第266話 見守る目です

 剣を抜き放ち、振る。

 唐竹割、袈裟懸け、刺突、様々な動きを試す度、白銀の剣は煌めきと共にヒュッ、と空気を裂く。刀身が僅かに大きくなっている為に多少は使い勝手が変わっているかと思ったが、驚くことに感触は以前の剣と変わらない。


 僅かな重心や金属の比重などを計算し尽くし、俺が騎士になった際に受け取った剣の手触りや手応えを完璧に再現した剣。それでいて、振るたびに前の剣と隔絶したポテンシャルを感じる。もっと乱暴で力任せに敵を攻撃しても、この剣は無茶な要望に応えてくれるだろう。


 シアリーズの試合後、俺は明日の試合に備えてひたすら慣らしを兼ねて剣の訓練をしていた。


「岩くらい刃毀れなく斬れる気がする」

「あっそう。良かったわね」


 後ろから聞こえる不貞腐れた声の主は、ネメシアだ。前回あれだけの重傷を負ったにもかかわらず新しい武器に目を輝かせて飛びついた俺にだいぶ冷たい視線を送っている。あとシアリーズに会場で手を振られたのも若干彼女の中でしこりになっている気がする。嫌ってるものなぁ。


「大会終われば護衛もおしまい。残すは二試合だしもう少しの辛抱だぞ?」

「なによ、私が護衛についてるのが気に入らないって意味? そうでしょうね、そうでしょうとも。こんなに愚痴っぽくて嫌味な女より華やかなシアリーズ様との逢瀬を楽しみたいでしょうね!」


 すごく僻みっぽい。面倒くさい怒り方に「面倒くさっ」という言葉が喉から出かけたが、苛ついている女性にその一言は禁句に等しい。というか、彼女はそもそもシアリーズをどう思っているんだろうか。


「シアリーズに対抗意識があるのか?」

「はぁ? 答える義務ある?」

「ないな」

「……」

「……」

「少し……少しだけ、嫉妬してるかもしれない」


 ここで一度突っぱねる雰囲気を出しつつ質問に答えない自分の感じの悪さに耐えきれず答えてしまう辺りが、実にネメシアである。何だろうこのほっこり感は。


「『藍晶戦姫カイヤナイト』シアリーズと言えば大陸冒険者で知らない人はいないわ。浮浪者同然の身分から実力のみで競争激しい冒険者社会を駆け上がり、弱冠十五歳で最高位の星である七星ドゥーベに至った実力者。私が家で勉学に励んでいた頃、あの人は生死を賭した戦いに毎日のように身を投じ続けてきた」


 考えてみればそれも残酷な話だが、その残酷な世界の中で貪欲に勝ち続けた彼女は、結果的に一介の騎士では到底受けられない栄誉と称賛を浴びた。


「あんな巫山戯た女なのに社会的には彼女が遥か上だと思うと、嫉妬するわ。私が百人いたって彼女の実力には届きもしない。ミラマールの力を借りて戦ったとして、攻撃範囲に入らないよう空を逃げ回るしか出来ないと思う……」

「ワイバーン……狩ったことありそうだなぁ、あいつのことだから」

「前の試合……『千斬華スライサー』リーカだって大陸に名を轟かす実力者なのよ? そのリーカを一撃で叩きのめす姿を見たとき、悔しいけど鳥肌が立った。尊敬した。あんな風になれなかった自分が悔しかった……」


 彼女も曲がりなりにも戦いを生業とすることを選んだ身。当然強さを追求している。比較対象が悪いと言えばそれまでだが、あそこまでスケールの違う相手を見ると、相対的に自己評価が低下してしまうのも無理らしからぬことだ。


 ふと、俺はラードン丘陵砦の騒ぎの後に彼女としたやり取りを思い出した。


「冒険者みたいに強くなりたいのか?」

「騎士なんて強いに越したことはないでしょ?」

「そうじゃなくてさ。お前の目指す目標は栄光を求めて最強の竜騎士になる事なのか?」

「え……と。違う、と思う」

「だよな。お前そういうタイプじゃないもの」


 ネメシアはハッとした顔でしばし考え込み、顔を上げる。


「私はクリスタリア家の人間として世間に何ら恥じない立派で正しい騎士になりたい。強さとはその証明手段の一つでしかないわ。欠かすことは出来ないけど、それに拘泥し過ぎるのは……違う」

「だな。立派さは個人の武勇とは違う。戦わずとも状況を冷静に見極め指示を飛ばす人間は立派だし、戦いに参加しないからサポートに精を出すのも立派な仕事だ。嫉妬や憧憬を抱くのは自然な事だけど、意識を取られ過ぎるなよ。唯でさえお前そういうのでドツボに嵌りやすいんだから」

「うん……って最後のどういう意味よッ!!」


 割とそのまんまの意味だが。ミラマールの件で勝手に自分を追い詰めて憂鬱になってたのに、まだ自覚がないのだろうか。彼女は暫くプリプリ怒っていたが、一応は嫉妬心と向き合えたのか大人しくなった。ただ、それでも燻る思いがあるのか、じっとこちらに視線を送っているのを感じる。


「俺に言いにくいことなら、言いやすい奴に相談しろよ。人間、溜め込んだ物はどっかで放出しないと感情の整理が難しいもんだ。これ、先輩の受け売りだけどな」

「でしょうね。貴方は放出しっぱなしタイプですし」

「まぁ、その手の人が本当は一番危ないらしい。何故なら放出したストレスが周囲に向かうから」

「ありありと想像出来るわね。誰とは言わないけれど」


 ちなみに俺の場合、周囲は公然と俺を侮辱したりたかったり名誉棄損したりネタにして勝手に盛り上がったりとやりたい放題である。いい加減にしとけよ先輩共。


「というか、俺はアストラエとの戦いにまず集中しなきゃならんのだった。シアリーズの話はあとにして、色々考えておかないとなー……」

「ごめん、邪魔しちゃって。護衛失格かしら?」

「お前に話しかけられたくらいで戦いの勝敗が揺らぐかよ。筆頭騎士だぞ、おれ」


 自信に満ちた笑みを返してやると、ネメシアはまるで子供の自慢話を聞いたようにくすりと笑い、それ以上は俺の意識を逸らすようなことはしなかった。アストラエとの戦いはとにかく気が抜けないので、俺は綻びをなるべく少なくするために訓練を続けた。


(……自分より遥かに強いシアリーズの方がヴァルナに相応しい女に見えたことに嫉妬した、なんて誰にも言える訳ないじゃない……ばか。ばかヴァルナ)




 ◆ ◇




「と、今頃ヴァルナは特訓中だろうね」

「アストラエ様は特訓されなくてよろしいのですか?」


 ルルズに存在する王家別荘地の一室で幾つかの冊子を読み耽るアストラエに、婚約者であるフロレンティーナ――フロルは問うた。


「わたくしが言うまでもないことでしょうが、ヴァルナは強敵です。今の戦績の時点ですでに武闘王を名乗ることが許される程ですよ?」

「ああ、いっそ大会に出なくたってそうさ。しかし僕にとってこの戦闘準備も欠かせないのだ。この冊子には過去のヴァルナ対策全てが詰め込まれているからね」

「少し意外です。筆まめなのですか?」

「はは、まさか。僕は天才肌だから大抵の事は筆記せずとも頭に全て入っているさ。でもヴァルナとの戦いになるとそうはいかない」


 アストラエはパズルに挑戦するような楽し気な顔でペンを取り、冊子に何やら書き込んでいく。フロルにはそれが何を意味するのか一見して理解できない。


「微細な隙や癖程度では実戦の中で修正されてしまうから、もっと広く俯瞰した視野で戦略を練らないといけない。それこそ文字に起こして初めて気づかされるような盲点がなければな」

「同じ究極奥義を身に着けても、そこまでの差が?」

「それぐらいないと僕が困る。僕はいつまでだってあいつの研究を続けていたいんだ」

「ふふ……また私の知らないアストラエ様の顔を知れました」

「そうかい? まぁ、考えてみれば他人には余りこういう所は見せたことがないかもしれないね。せこせこと努力している様に幻滅したかい?」

「まぁ、からかっていらっしゃるの? 将来の伴侶たるもの、理想ではなく事実を受け入れる必要がございます。幻滅という言葉の入り込む余地はありませんわ」

「僕より断然覚悟が決まってるね……」


 何故か微かに冷や汗を流すアストラエにフロルは首を傾げるも、自分に厳しいアストラエの事なのでもっと自分に精進を課したのだろうと勝手に納得する。


 フロルにとって、このコロセウム・クルーズでの試合は刺激的だった。少々刺激の強すぎる試合もあったが、ここには皇国にはない熱気がある。人と人がぶつかり合い、その行く末を大勢の人間が固唾を飲んで見守る。民のあらゆる意識が、どちらが勝つかというシンプル極まりない選択に注がれる空間には、どこか人間の根源的な欲求を感じる気がする。


 そして戦いの中で勝ち上がる華麗なる婚約者と、時には理解不能に、時には泥臭く勝ち上がる『友達』。応援していた者同士がぶつかることに、フロルは未だに現実感がない。


 戦いとは、対立する目的や利権を持つ者同士が行うものだ。しかし、二人の激突は明らかにそのフロルにとっての常識に当てはまらない。ここ最近はヴァルナとは敢えて会っていないが、今のアストラエの様子を見ているとヴァルナもきっと同じような面持ちでいるのではないか、と思える。


 本音を言えば、ヴァルナの様子は気になる。

 しかし、唯でさえアストラエに勝利して欲しいのに、ヴァルナに会ってしまえば今度はヴァルナにも勝利して欲しくなってしまいそうで、試合に決着がつくまで会うことはやめていた。婚約者としてアストラエを応援すべきだとは分かっていても、初めての『友達』が負ける様も見たくはない。


(はぁ、わたくしって優柔不断な女だったのですね。こんなにも戦いに入れ込むアストラエ様に見惚れているというのに……どっちも勝利で解決できれば良いのですが、きっと無理なのでしょう)


 女の思いを他所に、男たちは邁進する。

 親しいからこそ負けられない、意地と生き甲斐の決闘場へと。




 ◆ ◇




「二人とも今頃盛り上がってるんだろうなぁ……」


 ふと今は会えない二人の親友を思い、しかしそれ以上は深く考えず、セドナは捜査本部のテーブルで書類に目を戻した。二人に大きいことを言った以上、捜査で結果を出して己の道を示したい思いが勝った。


 選手襲撃犯捜索が急ピッチで行われる中で、一つ、また一つと名だたるホテルたちが候補から消えていく。顧客のプライバシーを理由に渋るホテルも多くいたが、セドナが交渉に乗り出すとそれも長くは続かなかった。実のところ、ルルズの高級ホテルの多くがセドナの実家スクーディア家の出資や指導を受けている。そうでなくとも王国最大の富豪の娘に悪い意味で顔を覚えられようものなら商売が続かなくなる可能性があった。


 また、セドナ自身も話の運び方が上手く、互いに最も相手の身を可能な限り切らせずに捜査協力を取り付けていた。これについて彼女の上司であるリフテンは、人の好さから交渉は不向きだと思っていた彼女の能力を見直さざるを得なくなる。


 こうしてホテルの半分ほどをリストから外すことが出来た。

 タイムリミットはあと二日。単純計算で言えばゴールが見えるだろう。

 しかし、半分は交渉が上手くいった協力的なホテル。後に残るホテルほど交渉が難航している。それはスクーディア家の出資がほんの一部分であったり、いくら国の捜査と言えどお客様に不利益のある可能性のある情報は流せないという理念の問題であったりする。


「やっぱり正攻法では無理かな……」


 息抜きにジュースを飲みながら、セドナは椅子に凭れ掛かって考える。

 海外からの渡航者の中には、簡単に周囲には明かせない情報を持つ者――外交官が少なからずいる。彼らにとってプライバシーや身の自由とは他国に行くにあたって最も重視する所であり、異国で不当な扱いを受けない為にサービスの質が高いホテルを選ぶ。


 この固定客を自ら手放すような真似をするホテルはそうそうない。交渉に応じたホテルも、固定客に不信感を与えないかや、悪評の流布の可能性を非常に警戒していた。当然こちらもプロなので影響のないよう調べたのだが、ホテル業務は僅かな綻びが評判を大きく落とす。


「……」


 この事件の犯人は、大会出場者に匹敵する身体能力の持ち主だ。

 戦闘能力を持った人間の線で祭国が調べた所には、これといって該当者が出ない。つまり高名な実力者ではない。そして高級ホテル街に居るとすれば、相応の資金力、ないし資金提供を受けている可能性がある。もしくは直接的に協力者がいる可能性もある。


 犯行内容の変遷も気になる。

 弱い戦士から順に人通りの少ない路地裏で仕掛けていたと思えば、突然クルーズ内での大胆な犯行。その後すぐに野良試合でそれらしい戦士の姿が確認されている。これでは隠れたいのか目立ちたいのか分からない。戦いを継続していること以外、犯行計画に一貫性がない。


 行き当たりばったりにしてはよく出来ているが、ここ最近は急に目撃証言も減ってきた。一度それらしい人物を発見した同僚が事情聴取したのだが、なんと事情を知らず犯人を模倣しているだけだった。野良試合で常勝らしい犯人は人気が少しずつ出てき始めていた。

 これは、良くない傾向だ。聴衆が犯人を隠しかねない。


「うんん……」


 ふと、屋根を伝って撤退した話を思い出し、セドナは地図を引っ張り出す。

 ホテル街は基本的に建物だけでなく敷地も広い。店や家の密集する地域ならともかく、ホテルに逃げ込もうとすれば着地する場所が必要になる。いや、そもそも――そんな武器とローブを羽織る客は否応なしに目立つ筈だ。戦士や冒険者とこの周辺のホテル街は客層が合わない。ホテルが言わずとも客の間で噂になりそうだ。


「外に出てから着替えた……ううん、この町に着替えるのに都合のいい場所はないし、民家の類だと目撃証言が一つも上がらないのは変。犯人にとって一番簡単なのは、やっぱりその恰好のまま出入りすることだよね……」


 とん、とん、とん、と逃走ルートを指で辿ると、大型水路を挟んで屋根上の道が途切れた。


「……ここ、何かないかな」


 あるかもしれないものを想像し、連想し、セドナの頭には一つのホテルが思い浮かんだ。確証はないが、確かめれば少なくとも正誤は判明する。セドナは席を立ち、離れた場所にいたロザリンドとナギに近づく。


「ちょっと頼み事をしてもいいかな?」

「はい、時間の都合は大丈夫ですが……如何されました?」

「どしたん、セドナちゃん。ヴァルナと王子の試合見たいから交渉役チェンジ?」

「あははは、それももちろん気になるんだけど、今はこっちが気になっちゃって。私はこの後も交渉だから、代わりに確認して欲しいことがいくつかあるの! お願いね、二人とも!!」


 セドナは自分なりに考えた可能性と、探すべきもの、確認すべきことについて二人に伝えた。

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