第256話 真の戦いはここからです

 拳とは、人間が人生で最初に手にする武器だ。

 最初は真っ新な手から始まり、次第に道具や武器を扱い、戦いの術は腕から全身へと範囲を広げていく。全ての起点であり多くの人が一生寄り添って生きていくそれは、決して戦うためだけのものではない。

 

 しかし人は……特に男という生き物は、ある日ふと思うのだ。


 ――この拳は、どこまで通用するのだろうか。


 実はこの拳は自分の想像以上に強く、同年代どころか年上まで殴り飛ばせるのではないだろうか。いや、作戦さえ考えれば巨大な猛獣さえ殺めることが出来るのではないだろうか。


 瓦割りというパフォーマンスのように、この拳はいつか岩をも砕くかもしれない。今まで岩を殴れば手が折れると思っていた常識が覆るかもしれない。誰も出来ない事を、この手一つでやり遂げることが出来るかもしれない。


 もしかしたら自分は、世界最強になれるかもしれない。


 拳は拳だ。剣のように性能差など殆どなく、金がなくとも持つことが出来る。友を倒せるなら他人も倒せ、他人を倒せたのならもっと強い他人も打ちのめせる。これは広い目で見れば統計であり、考えている本人からすれば引き算だ。


 だが、拳に生きるとは単純であるが故に、逆に困難を極める。

 拳と拳のぶつかり合いは、純粋な実力が必要になる。その為、勝負に運や小細工が介在し辛く、才能だけでも上手くいかない。


 まず体を鍛え、筋力を身に着け、体力をつける。

 拳の振り方、体の動かし方と痛みを学び、経験する。

 実際に戦い、練習と実戦を嚙み合わせる。

 地道な反復練習、激しい実践訓練、思い通りに勝てない現実との我慢比べ。

 拳で勝つためには、それだけの苦痛と努力を重ねなければのし上がれない。


 今、俺の目の前に拳がある。


 格闘に於いて真っ先に重要になる、体格とリーチという点において、圧倒的。腕に巻き付く筋肉は厚く瞬発力があり、無駄がない造形にも拘らず巨大。

 振り翳された拳の軌道は定められた道筋を辿るようにスムーズだ。

 地面に踏み込む足から指先までのラインが全て繋がった、全身で放つ拳。


 その迫力を眼前にして思う。

 人生でここまで自分の身体が小さく思えたことがない、と。


 ズドンッッ!! と。


 大地が揺れ動く程の振動が、コロセウムのステージに叩きつけられた。


『ヴァルナ選手死んだかぁぁぁーーーーッ!! い、いや生きている!! 表情一つ変えずに躱していますッ!! ここまで相手に先方を譲る形の多かったガドヴェルト選手の先制攻撃にも難なく対応!! この勝負でも彼は何か予想外のことをしでかすのではないか期待を抱いてしまいますッ!!』


 実況のマナベルが思わず試合開始と同時に『死んだ』という言葉を使わせるほどに、その拳が放った拳圧は死を想起させるものだった。並の者ならこの一撃だけで失神しかねない程の拳はしかし、別段焦るほど回避の難しいものではなかった。

 はっきり言えば、戦略上かなり謎の行動だ。

 しかし、放ったガドヴェルトは満足そうに唸る。


「……んん! ステージの感触が少し違うと思ったが成程! 俺の要望が通ったらしい!」

「……? そういや、拳圧の割にステージの損傷が少ないな」


 威力的には試合を見物しにいった際にステージを叩き割った時と同じレベルの攻撃に見えたのだが、ステージの表面には軽く放射線状の罅が入った程度で砕けてはいない。


『少々補足説明を!! これまでガドヴェルト選手の拳がステージにぶつかるたびにバキバキに砕けまくっていましたが、試合を阻害する要素になるということで急遽ガドヴェルト選手専用ステージをご用意しましたッ!! 表面は通常のステージですが、衝撃吸収と拡散機能で壊れにくくなっていますッ!!』


 試合のライブ感の為に敢えて黙っていたのだろうが、有難さ半分、迷惑さ半分だ。足場がズタボロになったら走り辛くなるので壊れにくいのはいいが、逆に砕けたステージの穴や瓦礫を利用する戦術は使えなくなった。

 どうやらこれを確かめたいが為だけに地面を殴ったらしい。

 しかし、考える余裕はすぐに奪われる。


「じゃあ小手調べ開始と行くかいッ!!」


 両手でファイティングポーズを取ったガドヴェルトが、最小にして最速の動きで間合いを詰める。迫力だけなら雪山の巨大オーク以上の威圧感でありながら、恐ろしいフットワークの軽さだ。あの体勢からタックルを放つだけで並の戦士は場外に飛ばされる。


 ガドヴェルトの上腕二頭筋の血管が浮き出し、右手、左手の順にワンツーの攻撃。風圧で煽られかねない風が吹き荒れるが、冷静に見極めて躱す。次々に飛来する拳の一つ一つが、コルカさんの本気の一撃でも受けきれるかどうか怪しい威力だ。


 本来、素手と拳なら剣の方がリーチが長い。しかし、ガドヴェルトの常人離れした体のサイズから繰り出される拳は剣が逆に間合いを突き放されている。

 と――。


「うぉっとッ!!」


 突然、速度が跳ね上がった拳が飛来した。

 素早く抜剣し、脇を締めて剣を振り抜く。刃とガントレットが衝突し、拳は僅かに――そしてこちらの立ち位置はそれ以上に逸れる。


「拳の速度に目を慣れさせてからのジャブかっ」

「そういうことだッ!!」


 言うが早いか追撃の拳が迫る。体勢は崩さなかったが押し込まれたことが生んだ隙に追撃のジャブが飛来。俺は受け止めることはせず、剣の構えを解いて後ろに下がった。


 チッ、と、服を拳が掠る。

 風圧が腹を殴るが、幸いにして俺の腹筋の防御力で防ぎきれた。

 拳が外れたにも拘らず、ガドヴェルトは面白そうに笑う。


「冷静じゃん」

「仕事柄、そういうの多いんで」


 今、もし焦って剣で受けようとすればそのまま押し込まれて逃げ場を無くしただろう。オークとの戦いの基本、オークの攻撃は流すか躱せだ。常人より遥かに優れた筋力を持つオークの攻撃をわざわざ受け止めるのはリスクの方が大きいので、リーチを見極めて避けるスキルは騎士団必須だ。


 速度と腕の太さのせいでリーチが果てしないように錯覚してしまいそうだが、ガドヴェルトとて人間である以上は腕の長さに限度がある。避けられる攻撃は避けなければ、今度は一気に間合いを詰められるだろう。

 とんとん、とリズミカルに足を鳴らすガドヴェルトの巨体から、更なる闘志が膨れ上がった。


「いやぁ、有難い。どいつもこいつもウォーミングアップがてらの小手調べでバシバシ吹き飛んじまうから、やっと戦いらしくなってきて嬉しいぜ」

「勝負なんて本来は一瞬でカタのつくもんだろ。ハデな殺陣になってる方が本当は珍しい筈だ」

「んまーそうなんだがよ。それでも不満があるぜ騎士ヴァルナ。もっと熱く攻めて来いよ」

「……」


 今の所、こちらは防戦一方だ。

 相手の動きを観察しつつ攻撃を捌くのは普段の俺の戦法の一つだが、今回はその甲斐も余りない。拳の一つ一つが必殺であり連撃にも派生するので、癖がどうこうと悠長なことを言っていられないのだ。


 俺の剣は人斬りの剣ではないが――斬らねば負ける。

 無言で剣に両手を添え、構える。


「――参るッ!!」


 今度は、こちらの番だ。


「一の型、軽鴨」


 俊足の刃が飛ぶ。が、ガントレットで容易く弾かれる。


「速いが軽いな」

「みたいだな」


 気軽な言葉のキャッチボールと合わせて飛来する必殺の拳を躱し、続けざまに仕掛ける。


「五の型、鵜啄ッ!!」

「おおッ!!」


 一直線の唐竹割りに、ガドヴェルトも先ほどのように簡単には凌げないと悟ったか大きく手を振って防ぐ。それでも刃で押し込むには至らず、離脱。接近して叩き込んでは離脱し、また叩き込んで離脱。ヒット&アウェイ戦法で戦いを刻んでいく。


 次第に剣に込める力を高めていくが、ガドヴェルトもエンジンがかかってきたか動きの切れが増していく。こちらも踏み込みは重く、腕に込める力は強く。ここ最近体に馴染んできた『内氣』を全身に纏わせる感覚で力を底上げする。


 腕に集中だとか足に集中では間に合わない。

 それゆえ考えたのが、最初から薄く氣を纏う方法だ。

 最初から馴染んでいれば局所的に力を入れる時も時間のロスがない。というか、全身に満遍なく氣を纏わなければこの攻防に置いていかれる。こちらのギアが上がり、剣が僅かにガドヴェルトの手を押す。そうするとガドヴェルトも壮烈な笑みで調子を上げ、闘志を噴き出していく。


『戦いは加速するッ!! 駿馬の如くステージを駆けまわるヴァルナ選手の剣は止まらないが、ガドヴェルト選手の拳も止まらないッ!! 両者、集中力スタミナ共にまるで堪えていませんが、果たしてどこまで高まっていくのかぁぁぁーーーッ!?』


 想像以上の善戦をする俺とやっと派手に動き出したガドヴェルト、という構図に観客には見えているだろう。

 しかし、俺はこのとき、事を悟っていた。この勝負、恐らくマルトスクなら今の俺より余程上手く立ち回れていただろうが、俺には一つ致命的なハンディがあった。


 重戦車の如く地響きを上げてこちらに迫るガドヴェルトは、その笑みの端に微かな物悲しさを湛えて拳を振りかぶる。


「そんなに動けるのに、残念だなぁ――お前、負けるよ」

「くあぁぁあぁぁあッ!!」


 避けられないと直感し、ガドヴェルトの拳に合わせて地面を踏み割らん程に踏み込んだ斬り上げを拳に叩きつける。結果を知っていながら、俺はそうするしかなかった。


 ベキリ、と。


「何でもっといい剣持ってこねえんだよ。武器に接待しながら勝てる相手だと思われてたんなら、俺は悲しいぞ?」


 それは驚く程に呆気ない、俺の三番目の相棒の最期だった。

 拳が砕けたら拳士は終わるように、剣を砕かれた剣士もまた終わる。

 


 俺の視界に、岩石が落下してくるような勢いの振り下ろしが迫っていた。



 彼の強烈な拳とその威力に対抗するには、相応の力を剣にぶつける必要がある。その為には決して折れない、極めて上質な剣が必要だった。

 俺の剣が悪い剣という訳ではない。しかし、これはあくまで『良質』な剣だった。汎用性を考えればこれでも立派な方の剣だった。敢えてそこにケチをつけるとしたら――人類最強の拳に応えるには、最上級の腕前があっても最上級の剣がなければ太刀打ちできないという事実。


 俺は戦えても剣が戦えないのでは、意味がなかった。


(オークばっかり狩ってきたツケか……マルトスクには言われてたけど、こればっかりは俺の判断ミスだわな……)


 借金覚悟で真面目に剣を探せばよかったと俺はひどく後悔し――ガドヴェルトの拳を潜り抜けて脇腹に一発拳を叩き込んで離脱した。


 一瞬、会場が凍り付く。


 確かに今、肌と肉を叩いた打撃音がした。ガドヴェルトの脇腹に一つくっきりと残る拳の痕が、空耳ではという推論を否定する。その衝撃にガドヴェルトはダメージを受けた様子こそないものの、きょとんとしていた。


「おうっ? ……今、殴られたか?」

「剣が折れた以上、もう一本を使っても結果は同じ事。心底不本意だし自信もアレだが……こっから先は拳で勝負だッ!!」

「……マジか。はっ、ははははははっ!! マジかヴァルナ!! お前みてーな馬鹿がいて俺は嬉しいぜぇッ!!」

『す……ステゴロォォォォォォォォーーーーーーーーーーッッ!!?』


 果てしなく遠く険しい勝算になるが、勝利を目指す以上はそれしかない。

 昨日一日でやった準備がどの程度役立つか未知数だが、こうなれば意地でもぶちのめす。やると決めたらやり切るだけだ。


「ハァァァァァァッ!!!」

「うらぁぁぁぁぁッ!!!」


 ガドヴェルトの拳と、ヴァルナの拳が同時に振り上げられる。



 『初代武闘王』ガドヴェルト


      V S


 『王国筆頭騎士』ヴァルナ



 戦いのゴングが、真に鳴り響いた瞬間であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る