第288話 ヘンなのです

 久々に訪れたクリフィアは、少しばかり開拓が進んでいた。


 前は申し訳程度に存在した畑と荒れ地があるだけだった町の東方面に防風林目的と思しき若々しい木々と新たな水路、そして幾つかの石造りの建物が並んでいる。元々ある町の側はそれほど変わってはいないが、心なしか少し緑と賑わいが増えたように思えた。


 浄化場の屋上からその様子を双眼鏡で覗いていると、隣にノノカさんがやってくる。


「あの建物は王立魔法研究院の新しい研究施設です。土地改良、主に荒れ地や砂漠の緑化に効果のある方法を研究するそうで、ノノカもちょこちょこ本職の合間に意見を求められたりしてます」

「そういえばノノカさん元々はそっち畑の人ですもんね」

「ぶっちゃけ緑化なんて理屈は簡単ですからねぇ。問題なのは指針と時間、お金。王国としてはやっぱりこの荒れ地を開拓できればリターンが大きいんじゃないですか?」


 ノノカさんは割とどうでもよさげに言っているが、さっきノノカさんに低姿勢でペコペコしてた立派な服の教授が研究施設に自分こそトップであるという態度で入っていくのが見えた。つまり、あの研究所のトップが頭を下げてでもノノカさんの助言を欲しがっているということだ。


「確かにここの荒れ地を農耕可能に出来れば、物流が細いこの辺の拠点には出来そうですね……それで、何かあったんですかノノカさん?」

「ん、どしてそんなこと聞くの?」

「そのテンションの低さ、機嫌が悪い時とは違いますよね。話しかけてくる態度もちょっと……」

「不愛想でぶっきらぼう?」

「ていうか、甘えかなぁ。こんな態度でも許してくれる相手向けって感じに思えました」

「……もう、そこまで察されるとノノカがお子様みたい」


 ぷう、と頬を膨らませるノノカさんもまた可愛い。

 ただ、すぐに態度を改めたノノカさんは、俺の後ろに回って背中をぽんぽんと叩く。これはおんぶして欲しいという合図で、高所の物を取るとか一刻も早く移動したいとか、そういったときによく要求される。言われるがままにしゃがむとノノカさんは俺の肩に手を回し、こちらが立ち上がることでおんぶが完成した。


 ……ノノカさんの見た目不相応に大きなヴァレーが背中で押し潰されてる件については、煩悩を断つ修行と思って凪の心で受け流している。ノノカさんはご機嫌そうに俺の耳元に口を近づけ――。


「クルーズでの犯人の血液、中間報告ですが結果出ました」

「……聞きましょう」


 久々にマジなノノカさんだ。出来る限り情報の漏洩を避けたい――つまり、尋常から外れた結果が出たと考えるべきだろう。


「これは、犯人の血液に別のものが混ざっていなければという前提の下に成り立つ話ですが……血液中に、人間では持ち得ない成分が検出されました」


 驚き、よりは、「ああ、やはり」という気分が強かった。

 カルメやサヴァーの報告――人間であれば死んでもおかしくない量の麻痺毒を盛られておいて俺から逃げおおせるという、俄かに信じがたい結果を出した。戯言だ、何かの間違いだと言って捨てるのは簡単だし、実際に聖盾でも揉めたらしい。

 しかし、それはそんな人間がいる筈がないという固定観念に縛られたもの。逆を言えば「人間でないならば容易に成立する」ことだ。


「人の動きを学習し、人語を解する……魔物……?」

「……と、決めつけるのは早計ですね。そもそも人と同じシルエットで人と同じ声帯や知能を兼ね備えた魔物は、現在のところ発見されていません。該当する存在はそれこそ――いえ、ともかくこの話は他言無用です。犯人の尻尾を掴むためにも、表向きは『何も分からなかった』で通して他の事は裏方でやります。ヴァルナくんもそのつもりでいてね?」

「危ないことに首を突っ込む前に声かけてくださいよ?」

「……そこは危ないことに首突っ込まないで、じゃないですか?」

「ノノカさんがそんなこと我慢できる訳ないでしょ」

「むぅっ! そんなこと言うヴァルナくんはこうだー!」


 ノノカさんの小さな手が俺の目を隠すが、俺は別に目を閉じていても氣で周囲の事をだいたい察せるのでその場で飛び上がって浄化場屋上の縁を綱渡りのように歩いてみる。思わぬ反撃を受けたノノカさんは「キャー! キャー! おちる~~~!!」と叫んでいるが、その声はどこか楽しそうだった。


 ところで、犯人が未知の種だった場合も魔物だった場合もノノカさんは解剖したがるのではないだろうか。急に犯人の逮捕後が心配になってきた俺であった。




 ◇ ◆




 ヴァルナとノノカさんがキャッキャウフフしていたその頃、下ではアマルとロザリンドが砂地仕様の騎道車車輪交換の様子を遠目に眺めていた。


「ヘンな形の車輪だよねー、あれ」

「そうですわね。車輪というのも厳密には違うようでした。一見するとあれで走れるのか不安を覚えてしまいます」


 二人の視線の先では、研究所裏に作られた仮設ドックの中で騎道車の車輪が取り外され、新たな部品を装着する光景が広がっている。騎道車整備を取り仕切っているライも陣頭に立って指示を飛ばしていた。


「点呼はしっかり取れ! うっかりミスで同僚轢くような間抜けが出たら俺が直々に生き埋めにしてやるッ!!」


 今までの騎道車の車輪には巨大なゴムタイヤが使用されていたが、実はこのタイヤは従来の車輪より走破性能は高いものの、悪路には苦戦することが多かった。幸いにして王国は物流を非常に重視しているために騎道車でも利用できる道は多いが、駄目な時はどうしても騎道車を離れなければいけない場面が出てくる。


 そこで開発されたのが、今まさに騎道車に取り付けられようとしているもの――無限軌道である。


「なんでも帝国にはレールなるものがあるそうで、その上を移動すると車はハンドルを動かす必要がないのでとてもスムーズに移動が出来るそうです。その安定性をレールなしに無限に得られるから無限軌道と言うのだとか」

「さっぱりわかんないよぉ……」

「わたくしもレールは余りよく知りません。帝国の専売特許状態らしいので、王国にレールが敷かれるのはいつになることやら……」


 恐らく多くの王国民にとって、この無限軌道は奇妙なものに映るだろう。

 鉄琴の板のような細いパーツを大量に連ねて組み合わせることで出来た帯状のものを、車輪の部分に組み込んだ歯車のようなパーツと噛み合わせている。ロザリンドも道具作成班の人を捕まえて理屈くらいは聞いたものの、少なくとも二人からしたらまったく未知のパーツの組み合わせであり、どう動いて進むのか想像がつかなかった。


「……あ、コーニアもなんか手伝ってる。おーい、コーニア~~~!!」


 アマルが無邪気に同級生のコーニアに手を振ると、彼はちらっと彼女を見たものの、照れ隠しのようにぷいっと顔を逸らしてしまった。このままだとアマルが無限に大声を出して呼びまくりそうなので、「集中してるから邪魔しないであげなさい」と先手を打って諫めておく。

 彼もアマルの事を意識し過ぎてつまらないミスはしたくないだろう。


 ……いや、呼ばれなくなってからもチラチラこちらを見ているのでミスするのも時間の問題かもしれない。どことなく作業してる感を醸し出してささやかな存在感アピールをしているが、その頃にはアマルは雲一つない空を眺めてため息をついていた。憐れコーニア、眼中になし。


「つまんない。飽きてきた。いつまで待つの~?」

「確かに、見ているだけというのも少々退屈ですわ。男性騎士たちはよくも飽きずに見ていられるものです」


 メカメカしいものに餓えて機械弄りも出来ないのに見学する騎士たちの気持ちは、アマルにもロザリンドにも理解出来なかった。


 今回の試験運用とデータ回収の目的は、奥に設置された新型試作騎道車の運用と、従来の騎道車用に開発された換装パーツの実用データを収集することだそうだ。わざわざ荒れ地で整備しているのも、過酷な場所での整備でどのような不具合が発生するかを調べるという目的があるらしい。


 なので、整備が終わるまではヒマ。

 ひたすらにヒマだ。

 町の方に行こうにも……失礼ながら、都会暮らしに慣れた二人にとってクリフィアは見るからに田舎で見回る気に余りならない。ヴィーラ見学だけは興味があったが、情報漏洩を防ぐために連れて行ってもらえなかった。口の軽いアマルのせいな気がしないでもない。


 と、騎道車の近くの岩に二人の子供がいることに二人は気付く。

 一人は道具作成班にして外対騎士団労働者で最年少のブッセ少年。もう一人は――確か、町の酒場の看板娘だという八の字眉なバウムという少女だった筈だ。気になって近づいてみると、二人はこちらに気付いたのか無邪気に手を振る。


「お二人とも何をしていらっしゃるのですか?」

「見てください、これ!!」


 ブッセは興奮した様子で近くに転がっていた岩を指差す。

 そこには、夥しい亀裂が入りながらも奇跡的に形状を保っている岩があった。一体これはどういった原因で起こることなのか見当もつかないほどすさまじい割れ方だ。アマルも同じ反応をするが、バウムはその様子をくすくす笑いながら岩の罅に指を当てる。


 すると、指は岩を完全に無視するようにつるり、と表面を滑った。


「これ、罅じゃなくて絵なの」

「絵ッ!?」


 信じられずに近づいて触ってみるも、確かにそこには亀裂も罅もない。まるでそのように見える絵が描かれているだけの、比較的滑らかな普通の岩だ。アマルが後ろからいろんな角度で眺めて不思議そうにしている。


「最初見たときはパーペキ割れてると思ったけど、角度つけてみると変な色がついた岩だ……ふっしぎぃ~!」

「そうなんです! 一定の方向から見たら陰影とかが物凄くリアルに見えて、全然本物と見分けがつかないんですよ!! 僕こんな凄い絵があるだなんて知らなくて……! とにかくすごいんです! 描いたバウムちゃんも本当にすごいよっ!!」

「えへへ、それほどでも……あるよ? お絵かき上手なの。騎士ヴァルナにも本物にしか見えない青痣の絵を描いて褒められたのよ?」

(それは一体どんな用途の絵なのですか先輩!?)


 バウムが得意気にえっへんと胸を張るが、これは本当に凄い才能なのではないだろうか。ロザリンドは芸術にもそれなりの知識があるが、これは騙し絵トロンプイユという非常に高度な技法である。しかも額縁や建物などに描かれているのは見たことがあるが、その辺の岩に描いて見る者の目を騙すなど、これほど巧妙に騙しにくる絵は見たことがない。


 ロザリンドたちは知らないことだが、嘗てヴァルナはクリフィアでナギとガーモンのすれ違いコント兄弟のすれ違いを修正するために一芝居打ったことがある。その際に痣っぽい絵を頼まれたバウムは見事な痣の痕を描き、見事にガーモンを騙しおおせたという経験があった。


 以来、彼女は人を騙す絵を描くのが以前にも増して楽しく感じ、町のあちこちに騙し絵を描いては大人を驚かせているのだという。


「お姉さんたちもブッセくんも、いい驚きっぷりだった。町のあちこちにもっと描いてるから、もっと見ない? みんなの驚いた顔、見たいなっ」


 悪戯っぽく微笑む彼女に導かれ、その日ロザリンドたちは二次元と三次元の狭間を弄ぶバウムの絵の世界にのめり込んでいくのであった。


 苔むしたように見えるが苔などひとつもないブロック。

 まるでその先にもう一つ町があるような絵の描かれた唯の壁。

 果ては道端に突如現れた馬車に見える、地面に描かれた絵。


 一通り紹介して満足したバウムを家まで送った後も、ロザリンドたちは先ほどまで体験してきた不思議な世界のことが忘れられなかった。 


「もうこの町はバウムちゃんの騙し絵で観光エリア作るべきじゃない?」

「同感ですわ。彼女にその気があるならネイチャーデイに紹介状を送りたい気分です」


 彼女は世界に羽ばたくべき人材であると確信する二人だが、それとは別にもう一つ気になることもある。それが、友達の証だとバウムに綺麗な騙し絵が描かれた平べったい石を眺めるブッセだ。

 頬はほのかに赤らみ、食い入るように石を見つめるブッセは、先ほどまでの時間を噛み締めるように呟く。


「僕、村を出て初めての友達だ……プレゼント貰ったのも初めて。なんだろう、胸がどきどきして止まらないよ……」


 年頃の少年の心に近づく春の気配に、二人は余計なお世話と理解しつつもなんとかこの二人の縁を繋げられないか真剣に考えるのであった。


 なお、実はブッセを心配して監視していたアキナも気付かれないようこっそり騙し絵の世界に参加していたりする。同年代女子友達が出来て嬉しそうなブッセに「お前も年頃だもんな……」と嬉しいような寂しいような表情を浮かべたアキナは、同じ顔でバウムを見ていた彼女の父と意気投合して彼の経営する酒場に行ったことは誰も知らない。


 保護者(仮)にして金の亡者アキナ、珍しく儲け話の気配に反応せず。


 なお、財布を持っていなかったために酒場では自警団に「アームレスリングで俺が勝ったら一杯奢れ!」と勝負を挑んでは全員をなぎ倒して『暴れ鬼アキナ』と彼らに恐れ敬われ、アキナを心配して探しにきたブッセを酔っぱらって抱きしめたまま翌日まで爆睡。朝になってから自分の胸の中で眠るブッセを発見して羞恥に悶える羽目に陥る。


「寂しかった訳じゃねえぞ! ちょうどいい暖房だっただけだかんな!!」

「お酒臭かったですけど、でも……アキナさんの手、優しくて暖かかったです」

「ヤメロォ!! そういうの俺に報告しなくていいからぁ!! わざとか、わざと言ってるのか!?」

「??? よ、よく分かりませんけど……僕、ちょっと恥ずかしいけど嫌じゃなかったです。だってアキナさん、息苦しくないように優しく抱いてくれてました!」

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~~~~~~~~ッ!!!」


 ――さらにもう一つ付け加えると、彼女の不幸はもう一つあった。


 ブッセに頬を寄せて眠る醜態をバウムにばっちり絵に描かれ、「お姉さんと子供」というタイトルの絵画として翌日から酒場に飾られてしまったのだ。後にトリックアートの町として名の知れるクリフィアの酒場に飾られたこの絵が「年上のお姉さんと子供の恋愛」というマニアックな創作ジャンルの火付け役となる事を、彼女はまだ知らない。

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