第350話 SS:大人の対応を見せましょう

 騎士ベビオン。

 成績的には当時の平民の中で最も体力面に秀でていたらしく、コーニアの一つ上の先輩に当たる。

 士官学校時代は三枚目なところがあるムードメーカーで、周囲にいびられるカルメを庇うためにキャリバンと共に仲裁に入る姿が目撃されていた。そのため、現在もカルメ、キャリバン、ベビオンは任務以外では共に行動していることが多い。


 と、ここまでが一般的なベビオンの情報。


 しかし、ベビオンには隠されたもう一つの素顔があった。

 彼は――ロリコンなのである。


「誰がロリコンだボケェ!! 子供に優しくすることに男も女もあるかぁぁぁぁぁッ!!」

「まだ一言も口に出してないのにッ!?」

「まだってことは言う気だったってことじゃねえかぁぁぁぁぁッ!!」


 憤怒の形相で繰り出される殺意の籠った模擬剣の一撃を転がって躱したコーニアは、逃げていては埒が明かないと思い切ってベビオンの懐に潜り込む。


 ベビオンの剣は彼の恵まれた体躯を活かすために大きめであり、故にこそ接近されると取り回しづらい筈だとコーニアは読んだ。しかし、そんな浅はかな目論見はお見通しだとばかりにベビオンは堂々とコーニアを迎え撃つ体勢を取る。

 

 ――何故、二人が争っているのか。


 その理由は単純で、先日コーニアがカチーナを泣かせてしまったという話が、ノノカと共に森の調査に赴いたベビオンの耳に遅れて届いたからである。子供に甘すぎて気色悪いと噂されるほど子供を大切にするベビオンがこの話を放置する筈もなく、「根性叩き直してやるッ!」と朝っぱらから無理やりコーニアを模擬戦に引っ張り出した、というのが事の経緯である。


 黙ってやられる訳にもいかないと必死で肉薄するコーニア。剣と剣が鍔迫り合いになると同時に、ベビオンは巧みな手捌きで剣の腹に掌底を打つ。その衝撃がコーニアの剣に直接伝わり、コーニアの腕ごと剣が弾かれた。


「四の型、雉射だッ!! 俺が剣術で特別強いという噂を聞かねぇから油断してただろッ!!」

「うわっ!! 畜生!!」


 自慢げに叫ぶベビオンだが、事実として彼は筋力を除けば剣の技量は平凡なので特別強くはない。ここしばらく練習にも気が入っていなかったコーニアさえすぐには倒しきれないのだから、力量の差はそんなに大きくはなかった。


 見物していたガーモン班長が呆れた表情を浮かべる。


「自慢げに披露してるけど、それ君が努力したというよりヴァルナくんが練習のときに『絶対必要だから』って対抗心剥き出しで空回る君に懇切丁寧に教えた技だろ? しかも君、当時は『敵からの施しは受けんっ! 我が剛力で全て打ち破る!』とか言ってたよね?」

「あーあー聞こえない聞こえない!! ってかあの人ずりぃんだよ!! なんで俺と一歳しか違わないのに指導力あるんだよ!! ぬぁぁっとくゆかぬぇぇぇぇぇぇッ!!」


 大型の剣の利点はリーチと重量。

 そして欠点は取り回しづらさ。

 そしてベビオンは特段技量に秀でていない以上、相手に間合いを割らせない立ち回りは難しいし、二の型・水薙で受け流しやカウンターを行うのも得策ではない。ならば鍔迫り合いから弾ける四の型・雉射は実に理に適った選択肢だ。


 しかし、敬愛するノノカに無条件で信頼されているヴァルナはベビオンにとってライバル視すべき存在であり、その相手に塩を送られて実際に強くなってしまった彼の胸中は複雑だったようだ。


 ただ、気持ちの問題は別として、今のコーニアにはベビオンに立ち向かえる切り札がない。このままでは勝ち目は薄いだろう。ならばいい加減に戦って適当に負けて、無難にこの場を乗り切るのも一つの手段だ。


 だが――それでいいのだろうか。


(こちとらカチーナに付き合わされたり町の事情でもやもやしたり、無駄に悩みばっかり抱えてるのに……もうカチーナを泣かせた件も終わったってのに……途中から関係ない私怨まで混ぜ込んで、ネチネチと……!!)


 久々にコーニアの反骨心に火が着いた。

 そうだ、これは不当な新人いびりだ。

 抵抗せずして何が騎士か、何が正しい選択か。

 剣を握る手に力が籠り、コーニアは雄叫びを上げてベビオンに吶喊した。


「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!! 八つ当たりもいい加減にしやがれこのクソ先輩がぁぁぁぁぁッ!!」

「ンだとこの子供の敵がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 それまでで最もいい音を立てて、二人の刃が交差した。




 ◇ ◆




 二人の不毛な争いにため息をついたガーモンは、しかしそれを仲裁することはなかった。


「みんなストレス溜まりっぱなしだからな。少しはガス抜きも必要だろ……」


 ガーモンの視線の先には、遠巻きに二人の新人の戦いを面白がって囃し立てる騎士たち。地元住民も物珍しさに何人か集まっており、特に子どもたちに盛況らしい。案外ベビオンも途中で適当に終わらせる気だったのに、子供が集まってしまって引けなくなったのかもしれない。


 今、外対騎士団全体に、思うように仕事が進まない不満が蓄積されている。


 原生林という手強い環境も然ることながら、地元住民との意識の差が特にひどい。地元ハンターや商人はオーク狩りを求めながら、自分たちの利権も守れと主張し、それが一部の仕事に支障を来している。

 

 普通オークが出現する場所は産業の限られた辺境であり、一刻も早くオークを追い出したいがために協力的であることも多い。しかし、彼らはオークに殆ど実害を被っていないため切羽詰まった感情がない。だから、とっととオークを殺せと言いながら、平気で騎士団の要請に背く。


 特に邪魔なのがハンターだ。

 一応調査の為に森に一時立ち寄らないで欲しいと要請しているのだが、ハンターや商人は、それでは利益が出ないから、こちらの邪魔をしないように討伐しろと要求して来る。今もこの議論は平行線で、先日など調査中の騎士が危うくハンターに射られそうになるなどの看過できない事態も発生している。 


 また、商人たちは騎士団が希少な生物の保護や環境の維持といった話を都合が悪いと感じているようだ。故にハンターなどには騎士団は嘘を言っていると吹聴しており、自分たちはそしらぬ顔をしている。


(まだオークの縄張りにも到達してさえいないのに……オーク狩りの強行も時間の問題かもしれん。ヴァルナくん、何か掴んでくれよ……ん?)


 ふと誰かの視線を感じてそちらを見ると、壮年の地元住民がおずおずとこちらに近づいてきていた。


「あの、私はエトトと申します。その、娘のカチーナがこちらでお世話になったと聞いて、その……」

「ああ、お出迎えですか。少し待ってあげて貰えませんか? ほら、あれ」


 ガーモンが指さす先には、戦う騎士を応援するカチーナの姿があった。


「負けるなコーニア!! ほら、そこ!! ああ、何やってんのよ!!」


 コーニアが見知らぬ騎士と戦う姿に熱中して応援するカチーナは表情こそ笑ってはいないが実に活き活きとしている。ちなみにカチーナの近くではカシニ列島の暑さにやっと慣れたブッセがベビオンを応援していた。


「ベビオンさん負けないで! がんばれ!」

「ちょっと何よアンタ!! ベビオンってあっちの変態のことでしょ!! なんでそんな奴の応援するのよー!!」

「変態じゃないもん!! ベビオンさん、何かあったらすぐに声かけてくれるし、手伝ってくれるし、時々お菓子を買ってきてくれたりするよ!! 君はベビオンさんのこと知らないからそんな酷いことが言えるんだ!!」

「じゃあ逆にコーニアの何を知ってるのよう!!」

「コーニアさんは確かに努力家だけど、最近女の子にふられて仕事でも手を抜くからちょっと懲らしめられるぐらいが丁度いいんだっ!!」


 実に子供らしい言い争いだとガーモンは微笑ましくなる。


 騎士団で働き出した当初のブッセは純真だが少し人の顔色を伺いすぎるきらいがあった。それなのにコーニアに対してあんな言い方をするのは、相応の仲間意識が芽生え、最近の彼の言動に信頼を裏切られたという不満があるからだ。


 もちろん、だからといってあの言い方はちょっと酷いが、むしろ年相応の子供はあれぐらい生意気な所があってもいいと思うのは、反抗期の弟を持っていたせいだろうか。彼の故郷における境遇を知っているせいか、むしろ精神的に逞しくなってきたように見える。


 ちなみにアキナ班長は、そんな無駄な争いに身を投じるブッセのことを少し離れた場所で見ている。ちょっとにやにやしているのは、彼女のことだから後で二人の喧嘩についてブッセをからかってやろうとでも思っているのだろう。


 エトトは、あちゃあ、と額に手を当てる。


「娘がご迷惑を……あの子はとにかくやんちゃでして、どうか許してあげてください」

「いやいや、あれぐらいの年頃なら口喧嘩は可愛い方でしょう。こちらの保護者も一応目を光らせてますしね。彼女もこの実技訓練に決着がつけば満足するでしょうし、勝負ももうすぐ終わりそうですから少し待ってあげては?」

「そうですね……うん……」

「……」

「……」


 やけにあっさり引き下がったな、とガーモンは疑問を抱く。

 そもそも見知らぬ人しかいない騎士団の元に子供を一晩置いたという点で、ガーモンは不審に思っていた。幾らこちらが騎士とはいえ、自分の子供は普通日没までに家に戻しておきたい筈だ。


 ちらり、とガーモンは横目でエトトを見る。

 エトトは心ここにあらずで、二人の騎士の戦いも娘のことも見えていないように思える。


「何か、切羽詰まった用事でもありましたか? お急ぎでしたら二人の勝負を中断させますが」

「いえ……娘に、なんと声をかければいいか……と」

「何か、あったので?」

「ここ最近、娘は私に話しかけられるたびに怒るのです。いつもどうしても分かってもらえなくて、段々と何を言っていいかも分からなくなって……私は、父親失格なのでしょう。おかしいですよね、自分で迎えに来たのに」


 ガーモンは不意に、その悩みと過去の自分を重ねた。


「……気を紛らわすものと思って、私の話でも聞きませんか?」 

「え? あぁ、ではお願いします」


 エトトはすぐに首肯する。

 娘のことで悩まない時間を求めているかのようだ、と思いながら、ガーモンは少し前まで自分の身に起きていた出来事を語る。


「私の親は商人だったんですが、どうも子供に対する情がズレてるところがありまして……私と弟を祖父母に預けるなり海外で商売を始め、殆ど実の息子の元に顔を見せない人たちでした。今もそうです」

「それは、寂しかったでしょう」

「最初は多分ね。でも、その寂しさはいつしか弟を寂しがらせていることへの怒りへと変わりました。弟は私が守らなければ。弟の為に、私は親のようにならないぞと……しかし、親と子は結局どこかで似てしまうんでしょう。騎士になってから私と弟の関係はだんだん歪んでいきました」


 騎士という多忙な仕事のなかで、なんとか限られた時間を工面して弟に会いにいった。しかし、つっけんどんな弟と深く話し込むことが出来ず、また次に話せばいいと時間切れを迎えては仕事に戻る。


 それは大人としては仕方のないことだが、同時に、弟ときちんと向き合い切れていないことでもあった。


「いやぁ、のちに事情を知った後輩が激怒しましてね。喧嘩してでも兄とちゃんと向かい合えと弟を炊きつけ、最後は一番傷つけまいと思っていた弟と殴り合いの大喧嘩ですよ。私が悪いとはいえ、今もちょっと納得いっていません」

「それはまた、非道過ぎませんか?」

「ええまったく。でも……弟の気持ちをそのときやっと理解できました。私は理想の兄たらんとしすぎて、いつの間にか弟の前で多くの本音を封じてしまっていた。それが他人行儀にされているようで弟は寂しかったのです」


 言葉を区切り、ガーモンはエトトの目を見た。


「寂しいんですよ、カチーナちゃんはきっと。でも素直に言うことも聞けなくて、喧嘩腰になってしまう。まともに喧嘩しろなんて言いません。でも、今あの子の本音を受け取れる相手は一人しかいないんじゃないですか?」

「しかし、それで失敗したら今度こそ取り返しがつかなくなるんじゃないかと……私は……」

「手の届かないところに行ってしまってからでは、遅いですよ」


 エトトはその言葉に息を呑み、拳を握りしめ、そして握った手をゆっくりと解いてガーモンに感謝の言葉を告げる。


「ありがとうございます。ようやく決心がつきました」

「私は話をしただけですよ。その決心はきっとあなたの勇気です」


 丁度その頃、ゴキンッ、と鈍い音が響く。

 見ればベビオンの振り下ろした模擬剣とコーニアが一か八かで放った突きが丁度すれ違い、互いに直撃して悶絶しているところだった。最後まで格好の付かない後輩たちだと苦笑いしつつ、ガーモンは二人の間に割って入る。


「そこまで!! この試合は引き分け!!」


 ブーイング交じりの歓声が響き、騎士たちは二人の健闘を称えたり、「引き分けじゃ賭けが成立しねだろーが!」とヤジを飛ばしたりしながら自然と解散していった。

 その隅、コーニアの泥だらけの顔をタオルで拭ってあげているカチーナの姿があった。


「もう、負けなかったらいいってものじゃないのよ!! 騎士なら期待に応えなさいよ、馬鹿!」

「いてて、擦るなって!! せめてもうちょっと丁寧に拭いてくれや……」

「女の子に看病されて不満があるわけ!?」

「人の顔面をタオルで力任せに擦るのは看病とは言わねえんだって! ――ん? おい、カチーナ。お迎えが来たぞ」

「え……お父さん」


 カチーナとエトトの間に、気まずい沈黙が横たわる。

 先にその沈黙を破ったのは、覚悟を決めたエトトだった。


「帰ろう、カチーナ」

「……それで、誰もいない寂しい家に置いて狩りにいくんでしょ!」

「狩りにはいかない」

「私が我儘言っている間だけでしょ!!」

「そうじゃないんだカチーナ。私はもう森へ狩りにはいかない。ハンターは昨日辞めたんだ」


 昨日の虎狩りをその目で見たカチーナは、突然の告白に狼狽する。

 口も利かずに研究所に泊まったカチーナはそのことを知らなかった。


「え……な、なんでよ……」

「もう十分だ。森の動物たちを殺すのも、娘を寂しがらせるのも、これ以上したくないからだ」

「ウソだ!! ウソ、ウソ、ウソばっかり!!」


 カチーナは信じられないとばかりに首を横に振るが、コーニアはそんなカチーナに優しく歩み寄るエトトの顔にもう迷いはないように見えた。彼女の背中を撫で、声をかける。


「カチーナ、そんなに親父さんのこと悪く言うなって。何でいつも喧嘩別れになっちゃうか、自分でも分かってるんだろ? ここはオトナの対応ってものを見せてやれって」

「……」


 カチーナの表情にはありありと不満が見て取れた。

 しかしそれは、確かに大人っぽくなりたいという願望がある自分の本音を上手く利用された気がする、という敗北感からくる不満だろう。カチーナは目を反らしながら、いかにも不満だと腕を組んでエトトに問う。


「それで?」

「船頭のバウさんが戻ってきたら、二人で母さんとお兄ちゃんの所にいこう。そして、ちゃんと納得できるまで話し合おう。父さん、どうしても島の外の世界をもっと見たいけど、母さんとこのまま喧嘩別れも嫌だ。だから、今度はきちんと納得できる答えが出るまで話し合おう……な?」

「……今度こそ、嘘つかない?」

「つかない。約束する」

「……分かった。信じるんだからね」

「ああ。信じてくれ」


 エトトは両手を広げてカチーナを抱きしめた。

 カチーナはそんな父の背に手を回し、その温かみを享受した。


 一つの家族が絆を確かめ合ったその日の昼、騎士団に一つの吉報が入る。

 以前から何度も話し合いの場を重ねていた商人コリントス氏が、遂に条件付きで森での禁猟を呑んだのだ。ハンターは騎士団の調査に協力し、代わりに国のオーク損害補償で予想しうる利益の見積を補填することで合意が得られた。


 ――なお、これについては亜熱帯気候にうんざりしたヤガラが自分が早く帰りたいがために算盤打ちを頑張ったとも噂されているが、真偽のほどは定かではない。


 何事には流れがあり、悪い流れの後にはいい流れが来る。

 少なくともこの瞬間まで、騎士団はそう信じていた。

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