第273話 存外ちょろいです

 マスターキーを強奪した犯人の行動は迅速だった。


 即座に階段を飛び降りていき、一階エントランスでは天井に向けて跳躍した。出入り口を封鎖していた面々は何事かと一瞬困惑するが、次の瞬間に目を剥く。


「いかん、あいつエントランスの巨大シャンデリアを……!! た、退避ぃぃぃーーーーッ!!」


 バキィンッ!! と甲高い音を立ててシャンデリアを支える鎖が次々に引きちぎられ、全長五メートル以上あるガラスの集合体が床めがけて落下した。当の犯人は千切った鎖を振り子に再び跳躍し、無駄な戦いをせずスタッフ用通路の鍵をマスターキーで開錠。出入口でも裏口でもなく、別の場所を一直線に目指している。


 犯人が立ち止まった場所――それは地下の噴水設備管理の為の通路だった。しかし、犯人は降りる為の階段の途中で足を止める。施設に続く扉の前に、鋼鉄製の壁が塞いでいたのだ。


「本当にここに来たか……読んでたぜ、犯人さんよ」

「――!」


 瞬間、逃げ道である階段上部から眼前の鉄壁と同じものがガコンッ!! と降りる。犯人は階段に続く場所に閉じ込められた。しかも、閉じる寸前に扉の隙間から白い煙を放つボールのようなものが滑り込まされた。


「睡眠導入成分の含まれた無味無臭の薬品だ」

「セドナお嬢ちゃんが地下から脱出するならホテル内部を使うかもしれないって言ってたから念のため封鎖したが、まさにドンピシャだったな」

「観念しなさい? その扉は地下施設からの水の逆流を防ぐための代物。重さも厚みも武器一本で砕けるものじゃないわ」


 完全な袋小路に追い込まれた犯人は、取り乱すような声は上げず、扉を叩くガンガンという大きな音が数度しただけだった。それから十分が経過し――薬品が完全に室内に充満し、確実に意識はない状況になったと判断した捜査部隊員たちは薬品を防ぐマスクを着用し、装置を操作して扉を開ける。


 そこには――誰もいなかった。


「なっ、何で……!? ここには隠し通路の類はない筈だ!!」

「くそ、どうなっている!? こちら側の扉から出るのは不可能な筈……!」

「まさか、あのガンガンという音は扉を叩く音ではなくて、扉を開く音だった……? お、奥の扉を開けろ!!」


 慌てて扉の解放を押したその時、隊員の一人がふと気配を感じて頭上を見上げ、絶句する。


 一階出入り口側の階段の天井――丁度突入した瞬間は死角になる場所に、両手両足を突っ張り張り付いていた犯人の姿を見つけたのだ。犯人は地下へ向かう鉄壁が開き始めたのを見るや否や、獣のような俊敏さで天井から撥ね降りてその隙間へ向かう。


「嘘だろオイ!! 壁を下ろせ!!」

「む、無理だ!! 一度上昇を押したら上がりきるまで止まらない仕組みなんだ!!」

「なんてこと……!! 確かに睡眠ガスは空気より比重は重いけど、それでも一分とかからず空間を満たした筈よ!! あの犯人、十分近く呼吸を止めたままずっと天井に張り付いていたっていうの!? あの音も我々への心理トラップ……!!」


 彼らは顔を青ざめさせ、しかし、追跡せずに鉄壁を再び降ろした。

 なぜなら、万一地下に突入された際のこともセドナが予測し、追跡をやめさせたからだ。もし万が一犯人の狙いが彼女の最悪の想像通りなら、追跡するのはリスクが高すぎた。

 隊員の一人が吐き捨てるように叫ぶ。


「地下に籠城しても逃げ場はねぇぞ、犯人さんよ……! 地下の侵入経路はとっくにバレてんだからなぁッ!!」


 確実を期した筈の罠を破られた隊員たちだが、悔しさはあれど諦めはない。

 犯人は既に袋小路に嵌ったのだから。


 それから数分後――ホテル地下水道から膨大な量の放水が確認された。その水はホテル名物の巨大噴水の為に貯蓄されていたものであった。水は地下通路を全て覆い尽くす程の量と勢いで殺到し、人体を容易に死に至らしめる鉄砲水となって、水路に流れ出るまでの全ての障害を押し流した。


「――うわぁ、本当にやったよあの犯人……良かったぁ、地下に人を配置しないでってお願いして」


 放水の様子を川べりから見ていたセドナは、ほっと息をついた。

 それを見越して水路の出入り口、及び排水場所を完全包囲して、内部に人は置かないよう進言したのだ。セドナの考え過ぎで終わればそれでいいが、もし進言しなかった結果、死人が出たらと思うとぞっとする。

 ……尤も、この手を全く予想出来ていなかったがセドナの言う事を無視すると後が怖いなぁ、というだけの理由で進言を受け入れた聖盾騎士団部隊長のリフテンは、胃痛で今にも倒れそうになっていたが。もはやこの現場は、事実上セドナの仕切りと化していた。


 そして、犯人との戦いが終わらないのと同じく、絢爛武闘大会の決勝戦も未だ終わる気配を見せないでいた。




 ◇ ◆




 疾風怒濤。


 試合開始と同時に起きた一度の接敵で、瞬く間に激戦は幕を切られた。


 斬撃が乱れ飛び、互いにそれを受け、躱し、いなし、弾き、間合いと間合いの境界線に火花と衝撃が乱れ散る。


「嵐のような激しいワルツを踊りましょう!!」

「いや俺ワルツの踊り方とか知らんぞ!!」

「大丈夫!! 言ってみただけで私も知らないから!!」


 ノリと勢い以外に何も感じられない返答と同時にシアリーズは腰だめに構えた剣で回転斬りを放つ。回転斬りという動きは通常の剣技では実用性に乏しく隙が大きなものだが、シアリーズは二本の剣と軸足を使った巧みな回転を利用して次々に連撃を放つ。しかも放つたびに軌道が変化し、反撃やカウンターの暇を与えない。


 俺はその速度と回転に対応するために、彼女のステップに合わせるように斬撃を弾いていく。本当にダンスを踊っているようだ。


 と、回転斬りが突如として中断されたと思った瞬間には、シアリーズが懐まで急加速で潜り込もうとしていた。間合いの更に中に入られるより直前、俺は剣の柄で彼女を殴った。当然のように剣で防がれはしたが、その瞬間を狙って爪先から掬い上げるような蹴りを放つ。


「あらよっ!!」

「ヒュウっ、やるぅ!!」


 彼女の視界外から迫るように放ったつもりだったが、シアリーズは先を読んでいたかのように容易く反応してバク宙で身を翻す。嫌な予感がして顎を引くと、先ほどまで顎があった場所をシアリーズの爪先が通り抜けた。


 この程度で臆してはいられない。足を踏ん張り、そのまま一気に間合いを詰めてバク宙から体勢を立て直す前の彼女に迫るが、彼女は空中で腰を捻って華麗な蹴りを放ち、こちらが躱す間に立ち直って挑発するように片足立ちで手招きする。


「一の型、軽鴨ッ!!」

「おっとッ!!」


 挑発は無視して牽制の斬撃を放つ。牽制とは言っても軽鴨はリーチと同時に速度にも優れる奥義だ。シアリーズはそれを最小限の身のこなしで凌ぐ。恐ろしい反応速度だ。しかし、遊んでいるように見えても決して楽に感じてる訳ではない。


「三の型、飛燕ッ!!」

「そいなっ!!」


 間髪入れぬすれ違いざまの斬撃を、シアリーズは綺麗に受け流す。初めてその身に受けたとは思えない絶妙な力加減だが、俺はそのまま右足を軸に左足を滑らせて反転し、一気に崩しにかかる。


「八の型……白鶴・かさねッ!!」

「おっと、これ、キッツ……!!」


 敵のガードを剥ぎ取る斬り上げの奥義である白鶴は、熟達すれば連撃で放つことが出来る。まして今の俺は二刀流だ。それはすなわち、相手のガードが剥がれるまで延々と強烈な斬撃をぶつけ続ける事が可能になるということだ。

 攻撃は最大の防御とはよく言うが、これほど清々しいゴリ押しはそうそうない。それでいて相手に攻撃にも防御にも移させない絶妙な角度と重さが、シアリーズを追い詰める。

 しかし、シアリーズは瞬時に逃げ道を見つける。


「これならどうさッ!!」

「チィッ!!」


 斬り上げの斬撃に逆らうのではなく、微かに角度を変えた同じ方向への斬撃を重ねるように放つことで白鶴の構えを無理やり崩したシアリーズは、両手の剣を重ね、地面を踏み砕く程の踏み込みで瞬く間に接近してくる。


 まるで放たれた矢のような速度だ。

 避ければ斬られるし、防げば押し込まれる。

 当然、選ぶのは真っ向勝負だ。


「ぜああああああああッ!!」

「そーうこなくっちゃッ! ハァァァッ!!」


 四つの刃が衝突し、衝撃と風が周辺の大気を押し退けた。

 シアリーズの身体からは氣が噴き出し、こちらも対抗するために氣を込めることで力と力は拮抗し、逃げ場を失った衝撃が互いの足場に亀裂を刻んでいく。


「もっともっともっと上げていくよぉぉぉぉぉッ!!」

「やだね。ほいっと」

「あ、あららッ!?」


 俺は一瞬で全身の力を抜き、シアリーズの力任せの斬撃を受け入れ――即座に再び全身に力を漲らせ、瞬発力で強引にシアリーズの剣を受け流す。一度拍子を崩されたシアリーズはその瞬発に反応が僅かに遅れる。


 だが、シアリーズはそこで体勢を立て直そうとも俺を追おうともせず、そのまま全速力で前に突き進む。そして細剣をステージに突き立てて強引に体を回転させ、その勢いで空を裂く強烈な飛び蹴りを浴びせてきた。


「そんなツレない貴方にフライングきぃーくッ!!」

「ぬぐぉッ!?」


 予想だにしない反撃に受け流しきれず、辛うじて剣で蹴りを受け止め、上に弾く。彼女はそのまま仰け反って着地する――かと思いきや、もう一本の直剣をステージに突き立てて衝撃を受け止め、棒高跳びのような反動の使い方で再度空中から接近すると同時に体を縦に回転させた踵落としを放つ。


「ギロチンきぃーっくッ!!」

「本物のギロチンだぞこれ……くそっ、崩天翔ッ!!」


 剣でのガードは間に合わないと悟った俺は止む無く蹴拳術の奥義で迎撃した。足と足が衝突し、強烈な衝撃が大気を揺さぶり、歯を食いしばって衝撃を受け入れる。

 とんでもない重さだ。

 威力だけならタマエ料理長の蹴り以上かもしれない。

 放ったシアリーズは蹴りが防がれたことに驚き、しかし直ぐににまっと笑う。


「これまで防ぐんだッ!! 中級魔物の首ぐらいなら折れる技なのに、やるじゃん!?」

「お前はやりすぎだろ……ッ!!」


 猫のようにしなやかに距離を取ったシアリーズはすらり、とステージに刺した直剣を抜いた。そして手首でくるりと回転させ、その刃をこちらの喉元を狙うようにぴたりと向ける。


 剣一本を持つ片手の腕力だけを支えに全運動エネルギーを回転によって反転させた蹴りに加え、今度は腕や背筋など全身をフルに活用した撥ね飛びによる蹴り。それを即興で行い、回避の道を潰し、更には桁外れな威力まで籠っている。


 戦いに於いて相手をどのように追い詰めれば自分の強みが活きるか、またどの強みを使えるかを知り尽くした本能的なバトルメイク。それでいて実際には全くの情け容赦なく相手を『潰そう』としている。


 戦士とは理性のない獣とは一線を画したものだと思っていたが、彼女は違う。

 彼女は技術と理性を道具に、本能の力を極限まで高めてる。

 それはマルトスクのような研ぎ澄まされた殺意とは違う。

 ガドヴェルトの全てを受け止め、押し流す巨大な闘志でもない。

 もはや肉食獣の狩猟本能にも近しい何かだ。


「欲しいものは死に物狂いで手に入れてきた……でも、この愉しさは……血肉が沸騰して鼓動の高まるこの瞬間、この空気、この競争相手はッ!! 何を持って生まれていても絶対に買うことは出来ないッ!! 最高だよヴァルナ……わたし今、人生で一番楽しいのッ!! 恋焦がれてるのッ!! もっともっと、もっともっともっとぉッ!! 限界ってヤツが見えるまで狂ったように踊り続けようよぉぉぉッ!!!」


 いや、怖い。正直色んな意味で怖い、その言動は。

 シアリーズってもしかして俺が思っていた以上に何らかの感情を拗らせているんじゃないだろうか。あんなに美しい笑顔で髪を揺らしているのに、人の身体を貫通しかねない威力の蹴りを放ってまだ足りないと叫ぶのだから、怪物としか言いようがない。


 そう思い、ふと可笑しくなって笑う。


「オークは百年狩り続けても王国に蔓延って滅びなかった。だが怪物シアリーズとの戦いはこの一試合で白黒付く。つまり――」


 俺はシアリーズに剣を向け、構える。

 自分の頬がつり上がるのを自覚しながら。


「オーク根絶やしより楽な戦いだ。世界最強、存外ちょろいな」

「あはっ、あはははははははははっ!! 今のいい!! 最高の返し!! それでこそ貴方よねッ!!」


 こちとらオーク撃滅に心血注いでギリギリの戦い続けてきたんだ。

 冒険者一人、一日以下の勤務時間が何するものぞ。

 俺は臆することなくシアリーズめがけて疾走し、銀の刃を奔らせた。

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