第312話 持たざる者の衝撃です

 ダッバートは月の逆光に照らされる中、こちらを挑発するように一瞥すると、即座に自らの空けた大穴から外へ出た。


 この状況、まずいなんてものじゃない。

 外対騎士団の作戦で最も危険と言っても過言ではないのが、敵による後方部隊への襲撃である。危険な前線に戦闘慣れした騎士を多く送り出さなければいけない関係上、後方の予備戦力などたかが知れている。だからこそ騎士団は可能な限り一瞬で敵の統率を乱し、オークの群れを仕留めさせなければならない。


 俺が新人だった頃にも一度、後方にいたのに敵に奇襲を受けたことがある。それが奇しくも俺の初めてのオーク戦闘で、今になって思えばみっともない結果ではあったが一応勝利した。しかし、その後の反省会で偵察班のほんのわずかな不手際は大きく責められることになり、偵察班の先輩方からも後方組への謝罪と一時減給があったほどだ。


 給料が減ることなど問題なのではない。

 戦わせる予定のない仲間を敵とぶつける結果になったのが、問題の本質だ。

 後方にはナーガも備えている今、オークの襲撃ならどうとでもなる。しかしダッバートのような狩り慣れした大型魔物――しかも危険度七という極めて危険な存在をぶつければ、結果など火を見るより明らかだ。


 俺は躊躇いなくダッバートを追って穴に飛び込もうとし――第六感が総毛立つような危険信号に身を貫かれた。


「止まれ、ヴァルナッ!!」


 その第六感と全く同時に発されたンジャ先輩の声に、俺は疾走する己の足を無理やり停止させるように踵で地面を蹴り飛ばした。反動で前のめりだった身体が辛うじて停止し――次の瞬間には俺が通り抜けたであろう穴に岩石のような拳が振り下ろされていた。


 風圧と衝撃に息を呑む。万一まともに食らえば今頃全身の骨が砕け散っていたところだ。


「~~~~ッ!! 逃げるふりしてこっちの行動を制限した待ち伏せ……!!」


 まんまと乗せられかけた自分に歯噛みする。

 ご丁寧に、ダッバートの気配は穴の外を出てすぐ反転していた。

 追い付いたンジャ先輩が強めに俺の肩を叩いた。


「こちらが警戒して出てこないなら本当にその場を離れる気だった。油断するなと言ったぞヴァルナ。彼奴は複数の選択肢をこちらに強いてくる」

「身をもって知りましたよ……!! でもだったら!!」


 砂漠用の外套を脱ぎ捨て、穴の方に投げ出す。

 敵が待ち伏せしているなら空振りさせてやればいい。

 出てきたものを即座に攻撃する待ち伏せなら、これに反応する筈だ。その瞬間にメイスを叩き込んでバランスを崩せば外に出られる。そう考えたのだが――予想に反し、ダッバートは手を出さずに俺の外套は虚しく地面に落ちた。


 ダッバートはその場から動いていない。

 まさか、奴も氣を使えるのか――とも考えたが、氣を放つ相手は同じく氣を放つ相手をより強く感じ取れる。ダッバートのこれは、こちらが囮の小細工をしてくる心理を読んで敢えて手を出さなかったと考えられる。


 心理的に、囮が反応しなかったのならば外に出られると考える人間を仕留める為の罠だった。


(……仮想敵を本能的にオークにしてるのが悪い。もっと狡猾な手を使う相手を仮想敵にしないと。誰がいい……アストラエがいいな)


 ヴァルナの知る限り最も次の行動が予測しにくく、簡単に事を運ばせて貰えない相手。アストラエは勝負の前提を崩すような真似をすることもある。だったら、こちらも前提を崩させて貰う。


(やったことはないし、遺跡を更に壊しちまうが……いや、出来る)


 自らの剣を握った俺は、それが出来ると確信する。

 ンジャ先輩に下がるようハンドサインを送った俺は、自慢の銀剣を引き抜いて天高く掲げた。まるで聖剣を抜いた勇者のようでいて、実戦ですることは絶対にないポーズ。しかし俺には出来る確信があった。


 刃の切っ先が指し示すのは、真上で獲物が穴からノコノコ出てくるのを待つダッバート。


「真上の天井を吹き飛ばせッ!! 十二の型異伝、『いななき黒烏こくう』ッ!!」

 

 瞬間、剣の先で凝縮された目に見えない力が一直線に上空に駆けのぼる。力は数メートル上方にあった分厚い遺跡の天井に衝突し、粉砕し、貫通した。その衝撃は岩で作られた遺跡越しにダッバートを捉え、狡猾な獣は驚愕に両眼を見開き宙を舞う。

 遺跡の破片は奴にダメージを与えていないが、その体は僅かに攻撃でへこみが出来ていた。


 初めての試みが上手く行った喜びもなく、俺は即座に瓦礫を避けて月下の遺跡上に躍り出た。ダッバートは空中で身をよじってこちらよりも高い位置の遺跡上部に着地し、こちらを睨みつけている。


 『いななき黒烏こくう』は十二の型・八咫烏の暴発を思い出して一つの技に見立てたものだ。八咫烏は、無理に放とうとすると力の行き場が滅茶苦茶になって剣術とは全く違う破壊を齎す。ならばその暴発に指向性を持たせれば、八咫烏とは違う一つの奥義として扱えると思った。


 王国攻性抜剣術はあくまで剣術。どんな高度な技術を覚えても、基本は他の剣技と同じく剣の間合いに入っている相手にしか効果がない。数メートル上の岩の塊を破壊するものではないし、そもそも対人戦でそんな状況は想定されない。


 だが、八咫烏の暴発が生み出す破壊力なら話は別だ。

 俺は絢爛武闘大会で岩をも砕く拳の持ち主、ガドヴェルトと戦った。極限まで研ぎ澄ませた氣を用いて斬撃を飛ばすリーカやシアリーズとも戦った。そしてアストラエに、八咫烏は剣以外でも放てる可能性を示唆された。その全てを加味して生み出したのがこの『いななき黒烏こくう』だ。


 敢えて今特筆すべき欠点を言うなら、斬撃ではないのであの距離でダッバートに有効打を与えるほどの射程はないこと。月下に照らされたダッバートの姿をやっとまじまじと見ることの出来た俺は、眉を顰める。


 ロックガイたちの体つきは少しのっぺりした人型であったが、ダッバートは腕部や脚部が明らかにマッシブな印象を受ける。頭部や胸部などの皮も明らかにロックガイより厚く、純粋な防御力も高いことが伺える。


 だが、その敏捷性はイスバーグの白髪オークと互角かそれ以上。

 こちらに捕捉されたダッバートは慌てることなく遺跡屋根の陰に身を隠す。


「逃がすかこの――!?」


 ボゴン、と音を立て、隠れた屋根の一部がダッバートにもぎ取られた。突然の奇行に俺は困惑するが、ダッバートがそれを振りかぶって投げ飛ばした方角を見た瞬間、その意図に気付く。

 腰の魔力灯のレバーを回し、光を最大に設定した俺は、瓦礫に重なる形でそれを投擲しながら叫んだ。


「退避ぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーッ!!」


 瓦礫は、突然遺跡上部が破壊されて何事かと様子を見る後方待機の部隊へと飛んでいた。




 ◇ ◆




「――魔物と、ヴァルナか?」


 後方で様子を見ていた回収班班長ネルトンは、灯りに乏しい夜の砂漠で双眼鏡を用いて異常の正体を確かめていた。

 今回の任務では回収班が特段急ぐ理由がなく、また血の回収についてかなりおおらかな判断が下っていたため、特段強い緊張感を持っていなかった。もちろんそれでも遺跡に何事かあらば確認する程度の注意深さは残しての待機である。


 ネルトンの声を聞いた同僚たちが重い腰を上げて立ち上がる。


「ボスロックガイでも出ましたか?」

「あらあら、遺跡壊しちゃって……建築長のドゥジャイナさんが黙ってないんじゃない?」

「いや、もう怒りを露に遺跡に一直線に向かってしまわれた……」


 視線の先にはすさまじい速度で砂をかき分けて進みながら「私の遺跡を壊すなぁぁぁぁ~~~!!」と怒声を上げるドゥジャイナと、それを慌てて追う二人のナーガの戦士の背中があった。


 ――このとき、全員が一度は立ち上がっていたことは、正しい判断だった。気を緩め切らず、一応行動する姿勢をするよう訓練された騎士たちだったからこそ、一見して対岸の火事のように見える光景にも備えが出来ていた。


 だからこそ、ヴァルナの叫び声とネルトンの声に全員が一斉に反応できた。


「退避ぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーッ!!」

「なんだ、灯りを投げ……何だとッ!? まずい、総員頭を守って左右に散開ッ!!」


 この時、厳密に事態を把握していたのはネルトン含めて僅か数名。

 しかし、ネルトンと付き合いの長い団員たちは、ネルトンが左右と言ったらネルトンが向いている方角を基準に左右だとしつこく教えられていたし、その際に行動が遅れる者がいないようフォローの術も心得ていた。


 ある者は腕で頭を守り、ある者は運搬用担架を盾にし、また退避するのに距離があった者や足の遅い者はナーガの身体の陰に身を潜める形で速やかに移動した。ネルトンはその場から動かず前傾姿勢となり、愛用の大型シャベルを構えた。


 次の瞬間、その場に夥しい拳大の石が大量に降り注いで砂を吹き飛ばした。


 騎士団は全員退避が間に合い、動きの遅れたナーガ達は防御姿勢で石を浴び、そしてネルトンは降り注ぐ石に対して体の向きを垂直にして命中する面積を減らした上で、シャベルで正確に自分に命中する石を捌いてみせた。

 剣の腕は決して良くはないが、シャベル捌きは一流の彼ならではの凌ぎ方と言える。


「怪我人いねぇか!? 点呼取れ!!」

「了解!!」


 集団行動の基本、点呼で隊員の状況を確認しながら、ネルトンは第二射に備えてヴァルナと相対した大きな影を見る。


 ネルトンはヴァルナが突然灯りを空に放ったことに意図を感じてそれを追いその結果、異常な光景を目の当たりにした。


 直径二メートル以上はあろうかという遺跡の一部――実質は岩の塊が、空中で突然砕けて自分たちのいる方向に向かっていたのだ。ヴァルナが灯りの投擲でその軌道を教えてくれていなかったら、今頃点呼で返事が出来ない団員がいただろう。

 ナーガたちの半数程度は直撃を受けたが、そもそも打撃に強いナーガ達は衝撃に怯みつつも怪我はしていない。


 もしも、投擲された岩がそのままの形で飛んで来たら、流石のナーガも無視できない負傷を負うか、最悪死んでいたかもしれない。しかし、岩は空中で狙いすましたかのように砕け、広範囲に降り注いだ。


 退避の判断がなければ、体に直撃すれば骨折は免れない威力の石が爆撃のように押し寄せていた。ナーガは無事でも、騎士たちの中からは少なからず死人が出ていただろう。

 岩が砕けたのは偶然か、はたまた必然か。

 もし必然であるならば――と、ネルトンは冷や汗をかく。

 このままではいい的にされかねない。


「各員、ナーガ兵を起点にグループ規模で固まりながら遺跡を包囲する形で散開!! 間隔を開いて投擲に備えろぉ!!」


 砂丘の裏に逃げ込むことも考えたが、遺跡の高度からの投擲ならば射程範囲に入るし逆にこちらから投擲の前兆が掴めなくなる。塊となって動けばあの拡散石弾のいい的だ。今ここで出来る最小リスクとして狙いを絞らせないよう行動するしかない。


 今、この距離でネルトンが出来ることなどない。

 狙撃のプロのカルメは遺跡内だし、そもそも長弓でダメージを与えられる相手かもわからない。あれがロックガイのボスなら矢など到底刺さらないだろう。


 かつてない危機を前に、普段同僚を叱り飛ばすネルトンはただ部下の無事と、ヴァルナの勝利を祈るしかない。


「急げヴァルナ。俺ぁ穴掘り名人だが、部下の墓穴掘るなんざまっぴら御免だ……!!」


 遺跡の上を、一つの獣と一人の騎士が躍る。

 それは、騎士たちの命を懸けた最悪の鬼ごっこだった。




 ◇ ◆




 命を懸けた鬼ごっこの趨勢は、ダッバートに傾いていた。

 俺は縮まらない距離に歯噛みする。


「くっそ……今日ほど二足歩行の自分が憎い日はないッ!!」


 追う、追う、必死にダッバートを追う。

 ここが平地であればヴァルナは数秒とかからずダッバートに剣を叩き込む自信があったが、現実には大きな壁が立ちはだかっている。段差が多く傾斜の多い遺跡上部は、四足歩行で自在に駆けるダッバートが圧倒的に有利なのだ。


 ヴァルナも己の歩法を最大限に駆使して追うが、ダッバートは四足歩行の利点を生かして二足歩行のヴァルナが最も距離を詰め辛い傾斜や角度へコース取りを続ける。その間にもダッバートは遺跡の一部を抉り取っては砂漠に向けて投擲している。


 先ほどより遥かに小さい塊ではあるが、散弾のようにばら撒かれては騎士たちが慌てて散り散りになっている。もういつ何かの間違いで死者が出てもおかしくない。

 だが、自在に遺跡を飛び跳ねていたダッバートの足が突然乱れる。


 その原因は――自らが調査する筈だった遺跡を破壊されて怒り狂う建築長ドゥジャイナだった。


「私の遺跡を何ぶち壊してくれてんだこのקישיגאיッ!!」


 怒りの余り久々にナーガ語が飛び出たドゥジャイナは空中で身を翻しながらすさまじい速度で縦回転し、最大限まで威力を乗せられた尻尾をダッバートに叩きつけた。

 ズバァァァァァンッッ!! と、空気を切り裂いたような鋭い音を立てたドゥジャイナの尻尾が、咄嗟に身を守るため出したダッバートの腕にめり込む。


「な……まずい、急いで離れろ!!」


 遺跡を破壊した腕力、遺跡の一部をもぎ取った膂力、どれをとってもダッバートの筋力は一級品の筈だ。しかも質量もあるダッバートなら幾らナーガの強烈な一撃も受け止め切って、逆に尻尾を掴んでくるかもしれない。そうなればナーガでも抵抗出来ない。


 しかし、俺の予想はどういう訳か外れた。


『グオ……ッ!?』


 強烈な衝撃を逃がしきれず、ダッバートの肩ががくんと下がる。

 その隙を見逃さないと言わんばかりに彼女の護衛だった二人のナーガが後方から飛び出て、二人同時に体を横に回転させた尾の一撃を叩き込む。


「ラージャ・ドゥジャイナには!!」

「触れさせぬッ!!」

『ガァァッ!!』


 まともに攻撃を受けたダッバートは、吹き飛びこそしなかったもののたたらを踏んだ。体勢が崩れた状態でもなんとか衝撃をずらして転倒を防いだようだが、動きが止まっている。

 が、俺があと一歩まで接近したところでダッバートは攻撃してきた護衛ナーガの尻尾を掴んで俺に向けて振り回した。


「うわぁぁぁぁぁッ!? לא ניתן לעבוד!!」


 鞭のように二回、三回、絶妙な間合いに俺もナーガを斬る訳にはゆかず足を止める。だが、四回目の途中で掴まれたナーガの目に火が灯る。


「調子に……乗るなぁッ!!」

『ゴアッ!?』


 ナーガが遺跡に降り積もった砂に手を伸ばし、触れる。

 すると砂が細長い矢のように変形して射出され、ダッバートの口に入り込んだ。いくら砂に適応しようとも呼吸はするし、体内は濡れている筈だ。あらゆる生物にとって無視できない呼吸を阻害されたダッバートは息を詰まらせ、ナーガの尻尾を放して俺に投擲すると同時に弾かれるようにその場から身を引く。


 投擲されたナーガを俺がなんとか受け止めると、振り回されて少し目を回したナーガがざまぁ見ろとほくそ笑む。


「す、砂の魔法です……咄嗟にしては、大したものでしょう?」

「……なかなかエグイ使い方するなお前」


 万一人間が受けたら即窒息の凶悪奥義に俺は戦慄を覚える。

 しかしナーガは首を横に振る。


「奴の口が閉じていれば、ただ顔に砂をぶつけるだけの魔法……です。大それたものじゃ、ない……たまたまです」

「流石魔の力を持つだけある。俺には真似できんよ」

「はは、は……それよりラージャ・ヴァルナ。貴方に伝えることが……」

「何だ?」


 伝達事項かと思いつつ、兵士ナーガの言葉に耳を傾ける。

 兵士ナーガは、呼吸を整えながら言葉を絞り出す。


「あの大きな魔物は、確かに強い……しかし、殴ってみて分かった……奴は、見た目ほどの力はないのです。魔法を、使って、強力に見えるよう偽装しています……!」


 その発想は、魔物知識はあっても魔法知識に乏しい俺にとっては青天の霹靂だった。

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