフウピリクの肉体を狙い、肉体を庇うと今度はブーメランを固定する紐やブーメランそのものを破壊する。一対一というオークにとって有利な状況である筈なのに、フウピリクは風を貫くカルメに一方的に追い詰められていく。
と――カルメがフウピリクを襲撃したことに気付いたイノシシが草むらをかき分けてカルメへ背後から吶喊する。カルメはしかし、それに動じることはなかった。
「裏伝四の型、角鴟」
「ブギッ!?」
カルメはクロスボウを構えたまま、まるで横に瞬間移動したかのようにイノシシの突進を躱し、がら空きになったイノシシの後頭部に冷静に弓矢を叩き込んだ。威力重視の弓による一撃は頭蓋を貫通することはなかったものの、頭蓋への衝撃で脳震盪を起こしたイノシシは操り糸が切れたようにぱたりと地面に転がる。
四の型・角鴟は、自らの姿勢をそのままに特殊な歩法で相手の左右などに回り込むことで、不意を突きつつ即座に相手を攻撃出来る高等技術だ。まだ未熟なカルメはヴァルナに手ほどきして貰っても回り込みまでは出来ず、せいぜい左右に回避するのが限界。だが、狙撃の際に足を止める必要がある弓使いにとってはそれでも十分な効果がある。
しかし、どんなに回避を上手く行って矢を射たとしても、矢の再装填には必ず隙が生じる。その一瞬をフウピリクは見逃さなかった。フウピリクはその一瞬を狙って大地を踏みしめ疾走する――カルメの方ではなく、後方へ。
彼が選んだのは、無様な逃走だった。
「くっ、逃がすかッ!!」
カルメは矢を再装填して、ファミリヤのナビゲートを頼りに草原を駆け出した。
全力疾走するオークの脚力は凄まじく、カルメも必死で追うが距離が縮まらない。
それでもカルメは諦める気はなかった。
(あちらの方角は逃走ルートに向いていない。場所も分からず我武者羅に距離を取ろうとしてるんだ。だとしたら必ずどこかで予想外の物に躓く……!!)
ここ数日地形調査もしてきたカルメと、土地勘のあまりないフウピリク。
その差は狩人にとって余りにも大きな差だった。
◇ ◆
フウピリク・トーテムは必死だった。
死に物狂いで走ればほんの少しだけ腹部と手の痒みを忘れられた。
それでも、ただ出鱈目に走っている訳ではない。
確かに多少の障害物を躱すのに無駄な時間を取っている間に追跡する狩人は的確なルート取りをしているため引き離せないが、向かっている方向には逃げ場がある。その広いスペースは恐らく崖だということを風が教えてくれた。
オークの頑強な肉体なら多少の崖は越えられるが、あの華奢な狩人にはすぐには追えない。逃げることは屈辱であったが、一人でも多くの人間を屠る為なら手段は択ばない。
こうなったら東の人の集落に向かったイーシュジニと合流し、囮となって少しでも場を掻きまわす。そうすればイーシュジニはもっと多くの人間を始末出来る。命は惜しくないが、戦士としてフウピリクは少しでも結果を残したかった。
風の動きで分かる。
目の前の草を突っ切れば崖だ。
崖を飛び降りればあの狩人を振り払える――!
フウピリクはあらん限りの力を足に込め、一気に跳躍――しようと、した。
「させるかぁぁぁぁーーーーッ!!」
その言葉が矢として具現化したように、遠距離から完璧に風を読み切った一条の矢が飛来し、フウピリクの右足の膝裏を穿った。痛みによる硬直と当たり所が悪く、足はフウピリクの予想の半分以下の力しか籠らず、しかし崖を避けることは出来ない。
結果、フウピリクは態勢を崩したまま崖へと転落した。
受け身を取り切れずに地面に激突した衝撃で、フウピリクの肺から空気が絞り出される。
「ガハァッ!! グ、ウウ……」
崖の高さはフウピリクの身長四つ分程度のもので、ダメージにはなったものの動くことはできた。それに地面が湿り気を帯びていて柔らかかったことも幸いしたのだろう。早く、早くこの場を離れなければならない――身をよじって地面に手を付いた。
そして、その手が柔らかい地面にずぶりと沈んだ。
「……? ……!!」
手だけではない。横たわった胴体が、足が、少しずつ沈んでいく。
事態に気付いたフウピリクは即座に立ち上がって脱出を図るが、足はずぶずぶと地面に沈む一方で一向に上に持ち上がらない。土を取り除こうと手で掻き分けるも、柔らかく湿り気を帯びた土はゆっくりと掻き分けた穴に流れ込んでくる。
フウピリクは気付いた。
気付いてしまった。
彼が落ちたのは――底なし沼だ。
「ア……アァァアァアアアアアアッ!! ガァァアアァアアアアアアアッ!!」
見れば沼はあとほんの少し長く跳躍していれば辛うじて水分量の少ない地面に届いていたところだった。だが、その後少しを進むための足ががっちりと泥に捕まれて全く進むことが出来ず、
ゆっくりと、何もできず、何一つ果たせずに。
あの、狩人のせいで。
「ウグォォォォォォォォアアア゛アアアアァァァァーーーーーーッ!!?」
友、想い人、残されし者たちを置いて、逝くのか。
戦いで殺されるのではなく、沼にゆっくりと口も鼻も塞がれ、何も見えない闇のなかで藻掻くことも許されずただ死ぬのか。あらゆる無念と心残りを叫び続けたフウピリクの喉に、矢が突き刺さった。
ごぼり、と口の中に血の味が広がり、意識が遠のいていく。
「今は騎士としてではなく狩人として、君を仕留める。獲物を無駄に苦しませる狩人は、よい狩人ではないから……」
最後に見えたのは崖の上から矢を放った狩人、そしてその上から燦燦と地上を照らす太陽。
――嗚呼、もしこの世界に人さえいなければ。
――同胞たちよ、一足先に逝くことを許してほしい。
悔恨と共に、フウピリクの意識は無明へと落ちていった。
◇ ◆
カルメは、こと切れて泥に沈んでいくオークを静かに見送った。
この崖の下は日差しが弱く地下から水が湧いているのか、上の土壌が底なし沼と化している。カルメはそれを知っていて射た。死体は完全に回収不能なため、ある種、任務は失敗だ。カルメはその断末魔と最後に、何も言えなかった。
空からファミリヤが舞い降りてくる。
『カルメ、帰ロー。ナ? ミンナ心配シテルゼ』
「……うん。でも、ちょっとだけ待って」
カルメは周囲を見渡してそこそこ大きな石を見つけると。それを崖の手前まで転がして石の周囲の草をナイフで軽く刈っていく。そして大きな石の周囲を小さな石で囲み、息をつく。
「沼に落ちたのは無理でも、それまでに土に落ちた血の回収の為に目印がいるでしょ?」
『墓ミタイダナ、コレ』
「目印だよ」
『ソッカ。メジルシハ大切ダナ。大切ニシナイト』
「うん……」
トーテムセブンの一角、フウピリク・トーテム――騎士カルメの手により、討伐完了。
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