第348話 SS:虎狩りのせいです

 ――時は遡り、ヴァルナたちがアルキオニデス島東部の内陸調査を開始したその頃。港町フロンで地道な活動を続けていた騎士団は頭を悩ませていた。


「現地人は何の危機感もなく環境を破壊する。商人は絞るだけ絞って撤退の準備を進めている。その一方で代表商人のコリントス氏はオーク撃滅のついでに虎などの在来生物も絶滅させようとしている……詰んでませんか、これ」

「言わんでくださいよ副団長。こんな拗れ切った現場初めてなんですから……」


 回収班のエッティラ副班長とローニー副団長は、互いにため息をついた。

 外対騎士団の活動内容は外来種の討伐が基本だが、活動の目的は環境保全だ。より具体的には、住民の生活と産業に影響を及ぼさないよう限りなく配慮した上で外来種を討伐することが求められる。


 ところがここの住民ときたら、継続的な産業の持続を全く視野に入れていない。環境破壊とそれが及ぼす影響に関しても全く考えていないし、発想もない。当然ローニー副団長をはじめとする多くの騎士団はそのことを方々で住民たちに説明したが、誰一人としてまともに取り合おうとはしなかった。


 理由その一。彼らは環境破壊の知識や経験がないので、自然界にそのような事象が発生するという想像をすることができない。


 理由その二。名前も知らない騎士団連中が突然やってきて環境がどうだと語られても、信用もしていない相手の話など聞きたくない。


 理由その三。彼らは環境破壊による手っ取り早い収益を自分たちの生業としてしまっているし、町の維持にも狩猟が必要な状態なので、狩りを続けざるを得ない。


 当然、金儲けをしたい商人たちは騎士団の要求などどこ吹く風だ。

 これが王国の国土で起きたことであれば、騎士団にもスポンサー商人という味方がつくので戦いようはある。しかし、カシニ列島に進出してきた商人はその殆どが後ろ盾を持たない――悪い言い方をすれば質の悪い底辺商人たちである。


「彼らは持続的商売なんて興味ないですからねぇ。しかも失う名誉もない。今この瞬間が儲かっていれば満足するので、未来への展望がスカスカなんですよ」

「そして未来の見えてる商人は着々と撤退準備を進めている訳ですね。自分たちが雇ったハンターたちを見捨てて……」


 考えれば考えるほどため息しか出ない状況だ。

 エッティラは部下の報告書をぴらぴら靡かせて風を起こし、自分を扇ぐ。


「実際のところ、この状況に危機感を持ってる住民もいるみたいです。ただ、賛成派は一家の大黒柱で武器を持った屈強なハンターたちと、そのハンターを安い金で雇う商人たち。これじゃ声を上げられなくても無理ないです」


 商人の力は絶大だ。時として国家に匹敵する支配力を発揮することもある。現地住民の意識を変えるとしたら、一か月や二か月では時間が足りない。そんな長期間に亘って滞在する時間はないし、もしかしたら環境が先に悲鳴を上げるかもしれない。


 或いは――と、ローニー副団長は目を伏せる。


「汚い話をするならば、コリントス氏を失脚させて新たなトップを据える……とか。上手く行く確率は低いですが、我々の誠意が伝わって島が平和になる、なんて空想よりは現実的なんですよねぇ」

「それこそまさかですよ。失脚させるなら相応の理由がないとしょっ引けませんて。ははは……」

「ですよねーアハハハ……」

「……」

「……」

「……ヴァルナくん側の報告が上がり次第、オークを討伐する方向性で話を進めます。ヴァルナ君に恨まれますかねぇ、問題から目を反らして組織の保身に走ったと」

「そこまで盲目な奴じゃないですよ。大丈夫、あいつは英雄なんかじゃない。自分の腕が二本しかないことも、抱えられる荷物に限界があることも知ってますって」


 騎士団には、既に諦めの感情が強く出始めていた。




 ◇ ◆




 辛気臭い会話が上司の間で行われているとを知らない下っ端騎士の一人、コーニアは今日も憂鬱だった。


 あれから毎日カチーナはスリッパの修繕が荒かったことを理由に何度もコーニアを連れ出しては町を案内しながら愚痴を聞かせまくり、とうとう先輩方にも「姫様をエスコートする仕事」とからかい交じりに認知されてしまった。

 幸いにして責められることはなかったが、当てにされていないようでもありコーニアは少し悲しかった。


 仕事服に着替えて外に向かうと、先輩の女性騎士が通りすがりに「もう待ってるわよ」と入り口を親指で指して笑っていた。あの少女もなかなか退屈しているのか、騎士の出勤より来るのが早い。


 とんだじゃじゃ馬に目をつけられたものだ、と肩を落とす。

 子供の相手が得意そうなアマルあたりに押し付けられないかとも思ったが、今はなんとなくアマルと顔を合わせづらい。そんな半端な理由で、結局コーニアは今日もカチーナに連れ回される。


「来るのが遅い! そんなんじゃまだまだ許せないわよ!」

「たまには勘弁してくれよ」

「何がたまにはよ、指で数えるくらいしか会ってないでしょ! そういうところで誠意を見せられないから私に許して貰えないんだからね!?」


 腰に手を当てて怒るカチーナの身勝手ぶりに苛立ちさえ覚えるが、口には出せない。子供相手に怒鳴り散らすなど、それこそみっともなさの極みだ。コーニアの怒りは次第に彼女の父親に向かい始める。


(そうだよ、子供を叱るのは親の仕事だろ! こんな時間からカチーナをほったらかしてこいつの父親は何してんだよっ!! 母親が家にいないなら父親以外の誰が面倒みるんだっつの!!)

「な……何よ、そんな怖い顔して……わ、私が悪いって言うの!?」

「あ……」


 不満が表情に出てしまっていたのだろう。カチーナからすればそれまで言いなりだったコーニアが突然怒ったように見えたようで、彼女の態度は一転して怯えを隠せないものになっていた。

 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 カチーナは虚勢を張るように精一杯怒鳴り散らす。


「っ、いいわよ別に!! どうせあんただって私のこと面倒くさいガキだって思ってるんでしょ!! アイツもそうだしパパもそう!! お兄ちゃんとお母さんだってどうせ私のことが……みんな私のことが嫌いなんだッ!!」

「あっ、待っ――」


 止めようとした手は空を切り、カチーナは一目散にどこかへ走り去ってしまった。その目に大粒の涙を湛えたまま。


「~~ッ!! もう、何やってんだ俺の間抜けッ!!」


 しばらく静止してしまったコーニアだが、自分の不甲斐なさに自らの足を殴って喝を入れ、彼女を追いかける。子供をあんな形で泣かせて放っておくなど、騎士として最低だ。いい加減にうじうじしすぎた自分が嫌になってきたコーニアに、少しだけ元の負けん気が戻ってきていた。


 追いかけっこはコーニアが予想した以上に続いた。


 身軽で運動神経のいいカチーナは町の柵や塀をひょいひょい飛び越え、町の裏路地まで把握し尽くした動きで遠ざかっていく。身体能力ではコーニアが上でも地理の把握で上回るカチーナは、途中で「こっち来ないでよバカぁ!!」とか「私の気持ちなんて知らないくせにッ!!」など好き勝手に叫んで回り、これでは痴話げんかではないかとコーニアは頭が痛くなった。


 やがて彼女は森林の伐採地をも駆け抜け、やがて見晴らしのいい崖に疲れ切った姿でへばるまで追いかけっこは続いた。


「ハぁ……ハぁ……なんっ、でっ……ここまで追いかけてきた、のっ……あんたが初めっ……ハぁ……」

「ほっとけないだろ、ぜぇ……俺のせいで、泣かせたなんて……はぁ……」

「はぁ……ふぅ……っ」


 カチーナは辛そうな顔で目を反らすが、小さな声で「ありがと」とお礼を告げた。それが何に対するお礼なのかは分からなかったが、汗だくになった二人は呼吸を落ち着かせて木陰に入り、コーニアの持ってきた水筒で水分補給する。


 コーニアはコップで、カチーナは水筒から直でがぶ飲みだ。

 騎士団で最近採用されたドリンクを口にを含んだカチーナは、顔をしかめる。


「うえっ、温い……しかも変な味ぃ」

「塩がちょっと入ってるんだよ。それに冷たいと腹壊すからって温いのしかくれないの! 文句言うならもうあげないぞ?」

「何よ、スリッパの修理がザツな癖に! ほら!」


 言うが早いか自分の足を突き出してきたカチーナ。

 その足につけていたスリッパはコーニアが修繕したものだが、固定が甘かったのか追いかけっこの間にボロボロになっていた。だが、コーニアも修繕の甘さはずっと気にしていたため、彼女のスリッパを無言で脱がして修繕する。


「あ、ちょっと!?」

「待ってろって」


 あれから修繕の甘さを指摘されたのが悔しくて、コーニアは毎晩藁の編み方を練習していた。スリッパの構造も調べ、そろそろ自力でスリッパを編めるようになるのではと思い始めているくらいだ。


 最初にやったときより慣れた手つきで修繕したスリッパを見ると、出来上がりが前回より明らかに綺麗だ。やはり以前の紐は編みが甘かったのだとコーニアは思い知らされた。

 スリッパをカチーナに渡すと、彼女はスリッパを装着して軽く飛び跳ね、そして少し照れを隠すように生意気な態度をとる。


「お母さんにはまだ遠く及ばないけど、す、少しはマシになったんじゃない!?」

「お前なぁ、なんでそんな言い方しか出来ないんだよ。さっきは素直にありがとうって言えてたろうが」

「それとこれとは話が別なのっ!! ……怒ってる?」


 カチーナは俯きながら、上目遣いにちらちら顔色を伺っている。

 彼女なりにまだ朝の出来事を気にしているようだ。


「なんだ、ちっとはしおらしい所もあるじゃん」

「う、うっさい!! ……知ってんのよ私だって。人づきあいが苦手ですぐ怒鳴っちゃうから近所の子とは仲良くなれないし、大人に面倒くさがられるし。お父さんのことは好きなのにお仕事は嫌いだから、自分でも訳分かんなくなっていつも喧嘩しちゃうし……」

「……」


 カチーナにはカチーナなりの悩みと辛さがあるのだろう。

 年頃の少女なのだから、苦悩しても当たり前だ。

 なにせ苦悩は大人になった後も続くのだから。

 ……時折苦悩なさそうな酔っ払った大人もいるが。


 暫く、吸い込まれそうなほど青い空を眺めて静かな時間が過ぎる。

 

 今まで意識していなかったが、この崖から見える景色は美しい。空、海、そして木々のコントラストはきっといい絵になるだろう。

 不意に視界に映った剥き出しの茶色い山肌を除けば。


 それは規模にすれば大したことのない土砂崩れの痕跡だ。

 しかし、実際に現場に行くと木々の伐採が行われた形跡があるらしい。今はあの程度の被害で済んではいるが、これからも景観が守られるとは限らない。


 コーニアの視線の先に何があるのか気付いたカチーナは、眉尻を下げる。


「ここももうすぐ景色が変わっちゃうのかな……騎士団っておーくっていう怪物を殺すために来たんでしょ? おーくを倒したら、何もせずに帰っちゃうんだ」

「……ここに住んでいる人の問題は、ここでしか解決できないよ。どんなに頭ごなしに命令したって聞かない人は聞かないんだし」

「でも、おーくはトーテムセブンなんでしょ?」

「らしいな。俺にはよく分からんけど」

「なんだ、知らないんだ! じゃあ教えてあげる!」


 知識をひけらかす機会が巡ってきたと思ったのか、カチーナがまるで教師の真似でもするように地面に木の枝で絵を描いて説明を始める。実際にはコーニアも資料は目にしたが、知ってると言うのも空気が読めないと思い黙って聞き入る。


 その昔、この島は西だけでなく東も森が鬱蒼と茂っていた。

 森は精霊の住処であり、人々はそれを畏れ敬ってきた。

 しかし東に住む人々はあるときから精霊をないがしろにし、必要以上に木々を伐採し、必要以上に田畑、建物、船を造り続けた。


 精霊はそんな人間に怒り、島の台地――ミノアの地へと移り住んだ。

 すると森から精霊の力は失われ、森は新しい木が生えなくなって見る見るうちに人々は退廃していった。


 そんな折、一人の人物――男とも女とも伝わっていない――が精霊の遣いに誘われ、ミノアの地に向かった。それは困難な旅路で、最終的にその人物はミノアに続く道がないため断崖絶壁を素手で登ったという。


「これが巫子って呼ばれる人の起源ね。巫子はその後も極たまーに出ることがあったらしいけど、ここ百年以上は来てないんだって」

「へー。でも今まさに言い伝えと似たような危機が発生してるし、案外東にいるかもしれないぞ」

「だったら早く問題解決して欲しい……って言いたいけど、精霊に怒られるからやめとこっと」


 巫子の旅は続き、遂に彼はミノアの地へとたどり着く。

 そこには精霊の住まう神聖なる土地が存在していた。

 巫子が精霊に言う。


 我ら人間は心が弱く、欲望に負けてしまった。

 もう二度と森をいたずらに傷つけはしない。

 だから、今一度人にやり直す機会を与えては貰えないか。


 精霊はその問いにこう返す。


 失ったものは二度と戻ることはない。

 人はまた同じ過ちを冒すだろう。

 しかし、人々の為に精霊の住まう地まで辿り着いて見せたお前の高潔さを評価し、ほんの少しの手助けをする。


 精霊は聖地の木を引き抜き、荒れ地と化しつつあった東の地に投擲した。さかさまに地面に突き刺さった木々は、荒れ地でも精霊の加護によって強い生命力を持ち、人々に様々な恩恵を与えるものになった。


 しかし、精霊はこうも告げる。


 人は心が弱く、欲望に負ける。汝の言う通りだ。

 故に、二度目の過ちを目こぼしすることはしない。

 二度目の過ちが起こりしとき、トーテムきたる。

 トーテムは精霊の意思を代弁するもの。

 地を、水を、火を、風を、獣を、森の声を代弁するもの。

 代弁者の裁定を以てして、六つの代弁者は裁きを下す。

 汝ら、努々忘れることなかれ。


「……この代弁者のことをトーテムセブンって呼ぶの」

「それがオークに……はぁぁぁ。本土だとオークも環境破壊するんだけどなぁ」


 環境が変われば行動も変わる。

 アルキオニデス島のオークは精霊の代弁者に昇格したらしい。


 ちなみにこのトーテムのうち森と獣の象徴的存在として虎が崇められ、トーテムの正体は虎であるというのが一般的な解釈らしい。それに、虎は強い。この島の捕食者としていままでずっと最強の存在であり、戦士にとっては特に畏敬の象徴だった。

 だからこれまで虎は神聖視され――そして今では最新の狩猟道具によって狩られる存在となった。


 トーテムを倒せるのなら精霊など怖くない。

 そんな驕りもあったのかもしれない。

 しかし、実際にはトーテムは別の形で姿を現した。


(……こんなとき、先輩ならどうすんのかな)


 いつも問題解決に全力で取り組み、そして今はすぐには会えない場所にいる偉大なる先達に、コーニアは相談したくなった。


 ――その日の夕方、ハンターが久々に虎の子供を仕留めたと町が湧いた。


 まだ愛らしさのある小さな虎の死体を意気揚々と持ち帰る住民と、それを羨ましがり自分も虎を仕留めたいという住民。そして、その残虐な行為に思う所がありながらも何も言えない住民。

 同じく何も出来ないコーニアの隣で、カチーナが心底人に失望したように「嫌い」と呟くのが聞こえる。


「虎狩りなんて……虎狩りのせいで……何で……」


 ハンターの正体は、カチーナの父だった。

 その日、カチーナは家に帰らず騎士団の宿舎となった研究所までついてきて、駄々をこねた。コーニアはそんなカチーナのことを久々に目を合わせたアマルに任せ、自分は事情を伝えるためにカチーナの父、エトトの家へと向かった。


 様々な思いはあったが、一つだけこれと決めた思いを秘めて。


(カチーナの苦しみをもう少しでいいから理解出来るようになりたい)


 自分如きに問題は解決できないだろうけれど、寄り添うことくらいは無理ではない筈だから。

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