第310話 狩るか狩られるかです
遺跡内部一階の制圧が終わり、騎士団とナーガが広間と思しきフロアに集結する。
「点呼終了! 全員います!!」
「おし。それじゃ予定通り部隊を二つに割る!!」
広間は二階及び地下に繋がっているので、制圧は両方同時進行で行われる。ただし地下は埋没範囲がかなり広く、水場までのルート以外ほとんど部屋がないようなので比較的短期間で制圧が完了するだろう。
気を付けるべきは、万が一いるかもしれない戦闘能力の高いロックガイ――つまりボスのような存在や、予定外の魔物が潜んでいる可能性だ。これを考慮して探知役の戦力は出来るだけ均等に分ける。当初の予定では足の速い俺が地下を一気に制圧し、その間にンジャ先輩とピオニーが上の部隊を率いる予定だった。
ただ、どうも上階には一階以上に気配が多い気がするのが気がかりだ。
魔物との戦いに慣れたピオニーと実戦経験豊富なンジャ先輩なら対応できるだろうが、出来るだけ早く合流したいところだ。
「予定通り俺が地下を――」
「否」
「……ンジャ先輩?」
新人の頃はあれこれアドバイスを貰って世話になったンジャ先輩だが、ここまで状況が進んだ所で作戦に待ったをかけるなど珍しい。
これはどの組織でも当然のことだが、決定的な理由もなく突然遂行中の作戦予定を変更するのはいいことではない。現場においては臨機応変とは言うが、綿密に用意した作戦を現場の判断だけで容易に覆されては上と下の関係に不協和音を齎す。
簡単に頷く気はなかった俺だが、続く言葉に更に驚いた。
「上階に大物がいる。数を引き連れては狭い通路で接敵した際に対応できぬ。我とヴァルナで先行して大物を滅する。敵わぬならばおびき寄せ、この広間にて討つ也。他は全て後に回すべし」
余りにも唐突で突飛な意見に騎士は勿論、ナーガ達にも動揺が奔る。
兵士ナーガの中でも血気盛んなナラクゥがンジャ先輩に詰め寄った。
「我らが足手まといだとでも言うつもりか、ンジャ!! それとも手柄を取られるのが恐ろしいか!?」
勢いよく詰め寄ったナラクゥはしかし、ンジャの前に立った瞬間ぴたりと動きを止める。その場で果たして何人が気付けたか――班長クラスは気付いただろうが、多くの者はこう認識しただろう。
いつの間にか、音もなく、ンジャ先輩の短剣がナラクゥの喉元に突きつけられていた、と。
俺でも不意打ちでかまされれば対応できるか怪しいほどに、実にさりげなくンジャ先輩の刃は必殺の間合いに入っていた。
「反応が出来たか? ナラクゥ」
「ふ、不意打ちは……卑怯だっ!」
「愚か者め、不意に対応できるからこそ一流の戦士と呼ばれる。今の動きに反応出来なかった者はこの場に残るがよい」
興奮で冷静さを失い不意打ちを許したナラクゥは、項垂れて身を引く。他の騎士やナーガ達も同様だ。しかし、現場での決定権はあくまで俺にある。ンジャ先輩の鋭い視線が俺を刺し貫いた。
視線を交わしただけで理解できる。
ンジャ先輩はこの上なく、そしてこれまでになく本気だ。
砂漠の民ディジャーヤで伝説の如く語り継がれる戦士がこれほどまでに警戒心を露にする以上、指揮官として無視することは出来ない。
「では俺が先行しますのでンジャ先輩はバックを。総員は待機。ピオニー、部屋の真ん中で警戒して、敵の接近や異常があったら周囲に知らせろ」
俺は次々に指示を飛ばし、俺が先行している間の後方指揮をガーモン班長に任せた。俺以上にンジャ先輩との付き合いが長いガーモン班長は、真剣そのものの表情で神妙に頷く。
「気を付けて、ヴァルナくん。分かっていると思いますが、彼がああも警戒心を露にするのは尋常ではありません」
「ええ。念のために遺跡から撤退することも視野に入れた配置でお願いします」
作戦の大幅変更は当然ながら作戦上好ましくないし、効率が落ちる。しかし効率を落としてまで守る何かがあるとすれば、それは命だ。騎士団の全員がそれを理解している。
ナーガの統率の乱れを正すために後方支援していたセネガ先輩も、それとなく俺に耳打ちする。
「……ンジャは長期の戦闘は出来ません。頭の隅に引っかけておくように」
「了解です。俺の前でみすみす死なせはしませんよ」
「頼みますよ……前にあの顔で戦いに出た後、里に帰ってきたあの人は瀕死でした」
その声色には、二度目の傷にンジャ先輩は耐えられないであろうという懸念と不安が籠っていた。長くンジャ先輩と暮らしたセネガ先輩だからこそ感じ取れる、危うさ。いざという時は俺も身を挺してンジャ先輩を止めなければならない。
準備が整い、俺はンジャ先輩と二人で階段を上がっていく。
ンジャ先輩は、確実に俺には感じられない何かを警戒している。
二階から三階への階段は完全に崩壊しており、崩落の危険もあるため使えない。ただし、三階の一部が崩落しているため、その場所を経由すれば上の階に行けるらしい。当の三階は相当荒れているらしく、偵察に出たトカゲたちでは構造を上手く人間に説明できなかったそうだ。
しかし、二階に昇ったことで俺もあることに気付く。
ここより上、三階にかなり大きな気配があるのだ。
それ以外のあちこちにもロックガイの気配は感じるのだが、三階にいる魔物は確実にそれらとは格が違う。氣の気配察知で上手く捉えられなかったのが少々口惜しいが、それは仕事の合間に修行するとしよう。
「この気配に気付いてたんですね、ンジャ先輩」
「お前はどう見る、ヴァルナ」
「少なくともその辺のロックガイより大型か、大幅に身体能力が高い。オークとボスオークの能力差の比じゃなさそうなくらいには」
「普通ならばそこまで感じ取れれば上出来。しかし、今回はそうも行かぬ」
「と言うと?」
ンジャ先輩は俺の問いに、落ち着き払った様子で答える。
「大陸の魔物には……稀に、他と同種族でありながら異様に精強な個体が生ずることがある」
「突然変異的に同種の個体より突出した能力を得た魔物。通称ネームドですね」
唯でさえ魔物というだけで特異とも言えるのに、その中から更に突然変異してしまうと厄介なことこの上ないのは大陸冒険者たちの死闘の記録が物語っている。
本来大きな群れを作らない筈のオーガを束ねて人々を襲撃した最強のオーガ『悪道王マサツグ』。元は唯の下級魔物ワルフでありながら十七人もの冒険者を殺害し、討伐のために送り出された八人の狩人と三日三晩の死闘を繰り広げた『返り血のサビ』。たった一匹で生存競争の頂点に立ち、森まるまる一つを支配したアルラウネ『森枯らしピリス』。
古今東西、例外たる魔物は常に人の想定を凌駕する結末を齎したという。
「特殊個体の中でも特に厄介なのが、嘗て人との死闘を生き延び、経験と知恵を得た者だ。そこには敵意でも殺意でもない、害意という感情が生まれる」
「害意……」
少し考えてみる。
野生の存在にとって敵意は縄張り意識や身の危険、警戒心から来るものだ。殺意の場合は殺す意識。これは身を守る最終手段の他、過剰な敵対心を持っている時や狩りの際にも放つ。
では、野生生物が害意を放つときとは、どんなときか。
以前イスバーグに出現した巨大毛むくじゃらオークは、身内を皆殺しにされた憎悪に支配されて意味のない虐殺に乗り出した。現在は国内初のネームドとして『白毛皮のグンタ』と名付けられているが、あの魔物は復讐対象を追うついでに騎士団の仮設陣営に八つ当たりのような破壊をもたらしていた。
「害意とは、俗には嫌がらせだ。『白毛皮のグンタ』はそれを憎悪にて発露させたが、
「つまり……食料を得るための狩りではなく、人狩りを楽しむと? それが出来るほどの知能と余裕を持つ個体だということですか?」
「然り。上にいる者はその類だが、こればかりは気配を肌で感じた者にしか分からぬであろう」
前にノノカさんから聞いたことがある。
知能の高い生物ほどよく遊ぶ、と。
人はどうすれば怯むか? 何をすれば戸惑うか? 狙いやすい人間と狙いやすいタイミングは何か? 知恵を持つ者は生き残る術を身に着けるに留まらず、相手の行動を先読みする余裕を得る。それは生きる糧を得るための狩りではなく、スポーツとしての狩りの考え方だ。
もしそれを魔物が行ったなら、どうなる?
「対魔物戦略に特化したうちの騎士団じゃ翻弄される……?」
「用心に勝る備えなし。可能ならば、一撃必殺が最良也」
但し、相手がそれを許すほど生易しい相手であれば。
言外に、そう告げている気がした。
遺跡三階に昇った俺達を待っていたのは――破壊されつくしたフロアだった。
天井が高く、重要そうな柱は残っているが、部屋の壁という壁が半端に破壊され、風通しはいいが見通しは悪い状態になっている。ありていに言えば、待ち伏せするにはもってこいの厄介な状態だ。
付け加えるなら、灯りの問題もある。
大量のカンテラで無理やり視界を確保してきた騎士団だが、こうも遮蔽物が多いとカンテラで周囲の視界を確保できない。持ってきたカンテラも数が足りなかった。ナーガから受け取った魔力式小型カンテラが左右の腰ベルトに固定されているためそれを使うが、あとは気配察知能力頼りだ。
ンジャ先輩の口調も厳しくなる。
「彼奴の庭に飛び込む。寸毫の油断すら己に許すな」
「しませんよ、こんな見通しの悪い状況――」
最初の一歩を踏み出したその瞬間、からん、と小石が近くに落ちた。
武器はメイスから剣に切り替え、既に抜いている。
音の発生源を軽く探ってみるが、何も感じ取れない。
偶然にも破壊された壁から破片が落ちただけと判断し、進む。
数メートル進んだところで、また小石が落ちた。
油断なく周囲を探るが、やはりはっきりと場所は感じ取れない。
二度の不自然な石の落下に反して、近くに感じられない気配。
推論を口にするより早く、ンジャ先輩が抑揚のない小さな声で囁く。
「投石だ。気を散らそうとしている」
「俺達がオーク相手に使う手口……」
「嘗て護衛任務の際に一度不覚を取った……気配察知、視覚、聴覚を別個に運用しろ。汝なら出来る」
「簡単に言いますね……やってみます」
絢爛武闘大会で目隠しした時のことを思い出す。
今回は障害物の多い場所だから目を閉じる訳にはいかないが、重要なのは相手がいつ仕掛けてくるかということだ。可能な限り構造を把握しながら、ンジャ先輩と一定の距離を保って三階を探索する。
からん。
からん。
石の投擲は続き、時に俺達を明確に狙ったものも混ざり出す。
一向に思い通りの反応をしてくれない相手に、敵も焦れている。
気配は、確実に近づいていた。
◇ ◆
ンジャは今、自分が傭兵として現役を退いた時の事を思い出していた。
セネガの両親が死に、彼女が物心つくまでディジャーヤの隠れ里にいたのは理由がある。それは、セネガの両親が死ぬよう差し向けた下手人の存在だ。
当時、王国は経済的に破竹の勢いで成長を続けていた。魔物との戦いから逃げる為に魔物のいない土地に移り住んだ国家の中では最大の成功者と言ってもいい。しかし恵まれた国は、そうでない国からすれば快くはない存在だ。外交で王国に脅しをかけて優位な貿易交渉に持ち込もうとする国は多くあった。
彼女の父は、当時辣腕を振るった外交官。
それがある日突然海外で、魔物の襲撃に遭って家族諸共事故死する。
王国にプレッシャーをかけるには十分なインパクトだ。
セネガを王国に帰そうにも当時の彼女は赤子。
環境を整えておかねば長旅は健康面のリスクがあり危険だ。
しかも、彼女の両親を死に追いやった黒幕の正体が掴めなかったのも厄介だった。傭兵として名が売れていたンジャは方々で多少なりとも恨みを買っていたため、その時点では外交関係の事件と断定できなかった。
故にンジャは王国とコンタクトを取りながら、王国にセネガを移送するまでの間に入る可能性のある妨害要素を丁寧に、丁寧に排除していった。犯人の存在はその過程で発覚したが、その人物は現在、ンジャが暴いた別の罪で一生外に出られない牢獄に閉じ込められている。そしてやっと彼女を王国に戻す算段がつきつつあった頃――ンジャは『それ』を見つけてしまった。
『それ』は、元々セネガたち一家暗殺の為に利用された魔物であった。つまり、殺害の実行犯とも呼べる存在だ。所謂ネームドであり、ンジャはそれをあと一歩で殺害出来るところまで追い詰めたものの逃げられ、以降はその足取りが掴めなかった。
(そう――あれだけは殺さねばならなかった)
ンジャは万全の整えをして『それ』を仕留めに向かった。
だが、『それ』もまたンジャからの敗走を経て狡猾さを増していた。
(丁度、こんな状況だったな)
小石や木の枝を見えない場所から何度も投擲してきた。どれくらいの力で投げればどこに到達するのかを理解した上での投擲――そこは『それ』にとっての狩場だった。もし狩場に居られない状況を作られたら『それ』は迷いなく逃走して潜伏し、また別の場所で狩場を作る。そうしてきた魔物故に、相手の狩場で戦うしかなかった。
結局、ンジャは『それ』の息の根を完全に止めることは出来なかった。
だが、致命傷は与え、少量だがディジャーヤの毒を叩き込み、そして高い崖の下に突き落とした。九割九分九里、死んだと考えてよい状況だ。その代償は余りにも大きく、ンジャは魔物の生死を確認することも出来ずに里に生きて戻るのがやっとだった。
(あの日ほど、あれを泣かせたことはなかったな……)
結果的に、ンジャは九死に一生を得た。
自らの治療にかかる時間を考慮して王国の人間に移送を任せるつもりだったが、幼いセネガはンジャが同行しなければ動かないと頑として拒否したため、結局彼女が王国に戻れたのはそれから更に一年後のことだった。
全ては過ぎ去りし過去。
されど、忘れ得ぬ過去。
ンジャは『それ』が万一生存していた時のことを忘却せずに今まで生きて来た。
(……まさかな)
ンジャは、自分で自分がこれほど警戒している理由に、理屈で否定した。
同じ筈がないし、生きていたとしても王国の砂漠になど居る筈がない。
なのに――。
「……来ます」
「ああ」
突然、二人の真正面にあった壁が粉々に打ち砕かれ、その破片が放射線状に飛来する。どれほどの膂力で砕いたのか、破片の一つでも直撃すれば骨が折れかねない速度だった。二人は何か仕掛けてくることは分かっていたが、瓦礫による攻撃範囲が広すぎる為にその場を離れる。
瓦礫のせいで取れる道が限られた、回避を。
ヴァルナが咄嗟にメイスを渾身の力で上に振り抜いたのと、上方から五メートル近い巨大な影が棍棒のようなものを振り降ろすのは、ほぼ同時だった。
「ッ――
「ゴオオオオオオオォォォッ!!」
床が揺れる程の衝撃。
外対騎士団であれば百点を貰える鮮やかな奇襲だったが、競り勝ったのはヴァルナのメイス。棍棒を打ち砕かれた
追撃に移ろうとしたヴァルナが舌打ちして態勢を立て直す。
「目くらまし、回避ルートの限定、不意の一撃……撤退までの間に一瞬止まったのは、俺が追撃に来るよう誘ったな。これが魔物の計算することか? なんて奴だ……」
「ありえん……だが……」
「ええ、現実に目にしてしまったら否定は――」
「あの傷痕……しかし、矢張りそれ以外には……!」
「――ンジャ先輩?」
ヴァルナの前にとうとう姿を現した襲撃者を見た瞬間、ンジャは一瞬安堵した。形は同じ亜人タイプだったが、体のフォルムや質感がまるで別物だった。
しがし、その魔物の腹部を見た瞬間、ンジャは己の肝が底冷えするのを感じた。
自分で刻んだ傷、見間違える筈もない。
そこには、ンジャが必殺の剣を振るう際に放つ斬撃の十文字と、その上から叩き込まれた刺突によって刻まれたアスタリスクの如き傷跡がはっきりと残っていた。
「……大陸で出した死者は確認されただけで百余名!! その狡猾さと長きにわたる被害からつけられた危険度は異例の『七』ッ!! その名は――『狩り獣のダッバート』ッ!!」
それは、生涯で唯一ンジャが必殺の刺突を浴びせながらも生死の確認が出来なかった存在だった。
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