第345話 ヘンです

 アルキオニデス島東部の調査は思うように進まなかった。

 原因は大別して二つある。


 一つは戦士代表のトゥルカがとにかく非協力的なことだ。


 ただ協力しないだけならまだしも、彼は他の戦士に質問しているところに割り込んで暴言を吐いたり、騎士団の一つ一つの所作から自分たちと違う部分を見つけては嫌味を吐いたり、とにかく人の癪に障るようなことばかりをする。

 そのたびに騎士団は集中力を乱された。


 俺は特に気にせず受け答えしているが、他の騎士団員のイライラは着実に積み重なっている。特にカルメはこのままだと本当に彼を弓で射てしまいそうな気がしたのでプファルさんの護衛に就いて貰っている。


 同行する戦士のシャーナもそんなトゥルカに何度も注意するが、そもそもこの二人の仲が悪く、気が付けば騎士団そっちのけで険悪な口論に発展していることもあるほどだ。他の戦士たちはと言うと、巻き添えを避けて目を反らしている始末だった。


 調査が進まないもう一つの原因は、プファルさんである。


 彼は別に妨害行為を行っているという訳ではないが、三歩進めば何かしらの動植物を発見して勝手に駆け寄って行ってしまうのだ。最初会話したときは比較的まともな人かとも思っていたが、研究者としてのスイッチが入ると周囲のことがまるで見えなくなる。


 彼の足が止まるたびに騎士団の行軍が遅くなり、いらぬ気を割いてしまう。丸一日このような出来事が続いて予定調査区域の半分も進めなかった俺は、このままでは仕事にならないと思い、厳しい決断を下すことにした。


「プファルさん。申し訳ありませんが貴方に合わせていると私たちの仕事が進まないので、こちらを」

「いやぁごめんなさ……えっ、何ですかこれ」


 お恥ずかしいとばかりに平謝りしたプファルさんは、俺が手渡したものに絶句する。

 手渡したのは罪人や獣を拘束するために騎士団が使用する拘束具で、具体的には首輪である。しばし沈黙したプファルさんは、引き攣った笑みを浮かべた。


「あ、ああ! なるほど! はいはい分かりましたよ、これは比喩表現というものですね! これ以上勝手な動きをすると承知しないという警告を、首輪に喩えたものですねアハハハハハ!」

「いえ、装着して頂きます」

「えっ」


 プファルさんの顔が硬直する。

 俺だってこんなことはしたくないが、研究者とは駄目と言われても一度フィールドに出てしまえばやってしまうものである。故に、言葉による拘束より物理的拘束の方が有効だと俺は考えた。


「今回はあくまで勝手に隊列を離れないことを目的とするので首輪以外は装着していただかなくて結構です」

「えっ、いやっ、えっ」

「手綱はカルメに握らせます。ダメなときは手綱を一回、行ってもいいときは手綱を二回引くので覚えておいてください」

「あー……冗談きついなぁ王国最強騎士は! こんなもの付けなくたって、僕も社会人なんですからそれくらいの分別はつきますってアハハハハハハ……じ、冗談ですよね?」

「ええ、冗談です」

「ほっ……」

「行っていいか悪いかはちゃんと口で伝えますし、睡眠時、食事、水浴び等の際は外すことを許可します。移動時は必ず着用してください。着用していただけない場合、貴方を研究所に戻すためにナルビ村へ引き返します」

「ホゲェェェーーーーッ!?」


 変な悲鳴を上げる人だが、駄目なものは駄目だ。

 研究は騎士団の任務が終了してから存分に行って欲しい。


「僕の人としての尊厳がどんどん失われていく……」

「人として常識的な行動をしない人にはこうするしかないんです。社会規範とはそういうものなんです」


 ちなみに我らがノノカさんの場合、仕事の範囲で調べるモードと本気で調べるモードを上手く切り替えているので騎士団に迷惑が掛かることはあまりない。やはり出来る人は一味違う。


 で、もう一つの問題――トゥルカのことだ。


 彼らの流儀に則れば、決闘の一つでもして勝つことで相手を黙らせるという手段がある。当然俺もそのことは考えた。しかし、さりげなく「決闘でもして正否を決めるか?」と聞いてみたら、「貴様と俺とでは勝負が成り立たぬ。無駄な労力だ」と言われた。


 確かに、と唸る。


 トゥルカは確かに優秀な戦士かもしれないが、はっきり言って対人戦闘の技量は大したことがないであろうことが彼の所作に見え隠れする。身のこなしには確かに過酷な自然を生き抜いた経験が感じられるが、時折挑発めいて動かす槍の動きが雑なのだ。

 これは彼が弱いとかではなく、カシニ列島では対人を想定した武術の必要性が薄く、武術が発展しなかったのが主な原因だと推測している。


 ――ということを懇切丁寧に説明して、確かに勝負が成立しないから決闘を避けるのは恥ではないと言ったら、それ以降暫くトゥルカは一切口を利いてくれなくなった。


 周囲に「いやトゥルカが言ったのはそういう意味じゃねーし!!」とツッコまれて俺が勘違いに気付いた頃には時すでに遅く、俺はトゥルカの煽りに全力で煽り返した形になってしまっていた。


「先輩って常識人ぶってますけどたまにしれっと天然爆弾投げつけてきますよね」

「いっ、いいんだよ別に! 俺王国最強だし!? 事実は事実だし!?」

「照れ隠しのビッグマウスが実は単なる真実なのがまたひどいなー」

「ねー」

「いっそわざと負けてやれ。トゥルカが可哀そうになってきた」

「それが一番傷つくのでは?」

「バカめわざとだゲハハハハッ!」

「笑い方が邪悪ッ! さてはてめー悪魔だろ!」


 ……期せずして膨れ上がっていたトゥルカへの不満が薄れたのは怪我の功名だと思いたい。


 ただ、あれだけの屈辱を受けても決闘に訴えなかった辺り、彼は最初から決闘を受けないことで自分の態度を正当化しようとしているのかもしれない。決闘をすれば結果が出て、結果が出たら従わなければならない。なら結果を出さなければいいというわけだ。

 子供の理屈にも聞こえるが、国家間でもたまに使われる手口らしいのであながち馬鹿にはできない。


 夜になりキャンプを張る騎士団とナルビ村の戦士たち。

 その間には微妙な距離があり、親しげな交流は見受けられない。

 焚き木の煙が立ち上っていく空に広がる星を繋げて星座を探しながら、俺はどうしたものかとため息をついた。

 と、背後から無遠慮な足音が近づき、隣に誰が座る。


「横いいか?」

「座ってから聞くものじゃないぞそれ」

「あ……うっかりしてた」


 焚き木の光に照らされるのは、失敗を誤魔化すように頭を掻くナルビ村の戦士だ。

 戦士の中に混ざっているのを見かけた覚えのある、数歳は年下の男の子だ。王国で成人が十五歳からなのに対しカシニ列島近辺では十二歳が成人らしいので、恐らく成人になりたてだろう。


 少年は人懐こい笑みで肩を寄せてくる。


「な、な! おれムームーって言うんだ! でもおれはお前知ってるぞ、バルナだろ!」

「あー、ちょっと発音が違うな。こう、下唇を軽く押し出すような言い方で、ヴァ、ルナだ」

「うー? ば……うー……ヴォ?」


 言われるがままに発音を試すムームーは、暫くしてコツを掴んだのか発音が修正されていく。


「ヴァ、ヴ、ヴォ! んん……ヴァルナ!! どうだ、合ってる?」

「ばっちりだ」


 嬉しそうに笑うムームーの人懐こさに思わず頭を撫でてやりたくなり、そういえば頭を撫でるのはここではタブーだったのを思い出して手を引っ込める。ムームーはそれには気付かず、何が嬉しいのかにこにこしなから俺の名前を呼ぶ。


「ヴァルナ! ヴァルナかぁ! 聞いたことない名前だ。王国でヴァルナって珍しいか?」

「いや、別にそうでもないかな。町を探せば一人二人は見つかるだろ」


 というか、俺が王国筆頭騎士になったことで男の子供にヴァルナの名をつける親が増えているという噂もあるので、将来的にはもっとありきたりな名前になるかもしれない。

 俺の考えをよそに、ムームーはほー、と感心したような声をあげる。


「おれ、西の方も王国も行ったことないからすごく気になる! ヴァルナ、キシダンで偉いなら物知りだろ? 王国のこと聞かせてくれ、な!」


 馴れ馴れしい喋り方というより、目上の人との喋り方を知らないのだろう。それはそれで親しみを感じやすい気もするが、一応は確認を取る。


「そりゃ構わないけど、夜中に王国人に近づいてトゥルカ辺りに怒鳴られないか?」

「おれ成人したから、自分の責任は自分で取るだけ。それにトゥルカ、ちょっとヘン。確かにみんな西の商人のことでちょっとピリピリしてるけど、そもそもトゥルカは元々西の戦士だし! 自分の故郷の人たちも悪く言うから、みんなヘンな顔する。おれもヘンだと思う。ヴァルナはどう思う?」

「……そりゃ、不思議だな。うん、ヘンだ」


 思わぬ形でトゥルカの情報を手に入れた俺は、その事は顔に出さずムームーに頷く。すると同意を得られたムームーは更に愚痴を加速させた。


「だよな! 西のこと聞いても教えてくれないですぐ怒鳴る。だからバウ先生にオーコクのこと聞くけど、先生は島に来る前のことは思い出せないって言うし」

「思い出せないって?」

「キオクソーシツ、いうらしい。バウ先生は強くて頭もいいし、物を作ったりするのも上手いのに、覚えてないってヘンと思う!」

「それは……どうだろう。頭を打ったりすると思い出せなくなることあるらしいから」

「えー? 身体の動かし方も料理の仕方も覚えてるのに、暮らしてた時のこと覚えてないなんてヘンだよ!」

「人の体は不思議なんだよ、うん」


 詳しくないのではっきりしたことは言えないが、脳というのは場所によって司る記憶の種類が違ったりするらしいのでその関係だろう。脳というのはまだ人類が詳しく解明できない神秘の臓器なのである。


 気になる話が一度に二度も出てきた。

 しかし、さっきの俺の返答がお気に召さなかったのか、ムームーは少しだけ不満顔だ。詳しく聞かせてくれと問うてへそを曲げられるかもしれないと思った俺は、一つ思いつく。


「俺はムームーの知りたいことを教える。その代わり、ムームーは俺の知りたいことを教えてくれ」

「おお、知ってるぞそれ! 人生はあげることと貰うことで成り立つって長老が言ってた!」


 それから暫く好奇心旺盛なムームーの質問に答えつつ、たまに彼から話を聞き、夜は更けていった。


「バウ先生ってなんでもできる! 文字の読み書き、天気占い、薬だって知ってる! でも余所者。前に村の一員として出迎える為に村の女を娶らないかって話があって、これで村の人になるって思った! でもバウ先生断った。だから先生のこと嫌いな人、ちょっといる……おれは嫌いにはならなかったけど、たまにヘンな気持ちになる」


「トゥルカ、へんなやつ。こっちの村にも西あっちの町にも家あるらしい。自分の話もあんまりしない。強いから戦士の長になったけど、若すぎるんだって。長なのに心が未熟なの、ヘンだって長老困ってた」


「角がなくなって死んだサイ、最近見るようになった。王国人が『かにしらいのくす』って呼んでる獣? 弱って逃げてきて、でも結局死んじゃう。王国人は角で彫刻掘ったり、薬にもするんだって。でもバウ先生は角を食べても何の意味もないって言ってる。王国人と先生で言ってること違うの、ヘンだ」


「精霊ってどんな姿かな? 精霊の住む場所、行ってみたいのに行っちゃ駄目なんだって。見たこともない精霊を偉い凄いって言ってるの、ヘン。普通ちゃんと目で見てから偉いか凄いか分かるんじゃないの? それお母さんに言ったら困ってた。ヘンなの」


 ムームーは好奇心旺盛な年頃らしく、世の中の色んなものが「ヘン」に思えるらしい。彼の会話の九割近くは何かへの疑問に溢れている。当然彼の質問への答えにも「何故?」「ヘン」と突っ込まれるものだから返答には根気が必要だった。


「へへっ……こんなに喋ったの、初めてかもしれない! みんな途中で話してくれなくなる、もの……ふわぁぁ」


 大きな欠伸をしたムームーは更に何かを聞こうとしていたが、やがて眠気に負けてこちらに倒れ掛かってきた。エネルギーが急に切れたように眠るさまは子供そのものだ。人の膝に頭を落として寝息をたて始める純真無垢な少年をどうしたものかと思案していると、シャーナが駆け寄ってきた。

 そしてすぐに眠りこけるムームーを発見し、あちゃあ、と額を抑える。


「見当たらないと思ってみれば……弟が迷惑をかけてすまない」

「姉弟だったのか? 顔はそんなに似てないが……」

「……? 母親が違うのだから、似ない姉弟がいてもヘンじゃない」

「えっ……と。あー、そうか……そうだな。すまん、ちょっと勘違いしてた」

「ヘンな奴だな……まぁいい。弟に妙なことを吹き込むなよ」


 慣れた手つきでムームーを背負ったシャーナは、友好的とは言えないが弟の事を案じる態度で一睨みし、去っていく。彼女もヘンという言葉を使うが、果たして姉が先か弟が先か。何にせよ仲は良さそうで何よりだ。


 カシニ列島の部族では、社会的地位の高い男は複数の妻を娶る権利を得られるらしい。だから異母兄弟などこちらでは珍しくもないのだろう。またもや文化の違いを感じてしまった俺は、二人が見えなくなるまで手を振って送り出したのち、自分のテントに向かう。


 結局、ムームーの会話からトゥルカをどうにか大人しくさせたり和解する手掛かりは得られなかった。明日からはなるべくトゥルカの妨害染みた口出しを早く処理するために、俺が積極的に出るしかないだろう。


(身を挺して緩衝材になる羽目になるとは……今更ながら、中間管理職って大変だな)


 昼はあれだけ暑かった大地に吹く風が、夜は少々冷たかった。

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