第291話 過去の悪行です

 砂漠は暑い。砂漠は死ねる。

 そんな話を聞いてはいた。

 しかし、これは――と、俺は水を飲みながら汗を垂らす。


「騎道車の空調は本当に動いてるのか疑いたくなるな……」


 騎道車の中が、異常に暑い。乗り込んだ騎士の面々も、その殆どがフラフラだ。暑さにやられた先輩の一人がとうとうバランスを崩して壁に手を押し当てる。


「き、きっつ――ズ熱ッチャアアアアアアアアッ!!?」


 押し付けた手からジュウ、と音が鳴ったのではないかと錯覚するほどの悲鳴をあげて先輩は手を押さえて転げまわる。先輩がついた手の先にあった壁は外壁に面している壁だ。外の日光の熱が内側に伝わっているのである。


 騎士たちが戦々恐々とする中、ライは面白い物を見たかのようにクリップボードの紙にペンでなにやら書き込んでいく。


「断熱効果が不十分、と。後で温度測定しとかないとな」

「おいライ。無理を言ってるのは承知だが、どうにかならんかこの温度……」

「流石に無理です。そもそも今回のこれは通常騎道車を砂漠用に換装する上での問題点の炙り出しですから。こればかりは幾らヴァルナさんに言われても変更は……」

「結論は出た。実用性がヒドイと」

「断熱材、構造改善……問題浮き彫りですね。エンジンの冷却は今のところ問題ないのでエンジンルームの方が涼しいかもしれないですよ?」

「馬鹿言え。エンジンの高熱とそれを打ち消す冷気のせめぎ合いだろ? しかも喧しいと来たものだ。今だけは行く気にはならんわい」

「俺にとっちゃあ子守唄ですがね」


 ひとまず、外壁側の壁を触らないよう周知を徹底することにした。


 ライは砂漠経験が軽くでもあるのか平気そうだが、隊員の多くが既にバテ始めている。正直俺もこの環境はキツかった。こっちの顔色を見たライは、うーむ、と唸る。


「もう少し先にオアシスがあるので、そこで人員を幾らか試作騎道車の方に移しましょう。あっちは一から砂漠前提で組んでるのでこっちよりはマシの筈です。人間が多いとそれはそれで熱が出ますしね」

「この暑さだと誤差だろ! ちきしょう、最初からあっちに乗りたかったね……」


 俺の視線の先には、砂塵を巻き上げて進む試作騎道車の姿があった。

 外装は白色に塗られており、大きさは俺たちの乗る騎道車と同じくらいに見える。しかし実は内部のデザインは洗練されておらず、意外と中が狭いらしい。


 しかし、狭いとはいえこれまで騎士をギュウギュウ詰めにしてきた騎道車だ。多少の不便はあれど、全員で三〇余名の人間が乗れないことはないだろう。騎士の出番は後半なので、こちらの騎道車に乗る人間の半数ほどをあちらに移すことにする。


 欲を言えば俺が一番にあちらに乗りたいが、比較的周囲より余裕のある俺が自分のことだけ考える訳にもいくまい。ちやほやされた闘技場から厳しい現場へ戻って来た自分の思考に何故か安堵さえ覚えつつ、俺は首からかけた籠の中のくるるんに視線を落とす。


「どうだくるるん、故郷までどれくらいか分かるか?」

「くる……近づいてるけど、まだまだ先……」

「そうか。少なくとも明後日の方向に向かってはいない訳だ」

「ナーガの里かぁ……ナーガまで呼び寄せちまうんだからヴァルナさんは本当にすげぇ騎士だよ。もう今回の遠征だけで物語一本書けちゃいますよ?」

「んな大袈裟な……でもないか?」

「くる?」


 冷静に考えたらナーガなんて超稀少種の、しかも謎多き一族だ。その子供を偶然助けて彼女の故郷がピンチだと知り、助けに向かう。この部分だけ切り取ると十分に物語である。やばい、今の俺かなり騎士っぽいぞ。


「里を襲う謎の岩とやらが気がかりだが、さてどう出るか……」

「敵を倒して終わりじゃないっすか? 砂漠なら仮に毒あり魔物でも土壌汚染そこまで気にしなくてよさげですし」

「そこはノノカさんのお墨付きが出たけどなぁ……」


 問題は別の所にある。

 外対騎士団うちの任務ではほぼ毎回、被害者や現地協力者との信頼が必要不可欠になる。それらは今まで予め根回しをしたりコンタクトを取った上で受け入れ態勢が整ってからこちらは現場入りしていた。


 しかし、今回の相手は予め連絡が取れない上に異文化コミュニケーションだ。あっちからすれば頼んでもないのにやってきた人間たちだし、見ようによってはくるるんを懐柔したようにも受け止められる。


 できればここは我らが国王に倣い、互いを尊重し合う交渉をしたいところだ。


 ――数十分後、オアシスに到着した俺たちは水を補給しつつ人員の割り振りのし直しを行っていた。騎道車の中も大概暑かったが、外に出ると如何に中がマシであったかを如実に感じさせる熱波が押し寄せる。

 数分前まで涼しい環境に行けることを喜んでいた騎士たちが、今や厚手の服を纏って亡者のようにアーウー唸りながら砂に足跡をスタンプし続けている。


 整備班はここで一度騎道車の簡易メンテナンスとチェックを行うらしく、少し時間の空いた俺は周囲の警戒にかこつけて人生初のオアシスを見回る。


 いくらバノプス砂漠が人の立ち寄らない地とはいえ、王立魔法研究院もバカではない。砂漠出身の人間を雇って何度か調査はし、幾つかのオアシスの場所は特定させてから今回の実験に乗り出している。でなければせっかく砂漠でデータが取れても持ち帰れずに干からびてしまうからだ。


「しかし、凄い光景だ……見渡す限りに人工物が見当たらない。王国内なのに、まるで別世界に迷い込んだみたいだ」


 狐色を敷き詰めたような荒涼たる砂地にぽつんと存在する植物の緑と水。こんな灼熱の土地にもこうして水が湧き出ているというのは、理屈は分かっても不思議に思えるものだ。湖を囲うように存在するシダ植物たちは、絵にはなるが絵描きをする気分にはなれない。


 こんな環境に長時間いれば、人は死んでしまう。

 冬山が死に近い場所であるように、砂漠も理由は違えど同じなのだろう。

 ただ、くるるんだけは久々に砂漠らしい場所に来て少し安堵しているようだが。


「くるる、くるる! חזר! עיר הולדתו!」

「くるるんはこんな環境のなかで生きてるんだなぁ……よく生きてられるな、本当に。人間には真似できそうにない」

「――否、人も砂漠に生きる術を持つ」


 背後からかけられた声に振り返ると、ンジャ先輩がそこに佇んでいた。


「この国にはおらずとも、大陸には幾つかの砂漠の民が存在する也。王国に生息しておらぬ獣もおる。砂漠は過酷で、人を試す。その試練を乗り越えることで、砂漠の民は強くなってきた」


 ンジャ先輩にしては理解しやすい言葉だった。


「つまり、この環境に適応する術を身に着ければいいと?」

「然り。砂漠は厳しい……しかし、それを克服した先に見える景色は、絶景かな」

「是非とも見たいもんです、その絶景とやらを」

「くるるるる! あさやけ、おすすめ!」


 俺はそれからンジャ先輩に砂漠豆知識を聞きながら騎道車に戻った。

 いい加減、整備も終わっている頃だろう。それに今日はもう一つ先のオアシスまで行く予定だ。騎士のせいでそれを遅れさせるわけにはいかない。騎道車のおかげで水や物資だけは多少余裕があるものの、俺達はまだ砂漠の試練の入り口をくぐったばかりだ。


 ところで、砂漠は一度風が吹くと熱だけでなく砂もえげつない。

 土と違って保水能力のない砂はきめも細かく、うっかり防塵ゴーグルをつけずに見張りに屋上に上がった騎士が砂にやられて「目がッ!」と叫んで床に転がり、床の熱で「背中がぁッ!!」と叫んでいた。これに学んでくれ。


 現在、これから見張りに向かうケベス、ネージュ両先輩が相変わらずの無駄話を繰り広げている。


「ほら、防塵ゴーグルちゃんとつけなさい」

「ゴーグルをかければ集中力がアップ! 今年こそ試験に合格するぜぇ!!」

「そんな装備品効果はない。あとそれもしかして浪人と防塵かけてるの?」

「はぇ、なんじゃって? 年を取ると耳が遠くてのぉ……」

「耳じゃなくて脳の問題でしょ。あとそれ老人」

「心配すんなって! この大地を緑化したらええ土を使って畑耕せるべ!」

「それはアンタの仕事じゃないでしょ。しかも農民出身でもないし」

「その時は、俺の作った野菜で毎日ご飯を作ってくれないか……ハニー」

「流砂に突き落とすわよ。いいからつけなさい!」

「やーだー! ムーレーるー!!」


 ケベス先輩のここでボケ倒す神経も凄いが、ネージュ先輩が全てのボケを理解した上で正確に突っ込むのもある意味凄い。そしてやたら長台詞が多いと思ったら単純にケベス先輩が防塵ゴーグル着けたくなかっただけらしい。シャンプー嫌がる子供かアンタ。


 が、砂漠アドバイザーと化したセネガ先輩がそこに待ったをかけた。


「ではケベスはゴーグルなしで出てください」

「えっ、マジ!? いいの!? ヒャッホウありがとうセネガちゃん!!」


 イエーイ、と陽気なノリでケベス先輩は意気揚々と屋上に向かい、ネージュ先輩も「本当にいいの?」という疑りの目を向けながらそれに続く。


「……良かったんですか?」

「ご心配なく。予想では数分と経たずに戻ってきます」


 数分後、砂まみれで瞼の腫れたケベス先輩がネージュ先輩に連れられて戻って来た。


「砂で目が痛くて前が見えねぇ……喋ってたら口の中カラカラのジャリジャリになった……し、死ぬ……」

「このように、人の忠告を聞かない者は直にその厳しさを体験させるのが一番の学習なのです」


 それから暫くケベス先輩は口から水分を逃がすまいと無駄口が極端に少なくなり、同僚から砂漠の亡霊に乗っ取られたのではないかと疑いをかけられる羽目に陥る。なお、ネージュ先輩はこの機に普段の仕返しとばかりに黙った頃合いを見計らってケベス先輩の背筋を指でなぞったり脇腹をこちょっと擽ったりな悪戯を仕掛け、暫く迷惑をかける側とかけられる側の立場が逆転するという珍事が発生した。


「どうしたのケベス? 言いたいことでも?」

「……~~~ッ!!」


 世にも珍しいケベス先輩の悔し気な顔。

 仕返ししようにも女性騎士にそれはセクハラである。

 男性騎士もセクハラで女性を訴えられる社会環境が欲しい今日この頃であった。


 また、砂漠の厳しさは武器にも表出している。


 実は出発前に王国伝統スタイルの剣鞘が砂漠の砂と相性最悪であることが判明し、道具作成班が夜なべして皮を基礎とした新しい鞘を開発しており、騎士の中には普段と重心が変わってしまって収まりが悪い人も見受けられる。

 なお、俺の剣鞘はゲノン翁の拘りで全環境対応らしく問題はない。ただ、刀身の手入れがより入念に必要になった。外に出たのが短時間であってもどこからともなく砂が入り込んでいるのだ。そうでなくとも見張り役は砂まみれだし。


「見張り終わり~……うわっ、服の隙間から砂が……」

「耳からも出るし鼻にも詰まってるぜぇ。うえ、髪からめっちゃ落ちてくる……」

「一通り落としてから来てよ~。もう騎道車中砂だらけで掃除が大変なんだからぁ~~……」


 そして初日からたっぷり砂漠の洗礼を受けた俺たちには、夜のトドメが待っていた。それは寒暖差からくる恐ろしい寒さ――だけではない。


 深刻な面持ちのライが団員達を見渡し、厳かに告げる。


「皆さん……皆さんがこれまで苦楽を共にしてきた外対騎士団騎道車は、本日を以て破棄が決定致しました。全員速やかに試作騎同車へ物資搬入と乗り換えをお願いいたします」

「「「「はぁぁぁぁぁーーーーーーーッ!!?」」」」


 余りにも唐突過ぎる、戦友との別れであった。


「あー……ライ、理由を簡潔に教えてくれんか」

「はい、ヴァルナさん」

「俺の印象では、無限軌道とやらの動きは良かったと思う。ちゃんと砂を押しのけて推進力を持っていた」

「ええ、予定通りの機能を発揮しました。でも……予定外のことも起きてまして」


 ぽりぽりと頭を掻くライが申し訳なさそうに告げる。


「車輪周りを換装した際に砂塵防止のカバーを取り付けたんですが、流砂の細かさと車体の振動の計算が甘かったのか内部に滅茶苦茶砂が入り込んじゃったんですよ。このまま走らせると砂漠のど真ん中で機能停止。この環境下では修理も無理です。ここまでは応急処置で誤魔化してきましたけど、こっから先はレスポンス的にNGです。この騎道車は第二オアシスの拠点代わりにここに置いていきます」


 騎士の世界にも別れはある。

 得てしてそれは突然訪れるものだ。

 しかし、長年付き添った戦友との別れにある者は涙し、ある者は惜しみ、そしてある者は――。


「よっしゃぁ!! これで新型騎道車に合法的に乗り換えられるぜ!!」

「このオンボロともおさらばだな! これから砂漠で拠点代わりに頑張れよな!」

「シャワー室が狭い、トイレが狭い、部屋が狭い全てが狭い。この不便さとも今日でお別れか。そう思うと寂しい気持ちが湧いて……湧い……湧かねぇな不思議と」

「皆さん割と非情ですね……」


 ちょっと涙を堪えていたライの涙が引っ込む程度に、まぁまぁの割合の騎士がリアリストだった。

 過酷な環境と慣れは人の情を擦り減らし、心をモンスターにしてしまう。この騎道車には俺の部屋がないのでさほど愛着がある訳ではないが、流石に憐れに思った俺は夜の冷えた車体を軽く撫でて除隊を許可してあげた。


(鉄の塊だったとしても、やっぱり仲間だしな)


 あと昔に御前試合の為に夜通し走ったときにオーク撥ねさせてごめんね。

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