第321話 悩む時間をください
結婚、それは人生を共に歩む伴侶を決める一大決心。
結婚は人生の墓場などと言う話もあるが、結婚を機に騎士団本部に転向した騎士の多くは「結婚はいいぞ」と言う。守るべく家族を持ち、子を為し、その為に労働する。実に健全な人生の在り方と言えなくもない。
きっかけは偶然か、必然か、あるいは親の意向か――事情は様々あれど、それは祝福されて然るべきものだ。
「だからってこれは違うじゃんか。なんか違うじゃんか」
唐突に降って湧いた婚姻の奇襲攻撃に、俺の頭はじゃんかじゃんかしていた。
一旦話を保留にして屋敷の外に出た俺は、マモリの連れ添いにて庭を通って外に向かっていた。異国情緒溢れる美しい庭も、帰りに見ると苦々しささえある。もっと純粋に楽しませてほしいが、あちらからしたら婚姻すれば存分に楽しめるとか言いそうだ。
「ごめんねヴァルナ、母上がまさかあんなことを企ててるとは……」
「君が悪いわけじゃないよ。むしろ俺の覚悟が甘かったのかもしれん」
心底申し訳なさそうにマモリが謝罪するが、彼女は悪くない。
というより、そもそも悪い人などいないのかもしれない。
「母上も必死だと思うの。列国において女性が当主になるのは、他に当主の資格がある男が一人もいないとき……すなわち、お家断絶寸前の状況だから」
「列国って確か、家の価値が王国より重いんだよな」
「うん。家が断絶するってことは、父上が脈々と受け継いできたイセガミ家の歴史と誇りが全て無に帰すようなものだから……だから私も御家再興は果たしたい。ただ、こんなやり方は……」
言葉を濁すマモリだが、その心境は理解できる。
王国貴族も似たようなものだ。特権階級の台頭で貴族という地位は社会的に確固たる地位を保証されなくなったが、それでも彼らは家の生き残りを賭けている。それは貧しい生活に落ちたくないというのもあるが、家のプライド――すなわち歴史を背負う者だという自負があるからだ。
かつてどこかの貴族が言った。
泥を被らないプライドを持つ者は泥に沈み、泥をすすってでも守るプライドがある者こそが輝きを放つ、と。嘗ては多くの貴族がその言葉を嘲笑ったが、現在ではそれを嘲笑っていた貴族の多くが本当に泥に沈んでいるという。
コイヒメさんからすれば、俺はかなりの優良物件なのだろう。
王家と繋がりがあり、騎士団内でも出世株で、ついでに借金を帳消しにできる金がある。なによりイセガミ家は元々武家らしいので、数多くの武勲を手にしている俺は相当魅力的に映るのだろう。
(それに……)
「?」
マモリの方に視線を移すと、彼女は下駄という不思議な靴をカラコロと鳴らしながら、俺に付き添って首をかしげる。これだけ彼女の愛らしさをコイヒメさんが演出したのは、ただ揺さぶりをかける以上の意図があったように思える。
幾らコイヒメさんでも娘への情はあるだろう。故に、出来るだけ娘にとっても気を許せる相手を選んであげたい思いがあったのではないだろうか。その為に、俺にマモリの魅力をもっと知って欲しかったのではないだろうか。
こう言っては何だが、恋愛感情があるかは別としてマモリは明らかに俺に懐いている。父親の仇を討つのに協力し、実際に自分の代わりに怪魚ヤヤテツェプを仕留めたときから、彼女の好感度ゲージが振り切れている節がある。
でなければ恥ずかしさに耐えきれず俺に抱き着いたりしない。だってそれ、俺に抱き着くのは恥ずかしいことじゃないと判断してるんだろ。人見知りすると評判のマモリが。そんなの俺でも気付くわ。
色仕掛けではある。
でも、親心でもある。
二つの思いを両立させつつ自分にも利のある選択を、コイヒメさんはしたのだ。
やがて出口に近づくと、マモリが俺の耳に口を近づけてきた。
「あのね……母上は計算高い人だから、四億ステーラの借金も返済の計画を立てて借りてると思うの。その辺りも含めて私なりに考えてみせるから、だから……あんまり抱え込まないでね」
「お前もな。結婚しなくたって助け合うことは出来るんだから、本当に困っているときは声かけてくれよ」
励ますように彼女の肩を軽く叩くと、マモリは少しだけ嬉しそうに頷いた。
その純朴な仕草がまた、微笑ましかった。
そして屋敷を出た俺は、そのまま道を歩いて最寄りの公園のベンチに座り、そして頭を抱えて項垂れた。
「あんなの余計に放っておけないじゃんか……解決法も思いつかないじゃんか……」
やっぱり俺の頭の中はじゃんかじゃんかしていた。
イセガミ家の正当な次期当主――ないしもしコイヒメさんと婚姻した場合はいきなり当主もありうるが――にしか伝えられない情報となると、尋常な手段では聞き出せない。強引な方法を取れば彼女たちのバックにつく列国将軍家が黙っていないだろう。元よりあの二人に余計な心労をかける真似は俺が許せない。
では他に何の方法があるだろう。
俺との婚姻以上の好条件を用意するというのが論理的には有効だが、そんな条件は思いつかない。よしんば新たな婚約者を連れてくるとして、誰も候補が思い浮かばない。辛うじてアストラエが側室を認めるならあり得る程度だが、それはマモリの意向を完全に無視してるし、如何なるアストラエも簡単に首を縦には振れないだろう。
何とか身を切らずに切り抜ける方法はないか、と考え、ふと身を切るって何だよと自問する。
四億ステーラの借金?
もともと使い道の思い浮かばなかった四億だし、四億の借金を肩代わりして返済したところで他に受け取った細かな賞金たちは相応に残る。ギャンブル最強騎士のフィーア先輩曰く、手に入れようと思って手に入る金などあぶく銭。マイナスをゼロに戻すのに使うならいいのではないか。
マモリと婚姻?
拒否する明確な理由が思い浮かばない。愛しているかと言われたらそこまでの情が湧くほど付き合いが長くないが、結婚してやっていけるかと問われれば負のイメージは思いつかない。以前にコルカさんを振ったときはコルカさん側の要求が強すぎて受け入れられないと感じたが、正直マモリに関しては今に至るまでの人生が過酷だったこともあり、幸せになって欲しい気持ちもある。
彼女が婚姻に素直に頷かなかったのは、動揺する恩人をこれ以上困らせたくないと思ったからだ。そこまで尽くしてくれる健気な少女に甘えるままでいいのか、という自分に対する疑問こそ、ある意味最も消化しづらいものなのではないか。
「結婚って、なんなんだろうな……」
空を見上げ、俺はそう呟いた。
すると、何故か空から返答があった。
「結婚なんて大した意味ないわよ」
瞬間、俺の顔を覗き込んだ蒼髪の少女――シアリーズがそのまま俺の顔を掴んで思いっきり口づけした。いきなり過ぎる奇襲に反応が遅れた俺は、その後およそ五秒ほどシアリーズにされるがままに濃厚な接吻を受け続けた。
シアリーズの髪から香る甘い匂いと唇の柔らかさが思考能力を奪っていく。
「ん~……ぷはっ! どぉ? 再会のキスの味は?」
「~~~ッ!? だ、だからいきなりそういうことするなっての!!」
「嫌よ。だって確認取ったら拒否するでしょ? それに、何度もしてたらだんだん癖になってアタシのこと忘れられなくなるし」
「はしたないからやめなさいって!」
「そう、はしたない女なの。隣で静かに控えてるなんて我慢できないくらいね」
悪い顔でにまぁ、と笑うシアリーズに、俺は猛烈な敗北感を覚えた。
彼女のキスはそれ自体が刺激的過ぎて、二度目なのに全く防げなかった。
そう、そうだ。
そういえばマモリ婚姻問題と同じくらい巨大な問題が既にいた。
「王都に来てたのかよ、シアリーズ……」
「だって砂漠で行方不明になってた想い人の帰還よ? 貴方の女として、当然来るでしょ」
「そんなもん認めた覚えはないぞ……!」
「認めなくていいわよ? アタシ、何を言われても全く諦める気ないし」
つまり、仮に振っても無視するということだ。
ストーカーの思考だが、俺と互角の実力を誇る大陸最強クラスの冒険者がそれを実行するとなると多方面で洒落にならない。彼女は手段をあまり選ばなそうだし、万一コイヒメさんと衝突したらもう収拾がつかない。
イセガミ家で起きた事は、シアリーズには隠し通さなければ。
浮気した男の発想っぽくて複雑だし根本的解決にもならないが、少なくとも今これ以上の大問題は抱えきれないし処理できない。
そんな俺の姑息な考えを知る由もないシアリーズはベンチの隣に座る。
服装は王都で流行する夏のファッションであり、涼しげな蒼い髪と彼女自身の開放的な性格もあって非常に似合っている。恐らくここにたどり着くまでに周囲の視線を相応に集めただろう。
「で、何悩んでるの?」
「え、いや……まぁ、俺も将来は結婚とかするわけだから、ちょっと真面目に考えようかと」
「ふぅ~~ん……」
意味ありげに長い相槌を打つシアリーズに、俺は氣を乱さぬよう必死に冷静を装う。カンの鋭い彼女なら気付かれてしまうのではないかとヒヤヒヤしたが、幸い彼女は懐を探ってはこなかった。
「じゃ、大陸冒険者のアタシから言わせる結婚観でも語ってあげますか。さっき言った通り、結婚なんて大した意味ないのよ」
「いや、あるだろ……」
「冒険者にとってはないわ」
俺の一般論をばっさり切り捨てたシアリーズは、記憶を手繰るように指先で顎を触る。
「籍も入れてない、結婚式も挙げてない、でも子供はいるなんて家族は冒険者にとってよくあることよ? 現地妻山ほど持ってる男もいれば、二十歳年下のガキんちょ冒険者と結婚した女だって見たことあるわ。そこに法律だの貞操だのとまだるっこしい話はない。愛と絆があると信じること、それが結婚より大事なの」
「……思いのほか真実味のある話だったな」
「そう? いい加減だと思うけど。でもいい加減でも気持ちが本物ならいいってのがある意味冒険者クオリティかもね」
懐かしむようにくすくす笑うシアリーズ。
その横顔は油断すれば見惚れてしまいそうだ。
「対魔物の命懸けの戦いで生計を立てる冒険者って生き物は、いついかなる時に些細なミスで死ぬか分からない職業でしょ? だから先々のことなんて考えない。そのときに感じた気持ちが正しいか正しくないかは、結果だけが教えてくれる」
「出たとこ勝負の博打だな」
「勝負の場所と種類を選べる人種ってのは、大陸ではボンボンと呼ぶわ」
その言葉で、俺は嘗てヴェネタイルでフロルと交わした他愛のない会話の内容を思い出した。
彼女の出身である皇国は貧富の差が激しく、スラムが問題になっているという。十分な資金と教育を受けられる人間はある程度将来を選べるだろうが、貧困の中で育った人間はそうでもない。俺の家がもう少し貧しかったら、俺の将来も変わっていたかもしれない。
「なるほどなぁ……それはそれとして、相手に同意なくキスするのに対して俺からの愛と絆あるか?」
「あによ、こんな美少女の接吻に文句あるの? 文句言えなくなるくらいしてあげようか?」
「三度目は食らわん! いや、そうじゃなくてだな。俺に別の女性を選ぶ自由があってもいいんじゃないかって話だよ!」
「あげてるじゃない、自由。他の女に手を出しちゃダメなんて一言も言ってないし。ただ、アンタがどこの誰を好きになろうとアタシは何度でもキスするし愛を囁くわよ? だって、好きなんだもの」
恥じらいの欠片もない自信に満ちた笑みに、心臓が高鳴る。
コルカさんの際は振ると同時に敗北させて話は終わったが、こうも諦めませんと断言されるともうどうあがいても縁が切れない気がしてきた。相手が落ちるまで諦めずに攻め続ける――それも一つの恋の成就のさせ方なのかもしれない。
「……まぁ、なんだ。結婚の話は判断材料の一つにはなったよ」
「そぉ? じゃ、その代価に今日一日デートで許してあげる」
「押し売りかよッ! ええい、今日は無理だからまた今度な!」
「あっ、ちょっと――」
これ以上一緒にいるとどんどんシアリーズのペースに乗せられてしまい、更なる混沌の坩堝に陥る気がした俺は、思い切って戦略的撤退に踏み出た。
追い回されることも覚悟したが、意外にもシアリーズは追ってこなかった。
婚姻届にサインを迫られたかと思えば、今度は婚姻届もなく迫られる。
シアリーズの告白についてきちんと答えを出したいが、マモリの件が片付かないことには頭の整理もつかない。内心で「必ず近日中に俺なりに答えを出すから」と免罪的に彼女に謝った俺は、この泥沼の状況に活路を見出すためにまともな相談相手を探すことにした。
猛スピードで遠ざかっていくヴァルナを追いもせずに見送ったシアリーズは、ふーん、と呟いたのちに蠱惑的に笑う。
そもそも、彼女は騎士団関係者からヴァルナが今日イセガミ商事の取締役に会いにいったという話を聞いてそこに向かう途中でたまたまヴァルナを見つけた。そしてヴァルナはこちらが気配を消して近づいたとはいえあっさり唇を奪われる程度には憔悴していた。
しかも、それは結婚関係に関わる何かだとシアリーズは確信した。
でなければ、彼を好きだと公言している自分の前で間違っても「結婚について」などという気を持たせかねない発言を漏らしたりしない。
「そーんな判断も出来ないほどの事かぁ……面白そうだしイセガミ商事とやらに行ってみますか!!」
シアリーズは戦士として天才である他にも、場をかき乱す天才だった。
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