第271話 SS:方向性が違うだけです

 国内屈指のサービスの質を誇るホテル・ネビュラーの排水路を歩きながら、ふとナギがロザリンドに問う。


「俺んとこの地元にオークが出たときによぉ、水路を通ってオークが町に侵入してきてたんだよ」

「クリフィアの件ですね。資料で見ました」

「で、思ったんだけど……ここの水路の水を使って行き来とか無理かなぁ」

「絶対とは言いませんが、ほぼ不可能でしょうね」


 ロザリンドも全く考えなかった訳ではないが、すぐに除外した。

 理由は極めて単純だ。


「ここの排水路は上から下に水が落ちている場所が多く、水流もかなりの速さです。下に降りるだけならともかく、上る際にこれを利用するのは仮に水棲魔物だとしても厳しいでしょう」


 それこそ実現するには滝登りでも出来ないといけない。そして、それを使うくらいなら陸路の方が体力的にも時間的にも遥かにマシだろう。水の妖精とまで言われるヴィーラなら出来るかもしれないが、犯人ヴィーラ説は流石に斬新過ぎるだろう。そんなアグレッシブなヴィーラは見たくない。


「そっかー。まぁそうだよなぁ……」

「それにナギさん、ここは場所にもよるけど水深が結構浅いから泳いだりしにくいんじゃないかな?」

「確かに。浅いとこだと水深三十センチくらいしかないっぽいな。船も漕げやしない」


 ピオニーの補足もあって、ナギは納得する。

 道は行きよりだいぶ狭いが、人が通る為の設計は一応してあるようだ。通路はそれほど長くはなく、すぐに曲がり角に到達した。慎重に先を確かめるが、誰の気配もない。ホテル・ネビュラーの排水通路はここで完全に途切れていた。というのも、ここから先は重い鉄格子で塞いであるのだ。曲がり角の先にあるのは長い階段だった。地図を思い出す限りでは別の出入り口で、微かに光が差している。


「この先は……確か、非常用の出入り口です。出入り口は地上にありますが、鉄の扉で閉ざされており、月一回ほどこの通路を通って地下下水道全体に異常がないか確認すると聞きました」

「つまり、実質行き止まり?」

「ですわね……」


 と、格子の先を観察したピオニーが難しい顔でロザリンドの方を見た。


「これ……この格子、滅茶苦茶重いけどギミック的に上にあがるみたいだよ。行ってみる?」

「……いえ、勝手にギミックをこじ開けて万が一にも破損させてしまった場合、大問題です。ホテル・ネビュラーが調査協力にまだ応じていない以上、こじ開けは最終手段にしましょう」


 もし壊した場合、設備弁償は勿論ホテルの心象も悪くなり、交渉が難航する可能性がある。事件調査の為と騎士でごり押しが出来ないかと問われれば無理ではないが、その場合ホテル内にいる海外の要人を怒らせる可能性もある。そうなると話は外交にまで及ぶ。


「はー、ままならねぇな。悪人捕まえる為なんだからちょっとはいいじゃねえか?」

「駄目です。強硬策は最後の手段でなくてはなりません。安易に強硬策が出来るようになると、組織はあっという間に横暴になりますことよ?」

「そんなもんかぁ? ……いや、そんなもんかもなぁ。一度上手く行くと調子づくもんなぁ」


 クリフィア自警団の前例を思い出し、ナギは素直に意見を引っ込めた。

 ピオニーも格子の向こうをしきりに見ていたが、諦めたようにかぶりを振る。


「うーん、手が届くところに都合よくギミックはありませんね。まぁ外部から侵入されたら困るから当たり前ですけど……ん?」


 ふと、ピオニーの視線が階段の方へと向かう。

 最初に来た際には角度的に見えなかったが、階段の横にぽっかりと死角になるような小さな空間が存在した。小柄な人であれば二人は入れそうな、不自然な空間だ。


「なんだろ、ここ。隠し通路でもあるのかな?」

「いえ、これは……恐らくホテル・ネビュラーが地下水路を整えた際にやむを得ず削った空間でしょう。ここはきっと昔は壁だったのだと思いますわ」

「成程ねー。道理で他の壁と比べてちょっとだけ色が違う――」


 そう言いながらナギは壁に手を押し付け――。


「――あれ? うわっ!?」

「ナギさんっ!?」


 そのまま、ナギの腕が壁にずぶりと沈んだ。

 否、そうではない。ナギが触れたのは壁ではなく、一見して壁のように見える垂れ幕だった。ナギはそのままロザリンドとピオニーに視線を送ったのち、慎重にその垂れ幕をめくってカンテラを突っ込む。


「……誰もいねぇけど、小部屋くらいの空間がある。奥に、なんだ……ハンガーラックがあるぞ。そこそこ上等そうな服がかかってる。埃もかぶってねぇし、最近置いたって感じだ」

「不自然だと思っていたら、ここには最初から空間があったのですね。格子に近付かなければ気付けないでしょう」


 ロザリンドもカムフラージュ垂れ幕をめくって中を見るが、ナギの言う通りそこには誰かが着替えたと思しき痕跡がありありと残っていた。浮浪者が住み着いているか盗品の倉庫代わりというのも考えたが、それなら残っている服が一着のみで他に何も置いていないのはおかしい。


 それに、石作りの床に一か所、白く変色している場所がある。

 これは、色がついているのではなく、石の表面が僅かに砕けたことで変色しているように見えているだけだ。ここにごく最近、相応の強度と重量のある何かが落とされた証拠だろう。それは恐らく犯人の使う得物だ。


「……水路の格子、強行突破するか」

「いえ……犯人が格子を出入りできるなら、こんな場所にカムフラージュを施してまで着替えのスペースを作るのは不自然です。先に地上に続く通路の方を確かめましょう」


 ナギはホテル地下からの出入りを疑っているようだが、もしあそこを出入りするのであれば内部の協力者が必要になる可能性は高い。それに、あの格子を上げ下げするには相応に時間がかかるのではないだろうか、という予想もあった。


 三人は上へ上へと続く長い階段を足早に上る。

 すると、微かに指していた光が少しだけ強くなり、扉に辿り着く。

 かなり頑丈そうな扉だが、強度重視なのか足元や上部からは微かに外の光が漏れている。ロザリンドはその扉の取っ手を掴んで引く。ガシャンと音がして、扉はびくともしなかった。


 一瞬失望するが、ふと思う。そもそもこの扉は引くのではなく押すのではないだろうか。これで開いたら先ほどの自分がマヌケでちょっと恥ずかしいな、と思いながらロザリンドは押す力を込める。すると、ゆっくりと扉が開いていく。


「おいおい、鍵がかかってるんじゃなかったのかよ? 開いちまったぞ?」

「とにかく一旦外に出ましょう……」


 久しぶりの日の光だが、日が傾いていたことで思ったほど眩しくはなかった。外に出た三人が扉を振り返ると、そこには扉が開いていた絡繰りがあっさりと白日の下に晒されていた。


 この扉は大きな錠前で閉じるタイプの扉だったようだが、その錠前が切断されているにも拘らず、何らかの方法で扉に接着されていたのだ。

 試しに扉を閉じると、切断されたまま扉に張り付いた南京錠がまるで破壊前の姿に戻るように違和感なく組み合う。


「随分と大胆な手法ですね……! 一見して異常がないように見えるから誰も気付かないものの、実際には入り放題だったのですか……!」


 扉の外は短い通路ののち、外に繋がっていた。そこはホテルとホテルの隙間にある小さな通路だった。ホテルの塀が高いためにそこに道があること自体に気付きづらいほどだが、大通りの人はこんな通る必要の一切ない通路には見向きもしないだろう。


 ホテルも塀を上るような不逞の輩は警戒するだろうが、この通路を普通に通る分には塀の高さが邪魔をして発見することは不可能。通路と大通りの間には『関係者以外立ち入り禁止』の看板が一応はあるものの、その脇を通れば通行は可能だ。


 ナギは大胆な隠れ道に驚きつつも、眉を顰める。


「しっかし立ち入り禁止看板のある場所から出てくる奴がいたら誰か気付きそうだがな……」

「いえ、このホテルに滞在するような上流階級の方は殆どが出入りに馬車を利用します。それにこの通路はホテルの管轄外ですし、わざわざ看板を見て不審者と気付き、衛兵に伝えるのは宿泊客には手間です。加えて実際に不審者の出入りがあったとして、駆けつけた衛兵が扉を見ても一見して異常がないですから、道を間違えたのだろうと判断されても何らおかしくはありません」


 人通りの少ないタイミングを狙えば誰にも目撃されずに通路を出入りすることも可能だろうし、何なら彼自身が関係者だと名乗れば観光客相手なら誤魔化せる。完璧とは言い難いが、お祭り騒ぎの今という環境も相まってそこまで無茶な作戦でもなかった。ホテル・ネビュラーの地下から協力者の力を借りて出入りするよりは遥かに安易でリスクの少ない移動方法だ。


「しかしロザリンドさん、ホテル・ネビュラーの反対にもホテルはありますし、どこのホテルに宿泊しているのかはっきりしないんじゃないですか?」

「夜目の効くファミリヤにこの通路を監視させましょう。それでどこのホテルに滞在してるかハッキリします」


 ロザリンドたちは探索を打ち切り騎士団メンバーと合流。

 捜査本部にも報告を行い、ファミリヤによる監視に捜査隊全員の関心が寄せられる。そして夜――監視を行っていたファミリヤが帰還し、報告を行った。


「ターゲット確認!! 滞在先、ホテル・ネビュラーデ確定!!」

「よし!! すぐにホテル・ネビュラーとコンタクトを取れ!! 犯人が出入りしているのが確定した以上はうだうだ言わせん!!」

「ターゲットの背丈の詳細を聞きたいからファミリヤは残ってくれ!!」

「追い詰めたぜ、犯人……!!」


 捜査本部が色めき立つ中、ロザリンドはセドナを見ていた。


「きゃっほう当たりぃ!! 良かったぁ……外れてたらロザリーちゃんたちを無駄働きさせたことになっちゃうもん!! でもここからは犯人に逃げられる可能性を考慮して慎重に動く必要があるなぁ。うーん……まず最悪の可能性から潰していこっかな」


 喜ぶのもつかの間、すぐに思考にふけるセドナの様子に、ロザリンドは戦慄を覚える。


 今回の彼女の推理は、ほぼ的中と言える精度だった。

 ホテル・ネビュラーを通る以外の水路は人が満足に通れる広さではなかったことも考えるとまさに彼女の予測に沿っている。下水道を拠点にしているという予測は今までも挙がらなかった訳ではないが、悪臭や衣服の濡れが起きる筈と候補から外されがちだった。

 これは、ホテル地下下水道が想定を超えて清潔で移動が容易であることを知る人間がそもそも町に少なかったために起きた勘違いだったのだろう。地下下水道の見回りは隔月な上に一部の衛兵しか行わない。ルルズ衛兵の間でも管轄の内と外があったということだ。


 ところが、下水道の現状も知らない上に途中からの調査参加であるにも拘らず、セドナは即座に情報と状況を照らし合わせて犯人の移動経路を炙り出して見せた。下水道でなくとも、そこに何かしらの移動経路がある筈という推理の下に。


(ヴァルナ先輩と方向性が違うだけで、この人もかなり規格外の存在なのでは……?)


 聖盾騎士団の『無傷の聖盾』の異名の真の意味は、戦わずして結果を出してしまう事にあるのかもしれない。可愛らしい容姿でありながらその脳裏に数多の犯人の逃走ルートと対処法を思い描いているであろうセドナの姿に、ロザリンドは畏敬の念を抱くのだった。

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