第265話 SS:世界一の乙女心です
嘗て仲間であり、師弟であった者同士のせめぎ合い。
先に動いたのはリーカだった。
「私の究極……幻影の剣、見切れますかッ!!」
ドウッ!! と、リーカが残像が見える程の速度で接近する。
彼女が通り過ぎた後の床がガガガガガガガッ!! とけたたましい音を立てて削れ、恐ろしく速い速度であるにも拘らず一歩一歩足を踏みしめている事を察する。踏み込みは威力、速さも威力。彼女はその両方を乗せる気だ。
シアリーズの動体視力を以てして、これほど追うのが困難な速度の敵は今まで存在しなかった。シアリーズには彼女の動きが正しく認識できたが、恐らく殆どの観客からすれば彼女が突然地面を猛スピードで滑ったように見えただろう。
間合いに入る。シアリーズは全神経を集中させてその動きを見極めようとして――驚愕した。
リーカの姿がぶれ、二人になっていた。
同じ顔、同じ装備、同じ構えで、それは全く同時に雄叫びを上げた。
「「ディメンション・クロォォォスッッ!!!」」
右と左、二人にブレたリーカが全く同時に連撃を放つ。
最高威力、最高速度、逃げ道無し。
幻影の剣とはよく言ったものだ。
「――ああ、なるほどね」
次の瞬間、シアリーズが奥に構えた細剣がボッ、と大気に風穴を空ける速度で放たれ、ガギャアアアアアアンッ!! と、悲鳴のような金属音が会場に鳴り響いた。誰もがシアリーズという伝説が過去のものになると確信した、それを否定するかのように。
僅かに遅れて、シアリーズの体に複数の刺すような痛みが奔る。
しかしシアリーズは気にすることなくゆっくり目を見開く。
そこには、唖然とするリーカの顔があった。
「そんな、この技を……初見で?」
細剣は、リーカの胸当てに突き刺さっていた。
遅れて胸当てが綺麗に縦に砕け、剣の切っ先が服を斬り、あと僅かでリーカの肌に突き刺さる場所で停止しているのが周囲の目に確認される。しかも、当事者以外は殆ど気付けなかったがこの刺突はリーカの刺突を弾き飛ばした上でこの位置で止まっている。その証拠にリーカの剣を握る手は仰け反っていた。
「アンタさ、ここまでの試合の中で一度だけ速度に対応されたでしょ。ピオニーってのに。あいつが面白い察知方法使ってるから真似したのよ。極限状態での戦いで似たようなゾーンには入ったことあるから、割と簡単だったわ」
目を閉じることで視覚を遮断し、他の五感を極限まで高める『森の呼吸』。
幻影を見て目で見切れないと察したシアリーズは咄嗟にそれを行使し、そしてディメンション・クロスという想い人の名を冠したちょっと恥ずかしい技の本質を見抜いた。
「オーラね。東だと氣とかチャクラとかいうそれに類似した技術。それに多分、ヴァルナが使ってた裏伝四の型・
技に絶対の自信があったリーカは、茫然としている。
確かにこれは文字通り神業だ。シアリーズやヴァルナが模倣しても劣化したものになるだろう。
「オーラを一定以上の練度で纏うと残像のように見えるし、オーラは当人の存在感そのもののように感じられる。本当によく練ったものよ。刺突の風圧とオーラって組み合わさると本当に斬撃飛ぶのね。ちくちくした」
そこだけはシアリーズも見切れなかった為、防具の隙間から幾つかの裂傷と出血がある。但し、この程度の傷は冒険で散々負傷してきたシアリーズにとっては掠り傷にカウントされる。本命の斬撃はきっちり防いだ。
「オーラは身体能力向上にも繋がる。二人に見えるのはあくまで副次効果で、結局のところ剣を放つのは一人しかいない訳で……」
少し考え、破顔する。
「ま、合格あげてもいいかな。もう師匠がいなくてもアンタは立派な冒険者よ」
「シアちゃん……」
「という訳で、今よりアンタはアタシの競争相手。一切手心加えないから」
「えっ」
このまま降伏するつもりだったらしいリーカの顔が引き攣るのを無視して細剣を引き、シアリーズは改めて構えた。
「いやね、ヴァルナがトンでもない感じで勝ったじゃない。アタシよく考えたらここまで苦戦した相手とか全然いなくて、流石にヴァルナとの戦いより前に本気の慣らしをしときたいんだよね。こういうのは雰囲気作り大事だから」
「えっ、いやっ、その……いいえ! これは優勝の機会がまだ切れてないってこと!! ビビるなリーカ、ここが正念場ッ!!」
すぐに気持ちを切り替えたリーカが吼える。
その反応で、本当に彼女は何の心配もいらないな、と思った。冒険者たるもの好機には貪欲であるべきだ。嘗ての彼女に欠けていたものが、きちんと心に息づいている。
つまり、何の呵責もなくぶちのめせる。
「すぅー……覇ァァァッ!!!」
瞬間。
シアリーズの周囲の大気が、爆熱を放った。
紅蓮の炎の如く立ち昇るそれは、シアリーズの
彼女は冒険者間で非常に高い評価を得ているが、一般の評価では強さは認められつつもアイドル的な評価がされることが多い。それは彼女が公的な勲章や褒章を持っていないからだ、と酒場の論客は言う。
しかし、冒険者たちは知っている。
彼女が十を軽く超すだけの勲章、褒章を「いらない」と蹴ってきたことを。
彼女は
彼女が愛用する左手の細剣――名をエアガイツと言う――は、ネームドドラゴン・ニーズヘッグの尾を原材料に鍛えられた
凄まじい氣を放つシアリーズは軽く首を回し、サディスティックに微笑んだ。
「ま、アンタが習得してるオーラをアタシが使えないワケないよね。さぁて、ひよっこ卒業してんだから一発くらい耐えなさいよ?」
「ぴぃっ!?」
リーカは、目の前に魔人が降臨したような絶望的な光景に、雛鳥のような悲鳴を上げた。
無理、これ勝てない――と。
「アタシの恋の礎になーれっ! そりゃぁぁぁッ!!!」
胸の前で交差した二振りの剣が同時に前方に放たれる。空気を切り裂き、真空と氣が生み出した爆風と斬撃がリーカをガードした剣ごとボールのように軽々と弾き飛ばした。リーカは悲鳴を上げながら空中で錐揉みになり、剣が引き起こした爆風と共にそのまま観客席に突っ込む。
舞い上がる観客の私物やゴミ、そして悲鳴。
風が直撃して仰け反り倒れる観客たち。
そしてステージ上のどこにもいないリーカ。
文句なしの場外である。
「耐えなさいって言ったのに……まったく、ひよっこ卒業は取り消しかしら? それともアタシ、強くなりすぎちゃった?」
どれ、と吹き飛んだリーカがどんな有様か目を細めて探すと、彼女は観客席に激突する寸前で観客の誰かに片手で受け止められていた。人がひっくり返る程の爆風に平然と耐え、片手で受け止め切れる速度ではない筈の人一人を助けたその人物の顔を見て、シアリーズは思わず吹き出す。
「よりにもよってそこで見物とは、持ってる男よね……くすっ」
受け止めたのは、ホットドック片手に観戦していたヴァルナの腕だった。首根っこを中心に背中を捻らないよう器用にキャッチしたヴァルナは、急いで回収しに来た係員に目を回したリーカを受け渡す。
『場外ぃぃぃぃぃぃーーーーーー!!! 今の今まで手を抜いていたとでも言うのかッ!? 実は全く勝負になっていなかったぁぁぁぁーーーーーッ!! 大会開始当初は優勝候補であるマルトスク選手とガドヴェルト選手に差をつけられての三位だったが、もしや我々はとんでもない見誤りをしていたのではないでしょうかッ!! 常に強く美しくッ!! 輝きを増し続ける『
シアリーズは実況も無視して暢気にホットドックを齧るヴァルナに笑顔で手を振った。こっちは準備万端だから、とっとと勝ち上がってこいと。ヴァルナはそれに微妙な顔をしつつヒラヒラ手を振り返す。もしかしたら態とこっちに吹き飛ばしたと思っているかもしれないので後で一応謝っておこう。
『……というか、場外になったリーカ選手を受け止めたあれはヴァルナ選手ではッ!? 試合で重傷を負い明日の試合が心配されましたが、どうやらピンピンしているようです!! 壊された剣も運営との話し合いで新調が認められ、準備万端!! しかし騎士として女性関連の浮ついた噂が多いのはどうなんでしょう!! シアリーズ選手とは大会以前から交友があったそうですが、手を振り合っているのはそういうことかぁッ!?』
他人の恋路が大好きな観客たちが盛り上がり、その一方で一部の女性客がシアリーズに嫉妬の視線を浴びせる。もはやヴァルナは優勝候補筆頭。当人の知らないところで女性ファンクラブも出来ている。それが余計に居心地悪かったのか、ヴァルナは席を立ってそのまま会場を後にした。
――でも、逃げたって無駄。
――アンタ今、世界一強い女に目を付けられてるのよ?
◆ ◇
大会が進む一方、選手襲撃事件の捜査は新たな局面を迎えていた。
翌日に準決勝第二試合、翌々日は決勝、三日後には閉幕式が大々的に行われ、それで第三回絢爛武闘大会は幕を閉じる。三日後には祭国警備隊も騎士団も式で警備に当たらなければならない上に、終われば観客たちの一斉大移動が始まり調査どころではない。つまり調査チームは事実上、明後日までに犯人逮捕に漕ぎ付けなければ事件を解決できないということだ。
決勝戦をより万全にするための前夜祭で一日水増しできないかという話も出たが、ことここに至ってそれは観客の都合を無視し過ぎる暴挙だ。この会議で事態が前進しなければいよいよお手上げである。
「それで、例の犯人を『撃退』した英雄様はどちらさまで?」
「本大会開始前に大会で負けた者が二名。事件が起きたのは大会開始二日前の夜です」
それは騎士ロックがどこからともなく仕入れてきた胡散臭い情報なのだが、騎士団の書類として必要な項目を全て押さえているためロザリンドが提出した。当人は会議に出席しておらず、代理としてセドナが出ている。定例報告ではなく緊急会議の為、他にも時間の都合がつかなかった人物の欠席がある。
セドナとしてはヴァルナに近寄るシアリーズと、自分を下したリーカの戦いに若干後ろ髪を引かれてはいた。しかし、敗退組であるセドナは大会参加者の後顧の憂いを断つために事件に集中すると決めていた。
これまでの経緯や書類は全て頭に叩き込んである。
些細な違和感をも逃さない為、耳に神経を集中させる。
「被害者はマシウス氏とカダイン氏、両名とも三十代男性。二名とも小大会に参加したものの戦績が振るわずにいたそうです。またマシウス氏は問題行動のためにクルーズ乗船許可が一時的に剥奪されています。カダイン氏はルヴォクル族で、年齢を誤認させる言動をしています」
早速なかなかのロクデナシである。驚くことに二人とも小大会でヴァルナと争い破れたという割とどうでもいい経歴も祭国警備隊の側の書類に記載されている。こんなに可愛い男の子なのに中身はおっさん。この顔で「ふええ……」とか言っていたらしい。なんというか、怖い。
「経緯を説明します。当日夜、カダイン氏は大会に出られなかったフラストレーションからお酒とおつまみを買い込んで宿に籠っていましたが……」
可愛い男の子が部屋の一室で酒瓶片手にするめを噛んでゲップしている光景が浮かび、その場の全員が微妙な顔になる。ここまで嫌な気分にさせられるならいっそ顔写真などなければよかったのにとさえ思う。
「食料とお酒が切れ、買い出しに路地裏を通ったそうです」
「何故路地裏を?」
「子供だからと油断してゆすりに来る冒険者に槍を突きつけて小銭をせしめる為だそうです」
「そ、そう……それはそれで軽犯罪だけど、今はまぁ流しましょう」
「実際にその日は三名ほどが手口に引っかかり、約7000ステーラを稼いだそうです」
「被害届がないのでノーカン。ノーカンです」
もうやめて欲しい。頭に浮かぶ絵面と理由がもれなく最悪だ。
「そしてその帰り道でカダイン氏は犯人に遭遇。脅された冒険者の報復に来たと判断したカダイン氏は勝負を仕掛けられて応戦するも、槍が即座に折れて悲鳴をあげながら逃走を開始。なお、この悲鳴は誰かに助けてもらうためのものだったそうです」
「まぁ、合理的判断だな。それで、犯人は逃げたのか?」
「いえ、路地には当時誰もいなかった為、追跡されたそうです。外見や武装についてはこれまでの証言通り。攻撃も幾度か受けたそうですが、逃げに専念していたのが功を奏してか回避に成功。そして暫く逃げた先に偶然現れたマシウス氏と遭遇したとのことです」
「バラバラに襲われた訳じゃなかったってことか……」
「はい。マシウス氏は子供が襲われていると判断したものの相手に勝てそうになかったため逃走を図りました」
「おい!! この話クズしか出てこないのか!!」
「しかし足の速さではカダイン氏が勝ったのか逃げ切れず、マシウス氏はカダイン氏に協力の報酬を前金で要求」
「金だけ受け取って裏切りそうにしか思えない!?」
「とっとと助けなければ先にお前を刺すと槍で脅迫するカダイン氏とそれに屈したマシウス氏はここで共同戦線に出るのですが……」
「同じ穴のムジナぁッ!!」
聖盾騎士団の先輩が頭を抱えた。いっそ襲撃者がこの中で一番まともに見えてきている気がするのはセドナだけだろうか。連続襲撃犯なのに。
「……おほん。少し話は戻りますが、マシウス氏は無差別級小大会において『エボローズの花蜜』という激臭を放つ液体を自らの身体に塗り込んだことでかなりの悪臭を放っており、これが肌に触れると一週間は臭いが取れない代物でした。そのため他の客の迷惑になるとクルーズを追い出されていたのです」
「……つまり、なにか。彼は臭かったと」
「ありていに言えば、はい。事件当時は防臭効果のあるローブで全身を覆っていたそうですが、やむなく抜剣した際に悪臭も解放され、路地は地獄と化したとカダイン氏の証言にはあります」
犯罪者と屑と屑な犯罪者を悪臭が包む。
確かに色んな意味で想像したくもない地獄絵図である。凄い量のハエが飛びそうだ。
「それで? 悪臭で犯人を追い払ったなどと言うまいな?」
「犯人は悪臭を察知するなり甲高く言葉にならない悲鳴を上げ、壁を蹴って三角飛びをしながら逃げていったとのことです」
「えぇ……」
どうやら臭いに敏感な御仁だったようだ。
勝因は相手が臭かったからとは、余りにも虚しい結末である。
コロセウムでも実力派の人気戦士サヴァーを下した相手がそんなレトロな方法で撃退可能だとは知りたくなかった、という残念な空気が会議室に漂う。
「なお、この調書を取る際もマシウスの臭いは完全には取れておらず、書類から若干の刺激臭がします……ごほっ、ごほっ!!」
「うん、写し書き作ってさっさと捨てようか。大臣パワーで許可します」
本来は正式書類ゆえに捨ててはいけないが、この場を取り仕切る責任者のシェパー大臣の慈愛の一言が司会進行役の心を救った。この会議室は優しさに満ちている。
「失礼……それでですね。この際に犯人は屋根の上を伝って逃走したのではないかと考えた騎士ロックは現場を上り、足跡を探したそうです。幸い、雨季にも拘らずルルズではずっと雨が降っておりませんでしたので痕跡は残っており、その結果、犯人が向かったと思われる方角がある程度特定出来ました。更にこれまでの目撃証言、野良試合にて犯人と思しき人物が出現した場所や時間帯、犯人の潜伏が容易な場所の条件等を調べた結果――」
会議室のボードに貼りつけられた地図に新たな情報が書き加えられ、犯人の潜伏が想定されているエリアが縮小していく。やがて範囲がしらみつぶしに捜査可能なまでに絞られた頃――セドナはその場所が、一番厄介な位置であることに気付く。
「町の港から外への道まで続く大通りの丁度中間……町の中心より少し東の高級宿屋が密集する場所。しかもそこって確か、海外から来た人の中でも上流階級や要人がよく利用する場所ですよね?」
「そうだ。我が国のホテルの中でも最も客のプライバシーに対して口が堅く、外交問題が発生する可能性の高い……一番厄介な場所と言える」
表の戦いと時を同じくして、裏でも戦いは最終局面を迎える。
結末を勝利とするか敗北とするか――セドナはこの緊張感が慣れ親しんだものに感じる。既に頭のどこかで冷静な自分がどのような筋道で犯人を炙り出すべきか推論を始めている。
(やっぱりわたしってこういう世界で戦う人間なんだ。ヴァルナくん、アストラエくん……わたし、やるよ。だから安心して戦っててね?)
嗚呼、自分は――王国の安寧を守る、聖盾騎士団の騎士なのだ。
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