第292話 ぐうの音も出ません

 廃棄が決定した騎道車を前に暫く新騎道車がどんなものか胸を膨らませていた騎士たちだったが、一応俺の提案でささやかな送別会を開くことになった。車に送別会というのも変な話だが、しないよりは寂しがる団員達の気が紛れる。


 廃棄と言っても車体を壊す訳ではない。元々が生活スペース込みで作ったものだ。これから物置倉庫や砂漠の中継地点などとして活用するし、騎道車の無事なパーツを予備パーツ扱いにするという。最終的にはこの騎道車と魔導機関を中心にきちんとした拠点が作られるのではないかということだ。


 この騎道車に名前はない。

 一応整備士からは『一号』と呼ばれており、俺が騎士団に入るより三年ほど前から騎士たちを各地に運び続けていた。これがあるから騎士団は贅沢は出来ずとも体の清潔を保ちつつ無茶な仕事期限を間に合わしてこれた。いわば縁の下の力持ちである。


 言い出しっぺの俺が音頭を取って、別れの言葉を告げる。


「五年間、よく耐えてくれた。お疲れ様!!」

「「「お疲れ様!!」」」

「くる……おつかれさま!」


 よく事情が分かっていないが周囲に合わせるくるるんが場を和ませた。

 整備班の人間も入り混じって、明日に響かぬようほんの少量の酒で乾杯する。


 騎道車最後の晩餐は賑やかに執り行われた。

 最初から廃棄になる可能性を考慮した作戦だったので運び出すものは少なかったが、夜の作業が予想以上に寒くて震える団員は少なからずいた。騎士や整備士の中には別れの挨拶がてら壁に自分の名前を刻んでいる。俺もついでにサインしておいた。


 ――その日の夜、いつもの運命の女神が見覚えのない子供を連れてきて、その子供に感謝されたような……されなかったような……そんな夢を見た気がする。でも目が覚めたらくるるんが俺の腹の上で丸まっていたので圧迫感で変な夢を見ただけかもしれない。


 さて、翌日。

 試作騎道車のブリーフィングルームで作戦会議が行われた。

 本来ならこの場の責任者である俺か班長クラスが仕切るべきだが、砂漠の専門家扱いであり取り仕切りも多いセネガ先輩が今回の司会だ。


「ナーガの里発見作戦の会議を始めます。事前にある程度情報は纏めておいたから全員速やかに書類を確認するように」


 仕事慣れした騎士たちが一斉に書類に目を通すが、それ以上に整備士や学者連中が血眼になって一語一句見逃すまいと書類に齧りついている。よっぽどナーガの里を見つけたいらしいけど、顔が怖い。そんな顔してるとナーガも逃げるわ。


 さて、くるるんの帰巣本能的なカン曰く、現時点で騎道車はそれなりにナーガの里に近づいているようだ。里は巨大な岩盤の内部にあるらしいので近づけば一目で分かるというが、実際にはそう簡単にはいかない。

 その理由をセネガ先輩が説明する。


「昨日に見張りに出た方々は見たかもしれませんが、砂漠では蜃気楼ファタ・モルガーナという現象がたびたび発生します。巨大な岩を見たと思って近づいてみると全然違った、というのは十分にあり得ます」


 なんでも太陽光で急激に熱せられた空気は光を屈折させてしまうらしく、その影響で実際にはないものが立体的に見えてしまう現象を蜃気楼と言うそうだ。真夏の石畳を見てるとゆらゆら景色が揺れて見えるアレの拡大版といった感じだろうか。


 何度か外を眺めている時に遠目に遺跡っぽいものが見えた気がして一応場所をメモっていたが、これも蜃気楼で見た幻だったのかもしれない。やっべー知らずに周囲に相談しようと思ってた俺が超恥ずかしい。一応インテリ側の騎士で通っている俺のブランドイメージを著しく傷つける所だった。そんなもんあってないようなものだけど。


「嫌らしいことに砂漠の蜃気楼は建物が点在した町のように見えることが多いので、何かあると思っても騒ぎ立てて無謀にも徒歩で確認に向かわないように。死にます」


 自然発生する光の屈折現象と大岩なんて見間違えないのでは? と実感の湧かない騎士たちはそれほど深刻な顔をしていないが、実際問題間違えたかもしれない俺からは何も言えない。


 でも、砂漠で遭難したら幻を見るというのはどこかの冒険譚で読んだ記憶がある。極限状態の中で心が弱さから有らざるものを見てしまったのかと当時は思っていたが、実は物理だったんだな。自分が遭難でもしたときに見てしまったらと思うとぞっとする話だ。あそこにさえ辿り着けばと思って奮起した結果、幻なので絶対に辿り着けないとか怖すぎる。


「ちなみに水場に見えることもあります。当然九割九分水場ではありません。死にます」

「総合するに、騎道車からはぐれるような行動をしなければいいと」

「余程のっぴきならない事情がない限り、それが最良のリスク管理です。念のために全員にコンパスまで支給していますが、使わずに済むことを祈っておきなさい。例外として人にあらざるヴァルナや掟破りの地元走りが出来るナーガは事情が変わります」

「人間ですから。れっきとした人間です」

「どの口が……ンジャとの砂地での訓練であんなことしておいて……」


 セネガ先輩が絶対に信じないと言わんばかりにねめつけてくる。

 この人がこういう頑なさを見せるのは珍しいな。


 ちなみに砂地訓練というのは、足を取られる砂地での戦い方レクチャーをンジャ先輩がしたときの話だろう。なんとなく流れで「実戦やってみるか」という流れになり俺はンジャ先輩に挑んだのだが、砂に足を取られまくって全然調子が出なかったので歩法を徹底的に見直す羽目に陥った。


「さも苦労したかのような物言いですが、後半になると裏伝を利用して砂を吹き飛ばして相手に浴びせるとかいう砂漠の民もやらない戦法編み出しておいてしらばっくれられると思わないことです」

美事みごとな砂遁であった也」

「えー、便利じゃないですか砂。簡単に吹っ飛ぶし、裏伝で上手く吹き飛ばせば相手に浴びせて動きを止められる上に視界も奪えるし、連続で発生させまくれば撹乱にもなるし」

「大前提として相手の視界を覆う量の砂を瞬時に吹き飛ばせる人間はいません。そして貴方はそれを実行した。イコール貴方は人間ではない。反論の余地を廃する完成された三段論法です」


 解せない。周囲がうんうん頷いているのが解せない。

 俺が何と言おうと大衆によって支配される多数決の場では虚しい遠吠えにしかならないので、俺は納得してない旨だけ言って反論を諦めた。くるるんが同情するように肩にポンと手を乗せた。

 いや、君こそ正真正銘人間じゃない子なんだけどね。


 話が大分脱線したが、つまり騎道車で走り回って探すだけでは確実性に欠けるという事が本来の説明の筋である。


「どちらにせよナーガたちもこのどでかい乗り物が砂塵を巻き上げて迫ってくれば何事かと勘繰り最終的に先制攻撃で破壊すれば安全だと言い出すかもしれないので――」

「ナーガの戦士、戦いではわりとヘタレ。最近わかったこと……くる」

「では小心者たちを怯えさせないよう、慎重に進む必要があります」


 ナーガ戦士たちの株が他ならぬナーガの言葉で下がっていく。

 どんなに訓練を積もうが実戦経験の壁は崩せないらしい。


 ともかく、これはヴィーラたちとの出会いとは違う。

 砂漠で固有のコミュニティを形成した人ならざる存在との接触だ。

 たった一つの些細な刺激で交渉が出来なくなる可能性は否めない。


「そこで、ある程度里に近づいてからはラクダで移動します」

「ほう、ラクダ……えっ、ラクダ連れて来てるんですか?」

「逆に聞きますがラクダも連れずに砂漠とか正気ですか?」


 遠回しに馬鹿呼ばわりされたのはさておき、試作騎道車には緊急時の移動手段としてラクダ小屋があるらしい。王国では野生種がいないので海外から取り寄せたのだろうが、普段馬使えないから完全に存在を意識していなかった。


 とはいえ、数はたったの二頭。

 それでもいるのといないのでは運べる荷物の量が段違いだ。

 二人乗りすれば四人は運べるわけだし。


「まぁ、貴方に正気云々を問うのもナンセンスなので話を進めますが……」

(ひどい……)

「ここでまたしても問題があります。くるるんことナーガの道案内です」


 団員たちが不可解そうに首を傾げたり疑問を呈す。


「どゆこと? くるるんちゃんの帰巣本能の精度の話?」

「それとももしかしてセネガ、この子のこと疑ってるのか?」

「そういう問題ではありません。いいですか、彼女はどんなに小さくともナーガなのです。砂漠に不慣れな皆さんに分かりやすく言いますとね……」


 眼鏡をくいっと上げたセネガ先輩が言う。


「砂漠の砂も流砂も砂丘も物ともせずに水分無補給で丸一日動き回れるナーガに道案内などさせてみなさい。追いかける人間はあっという間にミイラになりますよ」 

「あっ……」


 騎士の中から間抜けな声が上がる。

 くるるんは砂漠に適化した生き物だ。水分補給なしにはあっという間に干からびる人間と違って、砂漠で極めて快適に活動することができる。移動速度にしても、確かに砂地訓練で試しにくるるんを放ってみたら、そこいらの騎士を追い抜いてすいすい進んでいた。


 あのペースについていけるのは砂漠慣れしたンジャ先輩とセネガ先輩でも厳しいだろうから、くるるんペースでは誰もついていけまい。


「まぁ、ナーガにペースを合わせてもらうことは可能でしょう。しかしナーガと我々では時間間隔が違います。ナーガが半日で辿り着けると言った距離は我々にとっては三日かかる、なんてことも有り得ます」

「くるる……?」


 くるるんは意味を読み取れなかったのか首を傾げている。

 これは純然たる種族の適応力の差だ。

 人間を詳しく知らないくるるんには自覚し辛い話だろう。

 ンジャ先輩が出発前に予め問題点として指摘していたので彼女の移動速度はある程度計算している。そしてナーガの視力や聴覚も大まかに算出していた。


「くるるんのカンを頼りにぎりぎりまで騎道車で接近し、そこから少人数がラクダでナーガの里を目指します。そしてこれが一番重要なのですが……騎道車に幾ら食料を多めに積載したとはいえ、有限であることに変わりはありません。なので里を目指した組が期限内に戻ってこない場合、貴方方は一度クリフィアまで戻って態勢を立て直してください」


 ざわっ、と、どよめきが起きる。

 遠回しに、帰ってこなければ諦めろと言外に告げる物言い。

 犠牲者絶対ゼロを基本指針とする俺たち騎士団が口にすべき内容ではない。

 勿論これは考え合っての事だ。

 セネガ先輩が注釈を加える。


「勘違いしないでください。我々はナーガの案内がありますし、交渉に赴くのは私、ンジャ、ヴァルナ、そして研究院のナーガ観察担当でたった四人ですから小回りが利きます。しかし貴方方が引き際を見誤ればナーガの里への航路が閉ざされてしまう。それは大きな時間のロスを招きますし、対応が遅れれば不測のトラブルで貴方方の命を無駄遣いする確率も上がってしまいます」


 しかし、空気が変わった騎士団の面々はすぐには納得しなかった。


「幾らンジャ先輩たちって言っても……」

「たった四人で未知の魔物集団と接触。しかもこの環境でそれはリスク高すぎな気がしますねぇ。それならいっそ怖がらせてもいいから数を示して向こうが手を出しにくくすべきでは?」

「だよなぁ。万一があったら全員の責任だぜ。その作戦には素直に賛同できねーな」


 普段はぬくもりの欠片もないような連中だが、大原則に反目する内容となれば黙っていない。


 俺達外対騎士団がどんな無茶な任務にも対応出来ていたのは、死者ゼロ方針という不動の大原則があったからだ。少数を見捨てることで多数を生かす捨て石という方法を常に排除する――俺達の命の砦だ。


 馬鹿をやった騎士を雑に扱うのと、生きて帰ってくればラッキーという感覚で仲間を死地に送り出すのはまるっきり意味が違う。いっそ皆の脳裏には、ナーガの問題はナーガで解決して貰って人間は後から来ればいいという発想さえ浮かんでいるだろう。


 それを非情と罵ることはできない。

 幾らくるるんが可愛かろうが、人は仲間の命が惜しくなる。くるるんとて成長すれば人間では敵わない強固な存在になる。脆い人間を強固な魔物のトラブルに巻き込むことのデメリットは確かにある。心の中のドライな瞳が、その事実を忘れさせてはくれない。


 だが、俺は俺の騎士道を貫く為にもナーガの里には行きたい。

 今向かっても後から向かってもどうせ色々なリスクはあるのだ。

 だったらより終わりがすっきりする方法にしたい。


「先輩方、なんか俺らが砂漠に果てる方にばっかり話が進んでますけど、予想より早く接触して交渉出来ればナーガの里も中継拠点としての道が開ける訳ですよ。そうすれば俺たちはナーガの里に滞在も可能になる」

「交渉が上手く行くかぁ? くるるん頼みで言葉も通じないんだぞ?」


 それは確かに大いに不安のある所だが、交渉決裂がイコール死という訳でもない。


「駄目だったら、さっそく廃棄された一号を避難所にすればいい。迎えを待つなり自力で帰るなり方法はあります。万一内部で何かあっても、俺とンジャ先輩とセネガ先輩なら護衛一人を守りながら乗り切れるっていうリスク管理があったからこその作戦ですよ?」

「そりゃ……そうかもしれないけど……そもそも、今回の任務の主旨はあくまで騎道車の……」


 建前上、今回の騎士団の仕事は研究院の人間である整備士たちの護衛だ。

 ナーガの巣を探し回るのは必須の仕事ではない。


「とはいいますがね先輩。ぶっちゃけナーガの件はもう王宮に文を飛ばしてますから遅かれ早かれ俺らが調査に行くことになりますって」

「あっ。しまったぁ、それがあったか……!」


 あちゃあ、と先輩騎士が額に手を当てて唸る。

 そう、この問題は遅かれ早かれ俺たちにお鉢が回ってくるのだ。


 人間と同等の知能を持った魔物の集落が国内にありますと言われれば流石に王や議会は黙っていられない。しかもいると思われる場所が危険な僻地でその近くにおあつらえ向きに危険任務を任される平民の騎士団があるとなれば、もうその先の展開は見え見えだ。

 まず間違いなく、喫緊の任務として俺達に調査を命じるだろう。


 幸い、俺達騎士団は魔物関連の仕事では独自の判断を行う権利がある。

 少々先走ったところで問題にはならない。

 むしろ、今回は王立魔法研究院が全面的に味方なのでやり易いくらいだ。


「任せてくださいよ先輩方。そもそも先輩たちが俺を心配するとか気色悪いですよ?」

「確かに」

「すまん、普段のノリと違った」

「ぐうの音も出ない完璧な反論出ました!」

(今のは少しでも否定して欲しかったんだけど……)


 かくして、俺の余計な一言で駄目な方向に迷いを断った先輩方はそれ以上反論しなくなってしまうのであった。セネガ先輩がこっそりこちらにサムズアップを向けてくるが、あれはもしかして煽っているのだろうか。


 ……でも、世界最強騎士様一人でどうにかしろよ、みたいな空気にならなかったのはちょっとだけ嬉しかった。人外怪物言いながらも、なんだかんだ皆も俺のことを仲間だと思ってくれている証だ。

 それが消滅したときに、多分、俺とこの騎士団の関係は終わるんだろう。 

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