第299話 病の兆しです

 ノノカさんは、俺達が持ち帰った成果とも呼べない情報の断片を騎道車内の持ち込み機材で徹底的に調べ上げてくれた。浄化場に比べれば流石に設備は見劣りするが、それでもノノカさんの動きは実に迅速だった。


「で、どうなんでしょうか?」


 俺の質問に、血液調査で試験管を揺らすノノカさんは振り向かずに答える。


「まず現場のサボテンの残骸を作った犯人は例の岩魔物――仮称として岩の男『ロックガイ』とでも呼びましょうか。そのロックガイが荒らした可能性が高いです」


 そう言いながら、試験管をひとまずラックに置いたノノカさんは雑多な紙のなかから一枚を抜き出し、ぴらぴらと揺らす。近づいて受け取ってみると、そこには歯形から推定した生物のサイズが描かれていた。生物は基本的に体が大きければ口も大きくなる。残された残骸から推定した生物のサイズは、俺たちが遭遇したロックガイとほぼ同じだ。


「抉られた形跡から推定する歯並びは雑食生物の特徴があります。そしてこの砂漠で現在確認されている動物に、その歯形に該当するサイズの生物はいません」

「つまり消去法でロックガイになると。もし未知の生物が潜んでたとかでない限りは」

「そゆコト! シャルメシア湿地の巨大魚の件もありますし、決めつけすぎるのも危険でしょうねー」


 と、ノノカさんが試験管の一本を掲げて目を凝らし、その内容物を試験紙に垂らす。


「むむ……ロックガイの血液からは魔物特有の毒素が検出されませんでした。とはいえ毒素を持たない魔物の個体も相応にいますから、あくまで判断材料が増えただけですか……」

「岩みたいな奴でしたが、中身はちゃんと血が通ってるんだから少なくとも新種ゴーレムじゃあないでしょう」


 俺がぶった斬ったロックガイの足の断面からは、確かに血が漏れていた。外は硬くとも中身は割と普通に生物的だったのだ。その手は、どういう訳か時間が経過するにつれて外の岩のようだった皮膚がふやけていき、ノノカさんの手元に届いた時には皮はぶよぶよだった。


 これについてはノノカさんも幾つかの仮説があって絞り切れないそうだ。生命活動が停止して皮膚を硬化させる成分が維持できなくなった辺りが妥当だろうとのことだが、断言はしなかった。


「骨格や肉付きから見て、やはり魔物であることを仮定して推論を進めるしかないかなぁ……あーあ、どうせならまるごと死体を持ってきてくれれば早かったのに!! ノノカちゃんプンプンだぞ!!」

「はいはい、次は首落として持ち帰りますよ」


 ぶんぶん振り回される腕を適当にいなす。

 こんな動きしながらも、仮にバランスを崩したとしても絶対に試験管等に被害が及ばないよう計算され尽くした高度なおふざけである。そんな能力を磨くくらいなら暴れなければいいとは言わないお約束だ。ノノカさんもじゃれたいのだろう。


 一通り暴れて満足したノノカさんは、「ありがとネっ!」と悪ふざけに付き合ったお礼に屈託のないスマイルをくれた。そして、今度は紙にペンで文字を滑らせながらぶつぶつと独り言を喋る。


「生物の身の守り方は色々あるけど、堅い皮膚で身を守るなら毒がなくてもおかしくない。でも関節やお腹まで岩みたいだったっていうのがちょっと引っかかるなぁ。目と鼻は存在したから視力はあるんでしょうけど、地面に潜るのが得意なら一見して分からない特殊な器官があるのかな? いやそもそも、いくら砂漠の砂がきめ細かいからって砂中に潜って姿を消したっていうのが……確かに砂漠の生物の中には砂に潜る特性がある子はいるけど、まるまる全身潜って移動するなんてそれこそサンドワームくらいしか……いや、そっちか。サンドワームと同じ方法で砂を遊泳している? つまりは……」

「ありゃ、スイッチ入ったか」


 研究者のスイッチが入ると、ノノカさんにはもう言葉は届かない。俺のような素人には及びもしない思案や知識、経験則による推論が張り巡らされ、交差し、衝突する。今、ノノカさんの頭の中は知識の戦争状態だ。

 何かしらの答えが出るまではこのままだろう。

 どうせちょっと話を聞きに来ただけなので、後はベビオンに補佐を任せよう。


「ううーん、コーヒーの芳醇な香りが足りない! ベビオンくん、ノノカに淹れたてコーヒーを!! 砂糖とミルクはいつもの量で!」

「ははぁッ!! 仰せのままに、ノノカ様ぁッ!!」


 部屋の隅で既に待機していたベビオンが流れるような熟練の手つきでコーヒーを用意していく。彼は騎士を失業しても喫茶店の店員として立派にやっていけるだろう。何気に男連中の中では料理が出来る方だし。俺なんか鶏の香草焼きしか作れねぇのに。


 ただまぁ、俺の香草焼きは美味いらしい。

 士官学校時代、女子連中が「女が家事はもう古い」と――特権階級の子女だらけなので料理できる方が少ない癖に――謎の話で盛り上がり、その勢いで男子たちにコース料理を作らせるとかいう意味不明な企画を開始したことがあった。

 当然ボンボンの野郎たちは料理など碌に出来ず、平民組もお世辞にも美味しいと呼べるレベルには達していない料理がコースで出るという地獄が待っていた。作り方知らない筈なのに天才的なカンで奇跡的にコース料理を完成させたアストラエ以外は惨憺たる有様だった。


 そんな中、アストラエの料理に唯一食いついたのが俺の鶏の香草焼きである。これしか作れないのでコース全部を鶏の香草焼きにするという荒業をかましてだいぶブーイングを受けたが、なんやかんやで皆完食している。


 セドナ曰く、「なんでこんなに美味しい料理を作れるのに他の料理が一切作れないの……?」と初めて理解出来ない存在を見る目をされて軽くショックを受けたのはいい思い出だ。騎士辞めたら料理の勉強でもしよっかな。


 料理と言えばタマエ料理長だ。

 あの人はナーガの里の料理に興味津々で、今日も弟子を引き連れてナーガの料理と歴史を研究している。俺の所見ではナーガの料理はシンプルなものが多いのでそんなに見ごたえあるんだろうかと思うのだが、シンプルなのに飽きずに食べられるから凄いとかなんとかだ。


 様子を見に行くと、皆で真っ赤な細長い実を囲って唸っていた。

 横には民族的なエプロンを着た料理人ナーガがいる。


「見たことのない種類の唐辛子だね……これ、どこで?」

「ここに里が出来たときから、ずっと、ずっとデス。書物探りました。ジョロキア、呼んでます」

「ここ以外では絶滅した王国原種か、大陸の古代種ってセンもあるねぇ。どれ……」


 タマエさんがマイ包丁で実の先端を切り、食べる。

 流石は料理の鉄人、直で行った。弟子たちが感嘆したり悲鳴を上げるなか、タマエさんの目がカッと開く。


「……かぁーーーッ、辛いッ!! ファーストコンタクトからガツンと来る即効性の辛さだねぇ!! でも意外とそこまで後を引かず、旨味もある……面白い。これ欲しいねぇ……種分けてくれないかい?」

「ウ、ダメ、言われてマス。ラージャ・ヴァルナから、なんでも人にあげちゃダメだ、て」

「ヴァル坊が? ……仕方ない。そんじゃあっちにある乾燥唐辛子を、そうだね。外の食材と物々交換してみないか?」

「それ、ステキです。外、料理、とても興味ね」


 二人はそのまま仲睦まじげにナーガの厨房に消えていき、弟子の料理班が慌てて食材や調味料を抱えて追いかけていく。普段はどっしり構えているタマエさんも、職業柄か未知の料理や調味料には興味津々らしい。

 俺は辛いの割と平気なので、ちょっとだけ夕食が辛くなるのを期待しておこう。


 さて、騎士団三大母神のうち二人が終わったのでもう一人を覗いてみると、中々の忙しさのようだった。


「日焼け止め塗ってから任務に出なさいって言ったでしょ!! 次からは治療しないわよ!!」

「面目次第もございません……砂漠って皮膚こんなボロボロになるんだな……」

「せ、先生……俺なんかフラフラしてて……」

「水飲んだ!?」

「飲みました、そりゃがぶがぶと……」

「塩分は!? 水分だけ補給しても塩分足りなかったら意味ないわよ!! 摂ってないなら支給された干し肉しゃぶってなさい!!」


 三大母神最後の一人、フィーレス先生率いる治療室組はフル稼働中らしい。如何せん初めての砂漠で体調不良者や火傷をする者、熱中症になる者が偵察する人間の中から後を絶たない。おかげで昼食も取れてないという話だ。


「はぁっ、はぁっ、もう! いい年して手間のかかる子ばっかり!! で、ヴァルナは何の用!?」

「料理班に頼まれて出前です。ナーガ式のパンでタコス風サンドだそうです。もちろん砂のサンドじゃないしスープ付きですよ」

「なんてよく出来た弟弟子なの……! でも今はちょっと手が離せないから部屋の隅にお願い!! 後でみんなで頂くわ!!」


 言われるがままに食事用スペースに品を置くと、今度は研究院メンバーの熱中症患者が運び込まれる。顔色の悪さからしてベッド行きだろう。からからに乾いた口を開けた研究院の人は懇願する。


「喉が渇く……なんでもいいから飲み物……」

「だから、なんで、自己管理が出来ないのよ!! 点滴ぶちこみなさい!! ああもう面倒くさい! 塩分と水分を同時に効率よく摂取するいい方法ないかしら!!」

「生理食塩水でも飲ませたらいいんじゃないですかね? しょっぱいし」


 オークの解剖でちょこちょこお世話になるしょっぱい水を思い出して適当に言ってみたが、流石に馬鹿らしかったのかフィーレス先生はこちらに背を向けて治療しながら何も言わなかった。解剖してると喉乾くからたまにノノカさんと一緒に飲んでるのだが、医療関係者の怒りに触れたかもしれない。

 これ以上いても邪魔なだけなので、退散することにする。


「冗談です。じゃ、失礼しまー……」

「ヴァルナ、貴重な意見ありがとね」

「あ、はい。どういたしまして?」


 嫌味的な意味かとも思ったが、フィーレス先生はそういう婉曲な物言いをしない。腹が立ったらストレートに言葉の暴力で殴ってくる。それをしないのならば「アイデアを出すという気遣いだけで十分」という意味だろうと思い、俺は今度こそその場を後にした。

 ――医療関係者たちの盛り上がりを耳にすることなく。


「生理食塩水を飲料に! 何で今まで思いつかなかったのかしら……!」

「てゆーかヴァルナくんよく生理食塩水なんて知ってましたね」

「でも塩分濃度的にはジャストだし、医者はたまに飲むって話も聞きます!」

「後で料理班と話を詰めないと!!」


 翌日から、生理食塩水にブドウ糖を混ぜた飲料が偵察班に支給されることになるのを、この時の俺はまだ知らなかった。 


 ただし、俺は翌日にそれを知るまでの間に、ちょっとした厄介ごとに遭遇することになる。


「ん? ありゃナーガの若い兵士たちか?」


 普段は誰も屯しない通路の真ん中に、ナーガ達が立ち往生している。よく見ると、おおよそ半々に分かれた二つのグループが向かい合う形になっているようだ。十数名の体格のいいナーガ達は、喧嘩とまではいかずとも微かに剣呑な空気でピリついている。


「……落ち着け! 百人長の許可なく出る、まかりならん!」

「我等、強くなった!! ひ弱なニンゲンより戦える!!」

「そうダ! 肝心の先遣部隊も騎士団はラージャ・ヴァルナ以外は尻尾を巻いて逃げタらしいじゃないカ!!」

「ラージャ・ヴァルナの指示だ! 疑うのか!?」

「そうじゃない!! 鍛錬を積んだ今なら我々の方がラージャ・ヴァルナに相応しい部下になれる!! 証明する!!」


 二分し対立するナーガ達の言葉の応酬に、俺はまずいことになったと思った。それは、剣術を覚えたての兵士や士官候補生がなりがちな、一種の病気の兆しだった。

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