第311話 どう考えてもおかしいです
『狩り獣のダッバート』。
俺は子供の頃から騎士に憧れていたが、冒険譚や魔物との戦いについての本も好きだった。故に、王国の人間にしてはネームドモンスターについて知っているつもりである。
しかし、『狩り獣のダッバート』という名を知ったのは騎士団に入ってからの事だった。
あれは確か慣れない作業で失敗して少々落ち込んでいた時に、ノノカさんが気を紛らわすようにオーク豆知識を披露してくれたときのこと。
『オークの寿命って実は結構謎なんですよねー』
『そうなんですか?』
『そーなんですよ? 自然界では大抵長くとも十年程度なんですけど、オークって魔物ヒエラルキーの中では低い方なんで老衰する前に食べられたり殺されちゃうんです。かといってオークが何年で死ぬか実験するためにオークを飼った事例はないですし、オスオークの生命力はメスオークのフェロモンに左右される部分もあります』
魔物は通常の生物より比較的長生きな傾向にある。
ペットにされたアルミラージが兎の癖に二十年も生きたなんて話もあるし、大型魔物は百年くらい平気らしい。ドラゴンにもなると、竜鱗の研究の過程で実は千歳を超えていることが判明した事例もある。
当時の俺はその話にさしたる興味を持たなかったが、興味本位で一つの質問を投げかけた。
『じゃあ今までで一番長生きしたオークってどんなのですか?』
『そうですねぇ……ノノカは直接調べられなかったんですが、昔に『狩り獣のダッバート』と呼ばれているネームドモンスターがいまして……目撃証言が少ないので断定は出来ないのですが、調べたらどうもオークっぽいんですよね。もしダッバートがオークだったとしたら、二十歳以上。今の所生死が判然としてないのでもし今も生きていたら三十歳を超える計算になりますよ!』
『へー、ネームドなのに目撃証言が少ないってのも不思議ですね』
『いえいえ、ぜーんぜん不思議じゃないですよ? だって、ネームドモンスターって基本的にメッチャクチャ強いですもん! 特に『狩り獣のダッバート』は名前の通り人間で狩りをしていたらしく、目撃して生き残る事がそもそも難しかったみたいです。キャー! ノノカこわーい!!』
『いや本当に怖いじゃないですか』
冗談めかしたノノカさんに抱きしめられるが、言われてみれば狩り獣なんて呼ばれる魔物と出くわして簡単に生存できる訳はない。あとで調べたところによると、狩り獣のダッバートはネームドモンスターの中でも群を抜いて遭遇者の死亡率が高く、ある時を境に突然姿を見せなくなったために死亡したと推測されているようだ。
今では『狩り獣のダッバート』が出没した地域では「勝手に森に入るとダッバートに食べられる」というのが子供への脅し文句になっているそうだ。
――そして、今。
時を経て、俺は再びその魔物の名を聞いた。
外ならぬンジャ先輩の口からだ。
「どういうことですか、ンジャ先輩」
「確認の
「……了解。確かに馬鹿な質問でした」
ンジャ先輩は根拠を説明しなかったが、そもそもあれが『狩り獣のダッバート』だとする根拠などどうでもいい。これほど狡猾に人を罠に嵌めようとする巨大魔物、王国騎士として万が一にも生かしておいてはならない。それだけは語るべくもなく確かな事実だ。
あのシルエットと肌の質感は到底オークには見えなかった。
新種の魔物として事に当たる他ない。
肌を刺すような緊迫感。
絢爛武闘大会の猛者と衝突する際とは別次元の脅威と状況に、全身の五感が極限の臨戦態勢に突入する。相手に後れを取らない、斬る場所を選ぶ、などと悠長な思考はこの際全て排除する。
これは、正真正銘人と魔物の殺し合いだ。
或いは、竜殺しマルトスクの戦場とは、いつもこうだったのかもしれない。
周囲の警戒を解かないまま、俺は先ほどの場所を見やる。
そこには、粉々に砕けた相手の棍棒の残骸があった。
見ればそれは綺麗に整えた形だったようだが、主成分は明らかに石や砂。強度があるようには到底見えない。事実、先ほどメイスの一撃で綺麗に砕け散った。しかし、そのことに違和感が生じる。
たかだか石と砂を固めただけの棒ならもっとあっさり砕け散った筈なのに、どうして先ほどの俺のメイスはこれを貫通して敵に攻撃を与えられなかったのだろう、と。そもそも棍棒のサイズは二メートル以上あり、振り回しただけで本来なら折れてしまうように思える。
(何か絡繰りがあるのか……?)
と、微かに風を切る音とともに何かが近づく。砕かれた石だ。かなりの速度が乗ったもので、射角からして高い位置から投げ込まれている。当然俺もンジャ先輩も物陰に隠れて回避する。耳を澄ますと、獣が移動する音が聞こえた。
厄介だな、と内心ごちる。
この部屋は天井が高く、しかも高い位置の壁が悉く破壊されていることで上方は穴だらけだ。どうにもあの巨体の魔物は身軽らしく、おそらく柱を上手く利用して空けられた穴を高速で移動しているのだろう。そこも計算して破壊したと考えるべきだ。
あちらは一方的に高度を取れて逃げやすく、逆に追うこちらは地上の道を行くか相手の空けた穴に駆けのぼるしかない。しかもこちらは灯りを放っているため、向こうからすれば見つけやすい。
ンジャ先輩も同じ考えに至ったらしく、俺達は目配せしてすぐに魔力灯を切った。月明かりすら差さない完全な闇の世界が訪れる。
完全な暗闇というのは人にとって精神の均衡すら危うくするが、俺とンジャ先輩は違う。外氣の感覚を先鋭化させ、気配だけでなく周囲の地形すら読み取る。闇の中からも戦いに必要な情報は読み取れる。
「ヴァルナ、暫く彼奴の目を引け」
「了解。後で合流ですね」
俺はそのまま敵が使う上の穴を利用して攻めに転じ、ンジャ先輩は下から移動を開始した。幾ら相手が手練れとて、二人の狩人を平行に相手するならば取れる選択肢を絞れる筈だ。
メイスをいつでも抜けるようにしつつ、剣を強く握りしめる。
間合いに入り次第、『八咫烏』で滅してくれる。
◇ ◆
ンジャはこれほど頼もしい味方を持ったことは無い、と気迫を漲らせて駆けるヴァルナの気配を見送った。
入団した時点で既に並々ならぬ実力があったが、経験を積むたびに強くなり、まだ齢二十にも届かぬ身で光を必要としなくなるまでに己を高めるとはンジャも想像していなかった。
嘗てンジャは、達成不可能と言われるような困難な依頼を次々に達成してディジャーヤ伝説の傭兵と呼ばれた。しかしその過去に、ンジャの背中についてこれる戦士はいなかった。誰もついてこられない以上、ンジャは己を高める他ない。それが自分に課せられた試練だとさえ思っていた。
しかし今、ヴァルナは実力だけなら全盛期のンジャ以上に強くなった。まだ若く経験の足りない部分もあるが、彼にはそれを補って余りある仲間の力もある。それこそンジャの援護なしに一人で『狩り獣のダッバート』との戦いに挑んでも生き残れるだろうと思う程度には。
嗚呼、逞しき後進を得ることの何と喜ばしき事か。
故にこそ、ンジャは自身の思考に集中できる。
崩落した部屋を進んですぐ、分かれ道が出来ていた。一方が瓦礫に塞がれているのだ。道に従って暫く進むとまた進路が塞がれており、暫くそれを繰り返す。
やはり、とンジャは内心で唸った。
嘗てダッバートと戦った森の一角も、一種の迷路のような構造になっていた。もちろんダッバートはその構造を全て知り尽くした上で行動する。ふとンジャが壁に違和感を覚えて触ると、それは硬い砂で出来ていた。一歩下がって剣を振り抜くと、砂が砕けて道が出来る。不意打ち用に作ったのだと考えられる。
――何か、微かな違和感があった。
「……」
ンジャは違和感の正体を探ることはしなかった。ダッバートはどのような理屈か姿が大きく変わり、しかもあれから十年以上経過した。何かしら新たな思考や戦略を得ている可能性は十分にある。それよりも今は全ての神経を敵を仕留めることに集中しなければならない。
ンジャとヴァルナでは、生命力に劣るンジャが狙いやすい。それに、相手がこの顔を覚えているなら恨みを晴らそうとするかもしれない。ダッバートはそういう獣だ。
狩りやすいか、或いは弱い方から狩る。
徹底的に卑怯だからこそ、犠牲者に歯止めがかからなかった。
(必ず仇は取る。我が人生の汚点、最大の過ちの贖いとして)
離れた場所で気配と気配の衝突を感じた。
ヴァルナとダッバートが交戦を開始したのをンジャは悟った。
◇ ◆
「にゃろう、猪口才な……!」
ダッバートが取った行動、それは逃げながらの投擲である。
唯の投擲ではない。ある程度固まった砂の塊を投げてくるのだ。しかも砂の塊は空中の空気抵抗のせいか途中で割れ、結果的にこちらには砂が浴びせられる。石混じりなので下手に浴びられないのも面倒だったが、すぐに他の問題にも気付く。
砂をぶちまけられると呼吸がしづらいのだ。
まさか砂を吸い込むわけにもいかないので口元を薄い布で覆っているが、当然というか呼吸に必要な力が増している。しかも姿の見えないダッバートは逃走しながら次々に砂をぶつけてくるので、仕方なくある程度は剣で切り裂いて風圧で飛ばしている。でなければダッバートの砂が更に体力を削ってくるだろう。
もちろん、砂は目を開けていればそこにも入ってくるのでずっと目を閉じなければならない。有視界戦闘だったとしてもこの砂は有効な手段だ。
有効な手段、なのだが。
「やっぱりどう考えてもおかしいッ!!」
砂を切り裂きながら思わず叫ぶ。
砂攻撃の頻度が余りにも高すぎる。
四足歩行で移動するダッバートにとって逃げながら砂を投げるのは人間より簡単かもしれないが、それにしたって砂を投げるにはまず砂の塊を用意しなければならない。確かにこの遺跡内には砂が沢山あるが、ダッバートがそれをいつ作り、どこから拾って投擲しているのかを考えると、この投擲頻度は異常だ。
と、離れた場所から投擲された刃が飛来する。
ンジャ先輩の援護だ。
ダッバートの死角から放たれた一撃はそのまま逃走する魔物に命中するも、ガン、と鈍い音を立てて弾かれた。姿勢を崩す程のバランスの乱れもない。元々皮膚が異常に頑丈なのだろう。それこそロックガイのように。
ダッバートはすぐさま方向転換し、今度は遠回りしながらンジャ先輩の方へ向かい出す。先ほどの投擲からンジャ先輩の場所を逆算したのだ。しかしンジャ先輩も遠回りしながら複雑に移動し、ダッバートとの距離を引き剥がす。
おかげで砂の攻撃が弱まり、俺も考える余裕が出来た。
ダッバートを倒すには間合いが足りない。
投擲攻撃ではダッバートの硬い皮膚に有効なダメージを与えられないだろう。王国攻性抜剣術十の型・
そして、ダッバート自身がそうした隙を避けるように逃げ続けている。もしかしたらこちらの体力の消耗を狙っているのかもしれない。
『……ンジャは長期の戦闘は出来ません』
セネガ先輩の言葉が脳裏を過る。
手をこまねいている場合ではない。
どうせここまでは様子見だ。俺が派手に動き回るうちにンジャ先輩がこの狩場の状態を把握し、その上で必殺の作戦を練る。それが本命となる。
俺がそう思ったのと、ダッバートが突然ンジャ先輩を追うのをやめて遺跡の壁面に向かったのはほぼ同時だった。突然の奇行に瞬時にダッバートを追うが、ダッバートは柱や壊れていない壁の関係上直線で絶対に辿り着けない位置取りで壁際まで到達する。
次の瞬間、ダッバートは腕を振りかぶって咆哮する。
「ヴアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
その巨腕は遺跡の壁面を轟音と共に粉砕した。
「――は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
砂埃がもうもうと舞い散る中、外の月灯りが遺跡内部のダッバートを逆光となって照らした。
ダッバートは暗闇でも問題なくこちらの位置を把握していたため、灯りが欲しかったとは思えない。ではなぜ、今この状況で自らの足を止めて場所を割れさせる行動を態々取ったのか。一瞬停止した思考は、ある最悪の予感に行き当たる。
狩るのが難しい相手と長期間戦闘するリスクを負うよりも生存確率の高い、生存戦略を。
「まさか……外に逃げる気かッ!?」
俺は自分の顔面から血の気が引くのを感じた。
外には、直接戦闘に参加していない回収組や偵察組、場慣れしていないナーガの予備戦力たちが待機している。万が一ダッバートと彼らが交戦すれば、砂漠の砂が人とナーガの血で赤く染まることになる。
もししなくとも、この魔物の姿は明らかにロックガイと同じ。
砂に潜られたら、下手をすると二度と捕捉できない。
殺意とも敵意とも違う、害意。
これほど恐ろしいものだとは、俺には予想外だった。
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