第359話 駆け引き上手です

 遠い昔、オーク達は人が王国本土と呼ぶ場所にいた。

 絶え間ない人間の襲撃を幸運にも生き延び、自然の過酷な環境でメスのいないはぐれとして放浪し、時に群れから追い出され、試練の連続だった。


 しかし、オーク達は耐え切り、そして考える。

 天敵のいない場所へ行こうと。


 皮膚を容赦なく焼く、果てしない海の旅路。

 だがオーク達は偶然にも海流に乗り、一つの島に辿り着く。

 そこにも人間はいたが、王国に比べればその行動範囲は遥かに狭く、殺意を剝き出しに追い立ててくるあの狂った武装集団も見当たらなかった。

 食料も豊富なその場所に、オーク達は移り住んだ。


 一つ予想外なことがあったとすれば、そこは王国以上に獣たちが精強な生存競争の場であったことだろう。食料には困らないものの、どこに逃げてもオーク達は戦いからは逃れられなかった。


 最初は三十以上の数がいたオーク達は、段々と数を減らしていった。

 気付けばあっという間に残りは八。

 しかしその八は、生存戦略を超えた強い絆で結ばれた八だった。


 彼らは、それでよかった。




 ◆ ◇




 騎士団全体が戦闘に突入する中、偉大な先輩の真似してはいけなそうなところを真似する騎士が一人。草木をかき分け、慎重に、慎重に単独行動を続けるカルメである。


 ブーメランを操るフウピリク・トーテムがいるであろう方向に向かうに際して、カルメは風下を選んだ。少しでもこちらの匂いを感じ辛くするための小細工だ。


 ブーメランは敵の位置を視覚的に捉えなければ当てることは難しい。つまりフウピリクは視力に頼っている。だからカルメは自分の装備から自然界で悪目立ちす光物や色の強いものを放り出し、道端のぬかるんだ地面に体を擦り付ける。匂いを消すだけでなくカムフラージュ効果も期待してのことだ。

 草木をかき分けるうちに千切れた葉が身体に張り付くのさえ、こうした有視界での狩りでは有用だ。ハンターの極意は自然に紛れ込むことにこそあるとカルメは父から教わっていた。


(どう動こう……身長の高いオークとはいえここの草の丈も結構高い……だったら視界を確保するために少しでも高い位置に行きたがる筈だ……)


 カルメはこの周辺の地形を必死に思い出しながら注意深く周囲を見渡す。

 と、頭上をいきなりブーメランが通り過ぎた。


「――ッ!!」


 思わず身体が硬直して息が漏れそうになるのを堪え、気配を漏らさないことに成功する。ブーメランはカルメの周囲を二度、三度飛来したのち、来なくなった。


(あいつ……僕を焙り出す為に居場所に目星をつけて投げて、動揺を誘おうとしたんだ!! でもどうやって居場所に目星を……まさかファミリヤくんの動きを!?)


 ファミリヤはカルメの援護をするため、相手の位置を確認しつつカルメに情報を知らせることが出来るような位置取りをしている。その鳥の不審な動きからカルメの居場所を大雑把に予測してきたのだろう。

 動物が普段見せない行動は、なにかが起きた証。

 フウピリクはそれを鋭敏に感じ取った。


(でも……!!)


 先ほどまでと今ではフウピリクにとっての戦闘条件は違う。

 騎士団が襲撃された際、フウピリクは騎士団の位置を完全に把握してブーメランを放ってきたが、今回はフウピリクも探す側、そして見つかってはいけない側だ。あちらも迂闊に動けず足を止めているだろう。


 だとすれば――と、カルメはファミリヤの飛んでいる位置と周辺の地理、そして先ほどのブーメランが飛来した場所を鑑みて、ある一か所に狙いを絞る。風で草の擦れる音ばかりが響く中、その草の隙間に、カルメは確かに敵の姿を見た。


 そこは周囲の地形の中でもほんの僅かにだが隆起した坂場になっており、その坂の下りに差し掛かるギリギリの位置の茂みに、フウピリクはいた。まだこちらには気付いていない。


(でも、射角が悪い……それにファミリヤくんの動きで位置が割れてる。暫く成果がなかったらこちらがポジションにつくより先にあちらが場所を移す……だったら、一度追い返してその隙にファミリヤくんに追加の指示を出せばッ!!)


 迂闊にファミリヤが下りてくればブーメランで落とされるリスクに加えて自分の居場所が露呈してしまう。長期戦になってはしまうが、致し方ない。

 カルメは静かに息を吐き、膝をついたまま弓に矢を番えて限界まで引き絞った。

 ボウッ!! と、大気を貫く一条の矢が全ての草の合間を縫ってオークに殺到する。射角的に体が見えなかったために一番柔らかい喉を狙った一撃だったが、首元の草の鎧が衝撃を反らしたか、直撃はしていなかった。


 オークは悲鳴すら漏らさず即座に撤退。

 幾ら防いだといってもデリケートな喉に奔った衝撃は平気ではなかった筈だが、情報を漏らすまいと堪えたのだろう。オークの癖にやるじゃないか、と毒づきながらカルメは鷹眼の如き猛禽の瞳を細める。


(お前が逃げないなら僕だって逃げないぞ……絶対に追い詰めて、確実に仕留める!!)


 カルメは即座にハンドサインでファミリヤを呼び、指示を送る。


「――モット広イ範囲デ、外来種トカルメヲ囲ムヨウニ周回スル?」

「そう、僕にもフウピリクにも互いのおおよその場所と距離が測れるようにするんだ。僕だけに位置を知らせようとすれば逆にこちらの位置が割れて危険だから、間を取って欲しい。何より今は降りてくること自体リスクが高いし」

「タシカニ、鳥ニトッテ着地ノ瞬間ヲ狙ワレルハ一番コワイワネ……」


 実際には狙われてくれた方が相手の位置を特定しやすいのだが、そんな無茶な頼みは出来ないのでカルメは敢えて言わなかった。


「……あと、どちらかの姿を見失ったときは翼を三回、わかるようにバタつかせてくれると助かるな」

「アイヨー。昔ハアタイラガ近ヅイタダケデキャーキャー騒イデタノニ、変ワッタワネーアンタモ」

「えへへ……僕だってあの子たちの先輩だからね」


 はにかんだカルメだが、すぐに切り替えてファミリヤにハンドサインで空へ上がるよう促す。いい加減、フウピリクも喉のダメージをある程度回復した頃だろう。もう声の位置はバレているだろうから慎重に移動を再開する。


 フウピリクが空のファミリヤの動きと相手の位置関係に気付いたのであれば、なまじカルメとの距離が割れている分逃げづらくなる。追い詰める側であるカルメにとってのリスクもあるが、それは承知の上だ。


 仕切り直しとなった草原の決闘場。

 鳥だけが見下ろす盤上で、狩人同士は静かに息を潜める。


 と――ガサガサ、と大きな音がした。

 カルメは瞬時にその音から場所と距離を割り出し、弓を引き絞る。


(喉のダメージで動揺したか! その焦りは迂闊だよ!!)


 これは命中する。そう確信した矢はイメージ通りの軌道をなぞり、遅れて豚のような短い悲鳴が遠くの草むらから響いた。手ごたえあり――カルメはこのまま畳みかける為に敵の場所が見える位置へ移動しようと動く。しかし、その直後、カルメは信じられないものを目にした。


 正確に自分めがけて放たれた六つのブーメランである。


「~~~~~ッ!?」


 躱せないと確信したカルメは弓で矢を放って数個を撃ち落として、残りを自力で躱す。しかし躱しきれずに一発が肩を掠め、皮膚が裂けて出血した。しかも今ので完全に自分の位置を割られた、とカルメは歯噛みする。

 だが、まだ自分が優位の筈だと奮起する。


(タイミング的にたまたま相手もこちらの存在に気付いて攻撃を放ち、その結果として音を出してしまったから僕に気付かれたという順序の筈……ブーメランは時間差で届いただけ! 今が攻め時だ!!)


 動揺を隠して更に進むカルメ。

 しかし、そんなカルメの位置を正確に把握しているかのように更にブーメランが飛来する。ひゅんひゅんと唸る風切り音が今は死神の囁きに見えた。咄嗟に身をよじって躱すが、同時かつ多角的に迫るブーメランはもういつ直撃してもおかしくない。


(なんで!? なんでこっちの場所がバレてるの!?)


 自分が矢で射た場所とは全く違う角度から、時間差攻撃という言葉では片づけられないタイミングで襲い来るブーメランを必死にやり過ごしながら、カルメは困惑の極みにあった。

 今、明らかに別の何者かに捕捉され、攻撃された。


(さっき矢で射たオークは動いていない筈なのに……まさかオークは二匹居たっていうのか!? 二匹ともブーメランの達人!? いや、片方がスポッター!? 確かにアイツが投げてくるブーメランの量は一匹で運搬できる数を超えている。それは、不思議に思っていた……事前に用意していたっていうのも、少し無理がある気がする……)


 一つの疑問から、不意にカルメの頭脳に冷静さが戻る。

 予想外の事態にも柔軟に対応してこそのハンターだ。

 じりじりと音を立てないよう地面を這いながら、精一杯頭を回転させる。


 トーテムたちは主に島の西部で活動しているし、東の民とは今まで接触していない。東の土地は日光を遮るものがなく、オークが住むには少々不向きであることから、頻繁に足を運んでいるとは考えづらい。下手をすれば今回初めて来るのかもしれない。

 この周辺の地理は把握しているようだが、カルメだってこのあたりの地理は一日でおおよそ把握している。自分と同じように地理の認識能力の高いオークなら短期間の偵察である程度は動けるだろう。


(ただ、やはり二匹の投手というのは引っ掛かる気が……)


 オークの中から熟達のブーメラン使いが二匹も出て、二匹とも完璧な連携で互いに互いのブーメランがぶつからないよう長距離投擲をすることなどありえるのだろうか。いや、そもそも二匹いるならば最初に喉に一撃くれてやった段階でもう一匹がこちらを捕捉していないとおかしい。ブーメラン使いはやはり一匹しかいない筈だ。


 岩がごろごろと転がる地帯に隙を見て逃げ込んだカルメ。

 ブーメラン使いも場所を特定できなくなったか、一旦攻撃が止む。


 今のうちにとカルメは傷の手当てをする。出血が相手に位置を知らせてしまう可能性を考え、手早く処理する必要があった。余分な荷物を捨てた際に唯一腰に残したウェストポーチから、植物学者のプファルと現地の戦士たちが渡してくれた薬草を取り出す。

 ここに来るまで何度も見かけ、今まさにこの近くにも点在するバオーブの木の葉だ。

 軽く揉んで傷口に貼り、手持ちの紐で固定する。


(よかった、傷は思ったほど酷くない……戦士たち曰く万能薬草だって言ってたけど、あながち嘘じゃないかもね。葉っぱを貼っただけにしてはしっかり血が止まった)

 

 一息ついたのもつかの間、がさがさと何者かが移動する音が周囲に響いた。

 フウピリクが接近戦に切り替えたのかもしれない。もしオークと接近戦になればカルメの細腕で勝ち目はないだろう。だが、焦りより先にカルメは違和感を抱く。


(追い詰めに来ているとはいえこの音の出し方は露骨だ……私はここですと挨拶してるようなものじゃないか。まさか、囮?)


 頭の中で、情報と情報が繋がり一つの推論が導き出される。

 カルメは音を立てないよう岩の地帯を移動し、先ほどカルメが矢で射た相手を目視できる場所まで移動する。太陽光が反射しないよう布を上にかけて慎重に双眼鏡の片側だけを使って様子を探ったカルメは、息を呑んだ。

 カルメの脳裏で、これまで抱いた多くの疑問が氷解していく。


(そういうことだったのか……じゃあ、今がさがさと移動しているのも!)


 空をちらりと見上げると、こちらに気付いたファミリヤが羽を三回ばたつかせた。どうやらオークを見失ったらしい。しかし、がさがさと音を立てている生物がファミリヤから見えないとは思えない。

 つまり、動いている相手はオークではないのだ。


(だとすれば……考えろ、考えろ、僕ならどこから狙う……相手はどうやって距離を詰めてくる……相手は狩人だ。頭がいい。しかしあくまでオークの狩人。人間の知恵なら対抗のしようもある筈だ……)


 思案を巡らせる中、カルメは不意に足元に生える草に目をつける。

 それは、アルキオニデス島の植生破壊の兆しだとプファルが語っていた毒草だった。


 「素足で踏むと足を齧られたような激痛が身体を蝕む」と現地人に恐れられる植物は、彼らの言葉にちなんで「アシハミソウ」という学名がつけられてるらしい。曰く、実際には痛みではなくかぶれの症状を引き起こす成分が含まれているものの、その濃度がこれまで他の地方で見られたものに比べて非常に濃いことから新種の可能性もあるそうだ。


 カルメは少し考え、厚手の手袋をポーチから取り出した。




 ◇ ◆




 フウピリクは、姿を見せない人間の狩人を静かに待っていた。


 彼――彼女かもしれない――の逃げ込んだ岩石地帯は確かに遮蔽物が多いが、フウピリクは既に理解している。空を飛ぶあの鳥が自分と相手を囲うような円を描いて飛び続けていることを。


 鳥の描く円が、かすかに縮まった。

 つまり、相手が手前へと移動を始めている。


 恐らくあの狩人はこちらの動きを把握しやすいようにと鳥を飛ばしている。人と鳥があのような形で共存しているのは初めて見たが、驚きはしなかった。自分とて別の動物と同じことが出来たのだから、人間に出来ないことはないだろう、と。

 そして今はその鳥のおかげで、狩人の動きを読みやすい。


 狩人の手にかかった囮には気の毒なことをした。

 囮の正体は、人間に獣の化身と呼ばれるコヨテ・トーテムが手懐けたイノシシだ。それをフウピリクは二頭譲り受けて、ブーメランの運搬を手伝わせていた。悲鳴もさぞオークに似ていたことだろう。


 もしあの狩人がこのままあフウピリクのブーメランを恐れて動かないのであれば、イノシシが相手を襲う。足場の悪い岩場な上に、相手はろくな接近武器を持っていない。イノシシでも十分に勝機があるし、逆に無理でも狩人が迎撃すれば必ず気配が漏れる。既に岩の位置や風を読み切ったフウピリクにとって、この状況は王手だった。


 あと少し、あと少し息を潜めれば勝てる。

 そう思った刹那、フウピリクの脇腹に突然の鈍痛が奔った。

 

「グォ……ッ!?」


 馬鹿な、とフウピリクは瞠目する。

 その鈍痛の正体は、草の鎧の間隙を縫った矢の一撃だった。


 ――何故、何故、何故だ!!


 鳥の円周からして、狩人が自分の背後を取るなどありえない。

 それに、イノシシの嗅覚が彼を追っていた筈だ。いくら泥で誤魔化しても、匂いを完全には消せない。いるものと思って探せばイノシシにその片鱗は捉えることが出来たはず。なのに――。


 ――何故お前がこちらの死角にいる、狩人!!


 咄嗟にブーメランを構えるフウピリクに対するカルメの回答は、獲物の命を貫かんとする剛弓の連弾だった。狩人は獲物を前に無駄口を叩かないものだから。

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