第276話 最悪の中の最悪です

 これまで、俺が実力で勝てなかった相手は少ない。


 子供故に適わなかった犬師匠。

 子供大人関係なく全く勝てる気がしない美人ブラコン師匠。

 他を思い返すと、成長して勝てるようになった相手だったり戦いの条件が素手だったりと、純粋に実力で勝てない相手がぱっと思いつかない。唯一アストラエは例外に当たるが、あれは別にこちらの実力が劣っているから負けている訳ではない。


 では、目の前の相手は?

 シアリーズは、どうだ?


「どんどん畳みかけるッ!! 早く逃げないとブッ潰れちゃうよぉッ!?」

「ぁあああああああッ!!」


 死に物狂いで連撃を打ち払うが、払った傍からまた飛来する斬撃に血反吐を吐きそうになりながら抵抗する。手数は辛うじて拮抗しているが、一撃一撃の威力で完全に圧されている。おまけにリーチを無視した斬撃が虚空を切り裂いて間合いを無視した距離から飛来し、必死に転がりまわらなければ全身を切り裂かれそうだ。


 まるでガドヴェルトとの殴り合いのような衝撃に、全身の筋肉、関節、神経が悲鳴を上げる。まるでマルトスクのような斬撃の鋭さに、反射神経と動体視力、集中力が削り取られるようだ。余りにも攻撃が激しすぎて、足の裂傷などとうに感覚から抜け落ちていた。


 また、防げない一撃が来ることを直感した。

 迷いなく『八咫烏』を放つと、シアリーズのオーラを纏った神速の刺突と俺の剣が交差した。意識が戻る前に体を反射で強引に動かして更なる追撃を放つシアリーズの剣に蹴りを叩き込んで動きを封じる。靴に仕込んだ鉄板と彼女の剣が接触し、ガキンッ!! と甲高い金属音が響いた。


 身体が熱く、節々が軋みを上げる。

 使い過ぎて過熱状態オーバーヒートに陥った魔導機関にでもなった気分だ。

 弱音の一つや二つを考える暇さえない。


 全身に氣を漲らせてはいるし、ガドヴェルト戦で纏った『剛氣』も完全ではないが応用しているし、出し惜しみなく究極奥義も放っている。それでも彼女を突き放すどころか場を持たせるので精一杯という現状に、平時ならば眩暈を覚えている所だろう。


 だが、そんな無駄に思考を割いている場合じゃない。

 このままでは本当に、実力差で負ける。

 ならばどうすれば勝てる?

 八咫烏を放ってもなお状況を拮抗させるのがやっとだという事は、八咫烏で引きずり出せる最大の結果を以てしても今のシアリーズの爆発的なエネルギーを防げないということだ。実力の高い相手に勝てないのは自らの実力不足でしかないのだから、勝利する方法などないのではないだろうか。


 ここで物語の主人公ならばとっておきの秘策や敵の癖を突く戦法を取れるところだろうが、彼女の癖は知らないし都合のいい切り札があればとうに使用している。答えはシンプル。彼女は強すぎて、それを上回る強さでしか打倒できない。


 ――いや、待て。


(外対騎士団の基本を思い出せ……! オークの覆しようがない生物としての精強さに対抗するために、俺達騎士団は戦ってきた!! その基本は何か!! ――分析だ!!)


 優美な衣のようにシアリーズの周囲をたなびくあのオーラは、つまり氣。氣は使い過ぎれば当然疲労する。こちらも氣を使ってはいるが、あれだけの放出量を長期間使い続けるのは『無理して使っている』のか――否。ガドヴェルトは関係なしに氣を最後まで放出し続けていた。シアリーズが息切れするタイミングがそれより早い保障はない。


 シアリーズの行動の特性や付け入る隙――ない。

 濃密な実戦経験の山と天賦の才覚が組み合わさった彼女の戦闘は、攻め一辺倒という一点を除いて全く隙らしい隙がない。その攻め一辺倒も、敵に選択肢を与えさせないことでデメリットを潰している。完成された戦法故、突き崩すには正攻法しかない。


(なら、武装は……)


 武装の材質はシアリーズが上。

 だが、こちらの剣とて王国一の刀工が鍛えた超一流の品質。

 俺はタタラくんの言葉を思い出し、敢えて武器の性能の差を度外視した。


(武装……戦法。俺の戦法はどうだ?)


 シアリーズの剣は二刀流。対してこちらも二刀流で戦っているが、冷静になって考えれば剣は一刀流の方が一本の剣に全神経を集中できる。俺自身も普段は一刀流だ。しかも二刀流はシアリーズのパクリ。より手に馴染む戦法の方が練度が高い。


 シアリーズと辛うじて勝負を拮抗させていた為に気付き辛かったが、そもそも王国攻性抜剣術とは一刀流が前提の剣技。自分なりに応用を効かせて二刀流で対抗したが、今のこの状況で二刀流それは最適とは言えない。


「十の型、鷲爪ッ!!」

「……!?」


 即座に右手の剣を構え、シアリーズに投擲する。

 流石にこのタイミングで剣を投げつけるのは予想出来なかったか、彼女は剣を弾く。だが、これは単なる投擲ではなく歴とした奥義の一つだ。恐らく彼女の想像以上の衝撃にシアリーズは意外そうに目を見開き、剣の弾きが甘かった。それでも本来なら受けた衝撃で並の剣士なら後方に吹き飛ばされている威力だったのだが。

 しかし、それでいい。間髪入れず左手の剣を納剣した俺は、弾かれた剣を空中で掴み取りながらシアリーズを斬りつけた。


 剣と剣が交差する。

 相手は二本、こちらは一本。

 されどこちらは両手で持つ分籠める力も強くなり、シアリーズの剣一本の重みを辛うじて押し返す。


「持ち替えたのね。一刀流になったら何が変わるのかなっ!!」

「ふぅ……ぜやぁッ!!」


 シアリーズの二刀流から繰り出される連撃に対し、一度息を吐き、刮目する。幾ら彼女が二刀流の達人でも、両手で同時に剣を繰り出せば狙いは単調になるので基本は二本の剣を時間差で放ってくる。

 ならば、最初の一本を見切りながら次の剣が来るタイミングや角度を大雑把に予測し、それに対応しながら更に次のタイミングを予測する。マルトスク戦ではこちらが攻めだったが、受ける側として流れを見極める。


 受け流し、躱し、間合いを細やかに足先で調節しながら捌く。先ほどは二本同時に使う受け方しか出来なかったが、一刀流ならば辛うじて反応は間に合う。その分だけ更に体の回転率を上げなければならないが、スタミナなど今更の問題だ。


 これで問題を一つ最適化出来た。

 だが、依然として趨勢は歴然。

 時間をかければ動きを覚えられる以上、このまま停滞は許されない。


(さぁ、押し戻される前に次の課題に取り掛かれ……!!)

(動きと顔が変わったね、ヴァルナ……ふふ、背筋がゾクっとするこの感じ、いつ以来だろう……!!)


 緊急の状況でこそ基本に立ち返り、基礎を押さえて冷静かつ状況に対して適切な判断を下すべし。それがオークとの戦いに限らず実戦に於いて守るべき大原則である。




 ◆ ◇




 その頃――ルルズ、犯人包囲網の戦いはワンサイド・ゲームと化していた。


「どうりゃぁぁぁぁあッ!!」


 轟、と大気が捩じれ、ボンバルディエの鉄槌の撒き散らす突風が大地を撫ぜ、塵を余すことなく巻き上げる。その風圧に飛ばされそうになりながら犯人は刃のない剣を振り翳すが、鉄槌という武器からは想像できない軽やかな取り回しであっさり弾かれる。


「んん、足の速さはいいが素直すぎるなそいつぁ!」


 犯人は弾かれたように撤退するが、ボンバルディエは間合いから逃すまいと攻めの手を緩めない。二者の戦いは、まったく犯人の攻撃が通用せずに一方的な展開に発展。犯人は時折反撃の剣をボンバルディエに投げたり、途中橋を砕いた自分の剣を拾って反撃しようとするも、ボンバルディエの激烈な鉄槌の威力を逸らすのが精一杯と言った様子だった。


 ゴギャンッ!! と重量の乗った金属同士が衝突し、耳を覆いたくなる轟音が響き渡る。


「そこそこ気合入ってんなぁお前!! 細っこい割に筋肉あんじゃねーか!! もっと鍛えろよぉッ!!」

「……ッ!?」


 犯人も相当な怪力だが、ボンバルディエの重量と速度を両立させた戦法を前にはまともに攻撃を当てられていない。動きが激しすぎて周囲も介入できないが、代わりに趨勢は火を見るより明らか。犯人が負けるのも時間の問題だった。


 いくら強いとは言え、六星冒険者の中でも実力面で七星と遜色ないボンバルディエに勝てるほど、犯人は高みに達していなかった――それだけの事だった。


 この場合、犯人が取る行動は限られる。


 一つ、降伏。

 一つ、戦闘続行の末の敗北。

 一つ――戦闘放棄。


「むッ!! 逃げる気かッ!?」


 犯人が突如として踵を返し、ボンバルディエと反対方向に全力疾走を開始したのを遠くから観察していたカルメは、やはり、と自分の想像通りの行動にさしたる感慨も抱かなかった。

 狩りには敵を追い詰めたときに高揚感はない。狩りが成功する瞬間までは、喜びも悲しみもなく、ただ静かに狙いすますのみ。


 ボンバルディエとの戦いで考える時間はたっぷりあったのだ。

 狙撃ポイントを移す時間もあった。

 ボンバルディエとの戦いに勝てない場合、どこから逃げるのが最短のルートなのか――狩人としてのカルメの経験則は、待ち続ければ必ずその瞬間が訪れるのを悟っていた。


「――獲った」


 ボンバルディエの追撃を逃れる為に路地裏に入ろうとした犯人の左腕と左脇腹に二発ずつ、即効性麻痺毒の塗り込まれた矢が確かに命中した。犯人は構わずそのまま逃走するが、服越しとはいえ確かに二本突き刺さった以上は長くは走り続けられない。カルメは念のために追撃用のボウガンを持ち替えて屋根の上を走った。

 

 状況が動くと同時にセドナが周囲に指示を出す。


「騎士団のみんなはそのままファミリヤを二羽連れて追跡を! 祭国警備隊はボンバルディエさんと一緒にすぐにクルーズに戻って下さい!! クルーズ出入り口に連絡を!! 残った人たちは負傷者の手当てをお願い!!」

「了解っとぉ! んん……路地裏をぶち壊していいなら幾らでも追跡できるんだが、流石にそりゃあ怒られるわなぁ」


 ぼりぼりと後ろ頭を掻いたボンバルディエは、警備隊が騎道車を発進させるより早く大通りを使ってクルーズへと走った。

 万一犯人がクルーズに乱入して観客がパニックに陥れば、事態は完全にコントロール不能になってしまう。その際を想定してクルーズ内にも警備の人間を相応数用意しているが、最善は麻痺毒による戦闘不能だ。

 それさえ成れば状況は詰みで、今の命令も杞憂に終わる。


 ――その筈だった。


 追跡する騎士団員が眉を顰め、隣の団員に声をかける。


「おい」

「ああ……明らかに出血しているから毒は通っている。しかも二本」

「なのに、一切速度が落ちないですね。むしろ上がっている……!?」


 犯人の疾走が止まらない。既に時間は一分を過ぎ、まともな人間ならとっくに歩くこともままならず倒れ伏している頃だというのに、犯人の俊足はその回転率を落とす兆しが全く見えない。


 途中で追いついた狙撃部隊が幾度か矢を放ち、追跡する団員も籠手に装着したコンパクトボウで麻痺毒を発射する。数発が犯人を掠めたが、尚も犯人の逃走速度に陰りは見えず、微かに騎士団が思い描いていた「実は最初に命中した豚狩り騎士団の矢には毒が塗られていなかった」という淡い予測は否定されつつある。


「纏ってる服の質がいいのもあるが、普通傷が深くないとはいえ矢が刺さったらよろめくなりなんなりするだろうに、どうなってやがる。予め解毒薬の類でも飲んでやがったか?」

「馬鹿言え、何で犯人が俺らの使う毒をピンポイントで知ってるんだよ」

「というか、このルートに来るのを読んで豚狩り騎士団が罠を仕掛けてた筈なんだが……!!」


 この手の罠は王立外来危険種対策騎士団の十八番だ。

 遮蔽物を利用したトラップ。

 意図的に作り出された袋小路。

 壁蹴りを予測しての壁へのクリーム塗り。

 犯人を貶める為の考えうる限りで用意した低予算トラップたちを、犯人は全て寸での所で回避ないし破壊していく。時折それに引っかかりそうにもなっているのだが、警戒自体はしている。『何の罠かは知らないが危ないことは予測出来ていた』という動きだった。


「情報漏れてるんじゃねえかコレ!? ありえんだろ、あの回避!!」

「それこそ馬鹿な! 俺達追跡組が開始直前に知らされた情報だぞ! 豚狩り騎士団に裏切者がいたとしても犯人への伝達手段がない!!」

「それを論じている場合じゃありませんよ!! 犯人が路地を抜けるッ!!」


 必死の追跡と追撃を潜り抜け、犯人が大通りに出る。


「――まぁ、抜けたところで逃げ場はありませんが」


 犯人を待っていたのは、クルーズ出入り口に人払いをかけた上で防衛網を張った警備隊と、ホテルから回り込んだ面子による挟撃態勢。逃げ道のない包囲網がそこには敷かれていた。

 包囲部隊を指揮する警備隊の隊長が小さくため息をついた。


「スクーディア家の御令嬢に念のためといって配置されてたが、本当に出たか……まぁ、おかげで暇せずに済んだよ」


 包囲部隊が一斉にクロスボウ、刺股、弓を構える。

 その切っ先の全てが犯人を覆っていた。


「事ここに至って、命乞いはすまいな? 生き残れたら運がよかったと女神に感謝しろ――ぇいッ!!」


 呵責、容赦一切なし。犯人の生存を諦めた戦士たちの包囲の下、飛び道具が一斉に犯人の下に降り注ぐ。犯人は周囲が弓矢を構えているのを確認した瞬間には既に走り出していたが、逃げ場など――。


「――ァァッッ!!」

「な……ッ!?」


 次の瞬間に見た光景に、全員が目を疑った。


 犯人は雄叫びを上げて疾走しながら前宙し、着地した足を深く踏ん張り――王国攻性抜剣術裏伝八の型・踊鳳ようほうの動きを使い、猛スピードで海に飛び込んだ。ドボォォォォンッ!! と、水しぶきが高く舞い上がる。


「まさか……だが馬鹿な奴!! 近辺は聖艇騎士団を、海岸沿いは我々が包囲しているのだ!! 奴は陸に上がれない!!」

「隊長、あんまそういうこと言うとフラグになりますよ」

「そうそう。隊長がこれまでヘマしたのいつも『まさかそんなことあるまい』って言った事ピンポイントで抜かれてますからね」

「ええい、うっさい! うっさい! 今度こそ大丈夫なんだっつの!! まさか犯人がコロセウム・クルーズ側面のバルコニーまで自力で昇ってクルーズ内に侵入、などという真似をするとでも!?」


 その言葉が始まるか否かのタイミングで、クルーズの側面――陸からはゆうに100メートル以上離れている――で、ばしゃん、と音が鳴った。


 犯人が、クルーズ側面に緊急用に作られた梯子を猛スピードで昇り、バルコニーを一直線に目指していた。その様子を双眼鏡で確認した祭国部下は、がたがた震える口元を手で押さえる上司をじとっとした瞳で睥睨した。


「隊長、もはや未来予知能力者ですね。毎度手遅れになってからしか的中させてないので絶対に運命変えられないという致命的な欠点がその代償なのが残念ですけど」

「あ、あがががが……!?」


 場所が遠すぎて地上からは見ている事しか出来ない中、犯人は悠々と梯子を上っていく。唯一カルメのみは追い付くや否や長弓を周囲から借り、恐るべき精度で狙撃を続けるが、犯人は片手で梯子を昇りながらもう片方の手で剣を握ってそれを弾いた。


「くそっ、くそっ、せめて時間稼ぎだけでも……!!」


 不意の狙撃ならともかく、場所が割れているのではどれほど正確な狙撃でも見切られてしまう。時間稼ぎも精々数十秒の効果しか生まず、結局ノーマークだったバルコニーに警備隊員が辿り着いた頃には、そこには微かに赤みの混ざる海水が滴った沁みが残るのみであった。


 連絡を受けたセドナはがっくりと項垂れる。

 全力を尽くして犯人を追い詰めたつもりだったが、どんなに先読みしても破られるのでは意味がない。お手上げとばかりに頭を抱えた彼女は、地面を眺めながら呟く。


「こうなったら……最悪の中の最悪を想定してクルーズ内に待機してるあの人を頼るしかないよね……」

(((結局読んでたんかいッ!!?)))


 無限に続くかに思われた鬼ごっこも、漸く終点が近づいていた。

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