第十五章 愛に正解ありや

第319話 恩返しだそうです

 砂漠での激戦を終え、外対騎士団第一部隊にはつかの間の休息が訪れていた。ナーガとの邂逅と交流という非日常的な環境から、何故か王国に出現していた大陸のネームドモンスター。そして砂漠に残った戦友に代わり新たな騎士団の足となった新型騎道車。

 それらの激しい環境変化を受けた騎士たちは、自覚のないままかなりの疲労が蓄積していたらしい。普段なら王都に戻った騎士たちは時間を無駄にすまいと遊びに駆け出すが、今回ばかりは大半の騎士が本部で休息している。


 とはいえ、季節はまだ夏だ。

 外が暑いのは事実だし、本部にある最新の冷房魔導装置はさぞ彼らの外出意欲を奪うことだろう。本当に世の中便利になっていくものだ。


 そんな夏の暑い王都を、俺は土産片手に歩く。

 目的地はゲノンじいさんの見舞いだ。

 絢爛武闘大会の途中で既に体調が思わしくないことは聞いていたが、結局それ以降のドタバタで全く見舞いに行けなかった。あの頑固爺さんは自分が弱っているなどと他人に言いたくないだろうから「お前みたいな若造に心配される筋合いはねぇ」とか言いそうだけど、一応必殺の土産も用意しているのできちんと話はできるだろう。


 ゲノンじいさんの見舞いが終わったらもう一つ大事な用事もある。

 最近王都で大流行らしい甘辛い味付けの麺を美味そうだと横目に見ながら、俺は目的地に到達した。


 果たして、ゲノンじいさんの反応は予想通りだった。


「お前みてぇなガキが儂の心配だと? 百年早ぇわい」

「ほーれ言うと思った」


 ゲノンじいさんは剣こそ打っていなかったが、ここが居場所だとばかりに鉄火と金音が響き渡る工房にどっかり座っていた。俺が剣を抜いてじいさんの前に置くと、じいさんが剣をしげしげと眺めてフン、と鼻を鳴らす。


「なんでぇ、出来るんじゃねえか」

「そらそうよ。これでも世界一になったもの」

「ふん、言ってろひよっこ」


 傍から見れば意味の分からない会話だ。

 しかし、どんな態度のどんな言い方であれ、ゲノンじいさんが肯定的な言葉を使うのは珍しい。言いたいことはおそらく、剣に振り回されず、剣を振り回さず、きちんと剣と一体になって戦えているといった意味だろう。じいさんの中では剣を使うことと剣を振り回すことはイコールではないらしい。その感覚は俺にも多少は理解できるものだ。


 ゲノンじいさんはそれ以上なにも言わずに砥石を取り出して剣を研ぎ始める。絢爛武闘大会の激戦の後も剣の手入れはしていたが、じいさんから見ればまだ甘かったようだ。というより、それは既に剣士ではなく鍛冶師の領分なのだろう。


「体の具合、悪いって聞いたが実際はどうなんだ?」

「あぁ? なんだ、お前まで儂を病人扱いか?」

「病人だったら土産の品を渡そうと思ってたけど、元気ならやめとこっかなー」

「何持ってきたか知らねぇが持って帰んな。お前に心配されるほど落ちぶれちゃ――」

「偶然手に入れちゃった生命樹の枝、渡すのやめとこっかなー」


 ゲノン爺さんの手が止まった。

 工房で会話に耳をそばだてていた面子の動きも止まる。

 やや時間を置いて、ゲノン爺さんはわざとらしくゴホゴホと咳を漏らした。


「年を取るとどうも肺が言うことを聞かなくなってなぁ。ああ悪い。すこぶる悪い。土産があればちったぁ元気も出るんだがなぁ~」

「ほいよ、土産」


 テーブルに生命樹の枝を置いた瞬間、ゲノン爺さんが想像を絶する速度で奪い取るようにそれを掴んだ。しげしげと眺め、指で弾いて音を確かめ、やがて深く唸る。


「……まさか生きてるうちに本当に拝めるとはな。一体どこで手に入れやがった?」

「いやぁ、絢爛武闘大会の折にたまたまね。こいつで鍬を作った物好きが、切られちまったからって譲ってくれたんだよ」


 その正体はピオニーがくれた鍬の取っ手だ。対戦相手リーカの鋭い一刀によって見事に両断されてしまったそれは、もう使えないからと俺に譲渡されていた。鍬の取っ手部分程度の量と侮ることなかれ、これだけでも手に入れるのに幾らかかるか分からない貴重品である。

 こと鍛冶師にとって生命樹素材は燃料として特別な意味を持つ。

 それこそ、病人扱いを嫌うゲノン爺さんが仮病を使うほどの代物だ。


「生命樹で鍬か。考えたこともねぇな……」

「金属部分はオリハルコンだって」

「ますます考えたことねぇよ。しかも切られたって、鍬で戦ってたのか? いっぺんツラ拝んでみてぇもんだぜ」


 呆れ果てたゲノン爺さんはすぐに生命樹の枝に視線を戻す。

 そういえばピオニーの奴、そろそろ代わりの枝が届くから鍬の部分も調整しなおしたいとか言ってたな。いっそここ紹介してやるか。


「で、結局身体はどうなんだ?」

「……生涯現役って言ってやりてぇが、あと五年ってとこだな。それ以上は満足な剣を打てなくなるだろう。あとの余生はせいぜい若ぇのに横から口出しする嫌味なジジイとして過ごすさ」

「そっか……」


 俺とじいさんの付き合いは二年程度。だが、命を預ける武器を任せてきた人の限界が見えてきたとなると、寂寥感を覚える。はたしてじいさんが引退した後、俺はこの剣に何かあった際に誰を頼れるだろうか。


「タタラが後を継ぐって息巻いてるが、あいつが嫁に行くまでは生きてやりてぇもんだ」

「なに消極的なこと言ってんだよじいさん。憎まれっ子世に憚るって言うだろ? たっぷり弟子に憎まれれば長生きできるぜ?」

「ははははは、言いやがったなこのガキ!」


 一通り話したあと、研ぎ終えて輝く剣を受け取った俺は工房を後にした。

 ゲノンじいさんはたぶん、残りの五年に悔いが残らないよう全力で鍛冶する気だ。人生の、職人のゴールまで目いっぱい生きる気迫を感じた。それが嬉しくて、でも少しだけ寂しくて、それが出会いばかり重ねてきた俺に近づく別れの心なのだと思った。


 そして、工房を出ると同時に俺はあることに気付いてUターンした。


「ちょっと待ってさっきタタラくんのこと『嫁』って言わなかった?」

「あン? ……ああ。女鍛冶師がいねえと聞いて以来あんな具合だ。へっ、なんだ気付いてなかったのか? まったく呆れたマヌケだ。遊び友達のガキンチョのリベリーでさえ気づいとるぞ」


 タタラくんはタタラちゃんだった。

 確かに髪を伸ばせばそう見えなくもない顔立ちだが、今年分のびっくりを全部使いきった気分である。


 気を取り直し――本日もう一人の訊ね人の名前は、コイヒメ・イセガミ。


 父親の仇討ちのためにシャルメシア湿地で共に戦った少女マモリの母君で、現在は商人として王都まで出張ってきているという。聞いたところによると、怪魚ヤヤテツェプが討伐されたあとみるみるうちに体調が回復し、マモリ曰く元気すぎて怖いくらいと手紙にあった。

 しかも、いま王都で大流行の甘辛味付けの麺料理――タンタン麺はコイヒメが王都の商人と共に流行させたらしく、この麺と相性抜群の特殊な野菜を次々に出荷することで一気に財を成しているという。


 そんなわけで、王都には既にイセガミ商事の屋敷なるものが建立されている。


「うわぁ……どう見ても金かかった屋敷……」


 地図に示された場所に待っていた屋敷は、立派な列国風家屋だった。

 王国建築にはない独特の曲線や飾り、木の存在感がある。

 入口たる大門の脇にある小さな勝手口、脇門の前に立った俺が呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開いて使用人が姿を現した。


「いらっしゃいませ、ヴァルナ様。お話はお伺いしています。ささ、こちらへ」

「ああ、どうも」


 列国風の装いの女性はにこやかな笑みで俺を屋敷の中へといざなう。

 ところで、どうでもいいけどこの人結構武術の類が出来るっぽい歩き方してるな。使用人と近辺警護を兼任してるんだろうけど、もしかして忍者なんじゃないだろうか。イセガミ家は列国では名家だったらしいし、雇ってても不思議じゃないな。


 案内されるがまま、俺はとある部屋の障子の前まで連れてこられた。


「奥様がいらっしゃるまで、こちらの部屋でしばしお待ちください」


 使用人の女性が笑顔ですっと戸を開けると、中はタマエさんの好きな和室だった。しかし、その広さと調度品の量、雰囲気は趣味の範囲を大きく超えている。独特の光沢の陶器に、生け花という独特の花の飾り方。壁にかけられた掛け軸にはマモリの描くそれによく似た水墨画が躍るような躍動感を醸し出している。


 まるで異国に迷い込んだ気分だ――と思っていると、背後から気配がする。

 もうコイヒメさんが来たのか、と思って振り返る。


「ご無沙汰しています、コイヒメさ――」


 そこで、俺の口は停止した。


 気配の正体はコイヒメさんではなく、もっと若い少女だった。


 服装は恐らく列国でいうドレスなのか、沢山の上質な布に金箔をあしらった派手な、それでいて嫌味のない雅な印象を受ける装いに身を包んでいる。そして、その色覚を刺激する鮮やかな色が、彼女の顔をより際立たせていた。


 整った小顔。艶やかに黒髪を纏め、ほんのりと施された化粧が少女の肌をより美しく際立たせる。憂いを帯びた瞳も化粧によって独特の色香を醸し出し、まるで物語の姫君が絵から抜け出してきたようだ。


 そして、それ以上に気になるのが彼女の耳。

 おそらくつけ耳だと思われるが、彼女の頭に小麦色の二つの獣耳がそり立っていた。着物の後ろにも狐を彷彿とさせる長い尾のようなものが揺れていた。


 少女は呆気にとられる俺の目の前まで近づき、指を折り曲げて狐を形作る。


「ぅ……つ、疲れたヴァルナの為に、恩に厚いマモリギツネが恩返しの癒しをとどけにきたよ。こーん、こんっ」 


 そう言いながら彼女は手で形作った狐の口先で俺の胸をつんつんとつついた。

 しばしの沈黙。やがてその空気に耐えられなくなったように、彼女――マモリは顔から湯気が立ち上らんばかりに顔を朱に染めた。


「こーん、こん、こ……う、ううっ。は、は、母上が、ヴァルナにこれをすれば癒しになるから絶対やれって! やれってぇぇぇ……!!」

(なんだこのかわいい生き物は)


 ――ヴァルナは人生で初めてキュン死なるものを理解した。

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