第354話 遠のいていきます

 鳥という動物には、空を飛ぶという一つの目的に特化した美しさがある。

 風を切るためのフォルム、空力を得るための翼、規則正しくずらりと並ぶ羽。その全てが洗練されている。

 あるいは、人は己に実現できない『空を飛ぶ』という力に羨望すればこそ、鳥を美しく思うのかもしれない。


 では、今目の前にいる存在はどうだろう。


 頭部には髪と翼が融合したような器官が広がったり折りたたまったりを繰り返す。骨格等は人と大差ないが、膝から下辺りは鳥に比較的近い。体の節々は毛とも羽とも判別しづらいもので覆われているが、身体の殆どが人と同じく肌が露出しており、露出を隠すように茶色を基調とした服を着ている。体のラインに合わせて何枚もの布を継ぎはぎして作ったかのようなその服は、微かな風をも捉えてあちこちがひらひらと揺れていた。


 一言でいえば、絵本から抜け出してきたような幻想的な存在に見える。

 同じく幻想的なヴィーラやナーガを想起させる知性を湛えた瞳がこちらを覗き込む。


「きょうみシンシンだな、にんげんよ」

「そりゃ初めてお目にかかるものな……俺は王立外来危険種対策騎士団所属、騎士ヴァルナ・イセガミだ。よろしく」

「わかった、オウリツガイラ……長くて忘れたからナでいいか?」

「せめてヴァルナにしてくれ。人生で初めて名前を一文字に圧縮されたぞ」

「よろしく、ヴァ……ヴァ……忘れた。ナでいいか?」

「できれば頑張って覚えてくれ。ヴァルナだ」


 もしかして嫌われているのだろうかとも思ったが、案外鳥頭という身も蓋もないオチかもしれない。差し出されて握手した彼女の手は小さくて柔らかかった。


「あたいのなまえは……なんだっけ」

「自分の名前さえ!?」

「だって。よぉ、とか、おい、とかでだいたいつうじるから、なまえなんていらなくない?」

「あるなら覚えときなよ! 確かに通じるけどもッ!!」


 本気で思い出せないのか若干人では曲がらない角度に首を捻って考える鳥人間は、どう見ても魔物だ。その頭部はがっちりとキャリバンの頭を捕らえている。冷静に考えたら後輩の命が危険だが、猫のように鉤爪を収納できるのか頭に爪は刺さっていない。


「今更ながら頭大丈夫か、キャリバン?」

「今の今まで俺を無視して漸くの第一声がそれっすか……意外なくらい軽いし、これくらい平気っす。それで、一応報告していいですか。先輩が西からの報告を読んでる間に起きたことについて」

「おう、頼む」

「うーん、なまえ~……なまえ~……ぴろろろろろ……」

(さり気に綺麗な鳴き声だったので、愛称はぴろろで決定だな)

(またこの人ひねりもセンスもゼロな仇名つけた気がする……)


 部下に内心でディスられた気がした。




 ◇ ◆




 最近頻繁に時間が遡るが、事の起こりは数分前。

 ヴァルナが書に夢中になっていて暇の出来たリンダ教授がきっかけだった。


「ファミリヤの子に調査してもらう。台地に入ってはいけないのは人間なのでしょ?」

「確かに……鳥まで行っちゃいけないルールは流石にないでしょうしね」


 もちろん巫子扱いのリンダも登って怒られることはないだろうが、台地の上へと続く道が修験道もかくやという険しすぎる道のようなのでファミリヤが行った方が遥かに早い。空を飛んでいたファミリヤを呼んだリンダは事情を話し、お願いをする。


「いい?」

「リョーカーイ!」


 ファミリヤたちは外対騎士団所属扱いなので主人はキャリバンなのだが、それでも自然にお願いをして承諾を得られるのは流石リンダといったところだろう。鳥の頭部をかりかりと爪で掻いてあげるとファミリヤはうっとりしていた。


 彼女がファミリヤの留まる手をダンス相手の手を取るように恭しく持ち上げると、ファミリヤは次の瞬間ばさりと羽ばたいて蒼穹へと飛翔していった。その姿は数分で見えなくなる。


 ナルビ村の戦士たちはといえば、鳥と心を通わせるリンダの行動が神話の再現に見えたのか、彼女の一挙手一投足に釘付けだ。特に男性は頬をほのかに朱に染めており、すっかり彼女の虜になりつつある。

 ただし、純粋な羨望の眼差しを向けるムームーと、不気味なほど物静かなトゥルカは例外だが。


 しかし、ヴァルナを除くその場の全員の視線は、次の瞬間には別の存在に釘付けにされる。


 ばさり、と空から何かが羽ばたく音がする。

 それは太陽を背にするように優美に、神々しく、ファミリヤを引き連れて降りてくる。やがて地表に近づいてきた頃になって、それの周囲に纏わりつく風の質が変わり、その姿がはっきりと見える形でゆるりと降りてくる。


 人間と鳥が融合したような、あり得ない姿。

 女性的な体と無垢な顔。

 戦士たちは直感的に思った――あれこそが精霊だと。


 そして精霊はふわりと、極めて自然に、キャリバンの頭頂部に着地した。


「なんでッ!?」

「おまえ、のりやすいあたましてるから」

「精霊!! ねーちゃん、本物の精霊だ!!」

「ばっ、ばか者! 指をさすな、頭を下げろ!!」

「精霊……違う」


 リンダは弟子の頭頂部に降り立った存在を注意深く観察し、答えを導き出す。


「貴方は、ハルピーね」

「そうだ。おまえはかしこいにんげんだな」


 鳥のような少女――ハルピーは、特に感情の起伏を感じさせない平坦な声で肯定した。




 ◇ ◆




 ハルピーといえば、魔物図鑑で概要くらいは読んだことがある。

 鳥の特徴を色濃く残す亜人タイプの魔物であり、その生態は数多い魔物の中でも特に謎に包まれている。人間を積極的に襲うタイプではないために、大陸ギルドでの危険度は情報不足につき未知数扱い。目撃証言は殆どが偶発的な遭遇であり、人語を解するという部分だけは確かなものの、姿かたちは遭遇者によって印象がまちまちだ。


 唯一の手掛かりは各地に散見される眉唾物の伝承程度で、伝承には人に友好的とも、邪悪な凶鳥とも、或いは精霊とも伝えられている。

 よって、ハルピーが有害鳥獣の仲間かどうかは現時点で判別は出来ない。

 ただ、記憶力は怪しいものの話は通じるようだ。


 俺はリンダ教授にすぐに助けを求めることにした。


「リンダ教授。ハルピーがどのような存在なのか、どう接するべきか、貴方の知恵を借りたい」


 瞬間、リンダ教授の目がぎょろりとこちらを向く。

 一瞬怒らせたかと思ったが、その予想は即座に裏切られた。


「ハルピーは彼らが自ら名乗っている種族名で見ての通り飛行能力が高い知能も高く風魔法を操る術に長け独自の文化を持っていて記憶の仕方が独特で細かな名詞をあまり覚えない代わりに約束事を特に大事にする。成長するとサイズは人間と同程度になり基本は群れで行動し各地を転々と移動しているため同じ場所に留まるのは長くて三か月程度と考えられている。高い場所を好む食事は雑食で木の実や虫、魚を主とし肉はそれほど好まない。ちなみにこれは今の魔物学における最新の見解を基にしているから確定の情報ではない」


 極めて早口、かつほぼ息継ぎの間がないマシンガントークに、俺は圧倒された。何とか言葉を聞き逃すまいと頭をフル回転させているが、言葉に区切りがないため半分以上が記憶に留めきれず流出してしまう。

 キャリバンが「師匠、師匠」と肩をちょんちょん触ると、そこでリンダ教授はやっと一息つき、真剣なまなざしでこちらを睨む。


「その気性は――友好的、かつ、危険。くれぐれも彼らに虚言や安易な約束をしてはならない。最大限に気を付け、敬意を払い、広い視野で言葉を選ぶこと」

「友好的かつ危険……?」


 一聴して矛盾したような特徴だ。

 或いは騎士団で偶に出回る娯楽小説に出てくる、病んだ愛の持ち主だろうか。

 自分の伝えたいことが伝達できていないと判断したリンダ教授は、若干の苛立ちを隠さずに説明する。


「ハルピーは友好的な種族。だから昔の人はハルピーを利用しようとした。でもハルピーは絶対に裏切りを許さない。命を奪うまではせずとも必ず報いを受けさせる。そして彼らにとって約束はその場しのぎの口約束であろうとも人間の想像以上に重い。彼らを凶鳥と伝える伝承は、彼らの信頼や約束を裏切った報いを受けた人間が遺したものと考えられる。だから、絶対に、彼らを、裏切ったり、利用しようと、考えないこと……!!」


 一言一言に念を入れてこちらを指さしながら言い切った教授は、その人差し指をそのまま俺の胸に鋭く突き当てる。押し殺した声に込められた強烈な気迫に、騎士団の全員が反射的に敬礼で了承の意を示す。


 周囲の様子を見たリンダ教授はふう、と息をつき、改めてハルピーとそれに足蹴にされる不肖にして期待の弟子の方へと顔を向ける。


「おっかないおんなだな、おまえのセンセイ」

「大丈夫大丈夫、ちょっと感情のアクセルとブレーキがピーキーなだけだって」

「そうなのか。じゃあふつうだな」

「そうそう、普通普通」


 訳の分からん未知の生物にいつ鋭い爪を突き刺されてもおかしくない状況で、特に気負った様子もなく会話するキャリバン。俺からすれば若干不安な状況だが、今まで数多くの鳥に頭にのしかかられた彼からすれば平気なようだ。

 考えてみればみゅんみゅんの機嫌を損ねれば水をぶっかけられ、くるるんの機嫌を損ねては尻尾でべちべち叩かれても、彼はそれを恐れはしなかった。今更ハルピーできゃあきゃあ喚くほど初心ではないのだろう。


 そんな危機感のない弟子にすっと目を細めたリンダ教授は、突然ハンカチを取り出して目を拭い始めた。


「弟子が……弟子の成長が著しい……初対面の種族をいつでも受け入れられる土台が完成している……えらいからいいこいいこしたいのに、ハルピーがいるから今は出来ない……あとでいっぱい、いいこいいこしてあげるからね、キャリバン」

「えっ、あっ、ああー……」


 キャリバンの視線が周囲に映る。

 お前こんな美人にいいこいいこして貰ってんのかよ、という侮蔑、嫉妬、或いは微笑ましいものを見るような生暖かい視線が降り注いでいる。それらを確認したキャリバンは最早誤魔化しは意味がないと悟る。


「まぁ、なんです。まだハルピーのことをきちんと確かめないうちから褒められる訳にも行かないっすよ」

「けんきょだな、おまえ。よし、あたいがなでなでしてやる」


 おかしい。つい数分前まで逼迫した雰囲気だった筈なのだが。

 俺の疑問を代弁するかのように、カルメが一言ぽつりと漏らす。


「なんなんですかこの空気は……」


 それからハルピーことぴろろから話を聞けたのは数分後のこと。

 結局自分の名前を思い出せなかったハルピーは仇名のぴろろを「いいなそれ、おぼえやすそう」とあっさり受け入れた。そして自分が台地の上に住んでいることと、ファミリヤに出会って下の人間に興味が湧いたから降りてきたこと、そしてキャリバンの頭が実に座りやすいことを語った。最後の情報別にいらんけど。


「てか、もしかしてアルキオニデス島の先住民の頭をみだりに触ってはいけない理由って、ハルピーがいつでも着地できるように精霊の止まり場所を空けておく的なものだったのか……?」


 俺のふとした疑問に、カルメも得心する。


「ああ、それが色々曲解したりして頭をみだりに触るなというルールになったと……シャーナさん、実際はどうなんですか?」

「人の頭上は精霊から最もよく見える場所、と言い伝えられている。だとすれば、もしかしたら初代巫子も『乗りやすい頭』だったのかもしれんな」


 シャーナの視線の先では、キャリバンからリンダの頭に移ったぴろろの姿があった。


「おお、おまえもなかなかいいぞ。しかしあたまのうえではなでなでしてもらえないから、やっぱりのるならだな」

「それもしかしてキャリバンのか!? それならもう『おまえ』のがマシだぞ……」

「じゃあおまえでいくか」


 がっくり肩を落とすキャリバンの頭上にふわっと移動したぴろろは、しかし暢気なようでこちらの話も理解していた。


「にんげん、おまえたちのはなしはわかった。にんげんたちのハンブンが、われらのせんぞとのやくそくをやぶろうとしている。そうだな」


 一応はこの場のリーダーたる俺にぴろろは確認を取ってくる。


「ああ、むしろ既に破っているとも言える」

「そうか。いそがしいからそこまでみてなかった。あとでかくにんする」

「アバウトだなおい」


 島の自然の全てを司るかのように伝えられる精霊と目の前のハルピーは、符合する点もあれば違う点もある。


「あたいはくわしくはしらんが、オオムカシににんげんとやくそくしたのはしってる。でもわれらハルピーはかぜのむくままきのむくまま、いくつかのベッソウをうつりすんでセーカツしている。ここにまえにいたのはにんげんのとしつきでジュウネンマエ。しかも、いまこっちにきてるハルピーはこれからひさびさにこのしまのベッソウをつかうから、そのまえじゅんびをするかかりだ。そうじにいそがしくて、もりにはちょっとしかいってない」

「……まぁ、確かに空からぱっと見ただけじゃ分かりづらいかもしれんが」


 最も自然界に敏感そうな存在が実は一番鈍感で、ナルビ村の戦士たちが物凄く微妙な表情を浮かべている。夢は夢のままであった方が美しいものだ。これ、士官学校入りたての頃の俺の教訓ね。

 そして、話はオークにも及ぶ。


「おまえらにんげんがトーテムセブンとよぶれんちゅうはしっている。オークのわりにはへんなやつらだ。われらはやつらにカンショウしない、らしい。くわしくはあたいはしらん。うえでそうじしてるオヤジにきけ」

「行っていいのかよ、上に?」


 ハルピーの里には興味があるが、それよりも俺はハルピーにオーク討伐の手伝いをしてもらえないかという下心があった。別にオークとハルピーに敵対しろと言う気はさらさらない。ただ、この島のオークの実態を彼らが知っていればそれは討伐の手助けになるし、道案内だけでも彼らがしてくれればあの台地の上からでもオーク討伐に向かえる筈だ。

 僅かな期待が籠った俺の声に、ぴろろは指で自分の顎を摩る。


「ん……」


 周囲を見回したぴろろは、人を指さす。


「つれてくためにあやつるフウリョクにもゲンドがある。すわりごこちのいいふたりはとくべつにつれてってやる。あとオマエとオマエはいいぞ」


 指をさされたのは俺、そして何故かムームーだ。

 さっきから好奇心を抑えきれなかったムームーは目を爛々と輝かせる。


「えっ、おれ! おれ、行っていいのか!?」

「おまえ、もうちょっとおおきくなったらいいとまりごこちになりそうだからな」

「俺は何故?」

「このむれのだいひょうだし、ふつうつれてくだろ」


 よりにもよってぴろろにを普通を説かれてしまった。

 正論なのに、何故か素直に納得できない。


「あたいのちからだと、あとふたりくらいはなんとかなるが……」

「ならば精霊様。このシャーナをお連れください。貴方様がお選びになったムームーの姉にございます。弟が粗相をせぬか心配で……」

「いいぞ」


 あっさり頷くぴろろ。

 必然、枠はもう一人。

 即座にカルメが手を挙げる。


「あの、僕も――」

「この俺を連れていけ」


 長い沈黙を破ったトゥルカがカルメの言葉に割り込む。

 気付けば彼の背の槍は今まで持っていた者より上質になっている。

 戦士としての格を示すものなのだろうか。

 カルメは当然そんなトゥルカの態度が面白くない。


「ちょっと、僕が喋る途中に割り込まないでください」

「女のようにかまびすしい男は黙っておれ。島の代表としてこの俺が行くべきだ」

「いいよ。やりのおまえな」

「えっ!? ちょ、僕が先に手を挙げたのに!!」

「ざんねんむねん、またらいねん」


 ぴろろは、意外にも威圧的なトゥルカの方を選んだ。

 トゥルカはそれを驚くでも誇るでもなく、当然であるかのようにぴろろに近づく。俺はその動きに少し引っかかりを覚える。初めて目撃した精霊がこれから何を行うのか知りもしない筈なのに、やけに堂々とぴろろに近づいたな、と。


 しかし、その小さな疑念はすぐに消し飛ぶことになる。


「ほんじゃーまー、ひとっとびしますかー」


 大気を漂う魔力が可視化するほど濃い光となって、ぴろろの選んだ人々の周囲を渦巻く。次の瞬間、俺たちの足は浮かんでいた。まずい、と思った俺は咄嗟に下に向けて叫ぶ。こんなにいきなり飛ぶと思っていなかったので部下に命令できてない。


「総員調査を中断して一旦村に戻れ!! サマルネス先輩には俺から待機するよう命令があったと伝え、この部隊の暫定指揮官を出発前の規定通り騎士メランに変こ……どわぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 突き上げるような突風が絡みつくように全身を覆い、みるみる地面が遠ざかっていく。


 ――俺は、俺たちは、この日初めて翼もないのに空を飛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る