第333話 ダメダメのダメです
イセガミ家から得られた『情報』は、ひとまずアストラエに預けられた。
これはあくまで可能性だ。犯人が本当にそうであるかは分からない。
ただ、これを無視することだけは出来ないのも確かだ。
当然ながら、今回の『情報』はアストラエの名の下に箝口令が敷かれた。箝口令がなくとも世間で喋れば荒唐無稽な噂話に過ぎないが、適切な判断だと俺は思う。だって明らかにニード・トゥ・ノウの範囲を逸脱した内容に護衛の騎士たちの肩が震えてたし。
ところで、一つ疑問があった俺はそれをコイヒメさんにぶつけた。
「……『打出小箱』の海外流出って結構な不祥事ですよね。これ、アストラエにバラしちゃって良かったんですか?」
「いいも悪いも、緋想石に関連する情報は王族の中でも限られた人間しか知らないような超トップシークレット。表向き『世界に存在しない問題』だから問題にすること自体できないわ。天使や悪魔が流出した緋想石を直接回収しなかったのにも色々と訳があるんでしょうね……おかげで多くの武人が海外に送られ、列国の武力は一時的に大きく低下しました」
それを語るコイヒメさんの表情は少し暗い。
そもそも、天使と悪魔は全緋想石の封印処理を施している。
だったら場所の把握など朝飯前の筈だ。
なのに、話からすると流出の後始末を列国に任せた上に場所を教えてすらいない。
結果、それがコイヒメさんが伴侶を失う遠因になった。
御上の事情は知れないが、もしサボってるだけなら外来種に認定してやろう。
「あとヴァルナ。義理とはいえ母にそんな他人行儀な喋り方はいけないわ。もっと母に甘えてもいいのよ?」
「えっ。ぜ、善処します……」
そういえばそうだった、俺はもうイセガミ家の人間なんだ。
両親とは別に縁を切ってないしコイヒメさんも良好な関係でいたいようなので実質的に俺の生活に変わりはないが、これからはこの屋敷が俺の家にもなる。これから帰ってきたらただいまって言わなきゃ。
今更な事実に急に実感が湧いた。
マモリがふと思い出したように俺に話しかける。
「ねぇ、ヴァ……お、お兄ちゃんはこれからどこに住むの? お屋敷は空いてる部屋が沢山あるし、騎士団本部の寮じゃなくて、こっちにも住めるよ……?」
お兄ちゃん、という単語を恥じらいと共に告げられた瞬間、俺の胴体を貫通するくらいの衝撃が迸る。馬鹿な、妹からお兄ちゃんと呼ばれるだけで人間はここまでの衝撃を受けるというのか。この世界の全てのお兄ちゃんは超人なのか。
しかも、マモリは明らかに一緒に住めることを期待している。
その期待の籠った視線を裏切れる者がいるだろうか。
少なくとも俺には到底裏切れない。
「き、基本的にはこっちに住もうかな……本部までそこまで距離はないし」
「当然です。なにせそれも加味して少々高い土地を購入したのだし」
(そこも計算済みだったんかい……)
確かにイセガミ家の屋敷は町と騎士団の中間あたりで、通りも広く交通の便がいい場所にあるかなりの優良物件だ。なので、仮に俺との婚姻話が全て駄目になっても損がないというそつのない土地購入であった。
――なお、婚約話をパァにされたコイヒメさんがやけに素直にこちらに従った理由の一つに、ひげジジイの齎した『手土産』がある。
その正体は、今王都で流行りのタンタンメンに相性抜群のナーガ唐辛子である。正確にはその優先販売権であり、ゆくゆくはコイヒメさんとナーガとの間で契約が結ばれることになるのを見越しているようだ。
ナーガとの商売に最も早く、しかも外対騎士団を通して関わり合いを持てたというアドバンテージは、今後ナーガと国内の商売が始まった際に絶大なアドバンテージとなるだろう。コイヒメさんは目先の利益より未来の利益を選べる人だった。
それはそれとして、俺は今回の話をひげジジイに伝え、ついでにノノカさんにも話を伝えておかねばならない。これはアストラエも渋々ながら了承している。あの人昨日から研究院の自室に籠もりっきりで作業してたけど、緋想石の存在が彼女が抱えるであろう悩みを解消する一助になればいいが。
……まぁ、緋想石というデタラメアイテムの存在が余計な混乱と苦悩を招く可能性もあるが、そこはもう寄り添って励ますしかないかない。
◇ ◆
ノノカさんの研究室は相応に広く、彼女が自室としてるのはその奥の方だ。
俺はノノカさんから受け取った合鍵を使って中に入る。
すると、そこに予想外の人物がいた。
プレセペ村で出会ったノノカさんの旧友、アマナ教授だ。
「あれ、アマナ教授じゃないですか! なんでノノカさんの研究室に……」
「わっ、ヴァルナくん」
まさか研究室内に人がいるとは思わずいきなり入ってしまった俺だが、ティータイムの途中だったらしい教授も驚いたのか慌てて紅茶をテーブルに置く。
「……え、ヴァルナくん? 鍵かけてたのに何で入ってきてるの?」
「や、ノノカさんから合鍵受け取ってますし、用事があるならいつでも入っていいって言われてますし」
「ノノちゃん……自分の研究室の合鍵渡すって、どんだけヴァルナくんのことお気に入りなの……」
アマナさんは、ある種軽率ともとれるノノカの行動に頭を抱えている。確かに他人に研究室を漁られるリスクを考えると不用心だが、実際には「もし無くしたり悪用したら承知しないゾっ♪」というメッセージでもあるので俺も鍵の扱いには細心の注意を払っている。俺の予想では、ノノカさんはその辺は手加減しないと思う。
ともあれ、プレセペ村水産実験場の所長でもあるアマナ教授が王都にいるとは予想していなかった。
「教授はなんでまたここに? 遊びに来たとか?」
「久々に王都に滞在してみたらノノちゃんがせわしなく調べものしてるからとりあえず手伝ってあげただけよ。まぁまぁ面白い調べものだったからいいけど。これ、実質仕事なのかしら?」
「うーん、研究者って仕事と生活が融合してるとこありますしねぇ……そのノノカさんは?」
「奥の部屋で仮眠取ってるわよ」
「了解でーす」
俺はノノカさんの部屋に直行してドアノブを捻った。
そしてアマナ教授に止められた。
「いやいやいやヴァルナ君。ねぇヴァルナ君。なんで? ねぇなんで? なんでしれっとノノちゃんの寝室に侵入しようとしてんの? プライバシーとかデリカシーとか知ってる?」
「そうは言われましても、浄化場では割とよくありますし。たまに研究のし過ぎで昼夜逆転するから仮眠取ってようが何だろうが昼前には一度起こすように言伝を預かってます」
「身の回りの世話までさせてるのは乙女としてどうなの、ノノちゃん……」
まぁ、結構そういう人ですとしか俺には言えない。
たまに下着を脱ぎ散らかしたり視線に困る格好で寝てるのが困りものだ。何で俺を任命するんだろうかと思ったが、そういえば解剖だの手伝いだので一番浄化場に居座ってるのは俺だった。他の人に替わってもらうのは駄目なのか聞いたこともあるが、そこまで信用できないからダメらしい。ベビオンは信用ないのか。
ちなみに寝起きのノノカさんは普段よりちょっぴり甘えん坊である。
それを聞いたベビオンは血涙を流して羨ましがった。確かに信用できない。
ノノカさんの仮眠室は、殆ど資料室か作業スペースと化している。壁を埋め尽くす本棚にぎっしり詰め込まれた本と資料。生活用品が極端に少ないにも拘らずごちゃごちゃした紙屑や壁の隅に無理やりひっかけられた上着など、妙な生活感がある空間だ。
デスクには解剖結果や何かの報告書と思しきものだけ綺麗に纏められ、当の本人は部屋の中にある上質な横長ソファの上で白衣を毛布代わりに気持ちよさそうに眠っていた。
ノノカさんはベッドを使わない。
睡眠の九割はソファの上で、残り一割は椅子の上で寝落ちである。
「ノノカさん。ノーノーカーさん。もう起きる時間ですよ」
「んゅう……?」
まるで幼児のような声を漏らしてうっすらと目を開けたノノカさんは、ぼうっとこっちを見つめている。まだ少し寝ぼけているようだ。
「ノノカさん。そろそろ昼ご飯の時間ですよ」
「……ん……くぁぁ……」
やっと俺の存在を認識したのか、ノノカさんはこくりと頷いて、口元に手を当てて小さく欠伸をした。こういう時のノノカさんは完全に子供にしか見えないが、服の中で下着が外れて胸が無防備に揺れる様はなるだけ見ないようにしている。
寝ぼけ眼を擦ったノノカさんはごそごそと緩慢な動きで服を正す。その間俺は彼女から目を反らして本棚のふんたぁクン奮闘記を読むようにしている。ノノカさんが着替え終わるまでにどれだけ読めるかのチャレンジなのだが、だいたい二ページが終わったあたりで終了するのが定例だ。
そして今日もそうなった。
ただ、普段と違ったのは、ノノカさんは未だに少し寝ぼけていたことだ。
「見てくださいよぅヴァルナくぅーん。昨日夜なべして作ったノノカちゃん特製スーパー革命的論文ですよぉ?」
デスクから紙束を持ち上げたノノカさんが千鳥足で俺の背中に衝突し、そのまま俺の腕を掴んで強引にソファまで引っ張っていく。逆らったところでノノカさんの機嫌を損ねるだけだし、論文の内容を誇大に主張するときは大体おふざけだ。何かに行き詰って甘えたいのだろう。
「どんな論文なんですか?」
「魔物の突然変異、隕石の仕業じゃ説です!!」
(タイムリーーーーーッ!!)
馬鹿な、ノノカさんは自力で隠された世界の真実に辿り着いたというのか。
動揺を抑えるので精いっぱいながら、俺は知らない風を装う。
「ど、どんな凄い説なんですか?」
「ふっふっふー! 天才ノノカの脅威の仮説におそれおののくのです!!」
幸いノノカさんは説を語ることに夢中でこちらの変化には気付いていない。
「まずですねぇ、ロックガイはオークでした!!」
「なるほどーロックガイはオークぇええええええええええッ!?」
まずノノカさんは新情報を全力顔面ストレートで振り抜いた。
確かに立った際の背丈や二足歩行なところは似てると言えば似ているが、特徴も生態も似ても似つかない上に魔法も使えるオークとはいったいどういう了見だろうか。思わず解剖結果を覗き込むが、なんと骨格と血中の成分がほぼオークと一致している。
「面影残ってないじゃないですか!! もはや品種改良でどうにかなる変化じゃないでしょ!!」
「ですよねー!! あ、ちなみに狩り獣のダッバートもオークでしたよ!! むしろ王国的にはダッバートだったことの方が大問題な訳ですけどノノカには関係ありませんよねあはははははは!!」
「現時点で大問題しか発生してなぁぁぁい!?」
まず、品種改良オークでは無理がある変化ながら、仮にロックガイがオークを基に改良された結果としよう。それはまぁ、ギリギリ納得は出来る。
しかし、狩り獣のダッバートはオーク云々以前に存在そのものがアウトだ。
あれは既に誕生していた個体だ。大陸にいた時点でこの獣に魔法の鎧なんて器用な真似をする能力はまるっきり存在しなかった筈である。戦いのときはそれどころではなかったので考えていなかったが、突然変異にしたってオークからあれに変わるものだろうか。
「やっぱ気になりますよねぇそこ!! ノノカも散々考えたり過去の文献漁ってみたりしたんですけど、『これだ』ってハートにピンと来るのがなくて!! で、いつダッバートが変わったのかを考えてたらもうね、ダッバートを王国に連れ込んだ誰かがいてその人が不思議なことをしたとしか考えられない訳ですよ!!」
もはや現実に対してケチをつける勢いでまくし立ててノノカさんは、椅子の上に立ってバレエのようにくるりと一回転する。
「それでノノカはもう開き直って進化そのもの、魔物種の起源を漁ってみたんです!! 魔物の最大の謎って突然変異が何故起きたのかだと思いません!? 思いますよね思わなくてもそうなんです!! でもあの時代に何が起きたのかって全然分からなくて王国の書庫を漁りに漁って当時の人の日記まで解読してみたら、移民たちの持ち込んだ書物の中に空から赤い塊が降ってくるのを見たという証言があったんです!! それも、大陸の端から端まであちこちで!! 更に、すごく限定的な地域で!! こりゃもう隕石でしょう!! 隕石のせいでしょう!! というわけでノノカは『魔物の突然変異、隕石の仕業じゃ説』を提唱するのです!! この隕石に突然変異を促進する効果があり、その石を手に入れた良からぬヤカラが魔法でなんかいい感じに石をコントロールしてロックガイやダッバートをロックな生物にロールしたのですッ!! ノノカ天才ッ!!」
すべてのしがらみから解放されたような笑顔でノノカさんが万歳する。
これはノノカさんがド派手かつツッコミ所満載なお遊び仮説を用意してツッコミを待っている時の態度である。頭の良すぎる人は偶に頭の悪いことをしたくなるとは本人の言で、こういうときは全く根拠も証拠もないもので全力でふざけにくる。多分、それくらい行き詰ってストレスが溜まっていたのだろう。
それに、当人曰くこうしたぶっ飛び仮説を立てるのはいい刺激になるらしい。自分の専門分野の外に知見を広める機会にもなるし、まったく違う視点から物事を捉えることは新たなアイデアの創出に繋がる。
惜しむらくは――彼女の思惑は見事に外れ、しかし説そのものは的中してしまったことだろう。
「ノノカさんノノカさん。この説ですね、俺の仕入れてきた情報と符合してるんで大正解っぽいですよ」
「………………………ほへ?」
「ですから、『魔物の突然変異、隕石の仕業じゃ説』は大体合ってる可能性が高いです」
「いや、それは嘘でしょ。そういう嘘はいけないよヴァルナくん。たとえ優しさからの言葉だとしてもね」
スン、と素に戻ったノノカさんはひどく平坦な声で自説を投げ捨てた。
でも残念、その自説はたぶん正解です。
十数分後、現実を受け入れたノノカさんは俺と一緒に研究室のソファに並び座って天上を見上げていた。
「なんか、もう、昨日と今日で俺疲れました」
「ノノカも疲れました。暫く脳を使いたくありません」
「同感です」
アマナ教授は気を遣ってくれたのか、三人分の食事を買いにいくと研究室の外に出た。今、ノノカさんと俺は二人きりだ。考えてみればノノカさんは俺にとって、騎士団に入ってから一番よく二人きりになる間柄である。もはや妙な安心感さえあるほど、互いに無防備にだらけている。
「で、ヴァルナくんの女難は解決しました?」
「先延ばしになりました。なんかもう解決しない気さえしてきたような……」
「モテモテですねぇ、ヴァルナくん。でもまぁ、女の子は単純じゃないけど意外と切り替えは早いものです。誰を選ぶかはともかく、誰を選ばないかに関しては考えるだけ無駄ですよ?」
「そうですか……」
そういえばノノカさんも、結婚まではいかなくとも恋人のいた身だ。
これも一つ、貴重なアドバイスとして心に留めておこう。
俺は皆にとって、あくまで人生で出会う数多の人物のうちの一人でしかないのだから。
「まぁ、逆に皆にフラレたり愛と向き合うのに疲れちゃったなら、いつでもノノカの所に転がり込んでいいですよ? その時は最高の助手としてお出迎えしてあげますから!」
「今の時点で臨時助手みたいなもんですけどね」
「ふっふっふっ……ヴァルナくんがダメダメのダメ男になっちゃっても、仕事が出来る限りは永遠にノノカの名誉助手ですからっ!」
こちらに寄りかかり、世話焼きのお姉さんのように俺の頭を撫でて微笑むノノカさんは、もし自分が追い詰められている時に出会えば無条件に甘えてしまいそうなほど暖かく見えた。
――研究室のドアを隔てた向こうからアマナ教授の気まずそうな咳払いが聞こえるまで、ノノカさんと俺は互いの頭を撫であいっこした。ちょっと癒された気がする。
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