第320話 遂に手を出されました
曰く――どこからか俺が絢爛武闘大会で『癒されるもの』を欲しているという情報を仕入れた。
曰く――近年、バニースーツのように動物の耳や尾をつけた女性が接待する店に世の男性が注目している。
曰く――恥ずかしくてもするべし。むしろ恥じらいながらするべし。
ということをコイヒメさんに言われたマモリは、逆らう余地もなくあっという間にこの格好にされ、ヴァルナを癒す方法と称してつんつんを教えられたそうだ。確かに癒されるものとは言った気もするけど、そんな独り言みたいな科白を一体どこの誰を使って仕入れたんだあの人。
俺の中にあったコイヒメさんの病弱でおしとやかそうな印象が既にフライパンの上でフランベされている。正直強敵の予感がしてきた。いや、敵じゃないだけ余計に嫌な予感がする。
マモリはもう羞恥心の許容量をオーバーしたのか俺に縋るように抱き着いている。
「は、母上に言われたら逆らえないもん……わたしわるくないもん……」
「よしよし、いい子いい子。マモリは悪くないし、綺麗で可愛かったよ」
「それはそれで恥ずかしいぃ……」
背中を撫でてあげると、マモリは次第に落ち着きを取り戻していく。元々根は子供っぽかったマモリだ。重圧から解放されて元来持っていた甘えん坊な部分が表出しているのだろう。そんなマモリに「甘えられる相手」と認識されているのが何とも言えないこそばゆさを感じさせるが。
それにしても、と俺は彼女をこんな風に仕上げたコイヒメさんに戦慄する。
獣耳ファッション。まぁ、かわいいとは思う。
綺麗なドレス。それを綺麗だと思う感性くらいはある。
そしてそれを身に着けているのが美少女だったら、俺だって平時なら視線を奪われることもあるだろう。
しかし、その美少女がマモリであったという事実が以前の彼女への印象に強烈なギャップを齎す。確かにマモリは顔立ちを思い返せば整ったものだったが、それらすべてを台無しにするくらい力の強い目つきがあったから意識がそちらに向いていなかった。
しかし、父の仇討ちを果たして愛する母も回復したマモリの目からは険が取れ、表情に柔らかさが生まれていた。そのたった一つの変化が、彼女を目つきの悪い女から美少女へ一気に押し上げている。
更に、美少女ながら少し子供っぽさがあるマモリに適切な化粧を施すことでそこに大人びた印象を与え、目元にも人の情を擽る陰を演出してしいる。
そして、美少女にランクアップしたマモリが、恥じらいながらも普段の彼女が絶対にやらないような科白と行動をする。その姿がどうしようもなく健気に見える。
一つ一つの要素は決定的でなくとも、それらすべてを綺麗に盛ることで最大限まで相乗効果を高め、その上で不意打ち的にぶつけてくる――恐ろしい。その男心を分析しつくした策略をぶつける対象が俺であることが尚のこと恐ろしい。
「しかしマモリ、お前本当に綺麗になったな……」
試しに獣耳の付けものを外してみるが、文句のつけようがない美少女だ。化粧と衣装の相乗効果もあるだろうが、今のこの姿ならセドナと人気勝負しても負けないんじゃなかろうかと思う。
前はこういう容姿や色恋に繋がる言葉を口にすると全力でムキになり、そこも愛嬌があったマモリだが、マモリは恥ずかしかったのか顔を反らし、しかし上目遣い気味にこちらを見てぼそっと喋る。
「……ヴァルナが言ってくれるなら、嬉しい」
心の中の俺が吐血した。
昔はセドナに何度も男心にボディーブローをかまされて心の中で吐血してきたが、今では慣れたのでガードできる。しかしマモリのものは俺の知らない角度から放たれていてガードが上手くできない。
見よ俺の手を。セドナの時と同じく条件反射で彼女の頭を優しく撫でている。もしもこれが全て娘を利用したコイヒメさんの策略であるなら、こんなもんひげジジイより性質悪いぞ。
そんなことを考えながらも、マモリの側から――おそらく本人は自覚なく――甘えてくる以上は拒否も出来ず、また普通に他人に甘えられるようになったマモリが微笑ましくもあり、結局たっぷり彼女に付き合ってしまった。
数分後、わざとらしく「遅れて御免あそばせ? ……あら、お邪魔だったかしら」と登場したコイヒメさんは悪魔の類だと思う。
「あんまりマモリを苛めちゃダメですよ、コイヒメさん」
「うふふ、その時はヴァルナくんが慰めてあげてね?」
久々に顔を見たコイヒメさんは、前に見かけたやせ細った様からは想像もつかないほど活力に満ちた健康な姿になっていた。今の年齢からでも再婚できそうなほどには若々しく見える。
マモリは更に恥ずかしいことをさせられる可能性を危惧してか俺の背中に隠れているのだが、ひしっとこちらの服を掴んで離さない彼女の手から伝わる必死さがまた庇護欲を擽ってくる。もちろんマモリには一切自覚はなく、ただ今頼れるのが俺だけというだけだ。そんな娘の心理まで読み切ってのことかもしれないので本当に怖い。
しかし、おふざけはここまで。
今日は真剣な話をしに来たのだ。
俺は、絢爛武闘大会の日よりずっと渡す機会を伺っていた手紙を取り出し、テーブルをはさんで向かい合うコイヒメさんに静かに差し出した。大会終了後、バジョウからコイヒメさん宛てにしたためられたものだ。
「これはイッテキ家次期当主、バジョウより受け取ったものです。曰く、絢爛武闘大会で起きたとある事件について、貴方が手掛かりを握っていると……」
「この家紋、間違いなくイッテキ家のもの。確かに受け取りました」
先ほどまでの浮ついた空気を廃した隙の無い佇まいで、コイヒメさんは文を検める。しばし間を置いて、コイヒメさんの目がすっと細まり、思案を巡らせるような表情へと移ろう。それほど長い手紙ではなかったために数分と経たず彼女は手紙を畳んで懐に仕舞った。
「話は承知しました。答えとまでは断言しませんが、確かに可能性を示唆する情報を私は持っています」
「そうですか。差し支えなければ、その可能性を教えていただけませんか?」
「はっきり申し上げれば、今のままでは教えられませぬ」
「では、何をすれば教えていただけますか?」
単刀直入に来るなら、単刀直入に返す。
俺も秘密について多少は想像を膨らませていたので、それが容易に教えられるものではない可能性は予想していた。コイヒメさんはイセガミ家当主になったとはいえ、王国の商家の中では圧倒的な後発組だ。いくら商才があったとしても、決して余裕ある生活ではないだろう。
屋敷がこれだけ立派なのも、一種の心理戦。もうこれくらいの屋敷を建てても問題ないほど儲かっているというアピールによって商談を成立させやすくする手はよくあるらしい。
俺は、かなりの無茶を強いられることを覚悟した。
コイヒメさんは、懐から二つの書類を取り出す。
「ではまず、こちらにサインを」
「はい」
机に備え付けられていたペンを手に取った俺は、その書類内容に目を通した。
一枚はイセガミ家との養子縁組届。
もう一枚はマモリとの婚姻届。
ふむ。
「って待てぇいッ!! しれっとまずはとか前置きしといて全然気軽にサインできる代物じゃねえしッ!!」
「では、こちらを」
マモリの婚姻届けの上に、コイヒメのサインが入った婚姻届けが置かれる。
ふむ。
「マモリからあんたに替わっただけじゃねーか!! 待て待て待て待ってくださいどういうことですか!?」
唐突に人生の一大決心を迫られて俺は思わず声を荒げた。横から書類を盗み見たマモリがぎょっとしている辺り、娘に何も知らせていないらしい。これはもしや政略結婚か。特権階級が愛してやまない政略結婚の襲来なのか。
「うちの娘、ダメですか? 花嫁修業もさせていますし、見ての通り可愛いですよ?」
「相手が誰であるかじゃなくて順序の問題だからッ!!」
「は、母上!? これではマモリにも何が何やらとんと見当がつきませぬ!!」
「あら、マモリはヴァルナくんと
「そ、そそそ、それは……い、嫌だなんて言ってな――」
「はいはいはい中断! その話中断!! 何故手がかりを教えるために婚姻だの養子縁組だのという話が出てくるのか、まずはそこから始めてもらわないと収拾つきませんからッ!!」
このまま親子での戦いになればマモリは高確率で負けるし、前提となるものが見えてこない。俺の必死の訴えにマモリがうっ、と口をつぐみ、コイヒメさんはにんまりと蠱惑的な笑みを浮かべる。
この人、かなりヤバイかもしれない。
何を考えているかは分からないが、何かを狙っているのはわかる。
戦いとは違う意味で一瞬の油断もしてはいけない。
丁度使用人がお茶と茶菓子を持ち込み、一度空気がリセットされると、コイヒメさんは再び真面目な態度に戻った。
「では、順を追って話します。まず、手掛かりになるかもしれない情報ですが……本来これはイセガミ家当主だったタキしか知りえなかった秘密と密接にかかわっています」
「『
コイヒメさんは問いに対して神妙に頷いた。
実のところ、手紙の行き先がイセガミ家と知ったときから気になってはいた。
列国の国宝にして災いを齎す呪物、『
『
もしこの二つに共通項があるとすれば?
根拠も確信もなかったが、その推測は頭を離れなかった。
「『
「門外不出……確かにそれは、気軽には言えないでしょうが……」
列国の将軍家は王国では権力だけ見ても国王に匹敵する存在だという。その将軍の意向が働いている以上、コイヒメさんがその秘密を暴露するわけにはいかないだろう。
しかし、それならば赤の他人の俺に秘密を教えることなど土台無理な話なのではないだろうか。俺の疑問をよそに、コイヒメさんは意味ありげにため息を漏らす。
「例え身内であっても容易に打ち明ける訳にはいかぬ秘密……教えることができるのは、イセガミ家の次期当主くらいのものです」
コイヒメの言葉に、マモリが首を傾げ、そしてはっとする。
「でも母上、イセガミ家の跡取りはこのマモリしか……も、もしや!?」
「え? え? どういうこと?」
「も、もしヴァルナが私のお、お、夫になったら……原則男が当主を継ぐ習わしに従ってヴァルナが当主を継ぐことができる……!」
「あっ」
「そう……今は王国の民となれど、将軍には足を向けて寝られない私共です。恩に報いつつ恩人の貴方にも便宜を図るには、こうする他なく……」
よよよ、と扇子で口を隠して嘆くふりをするコイヒメさんだが、絶対にあの奥の口は笑っていると思う。この人は恩は別として、明らかに俺をイセガミ家へ取り込もうとしている。
「ヴァルナ様。これでも本来外部の組織に属する人間である貴方に対しては、最大限の譲歩なのです。これにサインしたから貴方も将軍家に忠誠を誓えなどと、そこまで恩知らずなことは言いませぬし、言えませぬ。それに……我が家に迎え入れられた暁には、必ず貴方の家族として親子ともども御支えします」
「う……いや、その……」
「ちなみにヴァルナ様のご両親のお二人とも懇意にさせて頂いておりますし?」
すっとコイヒメさんが差し出した手紙。そこには父の名と筆跡で、王都の美味しいお土産をよく持ってきてくれるだの、新しい野菜の種を譲渡してくれただの、専属農家契約を結んだだのと聞いていない情報がつらつら並べられたのち、「商家の娘さんとの縁談を持ちかけられたので良かれと思ってOKしたよ! これで我が家も特権階級だ!」と欲望に忠実過ぎる言葉で締めくくられていた。
(しまった、やられたぁッ!!)
田舎の婚姻なんて半分は親が勝手に決めるものという感覚を持つであろう両親は、既に買収済みだった。いや、買収しなくても「いいじゃん結婚しちゃいなよ!」とか平気で言う人たちなので最初から信用していないが、とにかくやられた。
更に追い打ちをかけるように、コイヒメさんは申し訳なさそうにもう一枚紙を用意する。それはイセガミ商事名義の借用書であった。その金額、なんと四億ステーラ。ピオニーの借金も風で吹き飛ぶ大金である。
そして……俺は今、四億ならなんとか払える。
絢爛武闘大会での優勝賞金があれば、この親子の負債を消せる。
つまり、そういうことらしい。
「あの、これは流石に……」
「……我が家も決して裕福ではないのです」
「母上!? そ、そんな借金のことをマモリは聞いていませんっ!!」
「必要な投資でした。それは間違いありません。ですが、もしヴァルナ様がこの家の当主になられたならば、大会の優勝賞金でこの負債を――」
「母上ッ!!」
コイヒメさんの言葉を遮るように、マモリが叱責するような大声で机を叩く。
「母上、武家の人間として……それは、いけません」
「マモリ、しかしこれが現実なのです」
「だとしてもッ!! どんな事情があれ、大恩あるヴァルナに斯様な狼藉、同じイセガミ家の名を継ぐ者として見過ごせませんッ!!」
必死に母に噛みつくマモリは、俺の手を取って微笑んだ。
「なんとかっ、するから……家の問題は家で解決して、ヴァルナの知りたいことも、私がなんとかするからっ!! だから、いいんだよヴァルナ……サインしなくていいから……!」
「うぐッ!!」
マモリは涙ぐんだ顔で、必死に俺を安心させようと笑みを作っていた。
突然の借金、家の面目、将軍家の意向に反する情報提供――どれもマモリ一人で片づけるのは余りにも酷な問題ばかりだ。
それでもマモリは俺が苦悩してサインせざるを得なくならないよう、必死に大丈夫だと言い聞かせる。本当は自分が一番不安で仕方がないはずなのに、彼女は笑って虚勢を張っている。
そんな健気な姿を見て、誰が「分かった、じゃあ任せるわ」と帰れるだろうか。
少なくとも、俺には到底出来ない。赤の他人が自業自得で借金を抱える分まで面倒を見る気などさらさらないが、これまで数多の困難の中でもがいてきたマモリの問題となると騎士としても捨て置けない。
ちらりとコイヒメさんの方を見ると、「マモリがそこまで言うなら……」と言いつつも、目が訴えてきている。こんなにも可哀そうな娘を捨て置いて、それでも男かと。
俺はその場でたっぷり一分懊悩した末に、精一杯の一言を絞り出した。
「少し……考えさせてください」
「ヴァルナ……!?」
「あい分かりました。私も少々事を急いてしまったようです。明日まで待ちましょう」
扇子で笑みをこらえきれない口元を隠すコイヒメさんを見て、俺はこの人は絶対悪魔だと確信した。
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