第282話 それは力になれません

 大会結果発表が終わり、一度控室に戻る。


 表彰が終わった後は大会を締めくくるに相応しい余興を行ってド派手に締めくくるため、それを選手も楽しめるよう少しばかり時間を空けてくれている。たどり着くまでに多くの選手に褒められ、握手を求められ、控室で安堵のため息を吐く程度には疲労していた。


 原因は気疲れだろう。

 なにせ、世界一の栄誉と五億ステーラを一気に手に入れたのだから。

 今もまだ、実は夢を見ているのではないかと少しだけ思っている。


「この控室とも今日までの付き合いか……」


 トロフィーは騎士団本部への郵送を頼んだが、メダルはまだ手にある。改めて見ると恐ろしく高価そうなメダルだが、流石に売ったら怒られるだろう。とにかく実家には絶対に置かないでおこう。ただ意味もなく母のうっかりで破壊されるのが目に見えている。


 五億ステーラ以外にもちまちまと賞金やらを頂いているので、人生で初めて金持ちになった気分だ。騎士団の負債は勿論、ピオニーの借金も全部チャラ。それでも余裕で四億以上は余る。暫く団員たちにたかられるだろうな、と予想していると、部屋のドアがノックもなしに開いてシアリーズが入ってきた。


「ハァイ。用事を済ませたいから早速会いに来たわ」

「早すぎるだろ。何だ、二人きりでしたい話でもあるのか?」

「別に二人きりじゃなくてもいいんだけど、ヴァルナに気を遣って二人きりの場所にしただけ」


 にへ、とゆるい笑顔で笑うシアリーズ。

 別に戦いの前と違いはないようにも見えるのだが、どこか雰囲気が変わった気がする。今まではどこか浮世離れした雰囲気を纏っていたが、今の気配はなんというか、女の子らしい柔らかさが表に出ている気がした。


「それで、用事って? 何か面倒事か?」

「うん、実はそうなの。ちょっと言いにくくて……」


 顔は俯き気味で、声は小さくなっていき、少しもじもじしている。

 何やら恥ずかしい内容なのだろうか、と思いつつ、心のどこかで彼女らしくないなと少し違和感を覚える。しかし、そんな態度を取ってしまうほど言い辛いのかもしれないため、彼女に近づいていく。

 彼女は余程言い辛いのか、頬を紅潮させながらもっと近づいて欲しいと手招きし、その通りに近づく。


「あのね……」

「おう」

「ヴァルナの事、好きになっちゃった」


 一瞬の出来事だった。

 シアリーズはそのまま俺の両頬を手で包んで、その桜色の瑞々しい唇を俺の唇と綺麗に重ね合わせ、抵抗しようとする思考が飛ぶ程に深くキスをした。

 時間の感覚が曖昧になるほどの未知の刺激が全身に迸り、俺の理性は停止した。


 数秒、或いは数十秒か。

 やっと真っ白になった頭が現状を把握した頃には、シアリーズは俺の唇を解放して蠱惑的な笑みと共に自らの唇を指でなぞる。


「好きよヴァルナ、我慢できないくらいに。アタシの最後の奥の手も相殺されちゃったし……恋愛って先に惚れた方が負けなんでしょ? だからさっき言った通り、あたしの完敗。約束通り『誰もが羨むプレゼント』……アタシの愛をあげるね」

「お、お、お、お前……っ!! そういうの普通同意を得てから……ていうか、もう突然過ぎて何が何やら!!」


 シアリーズは予想通りとばかりに悪戯っぽく舌をぺろっと出した。


「試合開始前に愛が欲しいって言ってたじゃん」

「言ったけど!!」

「前の想い人を忘れるような戦いにしようって言ったじゃん」

「それも確かに言ってたけども!!」

「恋人認定最終試験、合格したでしょ?」

「主語がッ!! 一番大事な主語が抜けてたぞッ!!」


 言われてみれば伏線しかねぇ。気付けよ間抜けな過去の俺。

 しかし待ってほしい。本当に待ってほしい。こんな不意打ちは幾らなんでも卑怯すぎるのではないだろうか。こんな不意打ちでファーストキスを持っていかれるなんてかなり不平等である。

 いや、正直唇を重ねるキスがあんなにも鮮烈に脳裏を突き抜ける刺激だとは知らなかったし、面と向かってシアリーズに告白されてかなり心が揺れている自分がいるのは確かだ。ちょっと彼女を直視するのが恥ずかしく思える程かにはそうだ。


 しかし、それでも、少しは俺の事情を汲んでくれても良かったのではないか。

 待ってくれとか今は答えられないとか、そういう選択肢をくれても良かったのではないか。

 俺の考えを見透かしたようにシアリーズはむくれる。


「駄目よ。待ってる間に他の女に取られたら後悔するじゃない。好きと決めたら絶対にあたしが一番に口をつける。そう決めてたの。でも大丈夫よヴァルナ? あたし、別に二番目の女でもいいから。じゃーねー♪」

「はぁ? ――はぁッ!?」


 やりたい放題やって、言いたい放題言って、シアリーズは満足したとばかりに颯爽と去っていった。残された俺が抱いたのは、どう情報を咀嚼すればいいかわからず途方に暮れる心と、唇に残る柔らかい感触だけだった。


 ――その後の事は、だいぶ記憶が朧気だ。


 心ここにあらずといった顔で騎士団メンバーや他の面々と合流したはいいが、閉会式を派手に彩るアミューズメントを暫くはただぼうっと見ていた。周囲からは燃え尽き症候群じゃないかと心配されたらしいが、突如として耳を奪われる歌声にやっと目が覚めた時には大会のテーマソングを歌う数名の女性グループが壇上で踊っていた。


 というか、あれ。グループのメンバーの何人かに見覚え有るぞ。


「……後ろでドラム叩きまわしてるの、イクシオン殿下御付きのキレーネさんでは? というかギター弾いてるのメラリンさんじゃんッ!?」

「何言ってるんだヴァルナ、さっき説明したろ?」


 呆れ顔のアストラエが仕方ない、とばかりに首を振る。


「ぼうっとして本当に聞いてないとは珍しい。もう一度説明するが、あれは兄さんがプロデュースしている王国初のアイドルバンドグループ『ミルキー☆ウェイ』だよ。メラリンというあの女性が君の知り合いだってのは初耳だが、そういうことだ」

「メラリンさん……流浪のミュージシャン自称してたのにトンでもないスポンサー得ちまったな……」


 確かに言われてみれば曲調に少しメラリンさんっぽさがあるし、歌もメラリンさんの勢いが他のアイドルを引き連れている感じで程よくカッコよさがある。しかし可愛さも邪魔しない程度に残されており、言うならカッコカワイイという感じに纏まっている。


 そういえばあの人前に「レッスンがあるから」とか言っていたが、これのことだったのか。彼女はどうやら親のすねではなく仕事でちゃんと来ているようだ。彼女の音楽性とイクシオン王子の目指す先が一致しているのかどうか少々気がかりだが、少なくとも彼女の魅力を引き出した歌ではあるようだ。


 アップテンポに畳みかける歌詞とミュージックは派手好きなクルーズ客とも相性が良かったのか、曲が終わった頃にはスタンディングオベーションだった。セドナなんか気に入り過ぎて最前席で身を乗り出して声援を送っている。

 彼女が落ちないか心配して周囲の人間も前に行き、偶然にも今、俺の話を聞いているのはアストラエだけだ。


「で、何ぼーっとしてたんだいヴァルナ? 相談してくれてもいいぞ」

「シアリーズにファーストキス奪われた……」

「すまないヴァルナ、僕が力になれる話じゃない」

「見捨てるの早くねぇか!?」


 色恋沙汰と見るや否か、いっそ潔いほどの引き際でアストラエは手を引いた。というか、本当に力になれないと思ったのだろう。俺だって他人から恋の相談振られても同じ反応をするかもしれないし。

 結局、もっと相応しい相談相手を見つけるまでその問題は持ち越すことにした。


 あと――この事実がセドナとネメシアに伝わるのが物凄く怖い。

 世界最強の座に座った俺を待っていたのは、まさかの恐怖であった。

 どれだけ高みに上り詰めても、この恐怖を解消できる気がしない。

 怒られるならまだしも泣かれるのが一番困る。


 結局ネメシアは護衛の任を解かれて本来の仕事に専念していたために顔を合わせる機会はなかったのだが、祝辞はきっちり届いている辺りはネメシアらしい。それだけに、次に顔を合わせるときにどういう表情を浮かべればいいか困る。セドナはセドナで犯人逮捕に燃えていたため、俺の変化には気付きつつも触れなかったようだった。


 こうして、俺たちはオーク討伐継続中の騎士団と合流する帰路へ就いた。

 騎道車に賞金と魔物の死体サンプル、それに少々の客人と二通の手紙を乗せて。


 手紙を渡してきたのはバジョウ・イッテキだった。


 一通は俺宛てで、サヴァーの目撃情報についてを纏めた内容と、もう一通をとある人物に渡すよう書いてあった。そのもう一通の内容は確かめていない。ただ、『この手紙が今回逃げられた襲撃犯の秘密を暴くことに繋がらんことを切に願う』という一文が、達筆な文字でしたためられていた。


(セドナたちが繋げた手がかり、糸はまだ切れてない……)


 それでも、まずは仕事をきっちりこなすことからだ。後処理の書類を片付ける俺の傍らには、次のオーク討伐の仕事場所の情報を纏めた資料が設置されていた。




 ◆ ◇




「随分、派手にやったね」


「……」


「全く、出来る限りはフォローしたが、それにだって限界がある。確かにアレを使わざるを得なくなった事情は理解するが、それも君が調子に乗って本大会参加者に手を出すからだぞ?」


「……データ上は、適当な相手」


「だとしてもだね――!」


「しかし」


「……?」


「データを判断するための材料の不足を確認」


「――! そう、そういうことだ。また一つ賢くなったな、君も。手痛い失敗ではあったが、それを君が認識してくれたのならば苦労した甲斐もある。だが、これからは今まで以上に慎重に事を運ばなければならない。こちらに黙って行動するのは絶対にやめてくれよ?」


「……諒解」


 『それ』は頷き、そして顔をぺたぺたと触ったのち、そこに張り付いた薄い肌色の樹皮を強引に引き剥がした。その様子に、会話していた相手はため息をつく。


「その皮膚色偽装マスク、結構高いんだけどね……」


「圧迫感と皮膚への不快感あり。好ましくない」


 心なしか不機嫌そうに告げた『それ』は、考える。

 今日、勝利することが出来ずに逃げるしかなかった相手を打倒するには何をすればよいのかを。それを考え、先へ先へと進むことが自らの存在理由なのだから。


 『それ』は、いずれ王国最強の騎士と自分が再度衝突する日が来ることを、根拠もなしに確信していた。



 二人の戦士は、果てない空によって繋がる世界の中、別々の場所で同様に思う。


 次は倒す――と。

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