第353話 重さがのしかかります

 ローニー副団長がヴァルナに討伐強行の文を送るより少し前。


 慌ただしく討伐準備を進める騎士たちから少し離れた場所で酒を呷る一人の男がいた。騎士団随一のロクデナシの酔っ払い、ロックだ。


「ボスクラスの中でも更にスペシャルなオークが最低でも七体いるかもしれないって……この一年くらいで騎士団に災い降りかかり過ぎでしょ、うぃっく」

「下賤な平民が勢力拡大などという分不相応な行動に出たことが運命の女神の不興を買ったのでは?」


 そんなロックを嫌味ったらしく鼻で笑うのは、記録官のヤガラだ。

 日差しの強いアルキオニデス島の天気が気に入らないのか日焼け止めに加えて日傘まで差している彼の肌は白いままだ。元々どちらかといえば肌が暗めのロックと対照的だった。


「トーテムセブンかぁ……好戦的なのはある意味追いかけっこしなくていいから有難いけど、こりゃーある意味砂漠以上の修羅場にならぁね」


 ノノカの推論では、群れのトップと取り巻きの間には絶対に体格差が生まれるので、ボス級オークが複数出てきたのならその群れは兵士級が全てボスクラスの可能性があるらしい。それがすなわちトーテムセブンというわけだ。

 原因はメスオークのフェロモンが予想外の形でオスオークのホルモンバランスを崩したか、或いは肥沃な大地の齎す豊富な栄養がそうさせたのか、現段階で判別は出来ない。ノノカとしては生け捕りにして解剖したいのが本音だろうが、会議の際に彼女はそれを一言も口にしなかった。その理由は騎士団戦力の不足にある。


 本土での非常時に備えてロザリンドを残したのがこんな形で裏目に出るとは誰も予想していなかった。しかも、こんな時に限って騎士団上位戦力のヴァルナとサマルネスも別行動中。遊撃班の緊張の糸は普段以上に張り詰めている。


 ガーモン班長を中心に部隊は三つほどに分けられ、それぞれが戦力的に他の部隊に劣らないよう慎重に騎士が配置されていく。任務前に軽く体を温めるために模擬戦をするガーモンとアキナの気迫が、今回の任務の緊張感を物語っている。


「普段の槍と違ぇな、オラッ!!」

「原生林では長すぎると不利ですから短槍です! そういうアキナも、普段と得物が違いますがッ!!」

「オレは天才だから、武器が変わっても問題ねぇッ!!」


 そう叫んでガーモンの短槍を捌くアキナの手には、普段の大斧ではなく少し小型の片刃斧が握られている。互いに普段と違う武器を使っているとは思えない熟練の動きだった。

 ヤガラがそんな二人を鼻で笑う。


「あぁ、やだやだ。きっと汗と泥に塗れた不潔な姿で帰ってきますよ。しかも運が悪ければ命を落っことして。これだから下々は哀れですねぇ」

「まぁったく、そういうことすぐ言うんだからあ。オジサン、そういう人を小馬鹿にして悦に浸る性格良くないと思うよォ? 人類皆兄弟ってね!」

「飲んだくれの貴方に人格をどうこう言われる筋合いは欠片もないんですがねぇ……」


 へらえへらと笑う緊張感のないロックの態度が面白くないのか、ヤガラは話を変える。


「まぁしかし、騎士が護衛に就いていながら民間人の重傷者を出したというのは頂けませんねぇ。それがないから多少派手な活動も大目に見られてきた豚狩り騎士団ですが、嗚呼、職務怠慢で無辜の民の肩が砕けてしまいました。フィーレス女史曰く、後遺症が残るかもしれないそうですよぉ?」

「実際のところ、どうなんだ」

「どう、とは?」


 急に酔いが醒めたかのように真剣な顔つきになったロックが問う。


「この件、この後無事に片付いたとして、議会はこの件を追求して来ると思うか?」

「そりゃもう。あのナマズひげの老人を虐めるチャンスですものねぇ?」

「本当に?」

「……」


 動揺を見せないロックに、ヤガラはしばし沈黙し、ふん、と鼻を鳴らす。


「私が議員なら深くは追及しませんねぇ。追求しすぎれば藪蛇ですし」


 ヤガラは意味ありげに商人たちの船に視線を移す。


「聖靴派はここ近年影響力の低下に焦ってどうにか味方を増やそうと躍起になっています。それこそ裏で何の商売をしてるかも知れない底辺商人にまで声をかけ、利権をちらつかせてね……分かるでしょう? あの胃薬愛用者の副団長が何故豚狩り騎士団に飛ばされたのか、知らない訳じゃないんでしょう?」

「成程ねぃ」


 どうやら商人たちは、アルキオニデス島から吸い上げた甘い汁の一部をどこぞの誰かにお裾分けしているようだ。これだけ強引な商売をしていれば普通同業者からは白眼視されるものだが、王国内で彼らの非道な荒稼ぎが耳に入らないのにはからくりがあったのだ。

 だから、議会は島の商売の話題に繋がる話はしたくない。

 必然的に、追及の手を緩めるしかなくなる。


「とはいえ、心配事もありますが」

「へぇ。おたくが心配事なんて珍しいじゃない。ぶつくさ文句言いつつどんな過酷な環境にも記録官として同行してるのにさ」

「仕事だから当たり前でしょう。茶化すなら話は終わりです」

「へへっ、心配事の内容当ててやろうかぁ?」

「結構です。これ以上ここにいると酒臭さまで移ってしまう」


 わざとらしくハンカチで口元を覆ったヤガラは、ロックを見下した目で一瞥すると、つかつかと研究所内に避暑を求めて去っていった。その背中に手を振って見送ったロックは、酒瓶の中身を呷る。アルキオニデス島の地酒が口に合わなかったせいで、王国の酒を水で薄めて飲んでいるため、かなり不味かった。


「さぁて、オジサンも仕事仕事……おん?」


 千鳥足で歩き出したロックは、ふと、町がやけに静かなことに気付く。

 露店は早くも店じまいし、通行人も見当たらない。

 オークにより重傷者が出たから森に行かないように、と厳重に警告したので当たり前と言えばそうなのだが、なにか違和感がある。港の方を見ると、ここ数日あれだけ頻繁に行き来していた商人の船が今日はずっと停泊している。


 我先にと危険な場所から逃げ出すなら理解できるが、積み荷がない訳でもないのに出航を渋っているのはどういう了見だろう。或いは、更なる積み荷が見込めるから敢えて出航しないでいるのだろうか。


 今、この状況で得られる積荷の見込みとは何か。


「……あー、ヤダヤダ。オジサンすっごく嫌な予感してきたよぅ~?」


 ロックは次第に歩く速度を速め、やがてコリントスの屋敷方面に駆け出した。




 ◆ ◇




 騎士団は町の防衛を怠る訳にもいかない。

 知能の高いオークは後方に奇襲を仕掛けて混乱を招くこともあるし、何よりも町の住民たちを少しでも安心させなければならない。よって数名の騎士はローニー副団長と共に村の防衛に就くことになっていた。


「と、いうわけでお願いしますね」 

「は~い」

「ほ~い」

「了解でーす!」

「了解!」


 元気よく返事をする部下たちを見回してうんうんと頷いたローニーは、肩を落とす。


「不安だ。何がどうとは言わないけれど、そこはかとなく不安だ……」

「え~」

「頼ってよ~」

「そーだそーだ!」

「未熟の身ですが、粉骨砕身で防衛に専念します!!」


 上から順に、トロイヤ、オスマン、アマル、そしてコーニアだ。

 トロイヤとオスマンはこう見えて頼もしい槍使いなのだが、なにせ普段が普段なので頼れるイメージが全くない。アマルは騎士団内でもそこそこだが、おバカだ。そして、この中で一番弱いコーニアが一番やる気を出してるのが逆に不安を煽る。

 ほかにも数名いるが、全体的に戦闘力に乏しい面子が並ぶ。


 主戦場が原生林になる以上、町の防衛戦力はどうしても極限まで減らす必要があった。しかし、直接戦闘に秀でた騎士が少ない代わりに、フロンの町は高い建物が多いため敵の接近に気付きやすいという利点もある。

 ローニーは今回の事件で町の建造物に一切被害を出さないという目標を早々に切り捨て、人命を優先することを決定。町の住民を一か所に避難させ、そこを中心に陣を敷くことにした。


 不幸中の幸いというべきか、フロンの町は人口そのものはさほど多くない。また、狩猟用のボウガンが多いためキルゾーンを設置すれば力がなくともオークを仕留められるという計算だ。

 町の周囲に罠を仕掛けることも考えたが、先日リズカの部隊に同行したハンターのパニックを考えると嫌な予感が拭えず、また、準備期間が短すぎるために諦めた。


「研究所を仮の避難所とするので、皆さんは図面に従った道具やバリケードを設置してください。作業が終わった者は必ず報告に来ること。避難に関しては先日協力してくれたハンターの皆さんが請け負ってくれることになり、非戦闘員である料理班が避難誘導を手伝ってくれますので、防衛拠点づくりに専念してください。ああそれと、コーニアくんは速やかにコリントス氏にこちらの文を届けてください。今回の防衛に協力して欲しい旨が書かれています。承諾ならそれでよし、駄目なら理由を聞いてすぐに報告を――」

「その必要はないねぃ~?」


 ローニー副団長の言葉を遮ったのは、遊撃班でここには居ない筈のロック。

 彼は空になった酒瓶を指先で弄びながら、疲れた顔でコリントスの屋敷を指さした。


「あの屋敷、もぬけの殻だ。しかも、金目のものは置き去りに、狩猟道具がごっそりなくなってる。ついでに屋敷の庭にハンターのものと思しき大量の新しい足跡……そして極めつけがコレよ」 


 ロック先輩に手招きされてやってきたのは、カチーナの父親であるエトトだ。

 カチーナも連れてやってきた彼は、困惑と焦燥を混ぜ込んだような表情をしていた。


「昨日の夜にコリントスさんが突然家にやってきて、明日の朝一で大規模な狩りをするから手伝えと……お断りしたら素直に去っていったんですが、まさか、あの人は……!」


 偶然による不幸の重なりは、今までもままあった。

 しかし、今回のそれは、明らかに騎士団の動きを見越してのもの。


 ローニーが先日負傷者を出した件で話に向かったとき、それまで強情気味だったコリントスはやけに素直に話を受け入れた。オークを狩るなら文句はないというのが彼のスタンスだったため、目的が適って喜んでいるとその時のローニーは解釈した。


『オークを狩って頂けるならこれ以上何も言いますまい。我々が目的を達成するための障害がなくなるのですから……』

『そう言って頂けると助かります。つきましては明日改めて討伐の日程等を伝えますので』

『いえ、そう急がなくとも結構です。私の方から皆にそれとなく伝えておきますので……』


 あの時の会話がフラッシュバックして、ローニーは激情にかられて声にならない叫びと共に地団太を踏んだ。ここ数年なかった、久方ぶりの憤怒だった。


 彼が何をしたくてこんなタイミングに無謀にも森に向かったのかは分からない。それでもあの時、自分が気付いていれば、と思わずにはいられなかった。




 ◇ ◆




 そして、現在。

 ローニー副団長からの報告を受け取って内容を咀嚼した俺は、苦悩の余りため息を漏らした。


 西側の状況は尋常ではない。今からナルビ村に引き返して西に戻っても討伐には絶対に間に合わないだろう。なにせ勝手に民間人が森に入ったせいで騎士団は強制出撃を余儀なくされているのだ。手段と呼べる手段と言えば、俺が今から崖を昇り切ってオークのいると思われるエリアに反対から突撃するくらいだ。


 されど、あの広大な森のどこにいるかも分からないオークを探すために騎士が一人だけ突っ込んで、果たしてどの程度戦局に影響を及ぼせるだろうか。とてもではないが合理的な判断とは呼べない。


「なやんでるな、にんげんよ」

「そりゃ悩みもするよ、こんな状況は……」

「そうか。かんがえるのにつかれたら、おもいきりソラをとぶといいぞ」

「いや人間は思いっきり空を飛べねぇよ」

「そうなのか。たしかにおまえら、はねがないな」

「いやむしろお前は羽あるんか……」


 そこで俺は漸く思った。

 さっきから聞こえるこの可愛らしい少女の声は何なのかと。

 俺は思わず声のした側に振り向くと、そこには鳥と小さな女の子が融合したような独特の姿をした何かがキャリバンの頭頂部に着地する形で俺を見下ろしていた。少女のようなそれは丁度みゅんみゅんやくるるんと似たサイズ感で、無表情のまま挨拶する。


「やぁ、こんばんは」

「昼だよ今。いや、誰だ君はッ!?」

「……頭に乗られてる俺の心配もして欲しいっす。いや、なんかもうこういうの慣れた自分がいるっすけど」


 副団長、こちらも状況が混迷してきました。

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