第275話 よく考えたら化け物です

 犯人包囲に割かれた人員、実に百名。

 ルルズの衛兵、祭国警備員、王国騎士団員、更に協力を依頼した大会参加者、果てはファミリヤまでもが一人の犯人を逮捕するために集結した。一見すれば過剰な人員だが、犯人の危険性という意味ではむしろこれだけ用意しなければ安心できない。


 国際的に注目度の高い大会の中にあって、試合前の選手に重傷を負わせる。それは主催者に限らず大会に関わる全ての人間にとって、許しがたい蛮行である。大会の公平性、信頼性、何よりも試合を心待ちにする観客の思いを踏みにじっている。


 犯人の犯した罪は殺人に比べれば軽いかもしれない。しかし、人の望みを自分勝手な理由で絶つ行為は、時として殺人に等しいか、それ以上の罪となる。政治的な意思も多少は介入すれど、現場の士気は高かった。


(スクーディア家のお嬢様、近くで見ると余計に可愛いなぁ……)

(もっと命令されてぇ……)

(踏んで欲しい。できれば「こ、こんなことされて本当に嬉しいの?」って戸惑いの表情を浮かべながら)

(えっ、それは引くわ)

(ないわぁ。マジないわぁ。普通逆だろ。あの顔でサディストのが興奮するだろ)

(えっ、それも引くわ)


 ……一部の兵に邪な感情とささやかな決裂はあれど、まぁ士気の向上に繋がっているのなら別にいいだろう。誰しも心は自由、さりとて時に何かの束縛を自ら課すのを望むこともある。


 犯人は川に繋がる水路の縁で上部を取り囲む捕縛者たちを、顔の見えないフードの中から見渡す。そして自然な動きで足を進め――屋根の上から飛来した矢に寸でのところで体を逸らし、躱す。

 犯人の向けた視線の先には、一見して少女に見えるほど華奢な騎士が、その普段の姿からは想像もつかない狩人の瞳でクロスボウを向けている。外対騎士団所属にして今や世界最高の射手となったカルメだ。


「抵抗するそぶりを見せた瞬間に矢で射貫くと言った筈です。今のは投降するには不要な動きだったので加減して放ちましたが、次があるとは思わないことです」


 カルメは更にもう一つのクロスボウを取り出し、両手打ちの構えになる。足元には発射前の状態で設置された別のクロスボウが複数設置してあり、矢の再装填の手間を省いていた。

 本来ならカルメも敬愛するヴァルナの決勝戦を見たかったが、その役目はロザリンドに譲っていた。理由は、この包囲網にはロザリンドに匹敵するかそれ以上の人間も参加しているから彼女の参加する必然性が薄いことと、外対騎士団の貢献をアピールしつつ負傷のリスクを減らすには自分が適任だと判断したからである。


(国際的な試合の裏で行われる大捕物に参加し、存在感を示すのも騎士団任務の一つ……先輩らしくしようと思って格好つけたからには、相応に結果を出さないと後輩に示しがつかないもんね)


 聖盾騎士団部隊長のリフテンが、拡声魔法道具を取り出して厳かに警告する。


「今更地下下水道に引き返したところで出入り口は完全に封鎖し、監視が取り囲んでいる。別に我々はお前がこの地下で餓死するのを待ってもいいぞ? 私としては、大人しく罪を償った方が利口な人生だとは思うがね」

「……」


 犯人は動かず、さりとて何か言葉を発するでもない。

 最終警告を経ても降伏の意志がない場合は射るよう命じられているカルメはクロスボウのトリガーにかける指力を強める。矢の先端には即効性の神経毒が塗られており、成人男性でも掠れば一分以内にまともに動けなくなる。相手の動きを封じ、なおかつ相手が死亡するリスクを低めたギリギリの濃度になっているそうだ。


 人を射ることに緊張はあるが、背後関係を洗うために可能な限り生け捕りにしなければならないと説明を受けているので急所を外せばいいだけ。矢もそのために深く突き刺さりにくい形状になっている。


 失敗の許されない状況――これまでならテンパって、ヴァルナが近くに居なければ出来なかった環境。だが、カルメの手に震えはない。


(僕は鷹の目。僕は外対騎士団の射手。ただ、構え、予測し、射るだけの存在となれ)

「……最後通告だ!! 潔く降伏するもよし!! 抵抗しても罪状が増えるのみ!! どのみち貴様はここから逃げられんッ!!」


 リフテンの最後通告に、犯人の手がぴくりと動く。

 その動きはまるで懐を探るような手で、降伏する人間の動きではない。

 カルメはその瞬間、躊躇なく犯人に向けて二発の矢を放った。


 ばさり、と布のはためく音がして、犯人のローブが旗のように前に投げ出され、カルメの矢が防がれた。いくら射線が通っていたとはいえ、こちらが矢を射る前に犯人の手は動いていた。こちらの意図が読まれたのだ。


「ちっ!!」


 カルメは小さく舌打ちしてクロスボウを捨て、矢をセットした新たなクロスボウを構える。しかし投げ出されたローブの陰に犯人が隠れる。幾らカルメが一流の射手でも見えない相手では分が悪い。

 後ろに逃げたか――そう思った瞬間、ズバァァァァァァンッ!! と轟音を立てて川の水や砂利が柱となって舞い上がった。カルメ以外の射手が慌てて追撃の矢を放つが、水の壁に弾かれる。


(水路から川に出たんだ。この川の水位は深いところでも膝辺り。着地して武器で川底を力任せに――なんて力だ。最低でも六星級!?)


 予想だにしない手に舌を巻くカルメ。

 だが川に降りたのは悪手だ。

 この川の昇降可能な場所は全てマークし、河口は聖艇騎士団が押さえている。それにこの川は整備が行き届いた幅の狭い人工の川。逃げ場は狭く、更に水が邪魔して移動は必然的に遅くなる。


 水と砂利が落ち切った時が犯人の最後だ。

 その瞬間を見逃すまいと静かに観察していたカルメは、落ちていく水と砂利の中に犯人の陰を見る。体を盛大に捩じり、刃のない剣を抱えたそのシルエットは、まるで鉄球投げの振りかぶりのようだ。その姿を見て、剣の向かうであろう方角を見て、カルメはその先に待つ未来に青ざめた。


 あれだけの威力を出せる筋力を以て剣を投擲すれば、家の一軒くらいは破壊可能な攻城兵器級の威力と化す。その狙う先は――!


「橋を狙っていますッ!! 逃げてッッ!!」


 直後、水と砂利の壁をボウッ!! と音を立てて貫いた剣が、彼を狙おうと包囲メンバーが構えていた橋へと飛来。橋が弾けるように破砕され、瓦礫と砂煙が舞い上がる。ガラガラと崩れ落ちる石が水面を乱れさせる中、犯人はその瓦礫を目くらましにダンッ!! と瓦礫を踏み台に跳躍し、地上に降り立つ。

 想定を超える被害と共に包囲網を突破された包囲人員が慌てて武器を構える。


「こ、こいつ――抜剣!! 捕らえろぉッ!!」


 そこに来て、やっとカルメはローブを脱いだ犯人の姿を捉えた。

 服、ズボンの継ぎ目がない一枚づくりの見たこともない黒い服に全身を覆われ、細部を極めて軽量の鎧で防護した犯人の顔は、被り物で隠しているのか殆ど分からない。ただ、僅かに露出した肌はサヴァーが証言したような奇妙な色ではない肌色である。彼が見たのは、顔を覆い隠す被り物だったのかもしれない。


 ただ、目を凝らすと犯人は割と小顔で、耳が尖っているのが見えた。

 しかし詮索している場合ではない。武器を自ら投げ飛ばした犯人は獣のように低姿勢で疾走しながら包囲する衛兵の刺股を奪い取って力任せに周囲を叩きのめし、祭国警備員から今度は警棒を奪い取る。

 ひと時たりとも止まらず、多対一の戦いを全力で駆け回って注意を散らし、更にわざと人の多い場所で戦闘することで狙撃を妨げようとしているのだ。


 と――崩落した橋の向こうから豪快な声が聞こえる。


「ふぅ、間一髪!! お前ら怪我ない?」


 声の主は、ガドヴェルト程ではないが中々の巨漢。

 本大会にて「対戦相手が好みの女の子だから戦えない」という前代未聞の理由で大会最速リタイア記録を叩き出した六星メラク冒険者、ボンバルディエだった。その両脇には橋から犯人を狙っていた面々が抱えられている。カルメの声が響いた瞬間に彼は一直線に橋へと駆け、崩落直前の橋から全員を抱えて安全な場所に運んだのだ。


「すげぇ……あ、ありがとうございます!!」

「あー、いいっていいって。アイギスちゃんの頼みで来てんだからこれぐらいしねーと彼女に恥かかせちゃうだろ? さぁて、ほんじゃま、犯人とっ捕まえてやりますかね!!」


 未だにセドナの事をマスクド・アイギスの方の名前で呼ぶ彼は、ぐるぐると肩を回すと足をとんとん、と鳴らし、向こう岸まで幅10メートルの川を一度の跳躍で飛び越えた。それも、背中に巨大な鉄槌を抱えたまま。


 その反応速度、走破能力、跳躍力の全てが超人的。

 ずんっ!! と音を立てて着地したボンバルディエが鉄槌を構えるのと、周囲の包囲網を散々に散らした犯人がその存在に気付いて振り返るのは、ほぼ同時だった。


「俺よぉ、気分屋でよぉ。依頼受けても依頼人に付き合いきれなくて投げ出したりとかするせいでずっと星一つ落とされてんだよ。でもカワイコちゃんのお願いとあらばモチベもガンガンだし強ぇ相手なら当然燃えるワケ……だからさ」


 ごひゅっ、と、鈍重という言葉とは程遠い速度で鉄槌が振り抜かれ、予想外の風圧に犯人がたたらを踏む。その突風は犯人の周囲で倒れ伏していた衛兵や騎士たちを転がして安全圏まで退避させていた。


「大会途中で放り出して持て余した俺の熱血、放出させてくれやぁぁぁッ!!」


 轟、と、豪快な気迫が立ち昇り、熱の籠ったオーラが噴出する。

 大気をビリビリと震わせるその威容に、セドナが冷や汗を垂らした。


「なんでこの人わたしを倒して準々決勝に進まなかったんだろう……?」


 彼は六星メラク冒険者ボンバルディエ。

 その二つ名は『無敵鉄槌』。


 シアリーズ曰く――「正直ガチンコでやればアタシでも手こずる」戦士である。






 犯人が絶対絶命の状況に置かれるその頃――。


「まだ? ねぇ、まだかな? 反撃まだかなぁッ!!」

「ぐ、お、おぉぉぉぉぉッッ!!」

「まさかまだ終わらないよね。終わる筈がない……私の認めた貴方がここで躓いて転ぶわけないもんねッ!!」


 乱れ飛ぶ斬撃を掻い潜り、たなびくオーラと共に放たれる『飛ぶ斬撃』を躱し、肉眼では捉えきれない程に俊敏なステップで追跡してくるシアリーズの猛攻を辛うじて避けるヴァルナもまた、絶体絶命の状況に置かれていた。

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