第268話 翁の剣を信じなさい

 演武というものは、武術の基礎を踏まえた動きをする。

 相手と対面する形で技を繰り出しても、それは相手と自分が同じ基礎を重ねており、互いに示し合わせているからこそ武技の打ち合いが滞りなく出来る。そこには不意打ちも罠も存在しない。多少のアドリブも、学んだ武術を前提とすれば受け流せて当然だ。


 演武は争いではない。どちらかと言えば剣舞のような魅せる動き、踊りに近いものがある。ただし武術によって様々な趣があるし、時に一つのミスで本当に死にかねない本物の武器を使った演武もある。


 今――俺とアストラエの動きは、まるで演武のようだ。


 放つ刃は綺麗に受け止め合い、いなし合う。滞ることない連撃を捌く手に淀みはなく、あわやという攻撃も互いに示し合わせたかのように躱し、防いでいく。実際には高度な読み合い、不意打ちへの即席の対応、腹の探り合いがその応酬に内包されている。その上で、俺達のぶつかり合いには淀みがない。


 ああ、これは対応されるな。

 ああ、これはこう防げばいいな。


 短いようで濃密な付き合いの中で相手のことをよく知っているのはアストラエだけではない。俺もやはり、アストラエが生半可な行動を取ればその数手先まで読めてしまう。一瞬でも気を抜けばこの均衡が崩れ去ることを知りながら、その先を見据えてせめぎ合う俺たちは、周囲には演武に興じているように見えるだろう。


 互いの力量を見せ合い、互いの武技を見せ合い、客の目を飽きさせず目まぐるしくも緩急つける。この演武だけで見物料が多少稼げそうだ。


(さぁ、どこで仕掛けてくる? それとも、気付けないだけでもう仕掛けてきているのか?)


 アストラエには俺が攻めてきた時のプラン、現状維持した時のプラン、自らが攻めに転じたときのプランの三種類がある筈だ。俺はこの中から奴が二番目、現状維持の際のプランを引き出そうと考えている。

 一番目のカウンター狙い、三番目の牙城崩しはどちらも危険ではあるが、それを言えばこちらが詳細を把握できない作戦など全部が危険である。ならば、相手が最も切りにくい手札を選ばせるべきだ。


 現状維持するプランは一見して実行が最も簡単に見えるが、実際には逆だ。相手が攻めに転じるにせよ、自分が攻め込むにせよ、どちらも戦いの方向性が一方に定められている状況だ。対して現状維持を勝利に繋げるというのは、自分で方向性を動かさなければならない。もちろんそこに綻びが生じればイニシアチブを奪い去られるだろう。


 かといって、現状維持の策を選ばせることが安全かといえばそんなことはない。相手は策士だ。ガドヴェルト戦での俺がそうだったように、音もなく静かに作戦は進行中なのかもしれない。アストラエはその手の作戦を実行するのが上手い男だ。


 果たしてこれは我慢比べか、それとも逆にアストラエに行動を選ばされているのか――そう疑心暗鬼に陥らせるだけの不気味さがアストラエにはある。まぁ俺はその辺どっちでもいいかと思っているのだが。




 ◇ ◆




(――そこがヴァルナの怖いところだ)


 アストラエは幾重にも重なる斬撃や蹴拳の応酬の中で笑う。

 それは畏怖と悦楽の入り混じった笑みだ。


 ヴァルナに心理トラップは通じるが、劇的な結果は狙えない上に自滅を狙うことも出来ない。何故ならばヴァルナは考えてもキリのない話は考えない男だからだ。この豪快な所はアストラエには真似できない。


 しかも、苦労していざ引っかけたと思っても力尽くや勘で割とあっさりひっくり返し、何をされたのかすぐに解析されてしまう。この男から一本取るのにアストラエが今までどれほど苦心してきたか、きっと思いを共有できる人間は殆ど居ないだろう。


 とにかく、武人として強すぎる。

 殆ど完璧に見える要塞のたった一つの弱所を見つけても、攻めるとすぐに応戦され塞がれてしまう――アストラエにとってヴァルナは難攻不落の城なのだ。しかも攻めれば攻めるほどにより完璧に仕上がっていく、厄介極まりない城だ。


 十二の型、八咫烏を得ても、何も変わらない。

 相手と同じ射程の新型大砲を手に入れただけ、といった気分だ。


 だからこそ、どう突き崩すか作戦を立てている時が最高に楽しいのだ。


(ただ、時間はそう多くないな)


 上手く弾き、受け流しているが、ヴァルナの一撃一撃が想定していた以上に重い。ここまでの死闘を勝ち抜いたことで得た力量に加え、剣の性能の向上がアストラエの腕に想定を超える負荷をかけていた。それでも船の任務で鍛えた体はまだ保つが、長期戦になれば不利は必至だ。


 勝負は一瞬、必勝の策は残念ながら一本限りだ

 呆気なく勝利するか、呆気なく敗北するか。

 自分でも珍しいと思うが――これほどまでに努力したのだから絶対に勝ちたいと駄々をこねる心が胸の内にある。


 もしヴァルナが先に仕掛けてくるか、隙を晒して誘い込んで来たらこの作戦を実行するのは厳しかったかもしれない。しかしヴァルナはまんまと現状維持の策を選んだ。その事に、心理を読み切った達成感と、作戦を実行したところで正面から打ち破る気であろうヴァルナへの警戒感を覚える。


 油断はない。

 慢心もない。

 ただ、自分の生き甲斐である男に、この最高の舞台で勝利したときにこの身に降り注ぐ感情を、アストラエは知りたかった。

 

 アストラエはこの日の為に、王国のあらゆる武術書を読み漁った。王宮の書庫にしか保管されていない古く稀少な本をロマニーとノマに頼んで探して貰い、仕事の合間の休息を使ってそれを丁寧に読み解いた。


 その結果、アストラエは、恐らくヴァルナは勿論マルトスクですら知らないであろう八咫烏の弱点を発見した。いや、それは実証されていない今ははっきりと弱点とは呼べない代物だが、この戦いであれば通じる。


 真剣勝負でありながら殺し合いが禁止された、この環境でなら。


「決めるぞ、ヴァルナッ!!」

「来い」


 ヴァルナの放つ気配が瞬間的に膨張する。アストラエ自身も己の内側から力が溢れ出るのを感じた。機が熟し、衝突の瞬間がやってきたのだ。


 二羽の八咫烏が羽ばたく瞬間が。


 ヴァルナがもう一本の剣を完全に抜き放ち、構える。マルトスク戦で放った二刀流八咫烏を放つ気だ。絶対に相殺などさせず容赦なく叩き潰そうとしている。対し、こちらは最高級とはいえ一本のカトラスと覚えたての奥義のみ。


 観客の一部が鼻で笑う。

 勝負ありだ、これはヴァルナの勝ちだと。

 後でそのしたり顔を驚愕に歪めるがいい。


 ヴァルナが駆け出すと同時にアストラエは構え、集中し、八咫烏を放つ瞬間に垣間見える加速した世界に突入し――そのまま、そっと床に剣を置いてヴァルナを受け入れるように両手を広げた。


「来い、ヴァルナ。僕はなにもしない」


 目を閉じ、風圧が体を通り抜けるのを感じ、そして眼前に驚愕の表情で停止したヴァルナがいることを認識し、アストラエは、爆発する歓喜の感情と共に持ち込み武器の一つ――戦闘縄を袖から引き抜いた。




 ◇ ◆




 何をされたのか、分からない。

 あの時、確かにアストラエは八咫烏を放とうとしていた。フェイントなどなく、感覚で俺には分かるのだ。何故なら、八咫烏を相殺するには八咫烏を放つしかないからだ。


 しかし、ゾーンに突入して刃を振るおうとした瞬間、突如として「到達点」が消えた。

 八咫烏は、目的に到達する為の奥義だと俺は思っている。敵に全力の自分を見せて無力化するとか、敵に押し勝つとか、武器を破壊して敗北させるとか、明瞭に何かの目的があるとき、八咫烏は驚くほどスムーズに力を発揮する。


 だからか、嘗て目的意識もなく案山子に無理やり放った八咫烏は向かう場所を失い、結果としてコントロール不能な方向に案山子を吹き飛ばしてしまった。


 今回は違う。目的が途中で消失したことで、俺は気が付けばアストラエの眼前に剣を構えたまま立っていた。

 そして、気付く。アストラエが剣をステージ上に置いていることに。


「――僕の勝ちだッ!!」


 その一瞬。

 ほんの指先一つだけ、状況を生み出したアストラエの方が嵌められた俺より速かった。咄嗟に剣を引いた瞬間、アストラエの袖から蛇のような細長い影が空間を通り抜け、ガチンッ!! と二刀の刃が絡みついた。咄嗟に切り払おうとするが、刃同士は接着したかのように動かない。


「でぇぇぇッ!? そんなのありかぁッ!?」

「反則ではないとは『やっていい』という意味だ!! 引っかかった間抜けが悪いのさッ!!」


 間髪入れずにアストラエの下段蹴り。思考が一手遅れたせいでダメージを完全に逸らせず数発受ける。このままだといいようにやられるから引かなければならない。

 つまり、引けばアストラエの思惑通りだ。


「舐めんなッ!!」


 剣が固定されたまま踏み込んでアストラエに斬りかかると、アストラエは猫のような敏捷さで引きながら床のカトラスを拾い、達成感に満ちた顔で笑った。


「はっはーっ! 八咫烏、破れたりぃ!!」


 この時、俺はやっとアストラエの狙いが「八咫烏を放たせること」であったことと、自分の双剣の刃と鍔に、アストラエの持ち込んだ武器の一つ――戦闘縄が複雑に絡み合っていることに気付いた。


 縄というには少々スマートだが、紐と呼べるほど生っちょろい編み込みではない。しかも見たこともない繊維を使用しているところを見るに、恐らく何らかの魔物の毛を使っているのだろう。剣を擦り合わせても刃が通らない。

 アストラエが縄を用いた捕縛術の類を使えることは知っていたし、奴の持ち込み武器に縄があったことも知っていたが、こんな手段に出るとは予想していなかった。


 文句のつけようがない、見事な武器封じ。

 刀剣殺しサヴァーは恐らくこの試合に驚嘆しただろう。

 こうなってしまうと自慢の愛剣も唯の使いにくい棒きれのようなものだ。しかもガチガチに固定してあり、試合でアストラエの攻撃を凌ぎながら解ける代物じゃない。


「くっそ、この……何てこと考えやがるッ!」

「よく出来てるだろう? 君が二刀流で来ようが鞘で来ようが一刀流で来ようが、どんな構えだろうが対応できるように三十通りの結び方を考えてきたんでね」

「考えすぎだろ暇人が……ッ!」


 したり顔のアストラエに毒づきながら、俺は全身の汗腺から汗が噴き出るのを感じた。

 王国攻性抜剣術は手に馴染む剣があってこその抜剣術だ。こんな風に結ばれてしまえば武器そのものが無駄な形になることで、奥義さえも無駄な動きを増加させてしまう。この状態ではどう足掻いても剣技が劣る。


 鞘を使うか?

 否、不意打ちならともかく鞘の握り方では力を十全には出せない。

 何より剣よりリーチが劣るし重みも足りない。棍棒の方が幾分かマシだ。


 素手で戦うか?

 馬鹿を言うな、相手は剣を持ったアストラエだぞ。

 俺が剣を十全に扱えなくなった後の戦術を怠るような奴じゃない。


 どうする、どうする、どうする――。


 これ、まさか……終わったか?


 走馬燈とでも言うべき感覚が前進を包み、現在から過去へとあらゆる自分の戦いの記憶が脳裏を駆けていく。しかしそのどこを探しても、この状況に対して有効と呼べる一手が見つからない。


 どうやっても、この縄を巻かれた剣のままではアストラエに対抗できないし、ガントレットもないのに剣に素手では立ち向かえないし、そもそも素手でかかれたとして八咫烏を打たれたら終わる。

 俺は確かに拳でも戦えるが、同格かそれ以上の相手に剣を使わず勝てるほど超越はしていない。ガドヴェルトに勝利出来たのは、こしらえた作戦が偶然の重なりによって奇跡的に上手く運べたからに過ぎない。


 終わるのか、ここで。

 アストラエに負けて、賞金に手も届かず、期待を不意にするのか。


 観客たちの間から歓声、悲鳴、怒号、あらゆる声が聞こえるが、その全てがもはや遠いものに思える。見知った声もその中には――。


「小僧ぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーッ!!」


 俺は、何故かその声を、ゲノン爺さんの声だと感じた。

 実際には全く違う、幼い子供の声だった。

 この声は、タタラ君の――。


「ゲノン翁の剣を信じぬかぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!」


 その声は、数多ある声のなかで唯一、俺にこう語りかけていた。

 勝てる戦いを、剣を言い訳に捨てるな、と。

 

 そうか、と思う。

 この剣はデッドホーネットの顎に襤褸にされたあの剣ではない。

 もっと進化した、もっと上位の、もっと無茶出来る剣である。

 俺はまだ、心のどこかで剣を接待していたのかもしれない。


 じゃあ、遠慮はいらないよな。

 タタラ君、ゲノン爺さん、そういうことなんだろ。


「大分雑に扱うけど……文句はいいっこなしだぜッ!!」


 俺は、自分の足元に向け、縄で縛られたままの剣を握って――。


「は? え、おいヴァルナお前まさかッ!?」

「吹っ飛べやッ!! 八咫烏ッ!!」


 到達点を定めないまま放った八咫烏は暴発する。

 俺は、実に久々に――そして人生二回目の八咫烏暴発を床に叩きつけた。


 ズドガンッ!! と、ステージに大砲が叩き込まれたような衝撃が奔り、ステージに十字型の亀裂が奔った。ステージの中央は大きく抉れて粉塵が舞い、アストラエはカトラスを床に突き立てて耐えたものの、数メートルは後方に押し出されていた。突き立てなければそのまま場外に落ちていたろう。


『ヴァルナ選手、何をしたのかぁッ!? 剣を縄で縛られ絶体絶命かと思った刹那、天啓を受けたように突然の超パワーッ!! 新調したステージがまた砕け散ってしまいましたが、アストラエ選手は辛うじて衝撃に撃ち耐えたようですッ!! ヴァルナ選手、凄まじい威力ではありましたがこれで万策尽きるか――!?』


 実況が喚く中、粉塵を風が攫うなかで俺は握られた二双の剣を天に掲げた。


 八咫烏の暴走を床に叩きつけて、その衝撃をもろに浴びた剣は、斬れないほどの強度の紐さえ弾け飛んだにも拘わらず刃毀れ一つせず輝き続けている。ここに至るまでにどれほどの心血が注がれたのか。それに遠慮することがどれほど愚かしいことかを、俺は噛み締めた。


 そして、砕けた大地を蹴り飛ばして即座に疾走する。


「なんという滅茶苦茶を考えるんだ……ユニコーンのたてがみで編んだ縄だぞ……!!」

「今回は俺の負けだ、アストラエ。勝ったのはゲノン爺さんの剣ってことにしとく」

「嫌味にしか聞こえないな……! そもそも僕はまだ負けていないぞッ!!」


 視線の先には、既に構えを取るアストラエがいた。

 口元にはいつもの余裕面が張り付いているが、その視線に籠る熱は今までの比ではない。あれは後がない人間の目だ。この策を破られれば実力で勝つしかないと思っていたのだろう。もう一度俺の八咫烏を止めたアレをするかもしれないと不安が過るが、今度はさせないくらいぶっ飛ばせばいいか、思考を修正する。


 ありがとう、アストラエ。俺の弱所を突いてくれて。

 それでこそ俺は自分が危うい場所に立っていることを自覚できる。

 お前がそこに自らも登ろうとしている事を自覚出来る。


「八咫烏よッ!! 俺に勝利をッ!!」

「八咫烏よッ!! ヴァルナに敗北をッ!!」


 今度こそ本当に、二つの八咫烏は絡み合うように衝突し、轟音と爆風が荒れ狂った。


 目を覆って風を凌いだ観客がステージ上に目を向けた頃には、親友同士の激突は既に決着していた。


 俺は一本の剣でアストラエのカトラスを叩き落とし、もう一本の剣の腹でアストラエの首をしかと捉えた。アストラエはそれに納得したようでどこかしきれない、複雑な表情で肩を落とす。


「ああ、畜生。遠い、遠いなぁお前は……」

「お前に追い越されたくないもんでな。次は武器の分も勘定に入れときな」

「はっ……完敗だ、我が親友」


 アストラエは両掌を見せて降参の意を示し、会場は大興奮の坩堝と化した。敗退した王子へは賛辞と激励が贈られ、そして俺は決勝戦への切符を手にした。


 ただ、アストラエが笑顔を浮かべながらも少しだけ早足に退場したのと、出入り口でフロレンティーナがあいつを待っていたのを見て、会いにいくのは間を空けてからにしようと思った。


「お前だって悔しがったり泣く日はあるだろ……? 俺には見せたくないよな、そういうの」


 戦績、これで百五十九戦百三勝二十六敗三十引き分け。

 しかし俺はしてやられ、アストラエも敗北を認めたので、無効試合にしておこう。

 だからアストラエよ、また俺を大いに焦らせ、勝ちを奪いに来てくれ。

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