第278話 SS:迂闊でした

 セドナは今回の事件で犯人を追い詰める策を立てる際、最悪の事態から手を打った。

 それは実現可能性が低いものだった為に人員を殆ど割けなかったし、そもそもこれは包囲網を突破されたことを前提としている。犯人の実力は知らなかったが、動員された人員を鑑みれば初手で逃げ場を失い捕縛できる公算が高い、というのが包囲網を敷いたトップたちの見解だった。


 故に、セドナはそちらに注力しつつも、伝手を頼った。


 流石のセドナも犯人が実際にそこに到達する可能性は低いと思っていたために協力者は一人しか用意できなかったが、それでも実力ある一人だ。もし犯人が『そこ』に辿り着いたとして、包囲網を強引に突破して来る以上は体力も消耗していると踏んだ。


 セドナの想定する最悪。

 それは、コロセウム・クルーズに犯人が侵入すること。

 更に言えば、その目的が重要になる。


 まず、船の乗っ取りは不可能だ。

 これだけ大きな船を動かすには協力者が最低でも数十名必要になる。しかもそれを可能にするには祭国や内部で警備する騎士団の中に内通者として用意しなければならない。かなり非現実的な条件だ。


 次に、無差別殺傷。

 船の沈没というのも考えたが、これだけ巨大で高性能な船舶を沈没させるのはやはり個人では行えないので実現可能性が薄い。大会真っただ中のアルテリズム・コロセウムに突入して手当たり次第に人を襲う可能性もゼロではないが、騎士と警備員が時間を稼いでいる間に大会参加者が騒ぎを聞きつけて返り討ちにするだろう。そうでなくとも観客たちは興奮している為、下手をすると犯人が袋叩きに合う。


 そもそも、これまでの行動からして犯人の目的はテロや殺人ではない。

 であるならば、脱出の為の手段としてクルーズに目を付けている筈。


 一つ思いつくのは、クルーズ内に放火等の騒ぎを起こし、パニックになった観客に紛れて脱出。これはかなり有効な手段だ。

 他としてはクルーズの緊急脱出船を奪うことだが、水路は聖艇騎士団が封鎖している。人質も考えたが、態々危険を冒してまでコロセウム・クルーズに辿り着いてそんな不確かな手段を取るとは思えない。人質として有用な人物は例外なく警備も厳重だ。


 というわけでパニックを起こす手段を考えたとき、その多くは結局クルーズの防衛機能と警備する人間に任せるしかないことが多くなるため、セドナの出番はない。言ってしまえば、『どの方法を取るとしても同程度の成功確率になる』。


 では、その確率の中で最悪のものは何かを考えたとき、セドナには想像しうるものが一つだけあった。


 それこそが、クルーズ内部で数名の警備人員を蹴散らした犯人が辿り着いた場所。犯人はそこに至る為に突破しなければならない幾重もの障害を強引に突破し、その途中にあったものを幾つかくすね、そしてとうとう最後の門の前に辿り着いた。


「――あの可愛らしいお嬢さんの慧眼には恐れ入る。本当にここに辿り着いたとはな」


 その声に犯人は身構え、声のした方角をゆっくりと振り返る。

 刹那、犯人の顔と体に向かって二本の投げナイフが飛来した。

 犯人は慌てず顔に向かうものを避け、体に向かうものは弾く。

 その瞬間、鎖に繋がれた分銅が犯人の膝を目掛けて飛来。犯人はそれも避けるが、避けた分銅の軌道が突然変わって犯人の足を縛る。


 犯人の足を縛った男が、影になって見えづらいかった部屋の隅からゆっくりと歩み出てきた。掘りの深い顔、褐色の肌、そして鋭い眼光。


「リベンジマッチと行こうか。但し、ここには武器制限も反則もない」


 そこにいたのは、ヴァルナと戦い一度敗北を喫した戦士。

 犯人に試合開始前に襲撃を受けて無念のリタイアを余儀なくされた男は、待ちに待った再戦の機会をその手に掴んだ。


「ディジャーヤと戦う事の本当の恐ろしさをその心身に刻み込んでくれようッ!!」


 『刀剣殺しソードブレイカー』、サヴァー。


 サヴァーの研ぎ澄まされた殺意は試合時の荒々しいそれではなく、砂漠の傭兵として死地を駆け抜けた時代のもの。喉元に突きつける冷たい刃のような非情さを以て、サヴァーは犯人に襲い掛かった。


 冒険者の格付けで言えば四星と言われるサヴァーだが、それは彼の技法が対人や同程度の体格の相手を想定したものだからだ。冒険者の界隈では対魔物ではイマイチなのに警備などの対人では卓抜した働きを見せる戦士も存在する。サヴァーはそちら側の存在だ。


「ぬんッ!!」


 足に絡みついたそれ――サヴァーお得意のボーラをが引っ張られ、犯人の膝ががくんと動く。しかし犯人は逆にそれを掴み取って引き寄せようとし――気付く。


 このボーラはサヴァーから直接伸びず、船の柱に引っかけて経由していることに。サヴァーはそのままボーラを柱に投げつけ、分銅と鎖が巻き付いて犯人を拘束するリードとする。

 そして自身は懐から新たなボーラを取り出し、犯人に向けて放つ。


「ボーラは剣に比べて安価な武器だ。予備を持っていても不思議ではあるまい」

「……情報の修正、必要」


 犯人は無機質な声でそう呟き、まず自分の足に絡みついたボーラの鎖を切る為に剣を足元に叩きつける。鎖は繊維も絡めてさらに強度を増していたが、犯人の剛腕から繰り出される一撃には耐えきれずに千切れる。

 だが、当然鎖に意識を向ければサヴァーの側は疎かになる。

 蛇のようにしなやかに宙を飛ぶ分銅が犯人に飛来した。


「……ッ!!」


 犯人はその一つを拳で弾くが、弾いた瞬間に別の分銅が腕を絡め捕り、サヴァーはまたボーラを別の柱に投擲して拘束。更に、大会では見せなかった短剣を両手に構えて犯人に瞬時に近寄ると、すれ違いざまに斬撃を放つ。身を逸らされて傷は浅かったが、また犯人の身体に負傷が増える。


「まだだッ!!」


 走り抜けて背後に回ったサヴァーは、足場を蹴って宙返りしながら更に予備のボーラを取り出して恐るべき正確性で犯人に放つ。腕を縛られた状態では犯人も反応が間に合わず、頭部、肩部、腰に分銅が直撃した。

 それでも犯人は全身に力を漲らせ、強引に鎖を引き千切りながらサヴァーの方に剣を投擲する。自分の剣ではなく、ここに来るまでに奪ってきた剣だった。


 しかし、サヴァーの身体が空中で突如として横に逸れ、攻撃は空振る。

 サヴァーはボーラを使って柱に分銅を軽く巻きつけ、それを引くことで通常は不可能な空中回避を擬似的に成功させたのだ。犯人はここで初めて、困惑のような感情を露にした。


「前回の取得情報にない……」


 柱に足をかけて上から犯人を見下ろすサヴァーが、冷酷に告げる。


「前回は貴様の都合がよい場所で戦ったから貴様が勝った。だが今回は俺が貴様を招き入れた。狩られる気分はどうだ、人ならざる者よ」


 犯人が息を呑む。

 サヴァーの鋭い眼光は、既に確信した人間のそれだ。


「貴様を斬った短剣には、騎士団の使うものとは違うディジャーヤ伝統の麻痺毒を使った。常人ならもう舌も回らなくなる。しかも貴様の傷跡、毒矢を既に受けたのだろう。にも拘わらず貴様の動きに淀みはない……そもそも矢の傷も応急処置すらしていないのに出血が既に停止している。異常な再生力、異常な耐性……『人間であれば』、異常な……」


 ――今回使用している毒は、全て犯人を生け捕りにすることを前提としてある。原液であれば心臓ごと麻痺してそのまま死に至らしめる程の劇薬だからだ。故にサヴァーのそれも殺生を目的とした毒の濃度ではない。


 だが、人ならざる存在――大型動物や魔物を相手にこの毒を受けさせても効果は薄い。魔物には人間を遥かに超える毒の耐性があるからだ。仮に猛毒を注入出来たとしても、魔物はその毒が回るまで死に物狂いで暴れ回るため、普通に倒すよりリスクが高い。


 なのでサヴァーは、魔物相手にそれと気付かせず静かに殺せる毒餌や完全に無力化する薬を調合するというノノカなる天才学士の話をヴァルナから聞かされて度肝を抜かれたのだが――逆を言えば、それほど高度な知識を持っていなければ魔物を麻痺させることは出来ないのだ。


「貴様の耳は尖っているな。尖った耳はフィサリ族の特徴だが、それにしては形状が少し違う。俺は別種族とのハーフやクォーターも見たことがあるが、それとも一致せん。貴様は……人間ではないなッ!?」

「……!!」


 犯人はその言葉をかけられるや否や、閉じられた巨大な扉に向けて疾走する。


「させると思うかッ!!」


 当然、その可能性を読んでいたサヴァーはボーラを用いて犯人を絡め捕ろうとするが――突然、ダンッ!! と音を立てて予測を遥かに上回る速度で犯人が加速した。それは宗国武術の『縮地』、ないしヴァルナが時折使っていた急加速の歩法と同じものに見えた。


「――ァァァァアアアアアッ!!」


 犯人は声にならない雄叫びを上げて剣を扉に振り翳す。

 その全身に、氣のような内から湧き出る力を漲らせて。

 破壊力とは腕力や握力、脚力のほかに速度も加算される。壁に激突する程の速度と、ボーラの鎖を容易に引き千切る腕力に加え、これまで一切使うそぶりを見せなかった氣による身体強化。

 サヴァーは次の瞬間に目の前に起こるであろう光景を予測し、歯噛みした。


「……迂闊ッ」


 直後、ゴギャアアアアアアアアアアッ!! と、鋼鉄の扉が巨大竜の雄叫び染みた悲鳴を放ち、中央から弾けるように無残にひしゃげた。


 セドナの最悪の想像、最も到達して欲しくない場所。


 それは、その場所からコロセウム内部まで直通の通路で塞がっており、なおかつ解き放てば危険な魔物たちの管理場所となっている、ある種コロセウムの最重要施設の一つ。


 そこは、魔物飼育場であった。


 オーク、ヘルハウンド、ミノタウロス……魔物勝ち抜き戦で殺される運命にある見世物の為の奴隷たち。本大会に突入してからは出番が減ったが、それまでの小大会で相応の魔物を出し切ったことで頭数そのものは少ないが、それでも合計すれば五十体近くの魔物たちが、突然の轟音に何事かと騒ぎ立てる。


 これまで冷静過ぎる程に冷静に見えた犯人はあわや足を縺れさせかねない動きで飼育場の中央へと向かう。音と侵入者に興奮した魔物達が檻に向かって爪や牙を立て、或いは出入口から離れて身を隠す喧噪の中で、犯人は剣の鍔を捩じる。


 ――その先の光景を目にしたのは、血相を変えて武器片手に犯人に向かった魔物飼育員たちと、空けられた風穴を潜ったサヴァーのみ。


 すらり、と音を立てて刃の潰れた刀身の内側に彼らが見たもの。

 それは、どす黒い闇と血が入り交じってこの世に産み落とされたような禍々しい色彩の模様が浮かぶ、大理石のような光沢の刃。視界に入れた瞬間に全身が総毛立ち、悪寒が全身を突き抜けるそれが抜かれた瞬間、周囲の魔物たちが一斉に鎮まり返った。


 飼育員の一人が困惑したように魔物たちを見渡す。


「な、なんだ……急に大人しく?」

「いや、違う。様子がおかしい……嫌な予感がするッ!!」


 魔物たちの目が突如として血走り、筋肉や血管が急激に膨張する。口から滴る涎が地を這い、魔物たちの全てにその異変が行き渡った頃――パキィン、と、甲高い音が鳴った。


 飼育員たちが見たもの。

 それは、ミノタウロス数十頭が暴れても決して開かないように設計した筈の檻を腕の力のみで押し破り、のそりと外に這い出てくる――到底先ほどまでミノタウロスだったとは思えない怪物。筋肉だけでなく角までもが肥大化し、尾は荒縄より力強く地面を叩き、口からもうもうと湯気を吐くその様は、まるで悪魔の遣いであった。


 同時に、魔物飼育場の四方八方から檻がねじ切られる音、破壊される音、折り曲げられる音の大合唱が始まった。飼育員とサヴァーの判断は、奇跡的にも最速で一致する。


「この数は手に負えん……逃げるぞッ!!」

「「は、はいッ!!」」

「ヴモォォォォォォアアアアアアアアアアッッ!!」

「ブギャアアアアアアアァァァァッ!!」

「グルルルルル……ギャオオオオオオオオオオッッ!!」


 荒れ狂う魔獣の群れは檻を破壊し、コロセウムに続くゲートに殺到する。邁進する魔物たちの中でも一際大きな体躯のオークの背に飛び乗った犯人に、オークはまるでそれが当然の事であるかのように受け入れ、手を差し伸べた。


 こうして犯人は、世界一の戦士を決定する神聖な戦いに、汚泥をぶちまけたのであった。

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