第316話 風が呼ぶものです

 外対騎士団にとっての最低勝利条件は民を守ることだ。

 そこからランクを上げて、物的被害が少ないこと、民の生活を侵害しないこと、死人が出ないこと、低予算で済ませたことなどが付随して、全てを満たしたときが完全勝利となる。


 騎士の仕事は命懸けだ。死者ゼロはあくまでひげジジイの政治的要素が絡んだ指針であり、外対騎士団という組織を俯瞰的客観的に見ると、死者が出ることは仕方のないことでもある。


 だが無茶な話をひげジジイは通してきた。

 俺もこの無茶を通さずして騎士を名乗れない。


 既に最低勝利条件は満たした。ナーガに数名の怪我人が出たこと、外の面子にも実は負傷者が数名いたこと――これは既に変えようのない事実だ。なので、後は勝手にやらせて貰う。


 ダッバートに吹き飛ばされたンジャ先輩を追って砂嵐の中に飛び込んだ俺を待っていたのは、月灯りも霞む闇の世界だった。幾重にも折り重なった砂塵が月光を覆い隠し、全く方角が分からない。ついさっき突き飛ばされた以上は遠くに行っていないと予測していたが、そうでもなさそうだ。氣を探るが、見つからない。


「風に乗って飛ばされたか……!?」


 強烈な砂嵐は砂粒と共に容赦なく人を襲う。これだけの強風であれば風に転がされてもおかしくはない。俺は外氣を極限まで研ぎ澄まし、索敵範囲を広げて風下の方角へ駆け出した。

 どんなに範囲が広かろうが所詮は人一人の索敵範囲。

 僅かでもずれがあれば吹き飛ばされたンジャ先輩を拾い損ねる。

 迅速かつ確実に発見しなければならない。


 風に耐えつつ索敵に隙がないようにジグザグに走行するが、環境が悪すぎて思うほど素早く動けない。創意工夫で負担を減らすにも限界がある。時間の感覚が曖昧になり、もう何分、何十分経過したのではないかという不安が胸中を渦巻く。


 暫く進むと、砂嵐の風切り音に混じってばさ、ばさ、という小さな音が聞こえた気がした。音を頼りにその方角へ走る。


「……ッ」


 そこにあったのは、外対騎士団が備品の砂避けに使っていた唯の布だった。風に飛ばされてここまで来たのだろう。紛らわしい、という激情と、時間をロスした焦りが募る。


 そもそも、方角はこちらで合っているのか? 想定以上にずれた角度でンジャ先輩が飛ばされたのなら、ただ遭難しに来ただけになってしまうのでは? 今更考えても仕方のない焦りを精神力で黙らせ、更に外氣を練り上げる。もはや戦闘時と遜色ない氣の放出量だ。


「見つけたときには死んでたなんて、絶対に許さねぇぞ……!!」


 あの人がどうだかは知らないが、外対騎士団にンジャ先輩の死を許容する人間なんていない。厳しくもどこか優しい騎士団の教官役は、若い世代の騎士たちにとっては父のようなものだ。

 そして、本当に彼を父と慕う人も、いる。

 それを裏切ることは、もはや悪徳だ。


 どれほど光のない砂漠を彷徨ったのか――その時は遂に訪れた。


 今にも消え入りそうな命の灯。

 俺はそれに向かって全力で走った。


 そこには、ンジャ先輩がいた。

 偶然砂丘と砂丘の間、風の弱い場所に転がり込んだらしい。呼吸は荒く、時折喀血している。恐らくアバラが折れて肺を傷つけたのだ。意識は辛うじてあるのかこちらを見たが、言葉はもう紡げない。ただ、体を見るに自分で気力を振り絞って最低限応急処置は済ませたらしい。

 ンジャ先輩は生きる努力をしているのだから、俺は生かす努力をする。


「いきますよ」


 俺はンジャ先輩を抱え、自らの外套を脱いで自分の背中に彼をしっかり固定する。

 そこで、全身を襲う寒気に気付いた。


 今まで全力で走っていたから自覚し辛かったが、砂漠の夜は寒い。まして砂嵐の強風は絶え間なく体温を奪うだろう。ンジャ先輩を早く風の凌げる場所に移動させなければ、低体温症と負傷のダブルパンチで翌日まで保たない。


 強風、劣悪な視界、そして時間制限。

 更に言えば、既に今ここが砂漠のどこであるか、どの方角を向いているか分からない。

 明かりがないので方位磁針コンパスも見えないし砂嵐のせいで星も確認できないからだ。

 周囲の地形も殆ど分からない。


「どっちだ……どっちが安定だ……」


 遺跡の位置から捜索した方角を大雑把に割り出しても、遺跡に戻るのは遠すぎる。ナーガの里など論外だ。それならクリフィアに戻った方がまだマシだった。もしくは砂漠の地形確認がてら回った幾つかのオアシスに辿り着ければ最低限の風は凌げる。


 考えられるうちに考えなければならない。

 実のところ、ぶっ通しで氣の放出を続けたせいで、精神的な疲労が無視できなくなっている。外氣だろうと内氣だろうと、全力で放出するというのは人類最強と戦ったときと同じ氣を長期間維持しているのと同じことだ。


 と、砂嵐とは違う砂の流れを感じた俺は少し進む。


「流砂……」


 それは、この砂漠特有のものらしい流砂だった。

 流砂は川の流れのように遺跡を起点に円を描く形で存在している。俺はそこで、まだ自分に明かりがあったことを思い出す。ナーガに渡された魔力灯が一つ余っている。この砂嵐では明かりとして役に立たないため思考から除外していたが、すぐに点灯させてコンパスを取り出し、北方向を起点に流砂の湾曲を確認する。地図と照らし合わせようとしたが、砂嵐の影響ですぐビリビリに破れ散った。


「くそっ!! 思い出せ、確かこの湾曲は南西寄りの……」


 必死に記憶と照らし合わせ、残った地図の破片を頼りになんとか大まかな居場所を割り出す。

 ヴァルナはコンパスを覗きながら、記憶と自分の動きの精密さを頼りに方向転換した。


「クリフィアに向かいます。今からちょっと揺れますので歯ぁ食いしばって耐えてください」

「……ぁ、ぁ」


 絞り出すような声でンジャ先輩が肯定し、ごほっ、吐血混じりに咳き込んだ。

 先輩の生命力はじわじわと削れている。

 腹に気合を入れて、可能な限り振動を伝えないようにヴァルナは駆けだす。


「合氣伝一の型、海秋沙うみあいさ


 普通に流砂の中に突っ込めば人間は砂に溺れて死ぬだけだ。騎道車なら無限履帯で悠々と突破できるが、幸いヴァルナは騎道車がなくとも水上を走る術を持っていた。流砂にも応用し、ヴァルナは流砂を最短で突っ切った。


 背でンジャ先輩の呻き声が聞こえる。

 流石に無振動は無理だったため、衝撃が伝わったのだろう。

 あとはひたすら運と時間の問題だ。

 ンジャ先輩の意識が途切れないように定期的に声をかける。

 今意識を失えば命に関わる。ンジャ先輩の精神力を信じるしかない。


「勝手にくたばらんでくださいよ。返事は結構です」

「……」


 歩く。歩く。砂嵐は二人を追うように消えてくれない。


「今頃ローニー副団長は胃に穴空いてるかもしれませんね」

「……」


 今、自分が向かう方角が最短なのか自信がない。

 でも、もう悩むのはやめた。行くしかないから歩いてる。


「セネガ先輩の子ども時代の話、帰還出来たら教えてくださいよ」

「……」



「ダッバートの解剖結果どうなるかな」

「……」



「天秤長のニャーイがね、人間の法律学校に入学したいらしいですよ」

「……」



「あ、やべ……これ帰ったら俺絶対ネメシアに泣かれますわ」

「……」



「ンジャ先輩、まだ意識ありますね?」

「……」

「あ、指が動いた。じゃ、まだ頑張れますね」


 次第に喉が渇いてくる。

 身体も寒さに震えて来た。

 精神力の消耗で気を抜けば方向感覚が狂いそうだ。

 魔力灯は注入された魔力で動くため、光は次第に弱まるばかりで周囲の地形は一向に把握できない。


「まだです。頑張ってもらいますよ……頑張って……」

「ガフッ、ゴホ……」


 背中にじわりと鮮血の湿り気が伝わって来た。

 漠然と、ゆっくりと、死が足音を立てて近づく感覚。

 だが、ンジャ先輩より先に俺が諦めることは許されない。

 背負っている命が、途轍もなく重い。


 ――。


 ――。


 どれほど歩いたのだろう。

 空はまだ漆黒が覆い尽くし、砂嵐も消えない。

 意識が朦朧としてきたのだろうか、目の前に誰がいる気がする。


『――』


 子供のような、小さな何か。


 それは手招きするように、角度を変えて進む。


 俺はそのとき、何故かこの子供に付いていった。


『――♪』


 子供は、俺が付いてくるのを喜んでいる気がした。


 次第にその輪郭が、確かな人間のように見えてくる。


 こんな砂漠の真ん中に、子供がひとりでいる筈もないのに。


『――!』


 ンジャ先輩も子供を認識しているらしい。


 子供の感情が揺れる度、それを感じ取っているンジャ先輩の僅かな氣の揺らぎを感じる。


 おお、氣は簡易ウソ発見器に使えるのかもしれない、と場違いに思った。


 やがて、子供は振り返る。


 夢の中の登場人物のように、人だと認識できるのにその特徴を捉えきれない。子供は俺達を慕うように、俺達との別れを惜しむように、こちらに手を差し伸べていた。


 俺はその手を握り返し、そして――。



「……ははは、まさか。そうか……お前だったのか」



 俺が握っていたそれは、破棄が決定して砂漠に鎮座するもの。

 命なき戦友、騎道車一号のドアレバーだった。


 風を凌げて暖が取れ、中に非常食も救急キットも存在している。

 俺は人間以外の仲間にも恵まれてるんだな、と思いながら、ドアレバーを捻る。

 試験運用の中で呆気なく役目を終えたそれは、中継拠点としてヴァルナ達を迎え入れてくれた。




 ◇ ◆




「――成程。それは船精霊の類だろうな」


 数日後――王宮のティータイムに俺の話を聞いたアストラエは、直ぐにそれの正体を看破した。


 あの後、ンジャ先輩は無事命を取り留めた。翌日にはナーガの捜索部隊がやってきて、セネガ先輩はンジャ先輩に抱き着いて「お父さん!」と大声で叫び、俺以外の周囲が驚愕にひっくり返ったのはなかなかの傑作だった。

 その後のゴタゴタの処理は、流石に他の皆に甘えさせてもらった。


 ついでに後輩たちに感動したり泣かれたり、そしてネメシアに案の定大泣きされたりもした。ネメシアを短期間で泣かせ過ぎたせいかミラマールにも悪い男認定されたようで尻尾でつつかれてしまい、ついでにナーガ達にも尻尾でつんつんされた。


 え、王都にいるならセドナはって?

 今日は予定が合わなかったから残念ながらいない。よって俺が砂漠で二度遭難した事実は隠蔽しようと思う。黙ってればバレないバレない……いや、なんかバレそうな気がする。もう諦めよう。


 ともかく、犠牲者なく任務を終えた外対騎士団は、要人を王宮に護送する任務をついでにこなしながら王都に帰還。俺は親友とティータイムと洒落込んでいる訳だ。


「船精霊ねぇ……どんなのだ?」

「昔っから船乗りに伝わる話さ。船のなかにいる筈のない子供が、船の運命を知らせてくれたりするんだ。この船は沈むから逃げて、と言われて逃げてみると本当に沈んだり、嵐が来るぞって騒がれて目を覚ますと本当に嵐が近づいてたり。船員の愛着が強い船ほど出やすく、船員の仲が悪いと出なくなるとも言われてる。ぼかぁ残念ながらまだ見たことは無いが、一度は会いたいもんだ」

「だが騎道車は船じゃねえぞ?」

「そんなこと大した問題じゃない。沢山の人間がそれに運ばれ、進路を決め、時に笑い、時に泣き、そして寝食を共にしてきたんだ。船精霊の本質とはそういう所にあると僕は思う。海か丘かなんて些細な問題さ」

「そうかぁ……案外そうなのかもな」


 騎士団の皆にこの子供の話をしたら、殆どの人が「嘘つけ野生のカンで見つけたんだろ」「運命捻じ曲げて因果律引き出したんじゃねーの?」「むしろ子供はヴァルナから逃げて騎道車に逃げ込んだ説あるで」と散々な言われ方をした。

 でも、騎道車に愛着がある組は、きっと騎道車の化身か何かだと確かに言っていた。船精霊がそういったものだとすれば、なんだかしっくりくる気がした。


「それにしても、だ」


 話を区切ったアストラエは、王宮内ではしゃぐ客人たちに苦笑する。


「これまた凄いことになったね。ナーガが国内にいたのも吃驚だけど、王宮に招待する日が来るとは……」

「期間限定だけどな」


 二人の視線の先には、ナーガの里の三人長の最も信頼できる弟子たちと他数名が王宮の豪華さと物珍しさにはしゃいでいた。ロザリンドとネメシアが同行役として彼らの案内を務めているが、流石の王宮メンバーも下半身が蛇の客人に動揺を隠せない。

 例外は執事長セバス・チャンとメイド長のロマニーくらいだろう。

 くるるんも人間の世界学習係として騎道車に残った。

 これからナーガの人間学習が本格的に開始されそうだ。


 砂漠は人に試練を与える。

 それは一人で乗り切れるほど容易なものではない。

 されど、過酷な自然と環境は、生きる者たちの信じる心と潜在的な力を引き出す。


 今、人もナーガも老いも若いも、新時代の到来を予感している。

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