第357話 水を差します

 ――少し前、ナルビ村。


 村の入り口付近で、ケベスを暴行した若者の集団が村の周りの外壁を修繕していた。ケベス相手に軽々しく暴力を振るったことや客人に対する礼を失した言動を咎められて、罰として雑用をさせられているのである。


 ナルビ村の外壁は、元々は外壁と呼ぶのも烏滸がましい簡素なものだった。家を作る際に余ったレンガや少々不出来なレンガを寄せ集めて作ったもので、別に村を完全に覆っている訳でもない。それどころか別の場所でレンガが足りなくなったときに失敬する場所だった。

 西と東の関係が悪化した辺りで村の一部の者が大幅に増設したものの、大きくなった分だけ修繕が面倒になっただけであり、今のところ景観が悪くなった以外の効果はない。


「面倒だなぁ。どうせあってもなくても一緒だろうに」

「でも壁が必要だーって言いだしたのは俺らだから……」

「今まで壁の修繕なんてサボってたから知らなかったけど、意外に面倒くさいな。うわっ、なんだこの穴ぼこレンガ……」


 謎の大穴が空いたレンガに若者の一人が顔を顰める。

 穴が空いていれば強度が下がるので、中に土を詰める必要がある。

 なお、彼らは知らないようだが、実はその穴は中に魚が入っていた痕跡だったりする。乾季を耐えるために夏眠という習性を持つ魚が偶然にもレンガの土の中に潜んでおり、雨の日などに湿気を感じて目覚め、外に出たのだ。火を入れず乾燥させただけのレンガならではである。


 外の人間を排斥する割には、地元のこともよく分かっていない。

 彼らは、そんな曖昧な世代だった。


「いつになったら終わるんだよ……」

「なかなか終わらないから罰になるってんだろ……」


 ぐちぐちと文句を垂れつつだらだらとやるので余計に作業が進まない。しかもこの場の全員が外壁の増設はしてもその後の管理は素知らぬ顔をしてきた者ばかりなので、作業の手際も悪かった。

 おまけに何人かの若者は隙を見てさぼりに村を離れる始末だ。

 元は自分たちが原因とは言え、やる気が湧く筈もない。


「ところで俺、王国人の女は初めて見たんだが……肌が白いなぁ~。すごくきれいに見えたなぁ~。顔もなんか島の女とは違うっていうかさぁ」

「おい、女だろうが王国人だぞ!! 悪魔だぞ!!」

「そんなこと言ってもよぉ。男と女がいれば生まれるものがあるだろぉ?」

「全く嘆かわしい……トゥルカの硬派さを見習えんのか!」

「トゥルカねぇ……でもあの人、俺たちと同じ扱いされるとすげぇ嫌な顔するし、俺たちのやるって言ったことに協力すること殆どねぇよなぁ。狩りが終わってもすぐに家に帰っちまうし」

「あの人の母親、娘と旦那が西に行っちまってからちょっとおかしくなっちまったらしいからなぁ。心配なんだろ。自分で怒鳴った後に泣きながら謝ったりするんだってよ」

「え、本当かそれ?」


 トゥルカとその母親は、村の中では余り話題に上がらない。

 というのも、元は西から移り住んだ住民なのでよく知らないのだ。

 誰も積極的に話に挙げようとしないから、ほんの噂程度しか耳に入らない。


「新しい旦那さんと結婚する話も断ってるっていうし……」

「それを言えば嫁を貰うのをわざわざ断った人もいるだろ。船頭のバウ」

「ありゃあれでいいだろ。どうせ余所者だし」

「おい。あの人を悪く言うな。薬貰って助かってんのは俺らだぞ」

「う、うるせぇなぁ――ん? なんか……聞こえないか?」


 痛い所を突かれて悪態を漏らした若者の一人が、ふと周囲を見回す。

 作業の手を止める口実を探していた若者たちが追従するように手を止め、耳を澄ませる。確かに彼の言う通り、なにか日常ではない音が聞こえた気がした。


 彼らは遮蔽物や雑音の少ない場所で生きているためか、実は王国の人間より目や耳が鋭い。そんな彼らだからこそ、敏感にその変化を感じ取れた。

 音は次第に鮮明になり、遠くから近づく幾つかの悲鳴と大地を蹴る音へと変わる。

 走って村に近づいてくるのは、塀の修繕をさぼった若者たち。


「にっ、逃げろぉぉぉぉぉぉッ!!」

「ばっ、ばばっ、化け物だぁぁぁぁぁぁッ!!」


 泣き叫ぶ彼らの背後から、紅蓮と黒煙が立ち上る。

 それは、大いなる災いの前触れであった。




 ◇ ◆




 村で起こした騒動のせいで出動した騎士団たちの帰りを待ち続けるケベスとネージュ他数名は、サマルネスより調査を早めに切り上げる旨の通達をファミリヤを通して受け取る。同時に島の西部で起きた出来事も確認し、他の待機騎士と共に神妙な顔をした。


「なんか、今回やばくね?」

「せめて今回の件がもっと早く明るみに出ていれば……なんて言ったところで栓無き事よね」

「ネジネジしてて何に使うか分かんないよね最初。キュポンって抜くとき気持ちいいけど」

「それは栓抜き」

「こうね、チュイーンってなるよね。円盤の上に火花が散って」

「それは研磨機」

「すっげーネージュ! 研磨機なんて国内じゃ研究院の整備室くらいにしか置いてないのによく知ってたな!!」

「あんたと一緒に見学に行ったときに「これなに? 大昔のお金製造機?」とか馬鹿なこと言って苦笑いで解説されたでしょーが」

「そうだっけ?」

「あんまりふざけてると耳から栓抜き捻じ込んで顔面研磨するわよ。今よりハンサムになるかもしれないし」


 相変わらずのボケを飛ばすケベスに口元をひくつかせるネージュ。

 今日はヴァルナの命令のせいでどんなにボケられても突っ込めない。


 しかし、緊張感が和らいだところで、突然一人が目の色を変えて耳と舌を動かし、起き上がる。

 それは、アルキオニデス島に同行していたナーガのくるるんだ。東側の多湿な環境や海の潮の香りに酔ったりして機嫌が悪いので待機に回されていたくるるんは、しゅるしゅると蛇の尾を鳴らして窓の外に顔を近づけ、床に尻尾をぱしん! と叩きつけた。


「くるるる、なにかくる!! へたれの悲鳴、おおきな生き物、敵意、油と煙のニオイ!!」

「!!」

 

 騎士団全員が顔色を変えて装備片手に立ち上がる。過酷な自然環境に馴染み、人を超える五感を持つくるるんが「敵意」と断言する以上、無視はできない。


「くそ、てっきりオークは全部西にいるんだと……!」

「いいえ、オークだと決まった訳じゃない。とにかく確認を!」

「信号弾の用意忘れんなよ! 必要なら住民を避難させるかんな!!」


 騎士たちは一斉に立ち上がり、建物を出てくるるんの先導に従う。


「距離はどれくらいだ、くるるん!」

「近い!! 風下から近づいてきたんだとおもう!!」


 駆け出す騎士たちだったが、目的地は拍子抜けにもすぐ発見された。何故なら、火の手が上がり、煙がもうもうと立ち上っているのが目視で確認できたからだ。くるるんはそちらを指さす。


「あっちにいる!! もえてるとこ!!」

「燃えてるって、待て待て!! そんじゃあ敵は火を噴くタイプの魔物かよ!?」

「いや、それなら油のニオイがしたってのが解せん。そしてオークは人の真似が出来る……」

「ちょっと、まさか!?」


 その場の騎士全員の背筋に悪寒が奔る。

 彼らの脳裏に過ぎった嫌な予感は、村の入り口で現実となって出現した。


 燃える草木。悲鳴を上げて逃げ惑う、入り口付近に屯した若者たち。その一部は負傷し、火傷している。そして彼らの逃げてきた先に堂々と姿を晒す巨体に、全員が固唾を飲んだ。


 身長三メートル弱。

 緑の肌、醜悪な顔面、口から突き出る牙。


「オーク確認……したく、なかったな正直」

「この主力が欠けてるときに、見透かしたように……!!」


 確かにヴァルナから西にもオークがいる可能性は報告で示唆されていたが、いざ対面すると絶望感さえある。平均的なオークなら多少数がいてもどうにかするが、ボス級となると話が変わってくる。


 報告にあったオークより若干体躯は小さいが、それでも三メートル級という時点で十分すぎる戦闘力だ。しかも、このオークは筋肉がよりアスリート的であり無駄に肥大化した部分がないことが、その個体の敏捷性を暗示している。

 そしてオークの両手には、布を巻きつけられ、燃え盛る二振りの棍棒があった。


「ブグゥゥゥ……オォォォァアアアアアアアアアアッ!!」


 燃え盛る炎を心にまで宿したかのような激しい咆哮に、騎士団が後ずさる。


 この世界で火を武器として使う生物は非常に少ない。

 その中でもブレスなどの魔法攻撃手段ではなく文化として火を扱えるのは、この世界では人間だけと言われてきた。火を制するは英知を持つ者の証とさえされてきた。


 しかし、このオークはどうだ。

 腰にぶら下げた火打石、油を染み込ませているであろう布に包んだ棍棒、油を中に溜めているであろう瓢箪。そして、報告にあったオークと違って、このオークは草の鎧を身に着けていない。その装いは、その行動は、火の扱いを知る者のそれだった。


 火を司るトーテム――イーシュジニ・トーテム。

 生物に本能的恐怖を抱かせる炎を使いこなし、己の手に掌握する者。

 騎士たちは、祈るように上空に信号弾を打ち上げた。


 そこから先は、お世辞にも戦いとは呼べないものだった。

 剣を扱う剣士は即座に村の人間に避難を呼びかけるも、聞き入れようとしない住民もいて悪戦苦闘。その間になんとかイーシュジニ・トーテムを倒そうとする騎士たちも翻弄される。イーシュジニが棍棒を振るうたびに虚空を紅蓮が踊り、その熱に慄いた騎士たちの足が止めさせられる。


「フゥッ、フゥッ、ブアアアアアアアアッ!!」


 両手の棍棒を軽々と振り回し炎に照らされるイーシュジニには一種の美しささえある。しかし、その美しさに魅入られた者は炎に焦がされる、恐ろしき美だ。


「ファイアダンスかよ……うわっ!?」


 何とか隙を突いて仕留めようとするも、イーシュジニは機敏な動きでそれを躱し、棍棒で槍を叩き落とした。如何に頑丈な騎士団の槍でも、オークの扱う棍棒の質量に勝つことは出来ない。合間を割いて投げナイフや矢も試すが、踊るような不規則な動きに翻弄されて当たらない。


 不意に、イーシュジニが急加速して棍棒を下から掬い上げる。

 棍棒の狙う先は、ネージュだ。


「しまっ――」

「うおりゃあああああああッ!!」


 躱しきれないと悟った瞬間、ケベスがネージュを抱きしめる形で飛びついてぎりぎりで躱す。そのままゴロゴロと転がる二人に容赦なく追撃をしようとするイーシュジニだが、そこは連携の取れた騎士団だけあり、即座に妨害が入った。


「いててて……無事かネージュ!!」

「う、うん……ケベスは?」

「背中若干掠ったけどギリセーフ!!」


 不敵ににやっと笑ったケベスに、ネージュは不覚にも彼を頼もしく思った。

 だが、二人が戦線を離れればその分他の負担が増える。ともかく村に駐留している騎士メンバーでは決定打に欠ける以上、サマルネスの部隊が信号弾を頼りに早めに駆けつけてくれるのを祈るほかない。


「でも不味いな。サマルネスが戻るまで持たないかもしれねーぞ」

「ええ……珍しく同意。この場にはボスオークとの交戦経験がある人が少ないし、それにあれは別格な感じが……」

「――ふむ。では、護衛の仕事を請け負う時のようだな」


 不意に――その場の全員が、更にはイーシュジニさえもが、その透き通った声に足を止める。


 頭に被った帽子ノンラーの縁を親指で少しだけ持ち上げたその男は、この状況に一糸の乱れすら見せずに水の滴る大きなオールを逆手に握る。誰も声をかけることが出来ない程の強烈な存在感を纏った男の体がすぅっと沈み、次の瞬間、オールを構えたままダァンッ!! と地面が罅割れる程の踏み込みでイーシュジニを射程圏内に収めた。


「ぬゥんッ!!」


 瞬間、二メートル近くあるオールが氣を纏って下からの斬り上げで虚空を両断した。

 一瞬遅れ、大地の砂煙がボウッ、と空に立ち上る。


 余りの迫力からイーシュジニに直撃した錯覚を覚えた目撃者たちだが、実際にはイーシュジニは直前で背後に全力で跳躍したために直撃はしなかった。


 しかし、オールの一撃の威力が余りにも凄まじかった証拠のように、両手に握る棍棒とイーシュジニの肉体には抉れるような傷跡が出来ていた。息を荒くするイーシュジニに睨みつけられた男――船頭のバウは、オールを槍のように構え、目を細める。


「その執念、唯事ではないのだろう。しかし誰しも譲れぬ道がある。これより――邪魔をするぞ」


 凪の水面の如く静かな目が、燃え盛る炎の化身を見据えていた。

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