第261話 忘れてました

『不正はなかった。いいわね?』

『あ、はい……』


 どアップで顔を近づけてきた女神に不正を働いてはいないことを強調された。もしかして前回の試合終了時に運命の女神の気まぐれを考えたせいだろうか。


『というか!! 私言ったわよね!? 地上で生きる貴方を贔屓とか出来ないって!! びっくりしたのよ本当にもう!! いきなり地上からドッカンと突き上げるような轟音が響いたと思ったら、貴方血塗れでゴリラと戦ってるんだもの!! しかも素手でッ!!』

『ゴリラじゃないですよ。人類です人類』

『嘘よ!! あんな闘争心しかない心の持ち主がゴリラじゃない訳ないわ!!』

『ゴリラに対する偏見が酷くないですか?』


 運命の女神が言っているのは多分ガドヴェルトの拳と俺の八咫烏が衝突したときの音だろう。天地八方、鍾打天驚とか言ってたが、本当に天を驚かせたらしい。直撃喰らったら最悪ミンチになってたんじゃないかアレ。


『心配したのよ本当にッ!! 心配し過ぎて分霊が貴方のツレのネメシアちゃんと精神同調して宿りかけたくらい心配したんだからねッ!!』

『はぁ。巫女の才能でもあるんですかねアイツ?』

『心象の問題よ!! 意識取り戻したらとりあえず謝りなさいあの子に!! もう……最後の一撃を自分から受けに行った上でオーバーヘッドキックかまそうなんてどういう神経してるの!? 終いには本当に死んじゃうわよッ!?』


 別に殺し合いじゃないので死なないと思うが、それは戦っていた俺とガドヴェルトの考えだ。戦士でもない赤の他人からすれば、三倍近くの体格差がある怪物に拳で立ち向かう俺はさぞ頼りなく見えただろう。

 体格ばかりは自力ではどうしようもないもの。


『言われなくたってあんな大博打二度と打ちたくないですよ……ギリギリ勝てたから良かったものの、もし負けたら賞金パァですよ!? 何のためにオーク殺しの時間削りまくって大会出たんだって話になるじゃないですか!!』

『何言ってるの!! 途中から初心忘れてただムカツクから殴ってたでしょ!!』

『……うん』

『素直でよろしい、とでも言うと思いました!? ……まぁ、直ちに命に関わる傷はありませんでしたし、戦いを生業とする貴方にそれを言っても詮無きこととは存じています。とにかく……無事でよかったです』


 ほっと安堵の吐息を漏らす女神の顔がどうしようもなく慈愛に満ち溢れている。イロモノの癖にこういうときだけ女神の顔するなこの人は。まぁ実際に女神なんだろうけど。


『一個人に入れ込み過ぎじゃありませんか? その辺女神としてどうなんです?』

『むっ。私としては、たとえここに来たのが貴方がケチョンケチョンにしたオルクス君だったとしても同じくらい心配するのです。そこに貴賎はありません。ただ……どうかなぁ……貴方、今回の氣の解放でまた運命力が……ま、まぁ害はないから良しとしましょう!!』

『……?』


 何やら微妙に気になる話を聞いてしまったが、どうせ夢での邂逅なので目を覚ますと殆ど思い出せなくなる。また聞く機会があったら聞いておこう。それに、心配されたのは正直ちょっと照れ臭くも嬉しかった。いつもの外対騎士団メンバーなら「唾つけときゃ治る」「明日には復帰できるだろ?」「骨なくても戦えるんじゃね?」「むしろここから全部素手まである」とか心ない言葉をぶつけるだろうし。


『あ、そうそう。目が覚めたらおじいさんとゴリラに包囲されてるけど吃驚して動かないようにね? 動くと傷が痛むわよ?』

『どういうシチュエーション!?』


 ――目が覚めると、チャン執事とガドヴェルトに両サイドから手を翳されていた。その他数名に囲まれ完全包囲である。吃驚して体が跳ね起きなかったのは夢を見ていたおかげだろう。


「おはようございます。どういう状況ですかこれ?」

「おはようございます、ヴァルナ様。本来ならばお食事の勧めをしたい所でございますが、今は治療を優先させてください」

「おう、動くな動くな! 次の試合も出たいんだろ?」


 ガハハ、と笑うガドヴェルトは腹部を保護する腹巻と奥義のぶつかり合いで傷ついた左腕を覆う包帯以外、試合のときのまんまの姿で立っている。対して俺は腹部を中心に治癒布を張り付けられまくっているようだ。治癒布は治癒師ヒーラーが治療を施す際に用いる布で、患部に貼ることで効果を発揮するのだが、見たこともない大きく複雑な文様の札が貼られている。


「現在、ヴァルナ様は試合で負った負傷を治療している真っただ中です。わたくしとガドヴェルト様両名よりヴァルナ様に外氣を渡し、その氣を治療時に失われる体力の代価としています。体のあちこちにダメージがありますが、内臓と骨はすぐにでも治療しないと次の試合に間に合いませんので、しばしそのままご辛抱を」

「サラっと言ってますけどそれ絶技ですよね? 氣を極めるくらい行かないと絶対不可能な奴ですよね?」

「うむ! 流石は我が宿敵というべきか、そんな氣の使い方は知らんかったので俺も頑張って真似してるぞ!!」

「真似かよ!! いつつ……叫んだら体に響いた……ていうか俺に気絶させられた野郎がそんなに氣を放出して大丈夫か?」

「む? 試合が終わって三分後には目が覚めたし、別段体に大きな傷もないし、飯も食った!! 流石にお前に殴られた腹は痛むが、まだ戦えるぞ!!」


 こちとら大博打を潜り抜けてどうにか勝利もぎ取った上で半日寝込んだのに、倒した奴は三分後には自力で歩いていたらしい。なんだこの言いようのない敗北感は。俺って勝ったんだよな?


「納得いかねー……」

「まぁ良いではないか!! 俺はこの試合結果には満足しているし、俺が元気なおかげでお前の治療が捗る!! 氣の譲渡がなければ治癒治療込みでも全治一週間なところを突貫治療出来るのだから、むしろお前は運がいい!!」

「それはまぁ、素直にありがとう。ただ、試合中の余所見は屈辱だったぞ」

「いや、前触れもなく現れるチャンが悪いぞ! 危うく二度見するところだった!」

「これはこれは、大変失礼しました」

「昔はもっと不愛想なツラしてたんだが、人間変わるなぁ。なぁ、治療終わったら一杯付き合えよ。お前が大会優勝を捧げてまで忠誠を誓ったイヴァールト王とやらの話を聞かせてくれ」

「お時間があれば、喜んで」


 俺を挟んで過去に思いを馳せる二人。年齢はチャン執事長がだいぶ上だが、距離感は完全に久々に再会した友人である。チャン執事長が王国に帰属して『セバス』の名を王に賜ったのは、大会優勝してすぐの事だったらしいので、王の話が出るのは意味深に感じる。


 で、結局俺は体力回復のために栄養ドリンクを飲んで再び眠り、翌日の朝に目が覚めた。チャン執事長とガドヴェルトは夜通しで治療し、祭国治癒師は入れ替わり立ち代わり治療したせいで死屍累々。

 試合したその日に氣を放出しながら徹夜して大あくびしながら「眠い」とぼやくガドヴェルトもそうだが、片手で氣を送りながらもう片手でダウンした治癒師を介抱するチャン執事もやっぱり怪物だと思う。俺はようやく動ける体になって周囲にお礼を言いつつ、そう思った。


(いや、いくら一晩中治療したからって翌日にもう動けるのって……)

(夜通し氣を送った二人も化け物だけど、この人も大概の体力オバケだぞ……)

(筋肉と骨の耐久力が問題だっただけであって、スタミナまだ余ってた説……)

(そうだ、貴方こそ……真の、マッスルオデッセイ……)


 あくまで治療に時間のかかる重傷部位を優先して治したので裂傷や腫れは殆ど手つかずだが、ひとまずガーゼや包帯で処置はされている。ここから先の傷は自前の体力を消耗して治療するため、少し間を開けることになった俺は朝から外で待っているらしい同僚や友達たちに顔見せに行く。


「おいーっす。待たせたなお前ら、まだ完治じゃないが歩いて喋れるくらいにはなったぞー」

「ぜん゛ばい゛ぃぃぃ~~~~~~ッ!! 生゛ぎででよ゛がっだぁぁぁ~~~~~~ッ!!」

「泣くな泣くなカルメ、男の子なんだろ? ……なんだよな?」

「……………」

「ロザリンド。お願いだから涙を流して無言で崇めるのをやめてくれ。教祖とかじゃないからね俺?」

「ヴァルナ、お前……アツすぎたぜ!」

「おうよナギ。ガラにもなく熱くなりすぎてこの様だ」

「その……私、あんまり役に立てなくてゴメンナサイ、ヴァルナさん」

「いやいやコルカさんの助言でリバーブローに賭けてなきゃ勝てなかったと思うよ。本当にありがとうね」

「テンカウントが始まったとき、ぼかぁ本気で焦ったんだぞ。分かるかヴァルナ!!」

「馬鹿野郎アストラエ、俺の方が百倍焦ったわ」


 順番に処理していくと、珍しくセドナとネメシアが並んで立っていた。泣くでも笑うでもなく真剣な表情で近づいてきた二人に、俺は何事かと困惑する。


「ヴァルナくん……」

「ヴァルナ……」


 次の瞬間、ネメシアは拳を振りかぶった。


「無茶しすぎよ馬鹿ぁぁぁぁ~~~~!!」

「うおおお馬鹿野郎怪我人に殴りかかるなッ!! 的確に右脇腹狙ってんじゃねぇ!!」


 病み上がりながら辛うじて避けたが、ネメシアは顔を真っ赤にして怒りながら組み付こうとする。しかしそれは囮。本命は回り込んできたセドナパンチである。


「ヴァルナくんっ!! めぇぇぇ~~~っ!!」

「だからやめんかっつーのッ!! 骨と肺は治ったけど無茶出来る身体じゃねえからッ!!」


 流石に本調子には程遠い体なので手間取ったがなんとか二人を退けると、二人は拳を下ろしながらぽろぽろと涙を流し始めた。


「本気で……本気で心配したんだからっ!! 最後に殴られた時。死んじゃうんじゃないかって思ったんだからねッ!!」

「口から血を吐いたヴァルナくん見て、わたし倒れるかと思ったんだよ!? 治癒室から人が誰も出てこなくて、一睡もできずにここで待ってたんだよ!? ネメシアさんずっと泣いてて、わたしも、わたしも……!!」


 真剣勝負の結果だったのだから、怪我するのは仕方ない。

 二人だってそのことは百も承知だ。

 それでも二人が怒ったり泣いたりするのは、承知しているからと言って、俺がどんな怪我をしても心配しない理由にはならないということだ。突き詰めると俺の未熟――俺が博打以外の明瞭な勝ち筋を用意出来なかったせいで、二人に俺の敗色を感じさせてしまった。


 王国筆頭騎士としては完全な失態である。

 そして友人としてもだ。

 アストラエの視線も少し険がある。先ほどアストラエの言葉が一言で終わりだったのは、残りの言いたいことを二人に託したからなのだろう。もし負けたら勝ち上がって戦おうという話がパァになっているのだから、本当は一番言いたいことが沢山ある筈である。

 俺は素直に頭を下げた。


「すまん、俺の未熟のせいで余計な心配かけた……今回の試合、一応勝ちはしたが正直誇れる類のものじゃない。俺は、もっと強くならなくちゃならんな……」

「いやぁ、それはゼータクな悩みだとオジサン思うなぁ♪ うぃ~……真面目な話さぁ。人類最強から、相手の十八番の格闘戦で勝ちもぎ取ったんだよ? もー酒場じゃヴァルナくんとガドヴェルトの話で持ち切りよ!!」

「……」

「……ん? どした?」


 こちらを不思議そうな顔で見る赤らんだ酔っ払いの騎士――騎士ロックを見て、俺は衝撃を受けた。


「……そういえばロック先輩って一緒に来てたんでしたっけッ!? 町入って以降姿見ないし定例報告にも来ないから完全に忘れてましたッ!!」

「うおぉぉぉぉぉいオイオイオイヴァルナくん!? それヒドくない!? 仮にも現場責任者がそれヒドくないッ!? まぁこれ幸いと単独行動に興じてたオジサンに責任がないことはなくも無きにしもあらざるかもしれんやだけどさぁ!?」


 珍しく本気でショックだったらしいロック先輩は、珍しいことに自発的に自分の過失を口にした。他の騎士団メンバーも完全に存在を忘れていたらしく「何か忘れてると思ったら!」と手をポンと鳴らしている。カルメに至ってはそれすらなく酔っ払いの糾弾に入るが。


「つまり命令を放棄して単独行動に走ったヨッパライのせいです。ヴァルナ先輩は悪くありません。ほら謝って、ヴァルナ先輩に!!」

「イダダダダダ! こめかみに親指押し当てて頭下げようとすんなって!!」

「ツボ押しです。二日酔いに効くかもしれません。僕って優しいなぁ。謝ったら許そうと考えてるんですよ?」

「どうして君はそこまでオジサンを目の敵にするんだいッ!? 最近の若者が怖くなってきイダダダダダ!?」


 こうして仲間の面々と話が弾んだ俺だったが、次の試合では俺の身体以外にも大きな問題がある。それは、ガドヴェルトにものの見事に折られた愛剣問題をどうするかである。

 武器が破壊されて使うものが無くなった場合、祭国の許可が下りれば新たな武器を登録して試合に使うことができる。しかしゲノン翁が俺用に打った剣以上に手に馴染む剣がすぐ手に入るかと言われれば、それは極めて厳しいと言わざるを得ない。


 だが、この問題は意外な解決を見た。


「武器の事なら心配ご無用だよ、ヴァルナくん」


 騒がしい空間を支配するようによく響く声に、会話がぴたりと止む。

 声の主は悠々と廊下を歩き、俺の前で立ち止まった。


「……兄上?」

「「「「殿下ッ!?」」」」

「イクシオン殿下、それは一体――」


 意味ありげに微笑んだイクシオン殿下は、手招きする。


「着いてきたまえ。新たな剣を引き渡そう。君は本当に人間関係に恵まれているな……ふふ」 


 数分後、俺は殿下の言葉の意味を心底噛み締めることとなる。

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