第269話 受け継がれる記録です

 アストラエは、ヴァルナとの戦いに敗北した。


 フロレンティーナ――フロルはその事実を複雑な心境で受け止めた。

 ヴァルナの事は知っているし、彼が自分に課す重責と誇りを持った男であることも知っている。故に彼が敗北する光景を見ることがなかったことには、一人の友達として安堵を抱く。


 しかし、結果として最愛の婚約者であるアストラエは敗北した。その姿と、今のアストラエの様子は、正直に言えば見たくはなかった。


「はーっはっはっはっはっ!! 流石としか言いようがないなぁ俺の親友は!! まったく王子という立場に胡坐を掻いていたつもりはなかったんだが、剣の勝負は分からん殺しなんてよくあることだ!!」

「アストラエ様……」


 控室に戻ったアストラエが見せたのは、いつも通りの爽やかな笑み。

 しかし、その裏に抑え込んでいる感情を隠せていない。

 貴族や王族といった人種は、心の内では欠片も思っていないことをさも実際に思っているかのように振舞う能力を持っている。それが必要な技能であることを否定するつもりはない。

 それでも、フロルは我儘な娘なのだ。


「うむ、うむ! 負けたからには止む無し! 明日はヴァルナを全力で応援し、あいつが優勝を飾ったところで『一番ヴァルナを苦戦させた男』として笑顔をキラリ! これで僕の面目は保たれるというものだよ!」

「アストラエ様、聞いてくださいまし」

「なんだいフロル? 君の事なら何でも聞いてあげたい所だが、流石に汗でくたびれたこの格好では失礼に当たるから身を清めようかと思っているのだが……」

「それよりも前に、お伝えしたいことがございます」


 汗も埃も無視して、フロルはアストラエの頬を両手でそっと包み、抱き寄せた。困惑するアストラエに、フロルは思いの丈を伝える。


「わたくしはアストラエ様の伴侶となる女です。健やかなるときも、苦しいときも、共に歩み、共に支え合って生きていく誓いをする覚悟はとうに出来ています」

「あ、ああ。僕とてそれを疑ったことなどな、ないさ」


 一瞬目が泳いだ気がするが、深く踏み込まれたことによる動揺だろう。無礼な事とは承知の上だが、それでもこの想いだけは伝えなければならない。


「でしたら、わたくしの我儘をば……少しの間だけ、私の前で本当のアストラエ様をお見せください」

「おかしなことを、言うなぁ……今の僕が本当じゃないかのようではないか」

「アストラエ様は、今のご自身を本当の気持ちを曝け出しているとお思いですか?」

「……はは。ヴァルナよりも強敵だな、君は。そうか……そうさな」


 アストラエの笑みが少しずつ剥がれていき、そこ無念を抱いた男の顔が表れた。


「絶対にいけると思ったんだ……そのために小手先の技を使って揺さぶりをかけて、あいつの考えを誘導して……賭けに勝ったとき、今度こそ勝ったと……そう思ったのに……っ!」


 あれだけ夢中で準備した戦いに敗北して、悔しくない訳がない。へらへらと笑っていられるほどプライドのない人間が王族であることなどありえない。自分を天才と称し、実際に殆どの敵を余裕の表情で叩きのめした彼を以てして「ヴァルナとの戦いになるとそうはいかない」と自ら口にした男が、負けて当たり前なんて思える筈もない。


「新しい剣だなんて知ってたさ!! だが、ユニコーンの鬣で編まれた最高級の縄だぞ!? 使い方次第では剣をへし折るほどの強度があるものを持ってきて、完全な結び目で封じたのに、力づくで破壊!? あの瞬間の為にこれまでの試合で一切使わなかったのにッ!! 武器が変わっただけであんな行動が追加されるなんて計算できる訳がないじゃないかッ!!」

「そうですね。きっと、誰も予想できないことをしでかすのが、ヴァルナなのでしょう」

「あいつが、世界一になるなら嬉しいさ……僕が負けたなら、また強くなって挑めばいい……でも、僕は……この世界が注目する大会で王族特権まで使って参加して、ヴァルナに本気の戦いで勝ちたかったんだ……」

「それが、本音ですね? 嬉しいです、わたくしに聞かせてくれて……」


 汚れなど気にせず、フロルはアストラエを抱擁する。

 アストラエはそれに静かに縋りついた。


「今だけです。ここには他に誰もいませんから……」

「少しだけ、このままで……感情を整理したら、今度こそいつもの僕に戻るから……」

「いつでも受け入れますとも。そして、同じことがあった日には何度でも……」


 こうして、アストラエの挑戦は自らの敗北に終わった。

 しかしアストラエはまた鍛錬し、ヴァルナの事を調べ、再び挑むだろう。どんな形であったとしても、勝利を諦めることはない。否、もしかすれば、彼の将来の伴侶の存在が彼の勝率を引き上げてくれるかもしれない。


 この日、アストラエとフロルは一つ踏み込んだ関係へと発展した。




 ◇ ◆




 その日の夜、どんちゃん騒ぎのバニーズバーで、俺は上半身裸で食事をしていた。


 露出の性癖に目覚めた訳ではない。

ただ、バニーズバー一同から「食事代無料にするから脱いで」って頼まれて身を切っているのである。騎士団メンバーが盛り上がっている中でこの格好はかなり恥ずかしい。俺だけ浮かれてる感がパない。さっきからチラチラこっちを見てるカルメの顔がゆでだこのように真っ赤なのが余計に俺の羞恥心を加速させる。


 あと行き交うバニーが全員俺の背中を見ているし、時々触られるのが非常にむず痒いというか何というか。


「ええい、もう代金は普通に払うから服着るぞ!!」

「ええっ、待って!! 厨房に閉じ込められてるからまだ見られてない!!」

「まだ触ってないー!!」

「今年のマッスルオデッセイなのよ!? 拝まずして何がルルズ民かぁ!!」

「くそ、分かった!! あと三分だけ待つっ!!」


 ちなみにマッスルオデッセイ背中部門優勝賞金は100万ステーラ。粗品には特上コロセウムせんべいを貰った。成分にプロテイン的な効果があるらしい。金額だけでも小大会の優勝賞金並なのに粗品付きって、筋肉見せるだけでどんだけ金稼げるんだこの世界。総合優勝を飾ると思われるガドヴェルトはもう戦わなくても食っていける気がする。


 その後、背中をさわさわされるついでに変な所を触られそうになるのを躱し、宣言通り三分後に上着を着こんだ俺の下に、幾つかの人影が寄ってくる。護衛を連れたアストラエだ。護衛に目配せしたアストラエは、一人で俺の隣に座る。


「完敗だ。絶対決まったと思ったんだが、やはり君は予測しきれないや」

「出来たところで封じられるのか?」

「憎たらしいこと言ってくるな、このこの」


 どうやらいつもの調子に戻ったらしい。

 目元に一見して分からない程度の化粧をしているのは、そういうことだろう。


「さて、決勝戦の足しになるかは分からないが、八咫烏についてちょっと伝えに来たよ。あとは安っぽい激励に」


 バニーに店で一番良い値段の酒とつまみを注文したアストラエは、こちらに向く。


「八咫烏破り、どうだった?」

「クッソ焦ったわこの野郎」

「はははは、そこで突破してしまうのが君らしいけどね。さて、君はあれ、どうやったと思ってる?」

「方法は分からんけどな。俺の感覚としては、奥義を放とうとした瞬間に的が消えたような感じだ。だから二回目はお前を絶対に追い詰められるよう意識して放った。同じ手を使って凌ごうとしなかったから意味なかったけどな」

「あの状況だと通じないと判断したまでさ。結果的にそれは正しかったようだし」


 そう言いながら、アストラエは懐からメモ帳を取り出してテーブルに広げる。


「これは?」

「城で見つけた色んな指南書の中から引っ張り出した、八咫烏についての貴重な記述――その抜粋さ。王国攻性抜剣術を扱う人間なら絶対に見たがる代物かもね」


 一応見てみるが、辛うじて読めるものの表現や文法が古風過ぎて読みづらい。アストラエはそれを見越していたかのように説明する。


「まぁゆっくり喋ろう。まず八咫烏の前に……王国攻性抜剣術の奥義の特異性が分かった。王国攻性抜剣術の型はね……驚くことに、氣をより効率的に扱う為の手段という側面もあったらしいんだ」

「氣を?」

「王国攻性抜剣術の型って、形だけ合ってても習得が認められないといけないだろ? これはね、型の中に古武術的なあらゆる体技を圧縮していると同時に、この型を完璧に模倣することで、瞬間的に氣を発生させて纏っているらしいんだ」


 それは、かなり衝撃的な事実である。

 氣なんて王国だと全く一般的じゃないどころか道場の師範方も噂を聞いた程度である場合が多いのに、まさかそんなに身近に存在していたとは思わなかった。


「まさに静から動。しかも瞬間的な発生によって、本来は更なる修行によって習得するスキル――武器へ氣を纏わせることが可能。そして低燃費……奥義を一通り極めた頃には実力が氣の達人と同じレベルに達する。王国攻性抜剣術は、僕らが想像していたより遥かに先進的な剣術だったんだ」

「……そうだったのか、確かに奥義は体の動きから呼吸まで完璧に伝承されて初めて本当の威力を発揮するとは言っていたが、あれそのものが氣の亜種だったんだな」

「君の奥義習得が異常に早かった原因の一つには、君が幼い頃には既に氣を使えたから親和性が高かったのがあるんだろう。エロ本師匠もまた君の想像以上に偉大という訳だ」

「でもエロ本はねえよな」

「まぁねぇ。その頃のきみ子供だろ? 大人として問題があるのは確かだねぇ」


 どう紐解いてもエロ本が邪魔をするエロ本師匠であった。

 ともかく、それならば王国騎士が対人戦で異常な練度を見せる意味が分かる。一見してそうは見えないだけで、全員が技術としての氣を習得し、その上で統一された集団だ。

 改めて考えるととんでもない話だ。


「な、驚いたろ? 本格的な氣の使い手は余程の才能がない限り、修業期間が長すぎて実戦で活躍する機会がない。オーラという技術は短期習得可能だが、才能がないとてんで駄目らしい。しかし王国攻性抜剣術はそれなりの努力で戦いに必要最低限な氣をマスターできる……僕としては、氣の部分が伝承しきれていないのに本質がそのまま現代に伝わっていることが奇跡にも思えるけど」

「しかし、そういうことであれば……八咫烏ってのは氣の極致なのか?」

「話の流れからしてそうなるよね」


 と、アストラエは勿体ぶった態度を取り、そして首を横に振る。


「ところが違う。厳密には『氣かどうかさえ分からない』。関連性はあるんだろうけど、過去にこの奥義を編み出した人さえ原理を理解していなかったことが分かった」


 アストラエはメモ帳をめくる。


「八咫烏の原型となった奥義は、あるとき達人同士の訓練の中で偶発的に、突如として発見された。放った達人はそれ以降奥義として八咫烏を放てるようになったが、自分ではどう放っているか説明できなかった。やがて達人の中から時折この奥義を放つ者が複数人現れ始めたが、誰一人としてそれが何の奥義なのか、そもそも本当に奥義なのかさえ分からない。ただ、剣術を極めた者の中から時折現れることから、剣術の果てにある何かであるという結論を出し、奥義として残すしかなかったそうだ」

「前からスピリチュアルな奥義だとは思っていたが、これってもうオカルトの域じゃないのか?」

「実際、魔法が発動しているという説もあるらしい。説は挙げるとキリがなく、結論が出なかったので『そういうもの』として後世に伝わった。ただ――好奇心旺盛な昔の天才剣士が、この奥義について色々調べてくれていたらしい」

「お、この辺の文は読める文体になってきてるな。どれどれ……」


 比較的近代の八咫烏使いだったのだろう。そこにはどんな物体まで切り裂けるのか、武器による差異はあるのか、そして彼自身が過去の文献を読み漁って拾ってきた情報などが簡潔に書き込まれている。所々端折られているのはアストラエが実際に読んだものを要約した影響だろう。


「武器が脆いと奥義で破壊出来るものは脆くなり、武器への反動から破損することもある。逆に上質な武器で試した所、威力に個人差があることが確認された。最も強い者は刃毀れなくオリハルコンの盾に切り傷を入れて見せた。もしかすれば、もっと威力が出る可能性もあるのかもしれない……」

「ちなみにこの時に使った武器は、ミスリル銀よりは劣るが鋼より強いダマスカスという金属を使った剣だそうだ。ダマスカスは美術品としての価値の方が高い代物だから、これを試した男はなかなかの富豪か、それだけのスポンサーがいたようだね」

「その物好きな成金のおかげで俺たちは今こうして助かってる訳だがな」


 どんなに下らなくて金の無駄だと思う実験にも、それが後世に伝われば思わぬ価値を生み出すこともある。実験した彼がそうした意識を持っていたのかどうかは分からないが、それが王宮の書庫に辿り着き、こうして掘り出されたのだから不思議な運命を感じる。


「そして奥義の発動条件。これが今回の八咫烏破りの正体だ」

「ええと……奥義には失敗がない。剣を叩き落とそうとすれば剣だけを叩き落とし、首筋に突きつけようとすれば行き過ぎも行かなすぎもせずイメージ通りに首筋に剣を突きつける。試しにスイカを四等分してから切り口の角度を測ってみると、寸分のずれなく四等分になっていた。このことから私は、八咫烏という奥義は『実現可能なイメージを現実に引きずり出す奥義』なのではないかと、思った……」

「……成功するイメージがあるから、奥義は成功する。成功のイメージなく攻撃だけを放とうとすると、攻撃する意志だけが無秩序に現実に発生する。八咫烏暴発の理由はこれだな。そして――実験中、一度だけ奥義が不発に終わるという珍事が起きたともある。向かい合っていた弟子が疲労困憊で奥義を放つ直前に倒れたとき、奥義は発動しなかったとね」


 どうしよう。過去の文献を読み解くほどに八咫烏が謎に塗れていく。


「彼はその原因を推測しつつも結局答えを出しきれなかったようだけど、僕は思った。八咫烏が停止したのは、相手を打倒するという目標を脳裏に刻んだにも拘らず、相手が既に倒れていた――実現できない現実を実現しようとしたからなんじゃないかと。だからねヴァルナ。僕はあのとき、こうしたんだ」


 話に夢中で注文の品がテーブルに届いている事にも気付かないアストラエは、腰に差したカトラスをぽんぽんと叩く。


「八咫烏を使って『剣を床に置く』というイメージを実現させたのさ!!」

「バーカお前ほんとバーカ!! マジでアンポンタンなんじゃねえのッ!?」

「あーっはっはっはっは!! 引っかかった君の頭が固いのさ!! 実際にこれで奥義を放つと君に認識させ、『剣を叩き落とす』といった目的を不発に終わらせることが出来た訳だ!!」


 人類史上初、究極奥義『剣を床に置く』を実行した男。

 望んでも辿り着けない人間が数多いる十二の型、八咫烏をそんな当たり前のことを実行するために発動させるとは。しかもそれを実践の中で、相手の八咫烏を不発に終わらせるためにやったとは、本当に信じられない。


 まぁ、つまり俺がその後の八咫烏でイメージを明確にしたのは正解だったわけだ。本当にこの男は油断も隙もありはしない。おどけて笑うアストラエは、話の締めとばかりにメモ帳を翳す。


「こいつはオマケだけど……続きを見て見なよ。ほら、ここ……八咫烏は余りにも神秘的過ぎることから、剣技ではないのではないかという推論に至り、槍や素手で発生させられないか試した。しかし、剣に捧げた我が身を今更別の武術の極致に染めることは叶わず、弟子にも実験に付き合いきれないと愛想を尽かされた。そのため、研究は遺憾ながらここで打ち切ることとする……」

「弟子の気持ちも分かる。俺も修行する時間無ぇからやらないだろうな」

「とかいいつつ何かの拍子にしでかしそうだから、一応伝えておいたよ」


 そこでやっと酒をグラスに注いだアストラエは、にっと笑う。


「シアリーズは今や君の最大の敵だ。あの桁外れのオーラを纏った攻撃は下手をすると大会一熾烈なものになるかもしれん。だからヴァルナ、次の試合では王国攻性抜剣術の奥義を信じろ。そして勝って優勝して見せろ。この大会には三位決定戦がないから僕は君の補助と応援に全力を尽くす」

「頼りにしてるよ、親友」


 俺は自分の席に置いてあった海外茶のグラスを掲げ、ちん、と乾杯した。


(にしても……)


 俺は、食事前に受け取った報告書に目を落した。


 それはロザリンドの報告書。内容によれば、襲撃犯の手がかりが得られて時間的な猶予がないために、本日の定例報告に出られないこと。そして現在ナギ、ピオニーと共にセドナの手伝いに駆り出されていることが記されていた。


(急げよセドナ。明日までに逮捕できなけりゃ、犯人に辿り着けなくなるぞ)


 普段なら必ずこの場に合流したがるであろう、しかし今はいないもう一人の親友に、ヴァルナは想いを馳せた。

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