第300話 善悪ではありません
生きとし生ける者の多くは、力を求める。
負けない力、ねじ伏せる力、上に立つ力。力の種類は様々だが、競争社会において何かを叶えようと願うのならば、力を求めるのは当然のことだ。
だが時に、少しばかり成長しただけで力を得たと勘違いする者がいる。
士官学校時代も、剣術が身に付き始めた周囲が浮足立っていたのをよく覚えている。自信だけがつき、気が大きくなり、平民への風当たりはかなり悪くなった。「豚狩り騎士団の仕事など自分たちだけで事足りる」などと、今になって思えば失笑ものの大口も叩いていた。
やがて訓練で相手を過剰に痛めつける輩が出てきたところで教官が突然増長した士官を呼び出し、訓練と称して徹底的に叩きのめした。
『普段の大口はどうした? 早く実戦をしたいのではなかったのか? 立て。立てないならそのまま騎士など諦めてしまえ。この程度にも耐えられないのであればな』
教官の立場を利用した
……問題はそのあと、この暴力教官が俺のことまでへし折ろうとしたことだが。返り討ちにして俺がへし折る結果になったけど。
人間、訓練してちょっと上達したところで実戦経験を得られる訳でもなければ、一流になれる訳でもない。こつこつ経験を積んで技術を体に馴染ませてから、やっとスタートラインに立つようなものだ。
まして、実戦に出たことのない者が前線で戦う者を嘲笑うような言葉を口にするなど、片腹痛い。
「とはいえ、どーしたもんかね……」
大声で揉めていた兵士ナーガたちは、俺が近づくや否や「何でもない」とか「ラミィの話で盛り上がっていた」とか言ってそそくさ退散した。俺に次の任務に連れていくよう直訴しないのはヘタレ根性が残っているから、その主張をしたことを俺に伝えなかった連中は仲間を売るようで気が引けたといったところだろう。
「放っておけば功を焦って勝手に出撃とかあり得るから手は打っておきたいが……んー……」
全員呼び出して善悪問わず訓練で叩きのめす、というのが鬼教官のやるべきことなのだろうが、それだと俺が強いことは伝わっても騎士団の連中を見下す点が変わらない。敢えて絶対強者を頂点とした完全縦割り構造で纏めるのも一つの手だが、安直な暴力に頼ると訓練の意義が曲解されかねない。
俺は、ナーガが任務に付いてくるなら経験を積ませる目的で受け入れる。しかし、ナーガをメインで編成した部隊を率いたいかと言うと嫌だ。勝手知ったる仲間ならば阿吽の呼吸で合わせられる面が多いが、ナーガ兵たちが緊急時に統率の取れた動きが出来るとは思えない。
騎士団の手練れと実際に試合という手もなくはないが、ナーガはヘタレなだけで戦闘能力そのものは高い。特に強いのが尻尾の振り回しで、もしオークの顔面をナーガが尻尾で本気ビンタしたら、首が折れるか一回転するレベルの威力を誇る。槍よりリーチが長く軌道も読みづらいので事故が起きたら洒落にならない。お前らもう尻尾だけ使えよ。
ともかく、悩んだときは年長者に聞け。とりあえず意見を求めて回ろうと、俺はンジャ先輩の所へ向かうことにする。今、ンジャ先輩は偵察班や回収班と共に周辺の測量と地図の作成をしているが、普段は外対騎士団の教官的役割を務めている。この手の相談を持ち掛けるのは適任だ。
今や勝手知ったるとばかりに迷わずナーガの里を歩く。
ここに来て以降、戦士たちと共によく町中を歩いているため、最初は奇異の目で見ていたナーガたちも余り俺を気に掛けなくなって来ている。
道行くナーガの一人が俺に声をかけてきた。
「コニチワ、ラージャ」
「こんにちは。あれ、その木の実は初めて見るな」
「コレ、きのうシューカク。スープ入れる、テゴタエ、よくなる」
「歯ごたえかな?」
「それ、ハゴタエ!」
指摘に不快感を覚えることなく笑ったナーガは、籠に抱えた果実を運びながら軽く手を振って通り過ぎる。
この里は変わったものばかりが目につくが、生活も変わっている。
人間からすればあって当然と考えがちな貨幣経済がない。ナーガたちは家や住む場所によってナーガ社会で果たす役割がおおよそ決まっており、その役割の成果を分かち合って種族を維持、発展させている。
服を選ぶ自由や食材を選ぶ自由、飾りつけや家の形といった選択はあるようだが、この町には店というものがない。この狭い世界で外と貿易せずに生きているのだから、必要ないというのが正しいだろう。生活最低限の品以上のものは、善意での譲り渡しか物々交換で手に入れているという。
この社会は、王国の経済拡大主義に飲まれれば崩壊するだろう。だから、俺はナーガ達には自分たちの資源や文化を人間に安売りしてはいけないと伝えておいた。王国は今や商人の国となりつつある。そして商人たちは時に狡猾だ。もし彼らが外界と繋がりを持つ場合、可能な限りは目を光らせるつもりだが、彼らをその毒牙の犠牲にしたくはない。
と、背後から小さな気配が近寄ってくる。
構わず歩き続けると、それは慣れた動きで俺の足に巻き付いてしゅるしゅるとよじ登り、俺の肩に落ち着いた。
里に来る大元のきっかけになった、くるるんだ。
「ヴァルナ、どこいくの?」
「ちょっとナーガ兵たちのことでンジャ先輩に相談をね」
「くるるる、あのヘタレたちまたヘタレた?」
兵士ナーガ達にあんまりな物言いをしているが、最近は人間の言葉を教える係を自らやっているので将来偉くなるかもしれない。
最近は肩の上が定位置だ。手をさしのべて彼女の顎を撫でてやると、くるくると鳴いて身を委ねた。
くるるんはどうやら里でもわんぱく娘で有名らしく、本名をシェシャというそうだ。発音しにくいので俺は専らくるるんで通している。
くるるんの波瀾万丈の冒険譚は今やナーガ達の娯楽となっている。
概要はこうだ。ナーガ兵の仕事が知りたくて里をこっそり抜け出したナーガの子供はロックガイの騒ぎが起きた際に逃げ道を誤り、更に砂嵐に巻き込まれて空を飛び、空を飛ぶ鳥に捕まえられて落とされ、流砂に呑まれかけたり狐に追い回されたり散々な目に遭った挙句に見知らぬ大地で居眠りしているところをオークに捕まった末に俺に助けられた……というノンフィクションストーリーだ。
本来ナーガの里では外の存在に里を教えてはいけない的な掟があるらしいが、くるるんは「あのヘタレナーガ共じゃ一生問題は解決できない」と思ったらしく、里の危機を守る掟を逆手にとって罰を免れたらしい。
なお、くるるんの友達たちに会いに行ったことがあるのだが、「わー!」「ニンゲンー!」「肌やわらかーい!」と群がり巻き付かれもみくちゃにされた。ナーガの子どもたちはもれなくわんぱくなのかもしれない。
「ヘタレナーガ、どうヘタレたの?」
「人間の騎士より自分たちの方が働けるって言い始めてさ」
「……フッ」
くるるんは鼻で笑った。
彼女の中でのナーガ兵たちの評価はどんだけ低いのだろうか。
情けなくないのかナーガ兵たちよ。
お前ら同胞の子どもにさえ仕事能力信用されてねーぞ。
閑話休題。
騎士団の面々が使わせて貰っているエリアに到達すると、太鼓らしき打楽器がリズムを刻んでいるのが耳に入る。確かナーガの伝統楽器の一つだったか、と記憶を辿りつつ音のする場所へ向かう。
そこには、ナーガの女性の演奏に合わせてゆったりと舞うような踊りを披露する妙齢の女性の姿があった。
なめらかない質感の布を使った独特の踊り子衣装は露出も多く、大胆に布を翻して優美に踊る様は、神秘的な雰囲気さえ感じる。半透明の布を時にスカートとして、ときにマントのようにはためかす動きは、少なくとも王国の踊りでは見たことがない妖艶さがある。
やがて踊りが終わると、楽器を演奏していたナーガや見物人数名が拍手を送る。女性はそれを優雅な仕草の礼で返し、こちらに気付いた。
「あら? ヴァルナとくるるんではないですか。何か御用事で?」
聞き覚えのない声色だ。しかし、最初は彼女が誰なのか判別がつかなかったが、今は誰なのか思い至っている。化粧や雰囲気、服の印象が違い過ぎて一瞬別人と間違えたその人は――。
「セネガ先輩、踊りとか踊るんですね。しかも上手いし」
踊りも露出もまったくイメージの湧かない人物、騎士団秘書のセネガは、少しつまらなそうな顔をした。
「む、流石に気付きますか。他の騎士団の男共は気付かなかったのに、流石は女の目利きが出来る男」
「失礼な。オークの目利きが専門です。見たら大体の体重、年齢、群れの地位まで分かりますとも」
「オークの尻を追いかけると。おっと、これに関しては人の事は言えませんか」
「くるるん、もうあのヘチャムクレブサイク見たくない」
げんなりしたくるるんの一言に、その場の全員が思わず吹き出すのであった。
何故、セネガ先輩が踊りなどしていたのか。
それは、研究院からナーガの観察を任されたらナーガにモテてそれどころじゃなくなったラミィを踊り子にする計画の為らしい。
曰く――ナーガの男共がラミィに夢中になりすぎて仕事に支障をきたし始めたので、ラミィの身の振り方を根本的に見直さなければならなくなったという。そこで、ラミィにはもう魔物観察を諦めてナーガ達の前に余り現れないようにしようとした。
しかし、姿を見せないとなると、今度はラミィの事を思い出してはため息をつくナーガの男共が鬱陶しくなってきたという。
もはや傾国の美女扱いである。
本人は全く有難がっていないが。
ともあれ、ラミィを踊り子という体にすればナーガと距離を取りつつ定期的にナーガの里に姿を現すようにスケジュールを操作できる。拒否しても代案のないラミィはこれに乗るしかなくなったらしい。
「うう、ウチはただ機械弄りしていたいだけなのに何でアイツラの前で踊りなんか……後でセンパイを一発殴ったるぅ……」
露出の多い踊り子衣装を着せられて恥ずかしいのか、ラミィは部屋の隅で膝を抱えてうじうじしている。スレンダーな体つきが晒されるのにも彼女的には恥辱なのかもしれない。
しかも、踊りの指導をするのがよりにもよって彼女が苦手意識を持っているセネガ先輩である。労働環境的にはかなり辛い。唯一の救いは、セネガ先輩にしては割と真面目に指導していた点だろうか。
「割ととは失礼な。この踊りはラクヴァラという伝統ある踊り。聞きかじりの知識で踊っていいものではないのですよ?」
「はぁ、ラクヴァラ……あれ?」
俺はラクヴァラというワードに記憶を呼び起こされる。
あれは確か、第二回絢爛武闘大会の前。確かサヴァーとの些細な雑談で耳にした記憶がある。ディジャーヤには女性にのみ踊ることを許された特別な舞踊があると。
「そう、思い出した! ラクヴァラってディジャーヤの民族舞踊じゃなかったですか? なんでセネガ先輩がそんなの踊れるんですか?」
「……ちっ、何処で知ったのやら」
俺がそれを知っていることはセネガ先輩も予想外だったのか、露骨に目を逸らした。黙っている気だったようだが、この人らしくない詰めの甘さだ。
ディジャーヤの民は凄腕の傭兵が多いこと以外、多くのことが知られていない。彼らも自分たちの伝統を外に出そうとはしていない風だった。それを、明らかにディジャーヤの民ではないセネガ先輩が知っているというのが心に引っかかった。
セネガ先輩は暫く考えていたが、やがて納得したように切り替える。
「……まぁ、貴方にはいいでしょう。後で教えてあげます。それで、何か用事があったのでは?」
「ええ、まぁ……」
半ば忘れかけていたナーガ兵の増長を思い出す。
正直この人に話を振るのはちょっと不安だが、意外と面白おかしい意見をくれるかもしれない。そもそも今回の目的はナーガ兵の増長した心を折る方向性で進めるものだから、逆に向適任かもしれない。俺はセネガ先輩の知恵を借りることにした。
ナーガの兵士たちよ、悪く思うな。
これも君たちへの愛ゆえだと思ってくれたまえ。
まぁ、相手に伝わらない一方通行の感情だけど。
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