第十六章 密林の調停者
第335話 崩壊の危機です
カシニ列島――。
王国より南に広がる海洋に点在する島々は、王国本土と近年まで全く繋がりのなかった場所だ。王国による本土開拓以降も暫くその存在は噂程度でしか確認されておらず、造船が活発になり領海周辺の調査に乗り出した時点でやっとその存在が確認された。
一応王国の国土という扱いになっているが、実際には少々グレーな場所らしい。王国内の少数民族などは国王と直接話し合って王国民になることを受け入れたが、カシニ列島は少数民族の中でも更に派閥が細かく分かれており、代表的な数派閥の代表と話がついただけだという。
その後、数派閥によって根回しがされて一応カシニ列島は王国に組み込まれたが、貨幣文化を持たない彼らに徴税だの衛兵だのといった王国の平均的文化が嚙み合わず、独立都市のような扱いになっている。
言葉を選ばずに言えば、未開地だ。
「そこが次の仕事場所って訳か」
「らしいっす」
イセガミ家に報告兼くつろぎに来たキャリバンがせんべいを齧りながら頷く。
ここ数日ですっかりイセガミ家に馴染んだ俺だが、騎士団の客を招き入れるのは後輩たちばかりだ。何故なら後輩たちは信用できるが先輩方の大多数がいらんことばかりしそうだからである。マモリに変な虫は近寄らせられないし。
なお、一緒に来ているのはいつもの面子とばかりにカルメ、ベビオン、ついでに何故か落ち込んでいるコーニアである。カルメはせんべいを食べたことがないのか両手で持ち上げて端っこをかりかり食べており、ベビオンに「リスみたいな食い方だな」と突っ込まれている。コーニアは部屋の隅で転がっている。
キャリバンは話を続けた。
「実はカシニ列島には前々から王立魔法研究院の方々が生態や地政学、海洋学等の研究のため滞在している研究のホットスポットなんですが、そうは言っても研究院自体が比較的最近のものですから滞在は数年程度なんです。その数年のこつこつと重ねた地元住民とのコミュニケーションで今回の事態が発覚しました」
「つまりオークがいたと」
「そういうことっすね……今回リンダ教授が絶対に行くって言いだしてるくらいなので、さぞ大自然が広がってることでしょう」
ははは、と乾いた笑いを漏らすキャリバン。
リンダ教授はキャリバンのファミリヤ使いとしての師匠であり、研究院の中でもひときわ変人であることで有名な女性だ。俺は一度しかお目にかかったことはないが、外見的には黒く長い髪と白い肌、そして人形のように表情のない整った顔の人物だったと記憶している。
キャリバン曰く感情が分かりづらいだけで、感情の揺れ動きはむしろ人より極端なくらいらしい。王都で休むたびに彼はこの教授の下を訪れ、仕事内容を語ったり世話を焼いたり新しいファミリヤを紹介したり世話を焼いたり、講義を受けたり世話を焼いたりしているそうだ。多分かなり生活力が低いと思われる。
閑話休題。
問題はその大自然である。
「海の向こうじゃ騎道車は使えないからこれまでと勝手が違ってくるな……」
「一応聖艇騎士団の拠点、兼研究院の宿泊施設を間借りさせて貰えることになってるっす。あと研究院のパドルシップの新型とかも借りるらしいっす。ただ、それ以外についてはやっぱりキャンプとかになるんじゃないすかね?」
「人数制限もありますよ、先輩」
せんべいから口を話したカルメが会話に加わる。
「あまり大人数で行くと仕事に支障が出るって話になって、派遣人数かなり絞るそうです。遊撃班はヴァルナ先輩を臨時班長に半数、回収班や工作班はもっと減ります。道具作成班は全員来るそうですけど……」
「そうなると本土のオーク討伐もキツくなりそうだな」
今の季節は夏。オークが最も活発に活動する時期である。
今年は第二部隊の活躍こそあれ、第一部隊はナーガの件などでかなり討伐ペースが滞っており、かといってカシニ列島も捨て置けないが故の苦肉の策だろう。
と、ベビオンが口を挟む。
「そんなに悲観することでもなさそうですよ」
「なんだ、珍しくいいニュースでもあるのか?」
「本部でちらっと聞いたんですけど……聖天騎士団が協力してくれることになったらしいです。ワイバーンによる偵察や援護、そして何より補給物資! どうもナーガの一件を綺麗に片づけたことで外対騎士団の王国内の重要度はかなり上がったみたいで、聖天も今のうちに安くていいから恩を売っておこうと親切になってるって話です」
「ほー、そりゃ胸の熱くなる話だな」
ネメシアからその話は聞いていないので、下まで伝わっていないか、もしくはここ最近急に決まった方針なのだろう。あくまで援護なので直接戦闘にどれほど関わるかは不明だが、補給物資不足が常態化しがちな外対騎士団ではこれの有無の差は大きな効率の違いを生み出す。
そのネメシアだが、最近すっかりマモリと仲良くなっており、二人で仲良く
というか、奥義研究中のマモリはもうオーク数匹くらいなら殺せそうである。
「奥義、登龍ッ!! ……なんか違う気がする」
「握り方はこれでいいと思うんだけど、腰のひねりかしら……こうッ!!」
「今、かなりいい音してた」
「よね、よねっ! さて、あとはヴァルナに呼吸の仕方について相談すればこれも『辰巳天滝流ヴァルナ派』の奥義に追加ね!」
……正当な動きかどうか分からないからって俺に呼吸監修させて『ヴァルナ派』なる新たな流派に仕上げるのはどうかと思うが。俺の名前を使えば分派させていいみたいな謎理論はやめてもらいたい。
そう呟くと、キャリバンとベビオンが胡乱気な顔をした。
「先輩だって異伝とかって勝手に作ってるじゃないすか」
「正当な奥義じゃないもんを正当な奥義のように扱えねぇだろ?」
「それこそ名前変えれば正当じゃない技作っていい理論になりません?」
「そうだそうだ! 王国攻性抜剣術の伝統を破るな! あとノノカ様の研究室で昼寝したって本当なのかよ!!」
「文句があるなら免許皆伝までたどり着け」
キャリバンとベビオンは同時に目を反らした。
騎士団に入ってから奥義の上達が見られない奴に奥義の云々を問われたくない。それともこの後訓練に付き合えという婉曲なフリだろうか。もちろん歓迎である。カルメはといえば、剣術を完全に諦めているので他人事で笑っている。
「ところでカルメ、コーニアは何しに来たんだ」
「なんだか失恋したそうで、気分転換になればいいかなーと思って連れてきた……んです、ケド」
遠慮がちなカルメの視線の先には、畳の網目の数を数えるコーニアの姿。
「へっ、へへへっ。網目が四百、網目が四百一、網目が四百二……植物の繊維をこんなに細かく積み重ねるなんて、なんて不思議な加工品なんだ……俺がこの域に達するまで何年かかるかなぁ、へへっ、へっ……」
「ダメそうだな」
「ダメそうですね」
哀愁漂うコーニアの背中にカルメは気の毒そうな視線を送る。
叶う恋あらば敗れる恋あり。
無責任な言い方だが、世の中には素敵な女性は沢山いる。
彼もいつか新たな恋の相手を見つけられるだろう。
今はただ、それまでの間に心の整理をしたいだけなのだ。
「よし、余計なこと考えられないくらい運動すれば多少はすっきりするだろう。しごいてやるか」
「やめてください先輩。特に根拠はないですが今の先輩がコーニアをしごいたら彼の大切な何かが粉微塵に打ち砕かれる気がします」
「そんなことはないと思うが……まぁカルメがそう言うのも珍しいし、今回はお前を信じておくか」
「ほっ……」
腕を掴んでまでして止められては、俺も無視はできない。
と、奥の戸が開いてコイヒメさんと使用人がやってくる。
「ヴァルナ。それに騎士団の子たちも、お茶とお菓子と次の仕事場所の情報を用意したわ」
「あ、これはどうもご丁寧に……ってもう情報仕入れたの!? 早すぎるだろ
「イセガミ家の次期当主を全力サポートするって言ったでしょ? それに今回の情報は悪いけど外対騎士団より先を行ってる自負があるわ。お茶をいただきながらお話をしましょ?」
自慢げに微笑むコイヒメさんの手には相応に厚い書類があった。そして有言実行とばかりに、そこには確かに騎士団がまだ掴んでいない多くの情報が含まれていた。余りにも鮮やかな手際に後輩たちが息を呑む。
「先輩のお義母さん、スゲェっすね……」
「どんな情報収集能力してんですか……」
「商人って意外と横の連携が強いんですのよ? うふふふ、どうヴァルナ? おかあさん役に立った?」
「そりゃもう、頼もしいくらいだよ」
「じゃあ頑張りのご褒美にハグ頂戴! ハ、グ!」
「えぇぇ……? わ、分かったけど……」
ウェルカムとばかりに両手を広げて期待の視線を送る困った義母に、俺は仕方なくハグをするのであった。この人も実はマモリに似て甘えん坊なのかもしれない。満足したコイヒメさんとは対照的に、後輩たちはなんとも気まずそうな顔をしていた。
やめて、そんな目で先輩を見ないで。
だってコイヒメさんやたらスキンシップ好きで、マモリにも結構こんな感じなんだから仕方ないじゃないか。この人も多分旦那さんに先立たれて寂しいんだよ。
◇ ◆
翌日、任務出発前のブリーフィング。
「うぉっほん……静粛に!!」
年季の入った威厳ある王立外来危険種対策騎士団の団長ルガーの声がエントランスに響き渡ると、ざわざわと騒がしかった団員たちの私語がピタリと止まる……ことなくざわざわし続ける。
「あー、んー、うぉっほん……静粛にぃッ!!!」
再度、先ほどよりも大きな声が響き渡り、今度こそ団員たちの私語が止ま……らずに意にも介さぬと声の主を見向きもしない。
「この日の為に用意しましたよ、今度こそマゼランブランドの水着!! 本来十万するところを値切りに値切って今度はなななんと! 一万九八〇〇ステーラ!! この夏はこれで決まりだァ!!」
「……おい、それロゴMazellan(メイズラン)になって……いや、いい」
「おいお前、見たかよヴァルナの義妹!」
「いや、見てない。お前見たのか!」
「へっへっへっ……見てない!」
「じゃあなんでちょっと見た風を装って話振ったんだドアホ!」
「実際どうなんヴァルナ。妹さん可愛い?」
「はい」
「即答したッ!?」
「はーいこれ仕入れた日焼け止めクリーム! 焼いてもいいけど焼きすぎると後で後悔しても知らないよー!」
「行先の島って日差し強いんでしょ? 焼け過ぎて皮とか剥けると悲惨だもんねー」
「お肌もいいけど熱中症には要注意! 砂漠と違って南の気候は湿度が凄いから砂漠とは違った辛さがあるわよ!」
「はーい、フィーレス先生ー! 先生にもクリームぬりぬりのお手伝いしますので!!」
「うひゃぁ!? わきわきした手で体を触るなぁ!! こういうのは同性同士でも立派なセクハラなんですからねッ!?」
騎士団に数多ある蔑称の一つ、幼稚園騎士団の何たるかをありありと見せつける統率力ゼロの姿に、ひげジジイことルガーはイライラしたように壇を指でこんこん叩く。
「はいはい知ってたんだよねー俺。知ってましたよこの流れは。でもまぁたまには期待したいじゃないの? 仮にも騎士団を統率する長が来るんだから今回くらい多少は落ち着いてるかなーとか期待するじゃないの? ねぇおいコラ聞けやッ!!」
またまたそんなこと言って本当は期待してたくせに、みたいな顔までされて全力で煽られる騎士団長。他の騎士団には見られない光景であるのは言うまでもない。ガーモン班長が申し訳程度に騒ぎの終息に乗り出した。
「こらこら、ちょっとは静かにしなさい! ンジャさんがここにいたら『田夫野人の集まりナリ』とか言われちゃいますよ!」
「そのンジャ先輩の容体はどうなんだよ」
「湯治中です。北東の温泉地でセネガに世話焼かれてのんびりやってますよ」
「はぁぁぁぁぁ……そうなんですよねぇ……セネガ君がいなくなってから書類が上手く片付かないんですよねぇ……あんな性格でも仕事はちゃんとしてたんですよ彼女は……はぁぁぁぁぁぁ……」
「みんなで手伝いますって! ね! ……おいこらクソひげジジイ!! お前副団長のこの姿見て何も思わねーのかヴォケたれがッ!!」
「サイテー!! 前時代パワハラ体質!! 老害!! ドスケベ変態ハゲじじい!!」
「だからハゲてねーし!! ちょっと前髪前線が戦略的撤退しただけだし!! あと人の事を何の根拠もなく変質者呼ばわりすんなし!!」
「そうそう、変態以前に既に人として最低っすもんね! いっぺん死んでみろ!!」
「だぁぁぁーーーーーうるせぇうるせぇうるせぇわ!! お前らいつになったら自分たちの立場が俺あってのモンだと認識すんだ!! 教育どうなってんだよマジでよぉ!!」
「副団長に罪を擦り付ける最低の屑が!! 百ステーラ硬貨型のハゲ出来ろ!!」
「副団長に罪を擦り付ける最低の屑ね!! キレ痔になりなさい!!」
「地味に辛いのをチョイスしてちょっとでも苦しませようとすんじゃねえ!! いいから聞けや話が進まねぇだろうがよぉッ!!」
台をバンバン叩いて叫ぶひげジジイに周囲が「チッ、しゃーねーなぁ」「おらとっとと喋れ!!」と勝手すぎる発言を連発する王国騎士たち。騎士団恒例行事、団長を罵ってガス抜きするコーナーがようやく終了した。
「いやーこの感じ久しぶりだわー……あれ、どうしたロザリンド」
「いえ、ちょっと眩暈が……噂には聞いていましたが、私は初参加ですので」
真面目なロザリンドには少々刺激が強かったらしい。
対照的にアマルは大して騎士団や団長に不満はないくせに面白がって罵っていた。とはいえ彼女のそれは「足臭そう!」とか「ヒゲ胡散臭ーい!」などといった可愛らしいものだったが。
ともあれ、大切な伝達の時間となれば流石に皆も話を聞きに入る。やっと聞く準備が出来たのを確認したひげジジイは恨みがましくブツブツ呟きながら手元の書類をとんとん、と揃えた。
「色々注意事項とか新情報とかあるからよく聞けよー! ……もう聞いてるだろうが、今回の任務はカシニ列島に行ってオーク調査及び可能であれば討伐することだ。カシニ列島については概要くらい知ってるだろ? うちの騎士団で言うとトロイヤ、リベリヤ、オスマンの三兄弟がそっちの出身だからな」
「質問あるならー」
「答えますともー」
「なんなりとー」
出たな地獄三兄弟、と誰かが呟いた気がした三兄弟はキジーム族であり、カシニ列島にはキジーム族以外にも特殊な少数民族がいくらか存在するようだ。
「事前情報だとこの列島は少数民族が入り乱れた未開地みたいな言いようで伝わってたんだが、実はそうじゃないらしくてな……どうにもこの数年で情勢が激変しているらしい」
それは、コイヒメさんから齎された最新情報だ。
内容は、まさに衝撃的という他ないものだった。
「結論から言って……カシニ列島の森の生態系は崩壊しかけてる」
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