第355話 それぞれの仕事です
今、六人の人間が一人のハルピーの力で空を飛んでいる。
自分の肉体の質量を遥かに超えた物質を、複数同時に安定して飛行させる――その能力の破格さが伝わるだろうか。そして、それを為しているのがまだ子供のハルピーであるということの意味が、伝わるだろうか。
極めて単純な話をすれば、ハルピーは六人の人間を同時に落下死させる能力がある。吹き飛ばすだけならもっと大人数を殺傷できるだろう。無表情で空を飛び続けるぴろろに、ここにいる全員が命を握られているのだ。
キャリバンはそんなことは気にせず人生初の空の眺めを楽しんでいる。
「うっわーすげぇ……下に置いてきた連中が豆粒みてぇ。先輩は確かワイバーンで一回空飛んだんっすよね? いいなぁ、二回目で」
「おまえ、この状況でよくそんな余裕あるな。落下死の可能性とか考えないのか?」
「え? ぴろろの話っすか? だって今気にしてもしょうがないでしょ、俺にはどうにもできないし。先輩なら何とかなるかもしれないすけど」
「俺に飛べと?」
「やれるやれる、気持ちの問題」
「気持ちで空が飛べるかぁっ!」
とは言ってみたものの、十二の型異伝・
「まぁまぁ。さっきの話っすけど……別にファミリヤも野生動物も人間も、なにかの拍子に人を傷つけたり殺してしまう可能性はなくならない訳で、その中で多分大丈夫だろうってラインでみんな生きてる訳です。先輩の乗ったワイバーンもぴろろも同じですよ」
「そういうもんかぁ? 分かるような分からんような……」
少なくとも俺には絶大な力を秘めたぴろろとその辺の鳥を同列に扱えそうにはない。そして、幼体ハルピーがこれなら成体ハルピーの戦闘力はすさまじいだろうな、と思う。もし群れで襲われたりでもしたら人里は為す術なく阿鼻叫喚だ。
先ほどのリンダ教授の念を押しまくった忠告を思い出す。
結局、何かあればその都度誠実に対応するのが一番。
そう考えれば、人間とやることは確かに余り変わりないのかもしれない。
ちらりと他を見ると、ムームーは飛行体験に純粋な感動を覚えてずっと「わぁぁーーー!」とか「うおぉぉぉーーー!」とか叫んでいる。シャーナはそんな弟が余計なことをして怪我の一つでもしないか心配でしょうがないのか、景色を楽しむ余裕はなさそうだ。いいお姉ちゃんだなぁ。俺にもお姉ちゃんいたらあんな感じで心配されたのかなぁ。
……されない気がするのは何故だろう。
割り込みでやってきたトゥルカはというと、時折地上を見ては目を瞑ってを繰り返し、全く姿勢を崩さない。あれは冷静なのか、それとも「見ても平気かなぁ……うわ高っやっぱ怖っ!! 目ぇ閉じよう……」を繰り返してるのだろうか。後者だったら彼への好感度がちょっと上がるかもしれない。
と、リンダ教授が声を上げる。
「見えてきた。ミノアの地」
つられて進行方向を見ると、そこには遥かな台地の上に広がる広大な自然があった。
余りにも雄大な光景に、思わず言葉が漏れる。
「これが精霊の住まう聖なる台地……ミノア」
人を寄せ付けるのを拒絶する崖の上――確かにそこには、なにか人知を超えた存在がいても不思議には思わない。台地の上に自生する植物は東部とも西部とも異なり、美しい草木が延々と広がる様は確かに聖地と呼ぶに相応しい。シャルメシア湿地のように、人の手が一切入っていないが故の自然の美しさがそこにあった。
そして目撃者は、大地の中でも更に少し高い丘のような場所にのみ、自然にさり気なく溶け込むような木造の建築物が存在していることに気付く。ぴろろがそこを両手の指で指した。
「あそこ、ハルピーたちのべっそうね。あー、ちかれたー」
「お疲れさん。あともうちょいだ」
ぴろろを労わるキャリバンの言葉にはっとする。
相変わらず無表情なぴろろだが、その顔には微かな疲労が見て取れる。如何に人知を超えた風を操るハルピーでも、この人数を安定して飛ばし続けるのは重労働だったらしい。俺は自分の高度ばかりに目が行ってぴろろの事をきちんと見ていなかった自分を恥じた。
(リンダ教授が
あっという間にハルピーの別荘近くの開けた場所に着地すると同時に、ぴろろがキャリバンに凭れ掛かった。リンダが水筒の水をコップに注いで差し出すと、ぴろろは美味しそうにこくこくと少量ずつ飲みだす。
「腹減ってるならおやつもあるぞー……ところでぴろろ。お前、俺の頭に乗ってたときより重くない?」
「ん? ……ハルピーはいつもからだにかぜをまとってる。おもみをけいげんして、とまりぎにふたんをかけないのだ。あたいくらいのおおきさのせいぶつがかるくてなかみスカスカなわけないだろ」
「遠回しにお前の頭がスカスカだと言われた気がする……」
「スカスカなのか? きのみたべるといいぞ。ハルピーはかんがえごとするときはきのみたべるから、きっとのうみそおおきくなる」
不毛な会話はさておき、俺は別荘から数体のハルピーが近づいてくるのを確認する。警戒心らしいものはなく、むしろ興味本位が勝った目をしていた。
「おお、にんげんだぞー」
「あいつもかえってきたなぁ」
「なんだなんだ、のりやすそうなあたまがふたつもあるぞ」
全体で五人程度だろうか。皆緊張感がなく、ぴろろ同様表情の変化が少ない。皆ぴろろより体は大きく、掃除用のハタキに、頭は三角巾まで装備している。由緒正しすぎて逆にあまり見かけない掃除スタイルである。
じゃあ今風掃除スタイルって何だよと言われると答えに窮するが。他人が掃除するところなんて、同僚以外は王宮のメイドたちくらいしか見ないし。
「初めまして。自分は王立外来危険種対策騎士団所属、騎士ヴァルナ・イセガミです」
「うむ、オウリツガイラ……長くて忘れたからナでいいか?」
「知ってた、こうなるの」
彼らの民族性を垣間見た瞬間であった。
やばい、このままだと国王イヴァールト六世を「い」って略すぞこいつら。
◇ ◆
初の異文化コミュニケーションは大体苦労する。
まず、ハルピーの全員が自分の名前を覚えておらず、不便すぎるのでリンダ教授がその場で全員に名前を付けるという珍事が発生した。
ぴろろの父はチュン、母はカァ、兄はホケキョ、親戚の若いハルピーはグワ。いい加減過ぎて思わずちょっと笑ったら、キャリバンに「五十歩百歩っすからね」と念を押された。そんなに酷いだろうか、俺のネーミングセンス。
とはいえ、ハルピーがヴィーラやナーガと違い人語を完全に使いこなせたのは僥倖だった。おかげで想像していたよりはスムーズに会話が進んだ。
ハルピー代表として話を聞いたカァはうんうんと頷く。
ぴろろの家族はカカァ天下らしい。
そこまで見切ってのカァの名前だったのだろうか。
「ふむ……騎士は今急いでて、むしゃ、仲間の為にオークたちを倒したいと、もぐ。それで出来れば西の方に自分を運んでほしいんですね」
木の実をぽりぽり食べながらはきはき喋るカァ。
ちなみに木の実の補充をやめるとさっきのゆるい喋り方に戻るので、この行儀の悪さには目を瞑るしかない。普段どれだけ脳に栄養を回していないのだろうか。それともこの木の実は食べると知能が上がるのか。
「望みはそれだけですか?」
「他にもありますが、それは後で落ち着いたら改めて話したい」
「ふーん……ごくん。もぐ……まぁいいですよ。あのオークたちとは互いに干渉しないと約束しましたが、運ぶだけくらいなら。でもオークを探して見つけたり援護したりは、しゃく、しません」
「十分です」
「お礼に王国本土の美味しいものをくださいね」
「ええ、それくらいなら――」
了承しようとした刹那、リンダ教授が割り込んでくる。
「一運びに付き一人一食。おかわりなし」
「ああ……あー、そういえば条件を忘れてましたね。これはうっかり。前にも似たような約束をしたとき、ハルピー全員がおかわり自由で食べられると思って大挙して人里に押し寄せたのち、約束を破ったと暴れた同胞がいましたし」
「えぇ……怖っ……」
リンダ教授がした警告の意味がとてもよく分かる。
危うく自らの手で騎士団にとどめを刺すところだった俺は震えた。
ムームーは話に納得できないのか首を傾げている。
「働いた分だけ食べるのがふつうだぞ。暴れた精霊様、なんかヘンだ!」
「む、ムームー!! 精霊様になんてことを!?」
ムームーの理論は大体の社会で通用する理屈だが、精霊の言葉を否定する形になったことにシャーナが慌てる。しかし、そもそも自分たちが人にどう扱われているかに無頓着なハルピーたちは気にしない。
「みんながみんな暴れた訳じゃないよ。そのときのは不幸なすれ違いだったの。約束を細かく決めなかったこちらも悪かったわ。ただ、人間側も随分美味しいものをけちな出し方をしてたから……もぐもぐ」
カァの商人並に利己的な部分が垣間見えたが、それも高い知能ゆえだろう。
しかし複雑な約束はしないようなので、ハルピーの気性を理解していればきちんと付き合いが出来なくもなさそうだ。ただし一切約束の取り決めに気を抜けないが。リップサービスも本気にされそうである。具体的には「まぁまぁそう言わず、お茶でも飲んでいってください」と言ったら家に上がり込んで家の茶葉がなくなるまでお茶を飲みそうだ。
食料が豊富とは言い難い外対騎士団にとって最も苦しいウィークポイントは、守り抜かなければなるまい。
さて、無駄話はここまでだ。
俺はキャリバン達の方を向く。
「キャリバン、ここはお前に任せる。彼らとのコミュニケーションはお前の方が適任だろうしな。森の環境破壊のこと、それにハルピーがどんな立場を取っているか、オークがいつからいたのか……状況確認をしといてくれ。俺はこのまま西の本隊への合流を図る」
「了解っす。先輩に限って万一はないと思いたいっすけど、ご武運を」
真面目な顔で敬礼する後輩に敬礼で返し、俺はハルピーの別荘に背を向ける。
しかし、その足はぴたりと止まった
「先輩……?」
「この展開は予想してなかったな……」
微かに、しかし明確にこちらを見つめる気配。
しかも、これは俺が気付くようにわざと差し向けている。
気配の先を辿ると、そこには辛うじて見える、人と呼ぶには大きすぎる影があった。影はこちらを見るやすぐに台地の奥に遠のいていく。俺は剣に手を当て、俺を運ぶ予定だったぴろろの父チュンに声をかける。
「すまない、約束の前にやらなきゃならんことができた」
「そのようだねぇ。かれもりちぎだよ。はるぴーのなわばりをおかさないぎりぎりのばしょだ」
肩をすくめるチュンに会釈して、俺は走り出す。
ミノアの地は高度が高いため普段と気圧が違う。全力では走らず、しかしあの影を見失わない程度には加速しながら肺を慣れさせる。神秘的な台地が今は不気味に見える。この先で起きるであろう出来事を察して身を潜めているかのようだ。
段々と行先に樹木や岩がなくなっていき、やがて辿り着いた場所に、それはいた。
「……」
「……」
それは、オークだった。
ただ、その肉体は標準的なオークとは違う。
巌のような筋肉は肥大化しながらも一種のスマートさを感じさせる形まで絞りこまれ、身体のあちこちを竹や藁などを編んで作った藤甲のような鎧で包んでいる。頭部は嘗て人間が使っていたボロボロの兜を嵌め、手には一メートル以上ある何かの骨らしきものを加工して両端に包丁のような刃を括りつけた、見たことのない武器を持っている。
両端に刃のついた槍のようにも見えるため、双刃槍と仮称する。
体躯は平均的なボスオークを上回る三メートル半。
体中に刻まれた古傷は、これまで厳しい環境を生き抜いてきた証だ。
森で目撃されたという二個体とは特徴が一致しないため、別のトーテムセブンだろう。
狩り獣のダッバートと比べると、何もかもが違う。
あれは人をいたぶるとか食料が欲しいとか縄張り争いをする目ではない。
とうの昔に腹を据え、生存か死か二者択一の戦いに挑む――あれは、戦士の目だ。
何よりもその体から、今にも溢れ出んばかりの氣が漏れ出ている。
周囲には遮蔽物も碌になく、一度足を踏み外せばただ落ちるのみの断崖。
見通しが良く、誰にも邪魔される余地がない。
どうやらこのオークは、魔物の癖に決闘をするらしい。
と――島の西部から信号弾が二発、東から信号弾が二発発射された。
オークと接敵したことを知らせるものだ。
島で最も高い場所だからか、その位置までよく見えた。
「人間の連携を断って少しでも有効なダメージを与えるために、同時多発的に襲撃か……ここまで綺麗に決めてくるとは、悪夢でも見てる気分だよ」
遅かった、と歯噛みする。
しかも、方角からして東のカルメたちとナルビ村まで襲撃されている。
これ以上時間をかけられないと悟った俺は無言で剣を抜き、オークも武器を構える。信号弾が上がった以上、そこには仲間の騎士団員がいるということでもある。皆を信じて、俺は俺の為すことに全力で取り組むしかない。
「騎士ヴァルナ、これより王立外来危険種対策騎士団の権限によって任務を遂行する!」
「ブゴォォォォォォォッ!!」
晴天の下に煌めく二つの白刃。
刃と刃が交錯し、剥き出しの凶暴な二つの気迫が風と共に吹き荒れた。
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