第297話 アレの再来です
騎士団と研究院のメンバーが里に辿り着いてから数日、俺はナーガの訓練を見ながら、そろそろ砂漠に出る時期が近付いてきたと感じた。
「ヤァッ!! フッ!!」
「まだだ、もっと深く!!」
「ウリャアアアアアッ!!」
視線の先ではサイラードが二人のナーガの模擬戦で審判と監督を兼任している。武器の扱いの基礎くらいは教えられた俺だが、槍の扱いとなると竜騎士として槍を振り回す聖天騎士団の方が適任だった。
里に来たばかりの頃はちゃんばらごっこと形容すべき気迫のない打ち合いをしていたナーガ達も、今や闘争心と呼べるものが表出し始めている。訓練を積んだ兵士が次に経験すべきは何か? それは実戦だ。
他の聖天騎士団たちも覚えのいいナーガ達相手に指導に熱が入り、ナーガの戦士たちはいい感じに仕上がっている。ワイバーンの偵察で周囲の地形データも取れつつあるし、本格的に問題解決に乗り出すタイミングとしては丁度いい。
俺は訓練が終わって自主トレーニングに励むナーガたちを激励し、ナーガの里の中心部――小宮殿へと向かう。
そこでは騎士団の代表たちと研究院の代表たちが、日夜ナーガ代表三賢長と話し合いを続けている。ナーガに人間の言葉を教えるだけでなく、ナーガの言葉も教わったり、彼等の考え方、文化、歴史を学ぶことでより相互理解を深めている。
百人長サマーニーがこちらに気付いて手を挙げる。
「ラージャ・ヴァルナ! 兵士の訓練はもう終わったのか?」
「ああ、次はあんたを鍛え直す番だ」
「汝に感謝を。流石に兵と同じ訓練に励んでは面子が立たぬでな……」
サマーニーは兵士の長だけあって肉体も顔も屈強そうなのだが、実戦経験がない点は他のナーガと変わりない。ただでさえ威厳が低下している今、兵士たちにサマーニーの訓練する姿を見せると少なからぬ失望を与えてしまうだろう。故にこっそり鍛えている。
「して、何用か? ただ報告しに来たという匂いではない」
ナーガ達は気配や場の空気を匂いと表現する。言葉を誤って覚えているのかと幾度か訂正してみたが、彼等は匂いが一番しっくりくるらしいのでそれ以上口出しはしなかった。言葉をどう使うか、決めるのはナーガたちだ。
サマーニーの鋭い嗅覚に他の面々も視線もこちらに集まりつつあったので、俺は単刀直入に提案した。
「そろそろナーガの兵士を連れて例の調査に向かうべきだと提案します」
「賛成」
「反対」
「反対」
真っ先に発言したのは三賢長だ。賛成はサマーニー、反対は天秤長ニャーイと建築長ドゥジャイナだ。他の面々は先に三賢長の話が纏まるのを待つことにしたのか事の成り行きを見守っている。
ニャーイは名前がすごく可愛らしいが見た目はおっさんである。ナーガにしては珍しく髭まで伸ばしており、里でも指折りの年長者らしい。
ニャーイは険しい顔でサマーニーを見る。
「里の兵士を、客とはいえ他人の意見で動かすのかね? それに兵士の再訓練はまだ始まったばかり、時期尚早だ。兵の心持ちも考えるべきだ」
よく言えば慎重、悪く言えば保守的。
ニャーイは礼儀として俺をもてなすが、俺の能力はそこまで信じていない感じがする。それは彼が兵士ではないという部分と、赤の他人に里を変えられることへの警戒感がある。
俺はそれでいいと思う。行き過ぎると問題だが、何でも鵜呑みにするのも危険なことだからだ。
ニャーイの言葉にサマーニーが首を横に振る。
「いいや、ニャーイ。私はヴァルナの意見に賛成できるから賛成したのだ。砂漠の調査は本来、もっと早く行うべきものだったのを引き伸ばしているだけだ。それに、ヴァルナは兵士たちに足りないのは心構えだけで、心構えは戦いや挑戦の中で培われると言う。訓練する程に私はその言葉が正しいと実感する。これは兵にとって挑むべき試練なのだよ」
「むぅ……ドゥジャイナの意見を聞こう」
話を振られた建築長ドゥジャイナは、三賢長唯一の女性である。髪は黒く、肌の色も他のナーガより濃く、人間から見ても美女と呼べる妖艶な色気がある。ナーガの中でも一際目を引くドゥジャイナは、少し不機嫌そうにも見える顔で答える。
「そもそも、外の調査など必要ないでしょう。我々ナーガはもはや砂漠に出ずとも里の中で生活を完結させられます。外を荒らす生物など荒らさせておけばいい。里に関係ありません」
驚くべきことに、ドゥジャイナはダイナミックな引きこもりである。と、言うと睨まれるのだが……彼女は建築を続けることで生活圏の拡大を図る人物であり、それによってナーガが砂漠に出るという習慣そのものを否定しようとしているようだ。
事実、里の内部では外に出ずとも農耕によって食うに困ることはない。狩りでしか肉が手に入らないことについても、栄養価の高い虫やトカゲの養殖を試みているという話だ。
この意見にはサマーニーもニャーイも首を横に振ってため息を漏らす。
幾ら必要がないとはいえ、ナーガにとって砂漠は自らを育む大地。その大地への感謝を忘れるどころか否定する彼女は、才気には溢れているが扱いに困る人物らしい。
サマーニーが手を挙げる。
「提案。人間は勝手に砂漠に出る。我々はそれを不審に思い、兵士を付けさせる。ただし人間は客人なので困っているようならば手助けをする。如何か?」
「……客人は無礼者でない限り、もてなすべきだ。賛成」
「二人賛成に回った時点で私の賛否など無意味でしょう?」
「多数決で採用とする」
ナーガ達の場の空気は悪かったが、最終的にナーガ側の方針は決まった。
今までの任務で、偵察に出るまでにここまで時間がかかったのは初めてかもしれない。これ第二部隊設立前に起きてたら完全に外対騎士団の首が回らなくなってたぞ。
◇ ◆
真夏の炎天下の砂漠。
それはまさに地上の地獄。
燦燦と照り付ける太陽光の熱は容赦なく砂に反射され、既に経験済みであるにも拘らず猛烈な熱気のように感じる。偵察班の同行者として抜擢されたキャリバンが唸る。
「あづい……ラクダになりたい……」
「あんまり暑い暑い言ってると余計に暑く感じるぞ」
「なんでヴァルナ先輩は平気なんすか……」
「平気な訳あるか。かいた汗が瞬時に蒸発してんだよ」
「というか何でラクダと同じ速度で歩いてるんすか……」
「ラクダの数少ねぇからしょうがねぇだろ。俺だって乗りたかったんだぞ! ラクダとはいえ騎兵の気持ちになれるチャンスだったのに!!」
「怒りの方向性おかしいっしょ絶対!?」
馬に乗れずに大地を這いつくばる俺達騎士団にとって動物に跨って移動できるとはそれだけで憧れだというのに、体力があるばかりに譲らなければならないこの不遇。まさかナーガに背負われる訳にもいかず、こうして歩いているのだ。
現在俺達騎士団は砂漠を偵察中。
面子は俺を指揮官にキャリバン他数名、空を飛ぶワイバーンのアルハンブラとそれに乗るサイラード、同行するナーガも見事に男だらけの男所帯だ。
ナーガの代表は兵士サマリカ。騎士団を迎えにいった兵士だが、実は百人長サマーニーの息子でもある。俺の一番弟子みたいなもので、愛嬌もあり、ナーガの中でも割と人語を覚えている方だ。
そのサマリカが唸る騎士たちを気遣う。
「人間、砂漠つらいですか?」
「俺達本当はもう少し涼しい場所で暮らす生物だからな」
「砂漠の外、どんな場所か想像できません。ミドリ、沢山広がってるとラミィから聞きました。いてみたい、です」
「いつか行けるさ。手伝うよ」
「はい!」
ナーガの中でも若手であるサマリカは屈託のない笑みを浮かべた。
体つきはがっちりしているが、その笑顔の眩しさはお留守番中のブッセくんに引けを取らない。ナーガの殆どがこのようにピュアッピュアな精神の持ち主だ。師匠としてこの弟子が悪い大人に騙されないか心配である。主に「うぃぃ、アルコールは発汗作用があるからイケないねぇ♪」とか言いながらナーガの里産酒瓶抱えて寝てるどっかのロックでなしとかに。
と、ナーガ達の纏う気配が変わる。
サマリカが険しい顔で砂漠の一点を指差した。
「この辺りです。見てください、あれ」
「サボテン……ぐちゃぐちゃだな」
砂漠を代表する植物、サボテン。
本でしか見たことのない棘だらけの緑の柱は里の中にもあるが、ここにあるサボテンはその残骸から辛うじてサボテンだったものと認識できるレベルに砕けている。欠片を拾い上げたサマリカがそれを俺に見せた。
「このサボテン、柱サボテン。食べること余りないです。食べにくいから。でもこの一帯のサボテン、みんな荒らされてます。こんなことする動物、私知りません。子供のナーガの悪戯にも見えません。歯形、食べてます」
「ん……確かに」
「砂漠、貧しい大地です。この食べ方、食べ残し。礼儀感じないです」
サマリカの持ち上げたサボテンの大きな破片を、手に棘が刺さらないように慎重に受け取る。両手で抱えるサイズで、確かに明らかな歯形がある。
後ろの騎士団メンバーにそれを掲げて見せ、意見を求める。
「これ、歯形から推測して結構な顎のでかさだと思うんだけど、どう?」
「痕跡が荒いから微妙だか、なんか草食獣っぽくねぇ齧り方だな」
「頭のサイズは人間以上にありそうだ。回収してノノカさんに分析して貰おうぜ」
先輩の一人がこんな時の為に用意した袋を差し出す。
歯形が残っている特徴的なサボテンをいくつか放り込むと、ナーガ達が不思議そうにしていた。彼等には理解できないかもしれないが、俺達騎士団からすればこの手の痕跡はターゲットのサイズや種類を推測する貴重な手がかりだ。
そのまま進んでいくと、頭だけ残ったトカゲや草食獣の角、そしてよく分からない茶色い塊がぽつぽつと見つかる。砂漠の環境のせいで見覚えなく見えるが、例の未確認生物のフンの可能性があるのでこれも回収。
それをウンコかもしれないと知っていて拾う様に、聖天騎士団とナーガの顔が引き攣っている。でもノノカさんにウンコ調べてもらうと色々分かるし、しょうがないじゃん。これも御国を守る為の仕事なのだ。
「これが、ニンゲンの騎士団の仕事……!!」
「ちがうぞー、大分ちがうぞー!」
同行していた聖天騎士団が必死にナーガを説得している。
ぜひ彼らには頑張ってもらい、ナーガたちの歴史書に刻まれるである「王国の騎士は砂漠でウンコを拾っていた」という文言を消去してもらいたいものだ。流石の俺達もその歴史の刻み方は嫌だもん。
子供の頃に憧れた騎士ってこんなだっけ――?
そんな疑問を覚えるピュアな心を、俺達は新任一年目で捨て去るのだ。
ただ、この時から俺は、そう遠くない砂漠のどこかから得体の知れない気配を感じていた。どうやら初の偵察は有意義なものになりそうだ。
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