第304話 SS:触れて初めて分かることです
初めてナーガの里に辿り着いた時の事は覚えている。
喉がからからなまま入り口で待たされた上に洞窟の中という如何にも薄暗くて陰気そうな場所から里に入ったラミィは、彼等の文化性には微塵も期待していなかった。
しかし遥か上から光が差し込む精巧なナーガの町並みを見て、その先入観は粉々に打ち砕かれた。ライからのパワーハラスメントで任された仕事に、少しだけ興味が湧いてきていた。
それが、何をどう間違えば踊り子をする羽目になるのやら。
ともあれ、ラミィは当人にとっては一大決心をして町に繰り出した。
ラミィは他人とのスキンシップは好きではないが出来ない訳ではない。しかし動物などの人以外の生物を触る事には強い抵抗がある。理由はなんてことのない話で、幼少期は触れたのに犬に噛まれたトラウマで触れなくなってしまったのだ。
ちなみに王国筆頭騎士ヴァルナにそれを打ち明けると、自らも幼少期に犬に追い掛け回されて犬が苦手になった過去があると告白してくれた。人に歴史あり。当人曰く別に隠していることではないし、最近は狼で慣らしたので平気になってきたそうだ。
……犬への苦手意識を克服するために狼から入るという経緯が意味不明過ぎるが、それはさておき――つまるところ、ラミィはナーガを人間のように思えていないのだ。ナーガは魔物なのでそれは当然の話なのだが、ラミィはナーガが美女に集う所も、おおらかな所も、食事を楽しむ所も、仕事について熱く語るところも見てきた。
ナーガと人間の間に、心の差は殆どない。
なのにラミィがナーガを怖がるのは、ラミィ自身の心に壁があるからだ。
(三人のナーガの長に、ちゃんとお仕事の話を聞くっす。その為に……)
第一関門、くるるんに触れ。
「その為に態々人目を盗んで騎道車まで? 苦労してるんすね。あ、これ治療室特製塩分補給ドリンクっす」
「あ、どうもっす」
巡り合う「〇〇っす」口調の後輩、キャリバンとラミィ。
厳密にはキャリバンは敬語が下手くそな為にこんな口調であり、同期などには「〇〇っす」とは言わなかったりする。そんなキャリバンにラミィが何故会いに来たかというと、ファミリヤの管理を一手に担うキャリバンの所にくるるんがよく遊びに来ているという話を聞いたからだ。
くるるんは好奇心旺盛なので、里の中では見たことがないファミリヤたちを見たり話をするために騎道車のファミリヤ部屋まで来ているという。その話をすると、キャリバンは満更でもなさそうに苦笑いした。
「くるるんはもうすぐ来るくらいの時間っすね。あの子はなんつーか俺のことをヒエラルキー的に下に見てる節があるんすけど、最近はちょっとは心を許してくれるようになった気がするっす」
『ソリャソーダロ! 来ルタビ水トカオヤツトカ分ケテリャ大概ノドーブツハ懐クゼ!! イイ召使イ手ニ入レタッテナ!!』
「へいへい、ファミリヤ使いなんて召使いみたいなもんですよーだ」
ファミリヤの鳥の発言に、なんとなく彼の人となりが見えてくる。ファミリヤ一体一体の世話を丁寧にしている姿や優し気な目を見て、ああ、この人は自分の対極に位置する人だ、とラミィは思った。
キャリバンに敬語はいいです、と伝え、話を聞いてみる。
「キャリバンさんは、なんでファミリヤ使いになったんすか?」
「何でっていう程の理由でもないけど、騎士団に入団が決まってすぐだったかなぁ……リンダ教授がいきなり新米騎士たちの頭上にファミリヤを解き放ってさぁ、まぁまぁデカイ鳥が俺の頭の上に乗ったのよ」
「ひぃぃ、想像するだけで恐ろしい……!!」
鳥の嘴と鉤爪が顔に近づくなど、ラミィでなくとも恐怖を覚える。鋭角的な嘴や鉤爪で万一攻撃されれば、人間の柔らかい皮膚など簡単に引き裂かれるだろう。しかし、想像するのも恐ろしいと震えるラミィに対し、キャリバンは対照的だった。
「俺は卸したての礼服にフン引っかけられるのがとにかく怖かったけどね」
「こ……怖くなかったんですか?」
「攻撃が目的だったらそりゃ怖いさ。でも襲ってくる風でも怒っている風でもなく、鳥はただ着地しやすい場所を探して俺に辿り着いただけ。木の枝に喧嘩売る鳥はいないでしょ?」
フンの話をしたら怒られたけど、と苦笑いするキャリバンのおおらかさにラミィは驚愕する。我が身が可愛いラミィにとって、鳥から見た自分を「木の枝」と形容する心の余裕はない。動物に触るコツを知る筈が人徳の差を見せつけられた気がして、ラミィは少し卑屈な気分になる。
「すごいっす、キャリバンさん。ウチなら悲鳴あげて逃げてる所っす」
「凄くないよ。動物なんてこっちから喧嘩売らない限りそうそう襲ってこないんだからさ。何を以て喧嘩を売っていると取られるかを考えて、喧嘩売られないように気を付ければいいだけさ」
『アラ、キャリバンッタラ女ニ煽テラレテ照レテルワ』
『彼女イナイ歴ガソノママ人生ダシ、生暖カイ目デ見守ローゼ』
『デモキャリバンハ何ダカンダデリンダノ世話係シテルウチニ内縁ノ夫婦扱イニナリソウダト思ウンダケドナー』
「ええい、うっさいわ! 確かに教授はほっとけない人だけど、人の人間関係と女性遍歴を話の種にすな!! おやつ減らすぞチクショー!?」
『キャー! 聞キマシタ、ラミィサン? コノ人喧嘩売ッテ来テマスワヨ?』
「売ってんのはお前だろーが!!」
わーわーと騒ぐキャリバンとファミリヤ達。
彼らも異種同士だが、その様相はまるで気を許した友人同士の会話のようだった。ラミィは少しだけ、羨ましいな、と思った。
暫くして、くるるんが到着した。
「キャリバン、おやつ!!」
「俺はおやつじゃないけどね」
「……くる、へたれの踊り子さんもいるの?」
「へ、へたれの踊り子……!!」
非常に可愛らしい外見から放たれた強烈な言葉のボディブローが、ラミィのへたれな精神に甚大なダメージを及ぼす。ナーガの里では名誉な役割である踊り子という認識に加えてさん付けなので、彼女としては失礼という感覚はないものと思われる。
だが、それにしても子供の声で公然とへたれ扱いされるのは、ラミィには堪える。これ以上何か悪口を言われる前にこの場から消えてしまいたかった。
と――ファミリヤ部屋の奥からのそり、と狼が姿を現す。
ラミィは思わず情けない悲鳴を上げそうになり、寸でのところで口を覆って声を閉じ込める。あれはヴァルナが口にしていた狼のファミリヤ、『プロ』だと辛うじて思い至ったからだ。くるるんは流石に厳つい顔の狼が相手では恐怖が勝ったのか、威嚇するように睨みながらも身体の方は逃げている。
「グルルルル……」
「なっ! ち、ちびって言うなぁ!!」
「ヴォウッ」
「うっ、ぐぬぬぬぬ……!!」
「ワウ、ワウッ」
「くるる……?」
一体なんのやり取りをしているのかはサッパリ不明だが、プロはまるで何かを諭すように何度かワウワウ鳴くと、踵を返してのそのそと寝床に戻っていった。一体何だったのか――と戸惑っていると、今度はくるるんが寄ってきた。
くるるんは眉を八字にして悲しそうに問いかける。
「くるるん、踊り子さんが悲しくなること言った……?」
「え……」
「プロ、言われた。誰でも言われたくないことある、って」
くるるんは相手を傷つけるつもりで言った訳ではないのだろう。ただ、思った事を素直に口にし過ぎてしまうが故に相手を傷つけることもある。子供のくるるんには今までそれが判らなかったのだ。
見るからにしょぼくれるくるるんを見て、ラミィの心がちくりと痛む。それは相手を可愛そうに思い、その悲しみを和らげたいという同情の念。誰しもが心の中に当たり前に持っていて、それ故に忘れがちな感情だ。
心とは、例え同族であっても近いようで果てしなく遠い。
いつも何かがすれ違ったまま、そのすれ違いを誤魔化すように言葉を並べる。人は人との好きと嫌いの狭間に怯えながら、或いは無神経に踏み荒らしながら社会を生きている。恐怖は身を守る指標として重要だが、そればかりでは関係に先がない。
だからこそ、互いの恐怖と不安を取り除く為の優しさと寛容さが必要になる。相互理解、助け合い、歩み寄り……呼び名は様々ある。
重要なのは、呼び名ではなくそれをやるかどうかだ。
見ず知らずの狼が、そのきっかけを作ってくれた。
ラミィは自分自身が前に進むために、ゆっくりとくるるんに近づく。
「くるるん、わたしね……自分がへたれなの、気にしてるんす」
「あ……ご、ごめんなさい……」
「いいんすよ。へたれを卒業できないのは私が臆病だからだし。だからね、くるるん……へたれを卒業するために、ちょっとだけ力を貸してくれないっすか?」
ラミィは恐る恐る、だが勇気を振り絞ってくるるんの身体を優しく抱き上げた。きょとんとするくるるんの顔を見下ろしたラミィは、今、初めてナーガと触れ合っていた。
「あったかい」
「くる……」
「結構、見た目より重いかも。力持ちなんすね」
「そう、かも?」
「ちょっと触るっす……鱗の肌はちょっとつるつる、皮膚部分は柔らかい。今まで知らなかったな……へへ、これでちょっとだけへたれ卒業に近づいたっす」
「よく分かんないけど……踊り子さん、もう怒ってない?」
「ないっすよー。ほら、笑顔!」
久しぶりに、素直に笑うことが出来た。
くるるんもそれにつられるように笑顔になる。
この日から、ラミィはナーガに必要以上に怯えることがなくなっていき、次第にその距離は狭まっていった。また、彼女なりにナーガと接して感じた些細な人間との差異や共通点をレポートに纏め始める。
天秤長ニャーイからはナーガの風俗や法律について学んだ日は、それをレポートに記した。
「……と言う訳で、ナーガの耳をみだりに触る行為はナーガの法律では悪と判断される。ただし自ら触るよう求めてきた場合、相互の同意があるなら罪には当たらない……これで合ってるかな? 今度また聞きにいこっと」
建築長ドゥジャイナには最初胡乱気な目で見られたが、外の建築や文化の話と交換条件に興味深い話を聞き出せた。
「ナーガは砂のベッドで寝る。風呂も基本は砂風呂。彼らにとって身の清潔を保つにはこれで十分であり、水浴びは趣味の範疇である。これ、ナーガを知らない人は驚くだろうなー」
百人長サマーニーとは会う機会が少なかったが、彼が当たり前のように話すことが外の常識と大きく違っている、なんてこともあり、有意義な会話となった。
「排泄物は里の近くに集めて放置しているが、これは砂漠の過酷な環境が排泄物を瞬時に乾燥させ、土に帰してしまうからだ。故に菌の温床になることはない……っと。へへ、なんだかそれっぽくなってきたっすね。ウチ、意外とマルチな才能の持ち主だったのかも?」
人間から見たナーガ、ナーガから見た人間という極めて身近な目線で記されたこのレポートは、後に人間とナーガが本格的に接点を持つ際の交流に於いて、双方の種族に多大な貢献を齎すことになるが……当のラミィはまだ与り知らぬことである。
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