第295話 統率されています
ナーガの里、洞窟公園。
そこはナーガが一枚岩の岩盤をくり抜いてデザインされた、陽光が差し込む洞窟内の庭園だ。風は肌に心地よい涼しさがあり、地下水を汲みだした水が小さな水路を流れており、内部には砂漠植物とは思えない色とりどりの花と観賞用の小さな木々が植わっている。景観もよく、石素材がメインとはいえ床もきれいに整備され、ベンチや砂場もあるなどナーガの文化性の高さが伺える。
そこに、外対騎士団先遣隊と後発組が合流していた。先遣隊はローニー副団長、ガーモン班長、クリフィア研究支部のガラテル准教授――ノノカさんにヘコヘコしていた――そしてワイバーンに乗ってきたネメシアとミラマールだ。
ただしネメシアは先ほどから休憩で寝そべるミラマールの傍らで瞑想している。
不思議に思ったくるるんが俺に尋ねた。
「あのニンゲン、なにしてるの?」
「精神統一の最中だよ」
「なんでセイシントウイツしてるの?」
「恥ずかしい過去を忘れようとしてるんだよ。見てな」
凛々しい顔で精神統一を続けるネメシアを暫く見ると、突然ボフン、と頭から湯気を放出した。耳まで真っ赤になった顔をぶんぶん振るネメシアにミラマールが不思議そうに顔を上げるが、またネメシアが精神統一に戻ったためにミラマールも休みに戻る。さっきからずっとあんな感じである。
俺が砂漠で行方不明になったと聞いて、それはもう心配してくれたらしい。多分同じ情報を聞かされた両親二人分を十倍にしてもネメシアの心配度には遠く及ばないだろう。何故ならあの二人の心配は小さじ二分の一杯くらいだからである。
個人的には心配してくれるのは胸にジーンとくる感動があった。
しかし、彼女はその心配を表現するために公衆の面前で俺に抱き着いてわんわん泣いて、ぐずりながら落ち着きを取り戻すまでずっと俺の胸に抱かれていたのである。
一応周囲にネメシアの泣き顔を見せないようにしようという配慮だったし、速やかに人目のないところへ彼女を連れて行ってあげたのだが、冷静になったネメシアはそりゃもうテンパった。
『こ、この私が……騎士団の面々だけでなく魔物のまえで、あ、あ、あんなはしたない姿を……!!』
『そんだけ心配してくれてたんだろ? ありがとな、ネメシア』
『あ、貴方も貴方よ!! 何を人の隙に付け込んで存分に鍛えあげた温かい胸板を押し付けた上に人目のない場所に連れ込んでるのよ!! へ、変な誤解招いたらどうするの!! 胸を貸してくれたり気遣ってくれたのは感謝するけどぉ!!』
そこでちゃんと感謝の言葉を言ってしまう辺りが彼女の素直さである。
『ああ、おしまいよ……! こんなことしたなんて万一お父様に知られたら家名に泥を塗った罰で折檻だわ……!! ちゃんと場所を選んでやれば……じゃなくてっ!! 場所を選んでも礼節を弁えた態度でしなくちゃいけなかったのにーーーっ!!』
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
こうしてネメシアは羞恥を何とか振り払おうと瞑想を試みているのである。ちなみに瞑想というやり方は王国では一般的ではなく、さっき俺が教えたものだ。
羞恥の原因になった男の教えを素直に受け取って瞑想するとは、ネメシアも時々ズレている気がする。それを口にすると「貴方が言うなっ!」と怒られそうだけど。
「それで。ですね」
話を切り出したのはローニー副団長だ。
その表情には明らかに話を聞きたくないけど聞かなくては仕事が進まないというジレンマを多分に含んでいる。
「何ですか? ラージャ・ヴァルナって」
「これには深いようで浅い事情がありまして……」
俺は、これまでの報告がてら事情を説明した。
まず、俺、ンジャ先輩、セネガ先輩、研究院所属のラミィとラクダ二頭は、くるるんの案内で無事ナーガの里に辿り着いた。
そこには里の周囲を警戒するナーガの勇ましい戦士たちがいた。
普通はここで「止まれ! 貴様ら何者だ!」とか槍を突きつけて牽制しつつくるるんから話を聞く所なのだろう。実際、言語は分からないがそのようなことを言っているそぶりはあった。
しかし、である。
『こやつ等……
『物凄く腰が引けてますね』
ナーガの顔や装備は勇ましくとも本体が全然勇ましくなく、なにやら叫んではいるが蛇の腰がものすごくへっぴり腰なのである。しかもこちらはまだ接近すらしていないのに既に後ずさりを開始しており、門番の体を為していない。こんな情けないナーガの姿は見たくないというか、何でか知らんがもう少し逞しくあって欲しかった。
くるるんがじとっとした目で門番たちを睥睨し、肩を落とす。
「ナーガの戦士、やっぱりへたれ。ヴァルナに怯えて心、ぽきり」
「つまりヴァルナのせいであると」
「ヴァルナいなくとも、きっとあわあわする」
「根本的にヘタレ集団なのですね……ラミィ、生き物駄目な貴方でもあこそまでヘタレなら倒せませんか?」
「その無茶ぶり、パワハラっすよ」
「おや、嘆かわしいですねぇ。最近の若い者は納得できないと見るやすぐパワハラ、やれパワハラと都合の悪いものを押しのけて楽な道を歩もうとします」
「それ常習犯の口癖……」
ラミィの中でのセネガ先輩の信用度が下降していく。
騎士団メンバーは別に慣れてるが、そりゃ身内以外からしたらあの性格はちょっと度し難いよなぁ。そろそろ言動改めないと嫁の貰い手いなくなりそうだ。
閑話休題。
くるるんを通して暫く会話してみたが、結局門番だけでは解決できないからと隊長格がやってきた。ナーガの里では一般兵を部隊として纏めるのが十人長という隊長格で、その隊長を纏めるのが百人長というらしい。百人長はナーガの兵のトップ、将軍に当たるそうだ。
肝心の十人長は遠目に俺を見るなり踵を返して(ナーガに踵はないが)駆け戻り、ナーガの里の将軍である百人長が来るまで灼熱の日光が降り注ぐ場所で待たされた。最初は面白がっていたセネガ先輩もこのもたつきっぷりに若干の苛立ちを覚えはじめる。
「……外敵として排除するでもなく、客人として迎えるでもなく放置とは。ここの責任者は大層な魔物のようですね」
ラミィが「もう限界!」と叫んで日陰に駆け込むと彼女に一番近かったナーガが悲鳴を上げて後ずさりした。ラミィの二倍は体躯があろうかという武装したナーガがである。
俺は情けなくて涙が出そうだった。
幾ら天敵や目立った外敵がいないからって、このヘタレっぷりは流石に酷過ぎる。ちょっとやる気のある侵略者が来たらものの数日で里を落とされそうな勢いである。
もうくるるんの彼らを見る目はゴミを見る目だ。
そしてとうとう百人長、すなわち将軍が登場した。
(見るからに周囲のナーガとは筋肉量も装飾も違う……やっと話らしい話が出来そうだ)
が。
流石に将軍になると見知らぬ相手だろうが威風堂々とやってくるかと思いきや、俺が視界に入った瞬間に明らかに動きがぎこちなくなった。ナーガの移動後の砂場はうねったような線が出来るのだが、将軍の描く線は定規で書いたようにカックカクである。
将軍の登場に背筋を伸ばしていたナーガの戦士たちも、明らかに緊張が表れている百人長の姿に不安の色が伝染していく。将軍は俺に向かい合うようにして何やら声を出したのだが、明らかにところどころ声が裏返っている。
仮にも集団のトップで最も強さを求められる筈の存在がこの有様。
民を守る存在として、この態度は絶対にしてはいけないものだ。
他の種族の他の役割に人間が口を出すのは本来あまり良くないことかもしれないが、俺はこのとき呆れを通り越して彼らナーガの戦士に怒りを感じていた。
「戦を生業とする者のトップが情けない声を出すなッ!!」
「לצרוח!?」
びくっと肩が撥ねる百人長。
俺の声にくるるんが「そうだそうだ!」と言わんばかりに同時翻訳を開始した。その言葉に全ナーガがぎょっとしつつ耳を傾ける。
「トップは誰が相手だろうが常に平常心を保ち、毅然とする者!! 弱い態度を取ればそれに付けこまれ、部下や民に無用な不安を与えるものだ!! その弱みは侵略者の襲撃で最も顕著になるッ!! 故郷を愛してるなら尚の事、堂々と振舞えッ!!」
「מצטער!!」
「故郷を誇れ!! 故郷を誇る己を誇れ!! 民の期待の為にその誇りを守れ!! それが出来ねば守れるものも守れんぞッ!!」
「……!!」
ひとまずの不満を言い切った俺は、そこで周囲がシンと静まり返っていることに気付く。ナーガたちは百人長が来た後も落ち着きなく身じろぎしたりヒソヒソ話をしていた筈だが、全員がこちらを見ていた。
――もしや、プライドを傷つけてしまったか?
今更自分のやったことの無礼さを自覚し、一つ咳払いして軽い謝罪でも入れようか。そんな考えが頭をよぎったその時、百人長がくるるんと何やら会話を始めた。
「תגיד לי את שמו」
「קוראים לו ורנה ヴァルナ!」
「תודה שלימדת אותי……」
百人長は、今度は威風堂々とした態度で俺に向かい合った。
「אדם גאה. ברוך הבא!! ラージャ・ヴァルナ!!」
「ら、ラージャ・ヴァルナ!!」
「ラージャ・ヴァルナ!!」
「「「ラージャ・ヴァルナ!! ラージャ・ヴァルナ!! ラージャ・ヴァルナ!!」」」
百人長の一声が呼び水となり、ナーガの戦士たちが次々に「ラージャ・ヴァルナ」の大合唱を開始する。どういう風に受け止めればいいのか悩んでいると、くるるんが服の裾をくいくいと引っ張った。
「くるる、貴方を歓迎します、誇り高き者ヴァルナよ、って言ってる。きっとテキとの戦い方教わりたい。ラージャはナーガの中では最上位の三賢長にしか使うことのない敬称……ヴァルナ、いま里でとってもエラくなったよ」
まるで我が事のように胸を張るくるるんに、俺は気のない「はぁ」という返事をする。もう明らかにやっちまっている。
しかし、なってしまった以上は仕方ない。
こうなったらもうやれる仕事は全部やって、余った時間でこのへたれナーガ共に戦いの基礎の基礎だけでも叩き込んでやらなければ。このままだと本当に魔物売買してる連中に捕まりかねん。
――といった経緯を経て、先ほどのナーガの訓練に繋がる。
彼らも一応訓練自体はしていたのだ。ただ、敵と相対することがないせいでエクササイズ化していただけなのだ。幾ら体格や能力が戦闘に向いていたとしても、ヒツジしか育たない環境で生きたオオカミは実質ヒツジなのだ。
と言う訳で、俺は他の調査を一旦ンジャ先輩に任せて慣れない教官役を買って出ている。最近彼らも少しは人の言葉を覚えてきたとはいえ、身振り手振りで教えるのはなかなか難しい。何よりあいつら足が蛇だから人間と動き違い過ぎるわ。
「みんな百人長より俺の訓練優先してる節があるんで、指揮系統を混乱させない為にしっかり上下関係と優先順位を仕込みたいと思ってるんですけど……」
そう言って前を見ると、やってきた全員が絶句していた。
気持ちは分かる。余所者に懐き過ぎだこのナーガたちは。
そういうと、ちゃうちゃうと全員が手を横に振る。
「何をさらっと異種族の魔物の戦士の教官に就任してるんですか!!」
「というか、こんなことが現実に起きていいんですか……霊長の敵たる魔物が、人に従うだなんて……魔物に人間の社会システムを教えるなんてそんな、まさか……」
震える声でガラテル准教授が言葉を紡ぎ出す。
「
――のちに騎士団ではこの日を『魔王が生まれた日』と呼称することになる。
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