第298話 擦り付けはいけません
最初に気配に気づいたのは俺だった。
続いてナーガたちの落ち着きがなくなり、やがて先輩の一人が声をかけてくる。
「なぁ、ヴァルナ……なんかこう、変な感じしないか? 視線っつーか気配っつーか、上手く言えねぇんだけど……」
「それは氣の流れで近くに何か居るのを感じてるんですよ。氣の扱いを訓練していくと、自分より大きな気配には特に敏感になっていくものです」
この会話に首を傾げる者と、そういうものなのかと唸る者に分かれた。前者は氣の呼吸が全く出来ていない面子、後者は氣の呼吸が少しは様になってきた面子だ。
「氣……この感覚がそうなのか」
「ええ。でも過信しないでくださいね。別のことに気を取られていたりすると気配を察しきれないなんてよくあることです。今は偵察中だから違和感に気付けたんでしょう」
「なるほどな、氣を学べばこういうものに敏感になるのか。なんだよ、バトル向けかと思ったら工作班向けじゃねーか」
先輩の言う通り、実は氣の習得は工作班への恩恵が大きい。
工作班の最も重要と言っていい仕事は偵察だ。そして偵察は長時間にわたり敵に悟られずに行動する忍耐力、集中力、慎重さ、そして敵を感じる五感が必要になる。氣を習得すればこれらの能力は更に高まるだろう。
「そういうことです。任務終わったら氣の練習もうちょい真面目にしてください。覚えて損はありません」
「あいよー……って、いうことはちょっと待て! もうかなり近くに何かの動物がいるってことか!?」
「声が大きいですよ。多分、目の前の砂丘を越えた先辺りですね」
幸か不幸か、さっきから風が出てきているために音は多少誤魔化せただろう。砂漠の熱風は熱も砂も運んできてかなり辛いが、慎重に行かねばなるまい。キャリバンも鷹のファミリヤであるヒュウに指示を飛ばし、慎重に砂丘の先を確かめるよう指示する。
やや間を置いて、ヒュウが偵察から戻ってくる。
キャリバンの使い古したユガケに着地したヒュウから話を聞いたキャリバンがこちらに近づき、報告する。
「見た所動く生き物は見当たらないみたいっす。ただ、岩がゴロゴロしてて遮蔽物が多く、動物の死骸もあったと。隠れてるか待ち伏せか、或いはもう退散したのか……」
ヒュウは相手に気付かれないよう相応の高さから偵察した。
もしこの状況でこちらの気配を悟って逃げ出したなら、かなり野生の感覚が鋭い生物だ。そういった生物は狡猾であることもある。何よりも、事前情報が思い出される。
「例のターゲットは岩にそっくりって話だったよな……」
少し考えたのち、俺はやや後方でワイバーンの上からこちらを見ているサイラードに向けて手を振り上げる。サイラードはワイバーンのアルハンブラを慎重に操り、静かに着陸した。
「なんだよ、ヴァルナ」
「この先の砂丘に例のターゲットがいる可能性が高いんだが、岩なんかの遮蔽物が多くてファミリヤじゃ見通しが利かない。相手は岩にそっくりな見た目らしいから待ち伏せされてると厄介だ。よって、俺が合図したら上空から岩場一帯にワイバーンのブレスをぶつけてくれ。威力はなくていいから出来るだけ広めに。いればそれで炙り出せる」
「了解。アルハンブラ、広域でやるぞ」
『ヴォウッ』
ウォーミングアップのようにボフッと軽くブレスを吐いたアルハンブラは、姿勢を低くして一気に走り、跳躍と同時に羽ばたくと再び後方待機に戻る。うーん、航空戦力って頼もしい。爆弾持たせて一撃離脱戦法とかしたらえげつなさそうだ。
ここから長丁場になるかもしれない。
騎士団は軽く水分補給し、俺と工作班数名、それとナーガからサマリカが自ら名乗りを上げて先行する。サマリカは明らかに緊張しているが、あくまで今回は戦闘が目的ではない。最悪、敵の死体一つ持ち帰るだけでも結果としては十分だ。
「さて、奴さんの面を拝めれば僥倖だが……」
任務でお世話になる望遠鏡――が金属製で駄目だったためにナーガから借りた単眼鏡で砂丘の先を慎重に観察する。報告通り岩がゴロゴロしており、しかも風で砂が巻き上げられて視界がよろしくない。
氣の感覚で探るが、少しぼやけてはいるが気配は感じる。
これは初めての気配の感じ方だ。
氣に関しては細部を習っていないので判別できないが、少なくとも居ない存在を居るよう感じることはないので隠れていると見ていい。単眼鏡から目を離さずに周りにアイコンタクトすると、俺は手を振り上げ、前方に向けて降ろすことでてサイラードに合図を送った。
合図を待っていたと言わんばかりにサイラードがアルハンブラの横腹を踵で小突いた。それを合図にアルハンブラは翼を縮ませ、一気に加速。巨体が風切り音を立てて頭上を通り過ぎた。
猛スピードで砂塵を切り裂くアルハンブラは翼を開いて地上との距離を保ちながら、岩場に向けて容赦ないブレスを発射する。地を這うような広域の炎が岩と砂を炙るが、ここには引火の恐れがあるものが存在しないので容赦はいらない。
『グルルルルルルルァ!!』
「よし、メビウスでもう一回行くぞ!!」
ブレスを吐き終わって一度岩場を通り過ぎた二人は、風に乗って弧を描きながら方向転換し、別角度から再びブレスを浴びせる。どうやら無限大を表す『∞』という記号から着想を得た動きらしい。昔はこの記号はウロボロスと呼ばれていたらしいが、ネームドドラゴン『ウロボロス』が出現して大陸で大きな被害を出したのを機に、これを嫌った人々の間で『メビウス』と呼ばれるようになった――と、伝聞で耳にした。
なお、メビウスとはウロボロスを討伐した部隊の指揮官冒険者らしい。いわば元祖竜殺しな訳だけど、今じゃ単独のネームドドラゴン討伐を果たしたマルトスクの名が通り過ぎて存在感が薄まっているようだ。憐れメビウス。
閑話休題。
ブレスを二方向から浴びせられた岩場を観察するが、隠れていたサソリやヘビが炎に悶え苦しんで死にゆく様以外に特に変化が見られない。岩に擬態した魔物なら動く筈だが、それもない。奇しくも別の方面で安全確保が出来てしまったので、ハンドサインで後方の面子に前進を指示しつつ、自分たちも砂丘を下って岩場に向かう。
「何も……ないな」
「ああ。でもあんまりいい予感もしねぇ」
岩場を二人一組で慎重に調べていくが、全く生物の姿がない。ナーガたちはブレスに焼かれて死んでしまった虫やヘビたちを弔いがてらむしゃむしゃ食べているので、そっちはなるだけ見ない事にしておく。
ナーガにも美食の概念はあるが、兵士ナーガは小腹が空いてその辺の生物を齧るので多少臭かったりしても平気らしい。
先輩たちが気味悪そうに岩と岩の間や影、更には岩そのものさえ槍でつつく。しかし、そこには何もいないし、何も起きない。
「気配はするのに姿は見えず、か。どういうことだ?」
「……気配を殺すことに長けた生物なのかもしれません。だとしたらこの状況は良くないな……」
氣とは元来どんな生物にも備わっている。気配を消して行動することの多い動物は、無意識に氣もある程度コントロールしている可能性はある。そして生物が気配を消したがる理由は大別して二つ。
敵をやり過ごしたいときと、敵を狩りたいときだ。
殺意は感じないので待ち伏せではなかろうが、それがかえって不気味だ。
氣を感じていない先輩方は危険だという実感が湧かないのか、そのうちの一人が拍子抜けしたように近くの低い岩に座る。
「ったく、肩透かしもいいとこだぜ。よっこらしょっと」
『ブゴッ』
「はー疲れた……ん? 今誰か屁ぇこいた?」
「ロックめいた古典的な擦り付けをするな。どう聞いてもテメェのケツの下から聞こえたろ」
「いい年して人前で堂々と屁ぇこいた上に罪を擦り付けか。人間こうなっちゃあお終いだな!」
「汚ぇ屁の音聞かせた罰に砂漠土下座しろ」
「こいてねーわッ!! というか罪ってなんだ罪って!! 騎道車内ならまだしも屋外くらいいいだろうがッ!!」
ちなみに任務中の屁でオークに存在を気取られ作戦が台無しになった事例は過去に存在するので、今の屁は騎士団的にグレーゾーンだ。流石に納得いかないと立ち上がって周囲に抗議する先輩をよそに、おれはその岩を凝視した。
岩に座った瞬間、確かに空気が押し出されるような変な音がした。
彼が特殊な屁の使い手でないならば、屁とは違う音だった気もする。
無意識に腰の剣に手を伸ばす中、憤慨した先輩が苛立ちを露にするようにわざと大きな動作で岩の上に座った。
「ったく、てめぇら覚えてろよ!! 次にテメェらが屁をこいたら罰金払わせてやっからな!! ふんっ!!」
『ブゴォッ』
「おいおい、特大の屁ぇこいたぞこいつ。座った音で誤魔化そうとした結果もっと大きな音になる一番恥ずかしい奴だぞ~?」
「いい加減にしやがれコンニャロ……お……?」
先輩の身体が腰から浮き上がる。
否、先輩の乗っていた岩が浮き上がっている。
先輩はそのまま斜めに傾いていく岩から落ちるように着地し、背後を振り返って唖然とした。
そこには全長二メートル近くある岩の塊が、二本の足で立ち上がっていた。
「……はぁ?」
『ブゴッ、ブフー!』
果たして生物と呼んでいいのか分からないそれは、鼻と思しき場所からぶしゅう、と砂を噴き出し、二本の脚だけでなく二本の手を広げてゆっくりと振り向く。到底柔軟性を持つとは思えない巌の巨体から砂が零れ落ち、岩を削って形作ったような顔面の隙間から、僅かに生物と判別できる眼球らしきものが光る。
「……お前か、屁ぇこいたの」
「言ってる場合か、馬鹿野郎……」
余りにも予想外の存在に騎士団が凍り付く。
ナーガ達も凍り付く。
そして岩の如き巨体は左右をゆっくりと見回し――雄叫びとも悲鳴とも判別できない奇声を大音量で撒き散らした。
『ゴォオオオオオオオオオオオオオッ!?』
「ぐあっ、耳が……!!」
腹の底を殴るような凄まじい重低音を立てると同時、周囲の岩の中でも低いものや丸いものが撥ねるように立ち上がる。その数、なんと十数体。ただ、実戦経験を重ねていたという一点だけは外対騎士団が上手だった。
「総員、交戦を避けつつ退避だッ!! サイラードを目印に退避ぃぃぃーーーーッ!!」
その瞬間に外対騎士団全員が迷いなく行動を開始し、それにつられる形で聖天騎士団が、それを慌てて追うようにナーガたちが敵の隙間を縫って移動を開始する。俺は本物の岩に飛び乗って道を誘導しつつ、岩の如き敵を注視する。
「なんなんだコイツら、まるで種族が分からん!」
前にも語ったことがあるだろうが、この世界にはゴーレムという珍しい魔物がいる。岩や金属の巨体で迷宮物語の定番魔物だが、厳密には鉱物に根を張る植物系魔物の一種であり、その植物の根が筋肉の役割をしてゴーレムという魔物を形作ることが近年の研究で判明している。
しかしゴーレムは砂漠には住まない。ゴーレムの巨体を形作り支える植物は暑すぎる環境も寒すぎる環境も苦手で、温度の安定して鉱物の豊富な洞窟でしか生きられない。根を張って岩などを操る性質的にも、砂だらけの砂漠は生きづらい筈だ。
姿も違う。ゴーレムは複数の岩などを幾重にも重ね合わせることで人型を形成し、必然的に体も三メートルを超えるが、目の前の岩の怪物たちはそれに比べて小さい上に継ぎ目がない。まるで肌そのものが岩で出来ているかのように形が有機的なのだ。
随分前に王立魔法研究院で見た、魔法を基礎とした人工ゴーレムの試作品と少し似ているが、人工ゴーレムには目も鼻もなければ声も出さない。明らかに別物だ。
と――逃げそびれたナーガの兵士が目に付いた。
頭が真っ白になって周囲に追従しそびれたナーガの目の前には、ナーガ以上の体躯の太さを持つ巨体。兵士ナーガは完全に気圧されていた。
しかし、助ける筈の周囲は既に撤退し、周りは敵だらけ。
「いかんっ!!」
岩を蹴って助けに向かう。
しかし俺が到着するより早く、ナーガは槍を構えた。
「תעשה את זה!!」
どうやら逃げられないなら戦うしかないと自棄を起こしたらしい。抵抗せずに嬲られるよりはましな選択だが、平常心を乱した彼の槍が通じるとは限らない。動きだけはしっかりと訓練通りに、しかし情けなさの籠る叫び声で、ナーガは槍の一突きを放つ。
「ウワァァァァァァァァッ!!」
岩の如き巨体はその槍を前にし、体を動かした。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!?』
そして、普通に槍を喰らってひっくり返った。
いや、違う。槍を受けたからというより、慌てて足を縺れさせたようなみっともない動きだった。よく見れば周囲の岩たちもこちらに攻撃する訳でもなく動揺したようにおろおろしているように見える。
そして次の瞬間、俺は信じられないものを見た。
『ゴォォォォーーーーーーーーー!!』
倒れた岩の怪物が全身を震わせると、見る見るうちにその巨体が砂に潜っていくのである。つまりこいつら、戦うどころか逃げる気だ。
「お前らもヘタレなんかいッ!? くそっ、止むを得ん! せっかく遭遇したのに手がかりなく逃がしてたまるかぁぁぁぁーーーーーッ!!」
俺は手近な怪物に目星をつけ、着地した岩を全力で踏みしめて蹴り飛ばすように跳躍。手加減抜きで三の型・飛燕を放った。しかし、体を丸めて潜り始めている相手では狙いをつけるのが難しすぎる。ガキンッ!! と、甲高い音を立てて剣が命中した頃にはその怪物の身体は半分以上砂に潜っており、すぐに姿が見えなくなった。
念のために砂の上から剣を突き刺すが、砂に衝撃を吸収されているのか刺さった感触がない。やがて切っ先は何にも触れなくなる。まさか砂を潜って逃げるなんて芸当をされるとは、完全に誤算だった。
俺は肩を落としてため息をつきながら――空中からくるくる回りながら落ちてきた人の頭ほどはある石を受け止めた。ギリギリで斬り飛ばした、恐らくは怪物の足である。
「もし在来種だったら可哀そうだが、せめてこれだけ貰っていくぞ」
回収物入れの袋にそれを放り込み、俺は自分が攻撃を当てた態勢のまま凍り付くナーガの肩を叩く。色々と問題点も浮き彫りになったし、探したところで暫くこの周囲にあれは出てこないだろう。
こうして偵察任務は一応の成果と数々の謎を持ち帰る結果となる。
ノノカさん、納得してくれるかなぁ……頬を膨らませながら「ぶー! せめて死体一匹が良かった~~……」と不貞腐れる姿が目に浮かぶなぁ……。
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