第349話 SS:人の親です
カチーナの父の家は、町の中でもどちらかと言えば立派な方だった。
ただし、外装や庭のインテリアを見ると、都会への憧れのような拘りが感じられる気がする。他の立派な家と比べて外見より中身を重視している印象を受けた。
カチーナの父であるエトトは、騎士であるコーニアが来た際に一瞬表情をこわばらせ、娘が研究所にいることを知るとほっと一息ついた。コーニアはそれを一瞬怪訝に思うが、一応親として娘の安否を気にしていたのだろうと一人納得する。
ただ、そうであるならば自身が探しに行かないのは何故なのか、とも不審に思う。
「そうでしたか……娘が最近騎士様に付きまとっているという話は聞いていましたが、大変失礼をしました」
「今は同僚の騎士が面倒を見ています。家に送ると言っても今日は帰らないの一点張りで、出来ればお出迎えに来て欲しいのですが……」
「……できれば、今日一日でいいのでそちらで面倒を見てあげて貰えませんか? あの子は最近年頃なのか、私のいう事に全く耳を貸してくれないのです」
「それは……勝手が過ぎるでしょう」
思わず漏れた本音に、エトトは何かに気付いたようにはっとした表情を見せ、やがて項垂れる。そこには、ただ子供の相手が面倒という一言では片づけられない深い懊悩が感じられた。
コーニアは緊張しながらも、思い切ってエトトに問う。
「あの、分かりました。一晩預かってもいいです。代わりに少しお話を聞かせて貰えますか? ほら、いま騎士団は色々と聞き込みもしていますし、娘さんのことも少し聞きたいので」
「え……ええ。それでは中にどうぞ。お茶をお出しします」
その瞬間、エトトには僅かに、ほんの僅かにだが、ほっとした表情を垣間見せた気がした。
見知らぬ騎士を出迎えたエトトは、不思議と饒舌だった。
楽しそうにお茶を淹れ、手作りだという焼き菓子で出迎える。
「どうです? 本土出身の貴方には味わい慣れたお茶かもしれませんが、私はこれを振舞うのが好きでして……」
「え、ええ。美味しいです。香りもよく立っています」
淹れ立てのストレートティーを口にし、当たり障りのない感想を返す。
正直、コーニアは紅茶の善し悪しがあまり理解できない。王国内で紅茶はメジャーな飲料だが、安物の渋い紅茶にミルクと砂糖を大量にぶちこむコーニアの飲み方では紅茶の繊細さは覚えられないからだ。
しかし、お世辞でも嬉しかったのかエトトは満足げだ。
「私は王国の商人に紅茶を振舞ってもらったとき、感動しました。カシニ列島のお茶も決して不味いわけではありませんが、王国の茶葉は色や香りに対する強いこだわりを感じます。それは私の生きていた世界にはないこだわりです。聞けば王国よりさらに遠い大陸ではもっと茶葉の生産が豊富だとか……私は島の外の世界に強く興味を持ちました。しかし……」
紅茶について楽しそうに語るエトトの表情が、不意に曇る。
「家族はそうではなかった……息子は興味を示してくれましたが、カチーナにはその違いに差異を感じられなかったようです。それは、別にいいことです。その時のカチーナは今より一回り小さな子供でしたから。ただ妻は……」
言葉を濁らせ、一度首を横に振ったエトトは紅茶を呷る。
「紅茶も、紅茶を淹れる陶器の美しさも、何も共感してはくれませんでした。むしろ余所者の持ってきた文化に対する嫌悪感と忌避感に塗れてた。私は悩みましたが、どうしても外の世界への興味を抑えきれなかった……妻はフロンの町を出て東に行きました。そこで子供をどうするかで揉めました。結果的に、子供は私についてきました」
夫が見知らぬ文化に魅了され、子供まで奪われて一人離れた地に向かった妻の心情は分からない。ただ、平気ではなかっただろうという想像くらいはつく。
エトトの独白は続く。
まるで神に懺悔する罪人のように。
「私はいつか妻が自分の元に戻ってくると思いたかったのでしょう。カチーナは違う。妻のこだわりも私のこだわりも、あの子はそんなことを見ていない。ただ、どっちに偏ってもいいからまた家族で一緒に暮らしたいだけなんだと思います。でも……私は……商人に、なった。未知の世界を知ることに囚われてしまった……」
カチーナはよく、父は何も分かっていないと不満を漏らしていた。しかし、エトトにすれば娘の気持ちを理解していない方がよほど楽に生活していけただろう。彼の予想は恐らく正しいとコーニアは直感した。
「その……カチーナ……ちゃんから、息子さんは母親の元に行ったと聞きました。彼女はその事となると急に無口になる。それはどうしてですか?」
質問に対し、エトトの雰囲気が少し変わる。
自分の懊悩から、人を慮るものになった。
「息子は……ある、事故……そう、事故に巻き込まれ、そこでどうしても王国人を許せないという思いを抱いてしまいました。多感な時期ですから、ほんの一部の悪意が息子の目には巨大なものに見えたのでしょう。私としてもあの事故は悲しいものだったし、兄に置いていかれたカチーナが本格的に私の言葉に耳を貸さなくなったのもあの頃からだった……」
「その、聞いてもいいですか。その事故について。カチーナちゃんは、そのことを隠してるというか、言いたくない感じがしてて……その……ええい、はっきり言います!」
人に質問するのにこんなに勇気が必要になったのは久しぶりだったが、言うと決めると口は淀まなかった。
「コリントス・アシズ氏とその息子に関わることなんじゃないかって……」
「……っ」
コーニアの予想を裏付けるように、エトトに動揺が走る。
他の騎士団の聞き取りによると、コリントスの息子は父の名を取ってコリンという名だったそうだ。人当たりが良く好奇心旺盛な青年で、年齢は十七歳。妻に先立たれたコリントスにとっては何よりもかわいい一人息子で、そして、ある日唐突にこの世を去った。
死因は虎に襲われたこと。
これがアルキオニデス島の未来を大きく歪めることになる。
エトトは一度項垂れ、意を決したように顔を上げる。
「これは、私が喋ったとは決して口外しないで貰えると助かります」
「……了解しました。騎士としてその頼みを了承します」
エトトは
コリンという少年に起きた不幸を。
◇ ◆
一方、カチーナを任せられたアマルは彼女と上手く会話が出来ていた。
アマルは自分からカチーナに話を振って好き勝手喋る方であり、逆にそれカチーナの警戒心を解いていた。それに長女であるアマルはカチーナと接する仕草の一つ一つに人が心を許してしまう気軽さがあったのもよく作用した。
アマルは島の掟をうっかり忘れてカチーナの頭を撫でたりもしたが、彼女は全く抵抗しなかった。曰く、親しいものの間で、なおかつ信愛を感じられるなら別に頭を撫でても無礼には当たらないそうだ。
「アマルみたいなおねえちゃん、欲しかったな」
「そお? 下の子たちにはお姉ちゃんは馬鹿だアホだ恥ずかしいってよく言われるけどなー。あ、でも他の人が私の悪口言うとすごい怒るんだって。それならもっと優しくしてくれてよくない?」
そんな他愛もない会話が続き、やがて恋人の惚気話ついでにアマルがあることに触れる。
「カチーナちゃんはどうなの? 好きな男の子とか気になる子とかいない?」
「……コリンっていう友達がいたの」
「おお、そぉなんだ。どんな子?」
「かっこよかった。何でも出来て何でも知ってて、優しくて……お兄ちゃんとも仲がよくて、ほんと、かっこよかったなぁ……」
「今はいないの?」
「虎に襲われて死んじゃった」
「そっかぁ……悲しかったね、カチーナちゃん」
「うん……」
アマルは少年の死に少し驚いたが、それならば仕方ないと思った。
獣の力は人間の想像の上を行く。自然界で獣と人が対峙すればどちらかが死ぬのは当然のことだし、人が負けることもある。狩猟を行う場所の出身者なら特段驚きはしないし、聞いたところによると虎は熊より強いという。ならば、仕方のないことだ。
カチーナもそれを理解しているのだろう。
気分は沈んでいたが、それだけだった。
「すごく、悲しかった。でも虎は神聖な生き物だから……時々襲われる人はいるけど、虎のいる場所に行かなければ襲われることなんてないの。だから、掟を破ったコリンも……悪くない訳じゃ、なかった。でも、でもあいつは……!!」
自分の腕を抱いたカチーナの手に力が籠り、服の袖が千切れんばかりに引っ張られる。それを見たアマルはそっと彼女の手に自分の手を重ねた。
「こーら、服が破けちゃうよ」
「いいもん。わからずやのお父さんがくれた服なんて!」
「誰がくれた服でも、服は服じゃん? 私ね、服って作ったことあるんだけどめっちゃ大変なの。弟にあげたら着心地悪すぎて二度と作るなって言われたなぁ」
「なにそれ。何の話?」
「え? だから着心地のいい服作るのって、もっと大変なんだろうなぁって思って」
空気を読んでいるのかいないのか、アマルはマイペースだった。
「しかもカチーナちゃんの服、可愛いじゃん? 絶対作るの大変だったと思うし、着る人に可愛いって思ってもらいたかったと思うんだよね!」
「……そんなの、わかんない」
「わかんないかぁ……じゃあしょうがないね。破っていいよ!」
「何でそうなるのよ……ふふっ」
「えへへっ」
気付けばカチーナの袖を握る手は緩んでいた。
――『でもあいつは』。その言葉の続きを全く聞こうとしないアマルの気楽さが、カチーナに一時的にでも憎しみや葛藤を忘れさせた。
◇ ◆
「……………」
「……それが、私の知る真実です」
彼女がコリントスを人殺し呼ばわりする理由に、コーニアは言葉が出なかった。なんと言っていいか分からないし、そもそも正しい答えなどないのかもしれない。ただ、それに葛藤するカチーナは本当に優しい子なのだろうとは思えた。
エトトさんは目を伏せ、深い溜息をついた。
「あの子は、虎狩りなど誰にもやって欲しくないんです。なのに私は今日、虎を狩った。家に帰ってこなくなって当然です。父親として私は最低と罵られてもおかしくないでしょう。しかし、それでも私はなるだけ娘に嫌われない道を模索した筈なんです……」
両手で顔を覆ったエトトさんは、絞り出すように将来を口にする。
「……私はもうアルキオニデス島は駄目になると思っています。コリントスさんの虎に対する憎しみは異常です。トーテムセブンなき後の森は破滅の一途を辿るでしょう。だから駄目になる前に私はやりたくもない狩りで資金を稼ぎました。王国に土地を購入し、狩りに依存せず家族を養える商売の準備をした。イセガミ商事は島の情報と引き換えに支援を約束してくれました」
(……情報源、この人だったのか。どうやらイセガミ家と騎士団の関係までは知らないみたいだけど)
「そして今日、虎を狩った。この虎を売った資金があれば、もう十分すぎます。私は今日を最後に武器を置き、最後の家族説得に挑む……つもり、だったんですがね」
「辛い……ですね」
家族の為にと虎を狩り、そのことで家族に嫌われる。
エトトさんのジレンマは見ているだけで心が痛くなる。
今なら、彼がカチーナの面倒を一晩見てくれなどと厚かましいお願いをした理由が分かる気がする。彼は彼自身がカチーナを嫌いにならないために、ほんのひと時だけ距離を置きたかったのだろう。エトトも追い詰められているのだ。
彼は合理的で、間違った判断はしていない。
虎を狩るのはいけないことだろうが、家族を守るためにはそれしかないと決断した。当然、彼自身の王国に対する憧れも含まれてはいたが、何の欲望も持たずに生きることは余りにも難しすぎる。
でも、とエトトは顔を上げる。
「私もきっと卑怯なのです。だから、これは報いなのかもしれません」
「そんなこと……誰だって人の為に卑怯になることはあります! 俺だって自分を卑怯だと思ったことはあるし、それに……」
「違うんですよ、コーニアさん……」
エトトさんは壁にかけられたクロスボウを指さす。
「あの武器をコリントスさんに渡されたとき、私は断ろうとした。でもコリントスさんはこう言ったんだ……『自分の子供を喰うかもしれない虎を放置するなど、お前はそれでも人の親か』と。私はそれに納得した。神聖なるエンケラドゥストラのことを知りながら、もし娘が虎に殺されたらと思ったとき……私は確かに、コリントスさんに同調したのです」
それっきり、エトトさんは懺悔のような言葉を発することはなく、コーニアはただカチーナを明日には家に帰すと約束して帰ることしか出来なかった。
エトトさんはカシニ列島の先住民として間違っている。
しかし彼は、どうしようもないほどに子供を持つ親だった。
(俺だったらどうだ。騎士は人の命を守るのが仕事だ。でも俺のいないところでアマルなんかが虎に殺されてたら、俺は……くそっ!)
何が正しいことなのか、何をすべきなのか、コーニアには一晩考えても答えが出なかった。
なお、このとき少女を泣かせたという噂をベビオンが耳にしていたことと、翌日に研究所の出入り口で彼がコーニアを鬼の形相で待ち構える未来を、彼は知らない。
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