第332話 議題が決まりました

 人生で一番長かった日の、その翌日。


「なんか窮屈だな……着慣れないせいか?」

「確かに、ちょっと衣装に着られてる」

「あ、やっぱり? こういうとこで平民出身感出ちゃうんだよなぁ俺」


 冗談交じりのマモリの指摘に、俺は列国の装いに身を包んだ自分を見回しながらため息をついた。


 本日、列国よりイセガミ家に使者が来る。

 いつの間にか正式にイセガミ家の次期当主が俺になっているなど、先方も寝耳に水だろう。養子縁組の書類も無事役所に提出され、既に俺はヴァルナ・イセガミになっていた。

 マモリは今日は流石にマモリギツネではなく普通の着物だ。


「あれは封印された。わ、私のワガママが何でも通っちゃうからとか、なんとか……」

「そうか。まぁ、それがいいかもな」

「?」


 意味が上手く咀嚼できなかったのか首を傾げるマモリの頭を軽く撫でる。マモリは子ども扱いされたと思ったのか少し不満そうだが、それも可愛らしく思えた。


 あんなリーサルウェポンを何度も使われれば世界はマモリの天下だ。万一マモリがあれを使いこなし始めたら、将来は下手をするとコイヒメさん以上の悪女になってしまうかもしれない。義理の妹を悪の道に落とすわけにはいくまい。


 義妹。義妹か、と改めてマモリの存在を吟味する。地元では近所の子供はみんな兄弟みたいなものだったで親がいないときに世話焼きを任されたりもしたが、こうして縁が繋がった家族は当然初めてだ。

 なんでも血の繋がらない義理の妹というのは、特定の界隈では凄まじいパワーを秘めた存在らしい。その理由は、妹なのに結婚できるからだとか。俺には理解の及ばない発想である。


 コイヒメさんとはあの後誓約書にて、娘との婚姻を強要ないしそれに類する行動によって迫ることを禁じることを約束した。ただ、当人はまだ若干諦めきれてないのか、マモリに聞こえないようタイミングを見計らって「私が勧めないだけだから、二人がそうしたいなら止めないわよ?」と言ってきた。これからも多少は警戒心を残しておいた方がよさそうだ。


 そして、時間がやってくる。

 従者を引き連れて、明らかに上質な着物を纏った男が屋敷の座敷に現れるのを、俺はイセガミ家の横並びに交じりながら見る。静々と部屋に入る男は、一瞬明らかに俺に強い意識を向けたが、表面上の態度には出さず座布団に座る。


「右大臣、ナカタツ・ヨシツグである。将軍家の使者として此処に参った」

(右大臣……確か列国のシステムでは五指に入るほどの権力者らしいが)


 コイヒメさん達に倣い頭を下げて礼をしながら、情報を反芻する。列国では性と名前が逆らしいので、この人はナカタツではなくヨシツグが名前ということになる。


「さて、さっそく将軍閣下のお言葉を伝えたい所ではあるが……先にそちらの御仁について伺いたい。彼は?」

「彼はイセガミ・ヴァルナ。養子にございます。ゆくゆくはイセガミ家を継ぐ身なれば、遠ざける理由もございませぬ」

「イセガミ・ヴァルナ……? 最近この国で大きな武闘大会が開かれ、その大会にて優勝した男がヴァルナという名前だったと聞くが、そのヴァルナか?」

「その通りにございます」

「うむむ……」


 ヨシツグさんは明らかに困惑している。

 これからする話を外国人に聞かせたくないし、ヴァルナが養子ということも訝しがっている。しかし、イセガミ家の前当主であるタキジロウさんが死んで大きな柱を失ったイセガミ家が他家から実績のある武人を取り込もうとする心情も理解できる、ということだろう。


 しかし、ここで行われる話がよほど重大なのか、難色の方が色濃く顔に出ている。しかしコイヒメさんは機を見計らったかのように使用人に目配せする。すると、座敷の奥から新たな人影が姿を現した。

 王宮騎士数名に護衛される形で姿を現したのは、なんとアストラエだ。

 しかも王族用の豪奢極まりない礼服を身に纏い、公務モードである。


「イセガミ・コイヒメの頼みで同席することとなった、王国第二王子アストラエである。失礼する」

「なんと……!!」


 アストラエの服には鳥の翼を模した枠の中央で星を抱く獅子のエムブレムが堂々とその威容を放っている。これは王国内でも王家直系の血筋しか掲げることを許されない、まさに王の資格の象徴である。

 慣れない筈の正座をスムーズに済ませたアストラエはヨシツグさんの方を向く。


「私は此度の話に口を出さない。ヴァルナの信用の保証人、かつ見届け人だと思ってくれると助かる」

「……承知しました。イッテキ・バジョウ様から話はお伺いしております。確かにこの上なく信用に足る人物だ」

(ということは、ここでの話は王家には伝わっても問題ないものってことかね……つーか、昨日やけにあっさり帰ったと思ったらこのための準備だったのかコイツ)


 列国のマナーを頭に全部叩き込んでこの場にきているのか、ヨシツグさんの礼に対し、王国では一般的ではない頭を下げた礼で返している。

 アストラエに視線を向けると、こちらに小さくウィンクした。

 まぁ、こういう場では心強いので頼らせてもらおう。


ただし、これで俺が列国の心象を悪くするような真似をすれば、アストラエ及び王家の面に泥を塗ることにもなる。そういう意味ではプレッシャーも凄い。


 ヨシツグさんは一つ咳払いをし、将軍からの文を読み上げた。

 長ったらしく堅苦しいので要約すると、母国の国籍を捨ててまで忠義を尽くして『箱』を回収してくれたことへの労いの言葉と、その礼として列国・王国間の貿易を繋ぐ存在としてこれから援助したい旨が伝えられた。


 なるほど、と俺は内心で唸る。

 列国は特異な立地から、隣の宗国くらいとしかまともな貿易が出来ていないらしい。列国としてはもっと他国と商売がしたいのだろう。そこで将軍家は、王国民であり将軍家への忠誠もあるイセガミ家に目を付けた。

 列国は信用できるイセガミ家を通して王国に販路を拡大できて得をする。

 イセガミ家は列国と綿密に話し合い、補助を受けながら商売が出来る。

 列国からすればイセガミ家には居てもらわねば困るくらいだ。


 そして、確かにここにアストラエがいるのは都合がいい。

 アストラエは今、列国の出方や意図をうかがえる情報を得た。それは当然王家に伝わり、政治家たちが列国と今後どのような交渉をするかの指標となる。そして、列国と一番深く繋がっているのがイセガミ家ならば、王国はイセガミ家を通せばより列国とスムーズに話し合いが出来る。列国としてもイセガミ家を窓口にするのは承知済みだろう。


 これで、列国商売の王国進出は侵略的なものではない、というメッセージが王国に伝わり、二国間でより緊密な話し合いの場を設けられるだろう。その後の関係は話し合いの結果次第だが、コイヒメさんなら難なく切り抜けるだろう。


 ――ちなみにコイヒメさんの交渉材料には既に俺の存在が組み込まれているそうだ。王国に対しては親密の札として、そして列国に対しては「イセガミ家をぞんざいに扱うことは、王家とも繋がりのある世界最強の武人を敵に回すことだ」という鬼札として。


 本当に怖い人だよ、コイヒメさんは。


 話は概ねコイヒメさんが予め知らせてくれた形のまま終わり、そして将軍家とイセガミ家の間で締約が交わされた。ただし、俺という想定外を無理やり書面に捻じ込んで。

 ヨシツグさんはギリギリまで渋ったが、コイヒメさんがにこにこ笑いながら理論と感情を絶妙に混ぜて徹底的に理論の隙間を潰していき、最後にはヨシツグさんが折れる形で押し通された。俺がヤヤテツェプを殺して箱を回収した張本人であることが止めになったらしく、それをヨシツグさんが認めたときマモリが我が事のように嬉しそうな顔をしていたのも印象的だった。


「では、今回はこれにて……ぬぬ、これは左大臣にどやされるぞ……将軍になんと説明したものか……はぁぁぁぁぁぁ……」


 心なしか屋敷に来たときよりヨシツグさんの肩が小さく見える。なんとなくこの人はローニー副団長と同じ人種な気がした俺であった。どんまい、ヨシツグ。胃薬いる?


 こうしてコイヒメさんの言う『儀式』は終わりを告げた。

 そして、大きな大きな遠回りを経て、俺は遂にその情報に辿り着いた。

 絢爛武闘大会での事件――その核心に迫る情報を。




 ◇ ◆




 そもそも、不思議ではないだろうか。

 列国は王国と同じく大陸と接する地のない土地だ。しかも魔物発生の中心となったとされる世界樹付近からも王国以上に離れている。にも拘らず、列国にも魔物は存在している。大陸に比べれば多少少ないかもしれないが、確かにいるのだ。


 では、その魔物はどこから来たのか?


 学術的には、流氷に交じって渡来したというのが一般的な論だ。

 しかし、現実は違った。その事実を知るのは世界でも王家クラスの権力者――天界や魔界の存在と接する権利を持つ一握りの存在のみ。


「魔物発生の主たる原因は――天より降り注いだ大きな石の塊だったそうです」


 多くの人間が、聞けば「何を馬鹿な」と鼻で笑う。

 そして、ではなぜ魔物は発生したのかと問われると口を噤む。

 誰も知らないということは、何でもあり得るということだ。


「その石は不可思議な力を放ち、落下した周囲の生物を激変させ、この存在に天界と魔界は大いに驚愕し、地上に大胆に介入することを決定したそうです」

「……いわゆる、隕石って奴ですか? 稀に空から流星のごとく降ってくるという、あの?」

「ええ、その中でもそれは特別だったそうです。通常の隕石には全くない性質を持っていたと……そして、実はその隕石はなにも魔物発生の中心と呼ばれる生命樹の場所にだけ落ちた訳ではありませんでした。最も大きな部分は確かにそこに落ち、その影響で樹木が世界樹と化しましたが、その他の幾つかの破片が大陸の幾つかの場所や海、そして――列国の最西端にも落ちていたのです」


 それが、列国魔物の起源。


「その後、天界と魔界の迅速な対応によって隕石の全てに対してそれ以上世界を狂わせないよう封印が施されたそうですが……如何なる天と魔の存在も、この隕石を全て容易に回収することは難しかったようです」

「そのあたりは、詳しくは分からないと」

「現役の王に値する人間であれば知っているかもしれませんが。ともあれ、それらの隕石は極秘裏に回収が進められていましたが、何せ世界を変える力を持った石です。天界も魔界も並々ならぬ準備が必要だったのでしょう。それこそ1500年が経過してもすべてを回収しきれなかったほどに……ここまで言えば、凡その見当はついたのでは?」

「ええ。『打出小箱』の中身の正体は――生物の魔物化を促す隕石の欠片。そういうことでいいんですね?」


 その問いに、コイヒメさんは静かに頷いた。


「……俺今とんでもない話聞いちゃったのでは?」


 急に冷静になってそう呟くと、アストラエが苦い顔をした。


「事実、とんでもない話だぞ。僕は帰って父上に確認しなきゃならんことが出来てしまった。というか、というかだ!! 今の話が本当なら、絢爛武闘大会を荒らしたあの犯罪者が持っていた武器の中身は……!! もしそうだとしても、更にとんでもない問題になるぞッ!!」

「落ち着けアストラエ。情報を整理しよう。気になるところもあるし」


 アストラエの尋常じゃない焦りようが、逆に俺を冷静にさせる。

 別の面からみると事態を理解しきれていないアホとも言うが。


「まず、『打出小箱』の中身は、この世界に魔物やらが出現した主たる原因の隕石の欠片……なんか呼びにくいなこれ。緋想石とでも呼んでおくか。とにかくそれだったと。じゃあヤヤテツェプをタキジロウさんが倒そうとしたのは、ヤヤテツェプの中に『打出小箱』があるって知ってたってことか?」


 だとすると疑問がある。

 何故その結論に至ったのかが一つ。

 もう一つは、周囲に影響を及ぼさないよう封印が施されていたにも拘らずヤヤテツェプが異常な突然変異を起こしたのは何故か、という点だ。コイヒメさんはそれらに答えていく。


「知っていたというよりは、推理の結果その可能性が高いと考えたのでしょう。王国は魔物のいない国。にも拘らずあのような異常な魚がいることはおかしい。当時、我々海外に派遣された武家たちはそのような生物や噂を蒐集していましたからね」

「……その、つかぬ事をお聞きしますが、あの箱は人体に害は……?」

「短期間であれば何の影響もないそうです。それにあれはとても小さな欠片ですので、多少距離を取れば問題はないとか。ただ、あの魚はどういう訳か箱を体内に取り込んでいました。故にあそこまでの変貌を遂げたのでしょう」


 納得しつつ、内心でほっとする。俺も騎士団メンバーも何人かはあの箱に触れていた。翌日目が覚めたらオークに変異していたとか死んでも嫌なので一安心だ。それはそれとして、万一なってしまったら騎士道オークになるしかないが。

 ヤヤテツェプの変異の謎が解け、緋想石の謎がより深まった。

 そして、何故この石が事件と密接に関わる可能性があるのか、輪郭が見えてきた。


「短期間で生物に異常な変化を齎すことの出来る石……文献によれば、封印される前のそれは乾いた血の如く赤黒く光る奇妙な模様の石だったそうです。如何ですか? 手掛かりになりましたか?」

「……まさか、いや、でも……アストラエが焦ってたのってそういう……!!」


 ――大会が滅茶苦茶になったあの日、魔物の飼育スペースで犯人が仕込み武器の内側を晒した際に見えたという刀身の特徴と緋想石の特徴が、ほぼ一致している。しかも、魔物を変異させるという特性も含めてだ。


 飼育員たちやサヴァーは影響を受けず運がよかったのか、或いは魔力適応した生物に殊更極端な効果があったのか――真偽のほどは定かではないが、あの事件の大いなる謎の一つにメスが入った。


 俺は、全身から血の気が引くのを感じた。


「王族クラスしか知らないまま極秘裏に処理していた魔物発生の原因の石を、どこの誰とも分からん奴が持ち歩いてるのか……!? それも、一欠片でヤヤテツェプのような生物を生み出せる代物を、刀身サイズで!?」

「マズイ……これは、絶対に世間に公表できないほどマズイ事態だぞヴァルナ。もし万が一にも石の出所がどこかの国だったとすれば……それが流出、ないし意図的に運用されてるとしたら……!! 或いは天界も魔界も把握していない緋想石の存在があるとすれば、それは世界のパワーバランスを覆すことになるッ!!」


 魔物の強制変化と強化。それがもし魔物以外――極端に言えば、その辺の動植物や人間にさえ効果を及ぼすものであったとしたら? 例えばあの犯人が王都で最も人の通りが多い場所であの剣を抜いたら? そうすれば、どうなる?


 或いはむしろ、魔物を強化し操る手段だとすれば?

 王国内で発見された品種改良オークはどうやって作られた?

 デッドホーネットが王国内に持ち込まれたのは何故か?

 王国以外の国で魔物の変異が起きれば、世界にはどんな化け物が生まれるのか?


 ――もしかしてあの犯人は、或いはその協力者は、緋想石が齎す異常な変化をコントロール出来るのではないか?


 溢れ出るIFと疑問は止め処なく押し寄せる。

 もしそれがどこかの国家主導で行われているのであれば、他国家など容易に覆える。逆にどの国家にも所属しない何者かであれば、それは既存のあらゆる国家にとっての脅威である。国家の面子に泥を塗る事件は、いつの間にか国際的な犯罪の可能性へと移り変わっていた。


 たった今、商人の屋敷の中で次の世界サミットの最優先議題が決定した。







 ――同刻、ロックガイと『狩り獣のダッバート』の解剖結果をデスクに並べたノノカは、隈の出来た眼を擦りながら様々な調べ物の末に書き出した自分の推論を鼻で笑っていた。


「色々調べてみましたけど、迷走の挙句に結論が『隕石の仕業じゃ!』って……もはや空想というか、願望というか、状況証拠と言えるかもアヤシーし根拠も何もあったものじゃないですね。あーあ、こんな結論しか出せないなんてノノカ自分に幻滅……ヴァルナくんもいないし疲れたし、ふて寝しよぉ……」


 時として真実とは、驚くほど近い場所にある。

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