第257話 限界はまだ見えません
『血沸き肉躍る、筋肉と筋肉の衝突ッ!! マッスルオデッセイの決定戦と噂される二人の激突がまさかの拳の語らいとなることを、我々は心のどこかで期待していましたッ!! 彼の師の名を聞いたときから、夢想せずにはいられませんでしたッ!! それが今、実現しますッ!!』
ガドヴェルトの拳がヴァルナを掠り、ヴァルナの拳がガドヴェルトの脇腹に突き刺さり、そのまま離脱。ガドヴェルトの追撃を掻い潜りながら、またヴァルナは拳を握る。
しかし、拳が掠った部分の服は破れ、その隙間から真っ赤に腫れた肌が垣間見える。
一緒に観戦しているナギとロザリンドは、対照的な反応をした。
「うおっ、人類最強に二発入れやがった! 最初は無理だと思ったけど、もしかしてアイツなら……!」
「いけません。ヴァルナ先輩の方がダメージが……!!」
「え? でも直撃させてんのアイツ……」
「よく見てくださいまし。ガドヴェルトが掠らせた拳の痕を!」
ヴァルナの拳は確かにガドヴェルトに直撃しているが、筋肉の壁と体格の差が大きすぎるせいか表面が軽く内出血する程度。対し、一撃掠ったヴァルナの肌はそれより遥かに内出血の量が多い。
「なんじゃありゃ……鞭で打たれてもあんなに腫れねぇぞ。あんなもんもし直撃でもしたら……」
「今はガドヴェルトの目がヴァルナ先輩の戦法と
ロザリンドは剣の究極としてヴァルナを深く敬愛しているし、剣を失った際に備えて素手も鍛えている事を知っている。しかし、あくまで拳はサブウェポンであり、本当の全力は剣を握ることで初めて発揮されるものだ。
『ああっと、また拳が掠るぅぅぅーーーッ!! 紙一重で躱すヴァルナ選手ですが、流石に人類最強に挑むだけあってその額に汗が滲んでいますッ!!』
また一撃、今度はヴァルナの腹を拳が掠る。服が破け、肌がインクを落としたように赤く染まり、呼吸が微かに乱れた。それでもヴァルナは戦う姿勢を崩さずガドヴェルトの懐に潜り込もうとするが、そう上手く事は運ばない。
「おっと、何度も通れると思わぬことだッ!!」
「チッ……!!」
リーチを捨てて低く腰だめに構えたガドヴェルトに、ヴァルナの足が止まる。コンパクトで拳速を重視した構えは通常の人間ならリーチが縮まり一長一短だが、ガドヴェルト程の体格を持つ人間がやるとディスアドバンテージが殆どない。
ガドヴェルトはそのまま歩いてヴァルナに近づき、ヴァルナは足を使って撹乱を試みる。歩法ではヴァルナに分があったか、一瞬で背面に回り込んだヴァルナが拳を振りかぶる。
「――そこかぁッ!!」
瞬間、ガドヴェルトの後ろ回し蹴りが炸裂し、観客から歓声と悲鳴が上がる。
だが足が通り抜けた先にヴァルナの姿はなく、再びガドヴェルトの腹に拳が叩き込まれる。
「裏伝四の型、角鴟で上手く回り込んだ!? 流石はヴァルナ先輩。でも……」
意外そうな顔をするガドヴェルトだが、すぐさま懐に飛び込んでいたヴァルナを振り払うために体を一回転させる。
その風圧だけで、ヴァルナは一メートルは圧されながら離脱する。
「おいおい、風圧ここまで届いてんぞ……食らっても食らっても当人はケロっとしてるし、この調子じゃマズイ。ヴァルナは決め手を欠くのにガドヴェルトは攻撃全部決め手って、ヤバイだろ……」
勝負の趨勢がどちらに傾いているかは、明確だった。
一方、ロザリンドたちとは別の場所で固唾を呑んで試合を見守るコルカとネメシアもまた不安を隠せない表情だった。
「作戦通りに戦ってますね……」
「そりゃ、そうだけど……」
二人はセコンドとして試合を近い場所で見守っているが、ガドヴェルトの拳が巻き上げる風があまりに強くて運営にゴーグルを渡されていた。
先日訓練に付き合った二人は、気が気ではない。
作戦内容は知っているが、とても勝ち目のある戦いには思えない。
それほど危険な橋をヴァルナは渡っていた。
「まず、まともに殴り合いになればリーチ、筋力、耐久力のどれをとっても勝ち目はない。だけど逃げるばかりでは戦いにならないし、アタッカー相手に逃げは悪手……」
「それで選んだ攻撃手段が、体格差を利用したコンパクトな打ち込みを刻んでいく戦法だけど……効いてない、わよね」
「いいえ、効いてます。ただ微弱なだけです」
どんな巨漢であれ、拳を受ければ衝撃は体に伝わるし毛細血管が内出血も起こす。それはダメージだ。しかし痛みへの耐性や体力の差、体格差はそのダメージを拡散し、微弱なものにしてしまう。
「元々あの巨体を少ない打撃で倒すのは不可能に近い以上、微弱でもなんでもダメージを重ねなければ勝ち目はありません。そして体格差と足の攻撃を警戒しつつ打撃を打ち込むには腹部しかない。あの身長差では、懐に入り込んでも胸や顔に攻撃するのに相応の隙を生み出します。警戒されると分かっていてもそれしかない……!!」
ヴァルナにまたガドヴェルトの拳が掠る。肌が裂けて軽く出血するが、ヴァルナは動くことを止めずに今度はカウンター気味に拳を打ち込む。そして離脱する。
観客の一部はこれを鼻で笑い始めた。
「腰の入ってねぇパンチだなぁオイ! そんなんじゃ人類最強に届かねえぞ!!」
「もっと振り抜け馬鹿!! ぺちぺちぺちぺちビンタじゃねえぞ!!」
「まぁ、あの体格差じゃなあ。時間の問題だろ」
ガドヴェルトの勝利を信じて疑わない観客は、既に高みの見物モードだ。
しかし会場全体のボルテージは下がらない。
最強の男がいれば、必ずそれに挑む者がいる。その挑む者を倒れ伏す最後まで応援し続ける人間は、決して会場から消えることはない。誰もが強者に憧れるのと同じくらい、弱者が強者を打ち倒す瞬間を切望する者も必ずいる。
「負けんなヴァルナぁぁぁーーーーーッ!!」
「何発でも打ち込んでやれ!! 最強に届かせろぉッ!!」
「諦めんなッ!! お前なら出来るッ!!」
人は不思議と、劣勢に立つ者が力を振り絞って努力する様を応援したい心理が働くことがある。それはきっと、いつかどこかで諦めてしまった夢を対象が背負ってくれるのではないか、という期待があるからだ。
今、ヴァルナの背中に今までになかった種類の後押しが降り注いでいた。
ネメシアにはしかし、その心理は理解できない。
「ああっ、また……!!」
振り下ろしの拳を避けたヴァルナだが、掠って足に新たな腫れが生まれる。さしものヴァルナもガドヴェルトの攻撃を完全には躱しきれず、既にあちこちが腫れと出血で痛々しい様相になっている。
その傷が一つ増えるたび、ネメシアの心がずきりと痛んだ。
あんな痛々しい姿で、勝ち目のない相手にいたぶられるヴァルナの姿を直視するのが辛い。コルカも口には出さないが、一撃が掠るたびにぎゅっと拳を握り込んでいた。言い聞かせるように戦法を呟きながら
「振り抜きの拳より当ててすぐ引く拳の方が手数が多くなるから総合的なダメージは上になる。それに振り抜きは隙が多いし、相手は体を仰け反らせることで衝撃を逸らせる。当てて引いて逃げて、当てて引いて逃げて……これでいい。これしかない。これが最良……!!」
問題は、その最良の行動をいつまで続ければいいのかである。
◆ ◇
完全に相手の土俵に乗ってしまうという戦士にあるまじき選択をせざるをえない現状に歯噛みしながら、ステージ上をとにかく駆ける。騎士団に入りたての頃、土壇場で走り回れない奴は死ぬと散々言い聞かされたのを思い出しながら。
(止まるな、走り続けろ!! 一撃喰らえば場外だ!! 歩法もパターンを作るな、目を慣れさせるな!!)
騎士になるまでに学んだあらゆる歩法とリズムを複合して移動しながら、攻撃の機会を伺う。懐に入り殴れば殴る程、ガドヴェルトは試行錯誤を楽しむように構えや動きを変えていく。
体力、集中力、なにより精神力が安定している。セドナと同じく戦いを純粋に楽しめるタイプだ。焦って攻撃が大振りになる、などとありがちな展開は望めそうにない。
ヴァルナは再び懐に入ろうとし、鋭いフックに防がれて離脱しながら昨日に立てた戦法を思い出す。
『素手で戦うとして、無策じゃ無理だよなぁ』
休憩の合間に発した俺の言葉に、コルカさんは神妙な顔で頷いた。
『ハッキリ言うけど、いくらヴァルナくんでもアレ相手に素手で勝利は無理だから。あれは本当に本当の
『それはなんとなく分かるんだけど……剣が持たないかもしれんから』
自分の剣を鞘から抜き、刀身を見る。
コルカさんの時と違って本物の刃で挑む訳だが、人を斬る事に不安がある訳ではない。ただ、純粋に、この剣では無理かもしれないと思った。
ゲノン翁の打った剣だ。
質を疑うことなどありえない。
しかし、超一流の鍛冶屋が打ったとしても、材料が平凡ならおのずと強度に限りが出てくる。そして材料費と予算は比例する。借金してでもいい剣を買おうとしていなかった俺は、ゲノン翁の「オーダーメイドはまだ早い」を鵜呑みにするままここまで来てしまった。
マルトスク戦で既に酷い刃毀れだったのだ。研いでなんとか持ち直したが、そのマルトスクと同格であの体躯を持つガドヴェルト相手に自分の中級剣が耐えられると思う程、ヴァルナは楽観的ではなかった。
コルカさんは余裕がなくてマルトスク戦で俺の剣がどうなったかを知らなかったらしい。後ろにいたネメシアが小声で事情を説明すると、コルカさんは懊悩と不安がないまぜになった何とも言えない顔で腕を組む。
『……そう、ですか』
『今から武器を変えようにもなぁ……他人の剣は手に馴染まないし、どうしても素手を想定しないとならん』
『……ガドヴェルト選手に戦士として弱点はありません』
今や俺より格闘戦に精通しているかもしれないコルカさんの言葉に嘘はないだろう。俺自身、隙らしい隙が見当たらないと思っている。
巨大な体躯を人間の頭脳と反射神経で動かすとは、そういうことだ。人間に比べれば知能が低いオークとは訳が違う。その上、彼は対人経験をきっと山ほど積んでいる。そして齢四十ながら体力に衰えはない。自慢の若さもアドバンテージにはならない訳だ。
でも、とコルカさんは続けた。
『戦士として弱点がなくとも、人間である以上は人体の急所を無くすことは出来ません。顎、鳩尾、男性であれば股間……あの怪物に勝利するなら、人体の急所を突くしかありません』
『その急所とは?』
『……色々考えてみたけど、もうこれに懸けるしかない場所。タマエ師匠が昔、師匠の更に師匠を倒すために研究した弱点……それは――』
それを突く為に潜り抜けなければいけない死線が、余りにも激しい。
また拳が掠る。
掠ると言っても少なからず体に衝撃が伝わり、体力を削っていく。
ダメージが確実に体に蓄積している。
相性とは面白くも残酷だ。
俺は剣が劣っていてもマルトスクの欠点を突くことは出来た。その俺が剣の欠点のせいでこの有様だ。しかし、超一流の剣を持ち巨大な敵と戦い慣れたマルトスクなら、ガドヴェルトも押し込み切れなかったかもしれない。
竜殺しの英雄とコロセウムの英雄に優劣をつける気はない。
どちらも平等に、大会に出た以上は当たれば倒すほかない。
「……ッ!! うおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「おうおう、動くじゃないかヴァルナッ!!」
再び腹部への殴打。しかし打点をずらすと同時に反撃される。完全に誘われた、と歯噛みしながら宙返りで躱す。縦軸の回避でないと間に合わなかったからだ。
そしてそれにも、ガドヴェルトは対応してきた。
「逃げるなよぉ!! もっと楽しもうぜぇッ!?」
「こんのっ!!」
宙返り中の俺めがけて即座にタックル。足の一歩を踏み出すたびにステージに罅が入る超重量級の人間弾丸が吶喊してくる。轟音に観客が震えるが、俺は生憎空の旅を堪能中なため大気の振動でしか感じない。
「舐めんじゃねぇッ!!」
追撃を視野に入れていないと思われたのは心外だ。
俺は体を回転させながらガドヴェルトを睨み、その足をタックルしてくるガドヴェルトの頭頂部に思いっきり叩き込んだ。
「裏伝八の型――
裏伝八の型は本来移動用の足技だが、歩法を間違えると加速に使う筈だった衝撃が足元に全て拡散してしまう。イスバーグでオークを湖に沈める為にその特性を応用したのが、この
「ぬおおッ!?」
意識外から突如炸裂した衝撃にガドヴェルトが試合で初めて悲鳴を上げる。いくらガドヴェルトが人類最強だろうが、人間は首は鍛えられても頭部そのものを鍛えることは出来ない。頭部の衝撃と自分の加速が重なり、巨体がステージ縁まで移動する。
この瞬間こそ、好機。
俺はありったけの力を足に込め、今度は正当な
加速、加速。
足が捥げても構わない気概で加速。
僅か十メートルにも満たない距離のなかで限界まで脚力を酷使する。速度とはすなわち重量であり、威力だ。残された一本の剣を即座に抜き取ると、瞬時に理解した。
八咫烏を打ち込むしかない、と。
この状況で飛び蹴りを喰らわせて場外を狙う――それでは勝てないと本能が告げている。剣が砕けても構わないほどの覚悟でないと勝てないと叫んでいる。
気迫は脳を経由して四肢に達し、意識はただ一点に。
マルトスクと戦った際に最後に放った八咫烏を思い出せ。
殴り合いの戦いによる勝利ではないから観客に文句を言われるかもしれないが、チャンスがあって剣を抜かない理由もなければ約束もしていない。ガドヴェルトもそれは先刻承知のはずだ。
視界が加速し、八咫烏を使う際の全てが均一になる世界に突入する。
と――。
「その勝利に対する執念と気概、大したものだ」
「な……っ!!」
八咫烏を放つ直前に垣間見える世界。
その世界の果てに、黄金の闘気が沸き上がり天を貫いている。
背を向けたままこちらの気配を感じ取っているガドヴェルトが、そこにいた。
「これを使うのは、チャンの奴かマルトスクになると思っていた。しかし、お前に使う事に躊躇いも不足もない。むしろお前のような愚直な奴で良かった」
――この世には、数多の武術がある。
――その中に於いて。
――王国攻性抜剣術、第十二の型が最強である保障など存在しない。
「天地八方、鍾打天驚!!」
本能で感じる。
あれはバジョウが最後に放った一撃――「窮奇虎影塵」と同じく、何かに到達した奥義。間違いなく最強の一撃が来る。それも、八咫烏でさえ慄く程の存在感を世界に響かせて。
「負けるな――八咫烏ッッ!!!」
「―― 破 山 掌 ッッ!!!」
振り向きざま、大地を砕き天を割る左手の一撃が放たれた瞬間――世界に亀裂が入るような音がした。
――意識、覚醒。足が地面を滑っている事を即座に認識した俺は鞘を床に叩きつけて減速する。踵が浮いているのを感じ、ステージの縁まで飛ばされたことに気付き、すぐに体勢を立て直す。
強度を増したと説明していたステージは、ガドヴェルトと俺が衝突した場所を中心にクレーターのようなへこみが出来ており、石床は砕けるというよりは散っていた。散った塵が舞い上がり、視界が悪い。手に持つ二番目の相棒を見ると、刀身が殆ど消失しており、僅かにねじれた刃の残骸が残る程度。
これまで八咫烏を使って剣がボロボロになったことは経験上ない。
無意識に手加減していたか、それともガドヴェルトの奥義のせいか。
今の全力を注ぎこんだ一撃をステージの縁で受けたのだ。
これで場外に持ち込めていなかったら本物の化け物である。
やがて、塵が落ち着いて視界が戻ってきたとき、俺は剣の柄をステージの外に放り投げた。もう必要なくなってしまったからだ。
「痛いねぇ……ここまで痛む傷はいつ以来だ? ここ十年くらい、指のささくれ以外で自分の血を見た記憶がないからねぇ……でも痛いってのは重要なことだ。生きてるってことだ、戦ってるってことだ、戦えるってことだ!!」
ボロボロにひしゃげた左手のガントレットを引っこ抜き、縦一閃に裂傷の奔った腕を肩ごとぶんぶん振り回し、そこに、ガドヴェルトはいた。
「お前の剣をさっき馬鹿にして悪かった!! 俺のガントレットを砕いた名誉ある剣だ!! 後で丁重に弔ってやるべきだな!! さて――」
裂傷の刻まれた腕で握りこぶしを作ると、傷跡から多少の血が出た。腰に巻いていた布を雑に腕に巻きつけて出血を抑えたガドヴェルトは左の手のひらを閉じ、開き、握り、そしてこちらに向けて振り抜いた。
拳に圧縮された空気が飛来し、俺の顔の真横を掠めた。
背後の観客が十数名、風に押されてひっくり返ったのを確認したガドヴェルトは満足そうに笑い、両拳を握る。
審判も実況も場外の判定はない。
剣を犠牲にした渾身の一撃も、傷を負わせてそれで終わった。
「続きやろうぜッ!! 俺は今、久々に……猛烈に燃えてんだよッ!!」
「本物の化け物だな、こりゃ……」
人類最強の限界は、まだ見えない。
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