第352話 SS:いつかこうなる運命でした

 森に広がる強烈な気迫の圧。

 獣の隻眼が騎士団と哀れなハンターを捉える。


(これ、は……まっっっずい!!)


 努力家でもあるリズカは、ヴァルナが氣を騎士団メンバーに指導するよりも前から氣やオーラの事を探っていた。故に、今のところ騎士団内でも相応に氣を感じ取る能力が高くなっている。

 その本能が、ひしひしと感じる。


 あのオークは、オーラを纏っている。


 三メートルを超えるオークはボスオークの中でも少数であり、言わずもがな何の策もなしにその巨体と戦えるのは御前試合で活躍するレベルの騎士たちしかいない。リズカたちは決して騎士として他より劣ることはなく、むしろリズカは上から数えた方が早い腕前だが、彼女はここで敵を仕留めるという甘い希望を即座に断った。


 勝てる確証がないばかりか、足手まといのハンターまでいるこの状況で無茶などしようものなら、ここ何十年も出ていなかった騎士団の殉職者リストに自分たちの名前が刻まれることになる。


「撤退、撤退!! ハンターを優先しつつ逃がして――」


 しかし悲しいかな、彼女の判断よりも早く、初めてお目にかかる巨大オークの威圧感に完全に呑まれたハンターたちの行動の方が早かった。


「う、うわぁぁぁぁぁーーーーッ!!」

「来るな来るな来るなぁぁぁぁーーーーッ!!」

「あっ、馬鹿っ!」


 メイナスが叫んだ頃には、二人は騎士団を無視して全速力で逃走を開始していた。


「どーすんだリーダー!!」

「決まってるでしょ!! 二人を追いかけつつ撤退するしかないわよッ!! オーリス、信号弾は!?」

「準備……できました!!」

「発射!!」

「了解!! 音に気を付けて!!」


 ここ最近になって騎士団に試験導入された信号拳銃に信号弾を詰めたオーリスは、森の木の裂け目を縫って空に信号弾を発射した。パァン、と音を立てて光が白煙の尾を引いて空へと立ち上る。


 輸入品な上に殺傷性のものではないとはいえ、騎士団初の銃である。最初は訝しがっていた騎士たちも、これは狼煙より早くて便利だとすっかり手に馴染ませている。なお、手違いで火災になる可能性があるので、そこだけは王立魔法研究院で改良してある。


 信号弾は非常時の救援要請だが、原生林をバラバラに移動する騎士たちが今から助けに向かって来ても間に合うとは思っていない。それでもやらないよりはマシだし、万一全滅しても、残された側によって全滅の理由が絞れる。


 銃に対して警戒したのか敵のオークは暫くじっと様子を見たが、発砲音にも一切動じない姿を見るに、生半可な脅しは通じないようだ。

 リズカを殿にメイナスが援護に回り、フィーアとオーリスは逃げた二人を全力で追う。


「ブオオオオッ!!」


 短い雄たけびと共に棍棒が振り抜かれる。

 当然ながら三メートルを越すオークの棍棒はまともに受ければ死にかねない破壊力だが、それ以上にオークのスイングが予想外にコンパクトだったことにリズカは歯噛みする。武器の長所と短所、そして人間と自分の質量の差を理解している。このオークには武術の片鱗が垣間見えた。


「どんな経験積んできたらこんなバケモンになるんだ……しかも部下も引き連れず自ら襲撃だと!?」

「喋ってないでもっと走れ、フィーアたちに追いつけなくなるぞ!!」


 棍棒の振りで一瞬止まった隙を突き、メイナスが毒矢を放つ。

 オークは棍棒でそれを器用に弾くが、一発が足に命中する。

 しかし、矢が刺さることはない。なぜなら、オークは体のあちこちに竹などで編んだ籠のようなものを鎧のように無理やり加工して身に纏っているからだ。それも、固い籠の中に藁のようなものを巻き付ける二重構造だ。

 毒矢が無駄になったメイナスの表情が苦々しいものに変わる。


「藤甲かよ……!?」

「なんだ、それ!!」

「宗国かどっかにあると言われてる、植物で編んだ鎧よ! とにかく軽い上に矢も通りにくいのが長所、燃えやすいのが短所! 流石に本物の藤甲じゃないけど、真似事だとしてもこのボウガンの貫通力じゃ刺さらない!!」

「あんなものどこで……いや、西側の住民が捨てた道具を拾い集めて作ったの!?」


 王国文明に急速に染まることによって、西部住民は嘗て自らが握っていた草や竹の加工品を自ら捨てた。それを物理的に拾って身に纏ったオークが敵になるとは皮肉にも程がある。

 いや、そもそも多少布切れを纏うことがある程度の文化性しか持たない筈のオークが、食べ物にもならない道具を拾い集めて自分たちなりに加工し鎧として身に纏うというのは、通常では考えられないことだ。

 このオークは途轍もなく知能が高いと考えざるを得ない。


「……?」


 はたと、リズカは気付く。

 これほど知能の高いオークがトラックバックからの不意打ちまでかましてきて、今は芸のない追撃を続けているのは妙だ。普通なら仕切り直しの一つでも図るか、もっと逃走者側に攻撃をかけるなど立ち回り様がある筈だ。


 だとすれば、別の狙いがあるのではないか。

 いや、そもそも――このオークは本当に一匹で襲撃してきているのだろうか。

 リズカの背筋を嫌な悪寒が駆けのぼる。

 予感が的中したのはその直後だった。


「ぎゃああああああああああああッ!?」

「この悲鳴、やられた……!!」


 遥か後方から響いた身の毛もよだつ男の悲鳴に、リズカは自分の予想が当たったことを悟る。


「追い込み猟とは舐めた真似してくれるじゃない、トーテムセブン……!!」


 このオークは、囮だ。




 ◇ ◆




 僅かに時は遡り――ハンターたちは、背後から静止するよう呼びかけてくる騎士を無視して全速力で逃走を続けた。騎士とオークが交戦している今しか自分たちが無事に逃げられる瞬間は来ないと思ったし、むしろ騎士が逆にオークを連れてくるとさえ思った。


「ちょっと、勝手に動かれたら守れないんですってば!!」

「はぁっ、はぁっ……うるせぇ!! 民の為の騎士なら囮にでもなれ!!」


 すべては、自分たちだけが助かればいいというエゴ。

 そして、オークという未知の存在に対する侮りの反動が生んだ、コントロール不能の恐怖。恐怖とエゴはハンターにとって最も重要である冷静さを奪い、結果としてそれが失敗を生んだ。


「ゴルルルルルルル……」

「は――」

「え――」


 全速力で逃げた筈の彼らの目の前には、三メートルを越す巨大な影。

 それは先ほど出現した隻眼のオークとは違い、両眼を以て二人を見下ろす。

 唯でさえ頑強そうな肉体が更に発達した目の前のオークは、特に両腕部の発達が目覚ましく、その異形が先ほどのオーク以上の威圧感を与える。

 お前は逃げられない、お前を破壊する――そう宣言するかのような巨腕が鉄槌の如く振りかぶられるのを、彼らはただ茫然と見上げていた。


「危なぁぁぁーーーーいッ!!」

「動かないでくだ……さいッ!!」


 その巨腕が振り下ろされる直前、間一髪で二人に追いついたフィーアとオーリスが地面を抉る威力で踏み出し、二人を突き飛ばしながら庇う。直後、ズドンッッ!! と、大地を揺るがす一撃が振り下ろされた。


 その威力、十メートル跳躍して棍棒を叩きつけた先ほどのオークと同等かそれ以上。二人の騎士に庇われて地面を転がった二人が、オークが殴った後の地面を見てひっ、と悲鳴を上げた。


 地面にはクレーターのような抉れができており、その中心に、突き飛ばされた拍子にハンターが落とした護身用のボウガンだったガラクタが転がっていた。元の構造を理解していなければ判別できないほど粉々に砕け散ったそれに、ハンターたちは否応なしに先ほど自分が辿りかけた運命を悟る。


 フィーアに庇われたハンターはその光景に体が硬直したが、オーリスの庇ったハンターはむしろそれに更に恐怖を感じて完全に理性を失った。自分を庇ったオーリスを突き飛ばした彼は、がむしゃらに逃げ出す。


「う、うわぁぁぁぁッ!?」

「待って!! そちらは駄目!!」


 もう、彼には何も見えていない。

 ただ逃げたいという欲望だけが精神を支配し、彼は本能に従って駆け出す。

 その先が、死を齎すオークの攻撃範囲内であることにすら気付けずに。


「ゴルルルァッ!!」


 オークの行動は単純明快だった。

 手のひらで湿り気のある石や土を掴み、そのまま投擲したのだ。

 超人的な能力を持つ者が土石を投擲すれば、それは土弾という立派な武器である。ハンターは無防備にも超高速で投擲された石交じりの土を肩に受ける。バァンッ、という破裂音と共に、彼の肩がおかしな方向に曲がった。


「ぎゃああああああああああああッ!?」


 断末魔のような悲鳴が響く。

 脱臼ではなく、明らかに二本や三本では済まない数の骨が折れている。

 もし顔面に命中していればそのままあの世に旅立っていた程の威力に、フィーアもオーリスも喉がからからに乾くほどの恐れを抱いた。前方にも後方にもオークがいて、しかもどういう理屈か両方がボス級のオーク。これは死を覚悟する状況だ。


 それでも、二人は諦めなかった。

 フィーアはヴァルナに習った氣で全身に力を籠め、自分以上の体格がある腰を抜かしたハンターを抱える。


「しっかり捕まっててくださいね……こう見えて、外対の女騎士は逞しいんですから!」


 オーリスはこの状況下で信号拳銃に信号弾を装填していた。


「今私の出来ること、今私の出来ること……!!」


 そして後方で棍棒を振り回すオークに対応していたリズカの一声で、全員が動き出す。


「メイナス、今だ!!」

「おら、食らいなっての!!」


 状況を察したリズカの指示で、メイナスは対オークの辛子入り爆竹に火をつけていた。オークはその爆竹の存在に気付くが、爆竹の導火線に火をつけてから爆発するまでの時間を完璧に計算していたメイナスの老獪な投擲は、回避も迎撃も出来ないタイミングで炸裂する。


「ブオオッ!?」


 目と鼻を同時に潰す辛子博打の破裂音。しかしオークは寸でのところで後方に大きく跳躍することで辛うじて被害を免れる。ただ、それは失敗ではない。何故ならリズカたちはその隙が欲しかったからだ。

 今、この一瞬だけはあのオークは二人に攻撃できない。

 それを確認した二人は、全速力でフィーアとオーリスに向けて駆け出す。


「オーリス、そいつに信号弾をぶちかませぇぇぇぇぇぇッッ!!」

「了解ッ!!」


 オーリスは迷いなく銃口を巨腕のオークに向け、トリガーを引く。

 激しい破裂音と共に発射された信号弾は夥しい煙を噴出しながらオークに向かい、突然の目くらましと破裂音にオークの動きが一瞬止まる。


 騎士たちの行動は迅速にして一瞬だった。


 フィーアはそのままオークの横を迂回してハンターを全速力で担いで運び、リズカが負傷したハンターを担ぎ、オーリスがそれを追いながらハンターのおかしな方向に曲がった腕をロープで固定。そしてメイナスは自分の持てる残り全ての辛子爆竹をありったけオークの周囲にばら撒く。


王立外来危険種対策騎士団あたしたちは何時如何なる時も諦めないのさ! あばよ、クソブタッ!!」

「撤退、撤退!! 転ばないことだけ考えてついてこい!!」

「必ず治療しますから、今は耐えてくださいね……ハンターさん!」

「グルルルルアアアアアアアッ!?」


 視界を奪われた上に周囲に大量の爆竹を巻かれ、オークは一時的ながら完全に索敵能力を奪われた。更に辛子と発煙弾の煙が壁となり、棍棒オークの足も止めさせる。


 彼らが視界から消える寸前、不意に背後から大きな気配を感じ取ったフィーアはちらりと背後を見た。辛子爆竹と煙幕は未だ立ち込めていたが、フィーアはそこに二匹以上のオークの影を見た気がした。


 トーテムセブンは七匹のオーク。

 もしかしたら、七匹全てが同格なのかもしれない。

 しかし、それほど慣れていない氣を使用するフィーアにそれ以上何かを考える余裕はなかった。


 かくして、彼らは方向も分からない原生林を全速力で駆け抜ける。

 しかし、道案内に頼りにしていたハンターの片方は重症、もう片方は恐怖で呆然としたまま戻らず、似たような地形ばかりに見える原生林の中で自分たちの位置を見失って――。


「ねぇ、これフィーアが全力でスッ転んだ跡じゃない!? そうよねメイナス!!」

「しめた!! この痕跡を逆に辿っていけば村に戻れる!」

「そうだったんだ、そのためのスッ転びだったんだ……!!」

「偶然ッ!! 偶然だからねオーリスちゃんッ!?」


 こうして、四人の騎士とハンターたちは奇跡の生還を果たす。

 四人の報告を受けてローニー副団長は調査隊全員の一時撤退を決断。幸か不幸か、彼女たち以外にトーテムセブンと接触した騎士はいなかった。しかし、ある意味で騎士団は更に辛い立場に陥ることになる。


 オークの攻撃を受けたハンターは肩から胸にかけての骨と筋肉を激しく損傷し、町に辿り着いた頃には肩が直視に耐えないほど内出血で腫れあがっていた。当然即座にフィーレス率いる治癒師たちによる緊急治癒が取り行われたが、問題は彼の負傷の度合いではなく状況だ。


 騎士団の目の前で、オークによる民間人の被害が出たという、状況。

 それはすなわち、騎士団がオークを討伐を先延ばしする正当な理由が消滅したことを意味する。


 この日、ローニー副団長は苦悩の末に原生林のオーク討伐決定と、その事後報告をヴァルナに行った。余りの心労に胃薬に手を伸ばしたローニーは、いつも胃薬頼りではと久々に剣の素振りを行って不安を強引に忘れさせた。

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