第344話 SS:悪いと嫌いは違います
修繕を終えたスリッパを履いたカチーナは、開口一番不満を表明した。
「なんか違う! お母さんの直した時よりごわごわしてる!」
「それは、その……ごめん。藁の編み方なんて知ったのつい最近なもんで、荒かったかな……」
「アラい! こんな修繕じゃ私の心は満足しないんだから!」
最初の様子から一転してお転婆さが垣間見える表情を見せ始めたカチーナに、コーニアはしどろもどろになる。自分より一回り小さい少女が相手では意地を張って言い返す方が情けなく思えて言い返せなかった。
しかし、恐らく今の彼女の態度こそが普段の気性なのだろう。
一通り文句を言い終えたカチーナは、ふぅ、とため息をつく。
スリッパ自体は履くのに問題なかったのか、彼女は普通に立ち上がって跳ねたりしている。
微笑ましげに見物していたフィーレスがふとコーニアに疑問を投げかけた。
「それにしても藁の編み方なんてよく知ってたわね? 都会育ちでしょ?」
「えっと、ヴァルナ先輩の家に遊びに行ったときに、偶然列国の藁の編み方の本を借りまして……」
実際には失恋の余り現実逃避気味に畳を絶賛していたら、ヴァルナの義妹であるマモリが同情して本を貸してくれたというのが真実だ。藁を編んでいると暫くは何も考えずに済んだのもあり、船の中では無駄に藁を編み続けた。
そんな裏があるとは流石に予想しなかったフィーレスは、感心の声を漏らす。
「へぇ、それってここ数日の間の話よね? 流石は道具作成班に選ばれるだけのことはあるってことかしら?」
「だといいですね、ハハ……」
コーニアから見て、道具作成班は余りにも尖り過ぎた才能の持ち主ばかりだ。あの中で凡人と呼べるのはザトー副班長のみ。その副班長も長年道具作成に携わって経験を蓄えた歴戦の先輩だ。コーニアは正直、そこまで自分を練り上げられる自信がない。
かといって今更別の班に移されたところで自分程度に何が出来るというのか――幾度となくネガティブに流れる思考を遮るように、カチーナが突然コーニアの腕を引っ張る。
「じゃ、行くよ!」
「へ? あ、ああ……家まで送るよ」
「は? なに言ってんの? こんな雑なスリッパ修理で私を転ばせた罪がチョーケシになる訳ないでしょ!! 罰として付き人になりなさい!!」
「な、それはちょっと調子に乗り過ぎだ……」
いくら何でもそこまですると任務中に女の子と遊んでいたことになり、言い逃れできないサボリになってしまう。焦るコーニアだが、ここで思わぬ方向からフォローが入る。
「行ってあげたら?」
「フィ、フィーレス先生!?」
「元々の非は貴方にあるわけだし、副団長には私の方から言っておいてあげるから付き合ってあげなさいよ。それにホラ、現地人と仲良くなったら情報を手に入れやすいかもしれないわよ?」
後押しするフィーレスは優しく、そして遠回しに逃げ道を潰していく。
結局、コーニアは釈然としない思いを抱きながらも折れた。
◇ ◆
コーニアは海岸を歩きながら、カチーナの愚痴をひたすら聞かされた。
「……なのにお父さんはお金の話ばっかりして!!」
「そうなんだな」
「しかも、しかもよ! お父さんったら……!」
彼女が元々東部出身だったことなど、内容は様々だ。
若い男女が二人きりで砂浜にというとムーディーに感じるかもしれないが、コーニアが十五歳なのに対してカチーナは十一歳の子供。状況は妹の尻に敷かれる兄にしか見えないだろう。コーニアには弟がいるが、十歳以上年が離れているので子供の面倒の見方の参考にはならない。
さて、フィーレスの言う通り現地人との交流は情報を得る機会でもある。しかし、チャンスとは本人がチャンスと思っていなければ如何に絶好のものだとしても意味なく通り過ぎていく。
失恋のダメージに加えて望んでもいないのに少女に付き合わされているコーニアは、上の空で貴重な生の情報を半分聞き流していた。しかし、カチーナは自分の喋りたいことを喋っているのでコーニアの態度には気付かない。
噛み合わない二人は暫く歩き続けたが、不意にカチーナが険しい顔で物陰にコーニアを引っ張る。海岸沿いの壁に近づけられたコーニアの視界に、わらわらと群がる多足類の姿が飛び込んできた。
「い……ッ!!」
思わず悲鳴を上げそうになったが、理性が辛うじてそれを防ぐ。
コーニアには見慣れない生物だが、これはフナムシという海岸沿いにはよくいる虫だ。厳密には虫じゃないとノノカが言っていた気もするが、記憶が朧気だった。
まさか嫌がらせの為にここに来たのかと思わずカチーナの方を非難の目で見るコーニアだが、物陰の外から聞こえる会話に冷静さを取り戻す。
「……なぁ、そろそろ限界だと思わないか? 森のオークはそのうち騎士団が殺しちまうし、もうカシニ列島に籠る旨味はないだろ。そろそろ王国に進出するべきだって」
「確かに最近ちょっと月の売り上げは頭打ちになってきたけど、せっかく世間に浸透し始めたんだ。数減らして値段吊り上げりゃまだまだやれるだろ」
「そうそう。まぁ流石にそろそろ禁猟の時期とか考えなきゃだけど」
声の主は商人と思し数名。
一人はある程度現状を認識しているようだが、他はそうでもないようだ。
「はぁ……小遣い稼ぎで満足するお気楽ハンター共じゃあるまいし、もっと広い目で見ろって。それともこの島以外の島まで巡って捕まえまくる気か?」
「いや、そりゃ難しい。キジーム族の連中がいい加減痺れを切らしてきてる」
「んなもん騎士様に暴徒として鎮圧して貰えはいいじゃねーか」
「確かにな。あいつら商売に逐一口出ししてくるわ金は払わねぇで未だに物々交換だわ面倒くさいんだよな」
確かにオスマン、リベリヤ、トロイヤ三兄弟の報告によると、キジーム族はアルキオニデス島を王国商人が牛耳り環境を破壊する現状に不快感を示しているそうだが、彼らの口調は騎士団を便利屋か何かと思っているかのようでコーニアは言葉にならない苛立ちを覚える。
これが王国商人の姿か――そう憤りを覚えながら通り過ぎた商人たちの後ろ姿を確認したコーニアは、唖然とした。商人たちは褐色の肌、すなわちカシニ列島出身者だったのだ。既に状況は、王国商人だけをどうこうしても意味のない段階に入っていたことをコーニアは悟る。
と、隣で黙っていたカチーナが忌々しげに口を開く。
「この町、嫌い。みんなバラバラの方を向いて好き勝手やって、最後には島を捨てて出ていこうとする。お父さんなんてね……お母さんを置いたまま出ていこうとしてるのよ。お兄ちゃんなんかそんなお父さんを変えた商人や変わっちゃったお父さんに怒って東に帰っちゃったし……私を置いてけぼりにして」
「カチーナちゃん……」
「嫌いだ……みんな嫌い……それもこれも、全部アイツのせいよ」
彼女の視線は、この町で最も高く大きな家に向く。
その家の持ち主を、コーニアは知っている。
この島に最も早い段階で辿り着いた男の商人であり、元は小さな村だったフロンを今の町の形にした中心人物。そして、跡取り息子をエンケラドゥストラに殺されたのを切っ掛けに森の破壊に乗り出したとされる存在。
「コリントス・アシズ……」
とある大商人の縁者らしく王国内でも相応の資産を持つコリントスは、近年アルキオニデス島に執着するようにずっとここに住んでるという。特にエンケラドゥストラの毛皮の販売はコリントスが牛耳っているらしく、動向に注意するよう指示があった。
「息子の敵討ちのつもりもあるのかね、わざわざ虎を狩るのは」
「虎に子供を殺された? 馬鹿言わないでよ……殺したくせに」
「え――?」
予想外過ぎる言葉に、コーニアの思考が一瞬停止した。
「自分で殺して虎のせいにして、ほんっと馬鹿みたいッ!!」
「あっ、待っ……行っちゃった」
カチーナはまた感情的になって駆け出してしまった。
胸中を渦巻く感情を上手く整理できないのだろう。
これを口実に彼女から離れようかいう考えが脳裏をよぎるが、また転んで膝から血を流されては治癒したフィーレスに申し訳が立たないと思ったコーニアは彼女を追って駆け出す。
「……ここで即決できないから駄目なんだろうなぁ、俺」
騎士ヴァルナなら何の躊躇いもなくカチーナを追っただろう。
自分の騎士としての心構えの未熟さに反吐が出る思いだった。
しかし、ただ一つ。
(コリントスが自分の息子を殺した……? 言葉通りなら殺人事件だが、子供の死因は確かに獣に襲われて出来たものだったって記録に……一体全体どういうことだ?)
子供の勝手な思い込みかもしれないが、だとしても気にはなる。
カチーナの残したその言葉の真相だけは、確かめるべきだ。
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